【映画】シライサン(ネタバレ感想)

映画『シライサン』のポスター
(C)2020 松竹株式会社
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『シライサン』のシーン
(C)2020 松竹株式会社

親友の突然の死のショックから立ち直れない女子大生・瑞紀は、弟の変死に直面した青年・春男と出会う。
眼球が破裂し、何かに怯えたように死んでいった彼らの死の真相を探るうちに、2人は理解を超えた戦慄の真実に突き当たる。
そして、その名を知ってしまった彼らもまた“シライサン”の呪いに巻き込まれていく。
“シライサン”の正体とは?
その名を知ってしまった彼らは、呪いから逃れることはできるのか──?

2020年製作、日本の作品。

監督は、「乙一」として有名な小説家の本名である安達寛高。
本作が長編監督デビュー作のようですが、それ以前に短編作品はいくつか手がけており、そもそも自主映画を撮り始めたのは大学時代のようです。
小説家としてのデビューも17歳ですし、若くから多才ですね。

さて、本作『シライサン』には、安達寛高自ら乙一名義で小説化した『小説 シライサン』が存在します。
映画版に先行して小説版を読んでいたのですが、『小説 シライサン』の感想・考察については、以下の記事をご参照ください。
この記事では、極力小説版のネタバレには触れていません。


さて、小説版も読んだ上での率直な感想としては、「小説とはだいぶ変えていて、すごくスタンダードなジャパニーズホラーだな」でした
小説版については「監督自らが、映画では描ききれない細かい背景や心理を補完したノベライズなのかな」と勝手に想像していたのですが、まさかここまで変えてくるとは思っていなかったので、意外でした。

映画版は、シライサンに関する背景はほとんど描かれないと言っても過言ではありません。
小説版は、古典的なジャパニーズホラー感が強く漂う前半から、「情報化社会における都市伝説」の面白さを扱ったような独自の展開を見せていましたが、小説版における後半部分はほとんど端折られていました

そして、映画版ではとにかくシライサンのビジュアル的な恐怖に特化されていた印象です
見た目だけで不気味なビジュアルと、それが迫ってくる恐怖。
シライサンの誕生秘話や取り巻く人々のドラマを大きく削ってまで、映画=映像の恐怖に特化されており、潔さすら感じました。

小説版は決して「映画のノベライズ」ではなく、同じシライサンという恐怖を扱いながらも「小説」と「映画」という媒体それぞれに合わせた演出がなされており、「乙一」と「安達寛高」というあえて別名義で活動している意味もわかるような見事な使い分けでした
なので、映画版と小説版、両方に触れてこそ一つの作品として完成するような印象も受けます。

ただ、あえてどちらの方が好きかと言えば、個人的には圧倒的に小説版の方でした
乙一(=小説家)としてのキャリアの方が圧倒的に長いというのもあるでしょうが、映画版だけだと正直、少々物足りなさを感じてしまいました。
もちろん、先に小説版を読んでいたからそう感じるのもあるとは思いますが、映画版を先に観ていたとしても、物足りなさは感じてしまったかもしれません。

その要因としては、「古典的なホラー演出に終始していた」という点が大きいのかな、と思いました。
もちろん、それは「良くも悪くも」という両面があります。
良い点は、これぞジャパニーズホラーの王道という感じで、逆に近年の作品ではあまり見られない新鮮さや安心感がありました。

逆にネガティブに見てしまうと、シライサンというオリジナルの怪異のビジュアルや襲ってき方は良いのですが、映画版ではそれ以外にあまり強い個性は感じられませんでした。
演出もややわざとらしさが目立ってしまっていたのと、目が破裂するシーンもCG感強めだったので、没入感はやや低め。
小説版の色々な要素を端折っている割に若干テンポは悪く感じてしまったのですが、それは長編初監督というのもあったのかもしれません。


それでも、シライサンの映像化はだいぶ懸念していたのですが、しっかりと不気味でとても良かったです
若干『コンジアム』など韓国ホラーの影響も感じますが、目が大きくほとんど黒目というだけで不気味に見えるのは興味深いポイント。
接近しても耐えられるビジュアルは見事でしたが、遠くに立っているときの不気味さが特に抜群でした。

なので、上述した通り、映画版は基本的にシライサンのビジュアル的恐怖が前面に押し出されて、シライサン怪談の誕生秘話や登場人物たちの群像劇は最低限に留められており、取捨選択がはっきりしていました
ただその割に、恋愛要素が加わっていた点はちょっと蛇足に感じてしまいました。
もちろんこれは好みの問題でしかありませんし、小説版は「不必要な恋愛要素がなくて良いな」と思ったので、その反動もあったかもしれません。

ラストは小説版とは大幅に異なりましたが、これは上述した文字と映像という媒体の使い分けの他に、どちらかを先に読んだり観たりしていても、あとから触れる方も楽しめるという側面もあります
最後の最後、踏切のシーンは映画版オリジナルでしたが、これはちょっと笑ってしまいました。

Googleで「シライサン」を検索するとサジェストに「シライサン ずるい」と出てきます。
小説版を読んでなおこのサジェストの意味が謎だったのですが、映画版を観て謎が解けました。
瑞紀が1人でシライサンと遭遇するシーン(これも映画オリジナル)もそうでしたが、助かるには見つめる必要があるという特性上、視界からワープするのはさすがにずるいですね

あとは逆に、小説版で謎に感じた部分が説明されるポイントもありました。
一番は「幼少期にシライサンの話を聞いた渡辺少年は、なぜ当時死ななかったのか?」という点を小説版の記事で考察しましたが、さらっと「忘れてたんじゃないですかね」と説明してくれていました。
そしてそれが、記憶を失った瑞紀だけは助かるのだろうという、映画版のラストにも繋がっていました。
小説版とはまったく異なる解決方法ですが、シライサン対策としては記憶を失うのが最強ですね
シライサンが承認欲求の塊という解釈も面白かったです。


キャスト陣は、みんな合っていて良かったです。
やはり演技が気になってしまうのが一番没入感を妨げられてしまうので(低予算な邦画ホラーはどうしてもそういうのも多いので……)、その点、本作は安定して観られました。

メインの2人である飯豊まりえと稲葉友はどちらも初見でしたが、違和感ありませんでした。
小説版の瑞紀は視線を合わせられないという性格がだいぶ強調されていたので、それがなくなっていたのは意外でしたが、すぐに慣れました。
稲葉友は、本作の髪型の影響もあるかもしれませんが、顔立ちも表情の作り方もちょっとTBSの安住紳一郎アナに似ている気が。
親子役でいけそうな気がします(?)。

間宮幸太はもっと年配の冴えない嫌なおじさんのイメージだったので、忍成修吾だったのは正直かなりびっくりしてしまいました。
とはいえ、小説版では妻の冬美は「もうすぐ40歳」みたいにしっかり書かれていまたし、勝手なイメージとは恐ろしいものです。
小説版の考察で黒幕説を唱えた冬美は、映画版では完全にいてもいなくても良いような空気になってしまっておりました。

酒屋の次男・渡辺秀明が染谷将太だったのもちょっと意外。
1人雰囲気抜群で、怪談の話し方もあまりにも上手かったので、贅沢な使い方でした。

というわけで、映画版は映画版で古き良きジャパニーズホラーの雰囲気に特化した作品として楽しめましたが、考察できるような深みのある描かれ方はされていませんでした。
もちろん、それはあえてそのように作られていると考えられます。
ただ、映画版だけ観る方も多いでしょうし、それだけで判断されてしまうのは少しもったいなくも感じてしまいました
小説版ではシライサンのルーツについても深掘りされており、土着信仰や都市伝説、ネットによる情報拡散など様々な要素が織り込まれ、考察や解釈の余地も大きく楽しめたので、おすすめです。

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