【小説】藍上央理『完璧な家族の作り方』(ネタバレ感想・心理学的考察)

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藍上央理『完璧な家族の作り方』の表紙
(C)KADOKAWA CORPORATION.
目次

作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:完璧な家族の作り方
著者:藍上央理
出版社:KADOKAWA
発売日:2025年4月25日

新人賞に応募された小説作品「完璧な家族の作り方」。
角川ホラー文庫編集部は、著者のある目的のため、本作の書籍化を決定しました。


note主催・創作大賞2024における〈角川ホラー文庫賞〉受賞作。
発売当時、角川ホラー文庫のX(Twitter)のアカウントにおいて、かなり大々的にプッシュされていた記憶です。
それでずっと気になっていながらも、遅ればせながらようやく読みました。
表紙の上端、タイトルと著者名が英語で書かれている部分が黒ではなく白いのが、角川ホラー文庫では珍しい気がします。

モキュメンタリーホラーブームの中で生まれた1作ですが、その中でも評価が高いのも納得な完成度で、とても楽しめました。
発想が斬新というわけではないのにとても印象に残っているのは、終始漂う陰鬱な空気感でしょう
スピード感がゆっくりめで、細かく、迂遠に、執拗に繰り返される描写。

それが苦手な人もいるかもしれませんが、個人的にはこの作品にとても合っていました。
派手ではなく、これぞJホラーといった逸品。
黒い影などオカルト的な演出もありますが、霊的な怖さよりもヒトコワが強い。
しかし、それでいてミステリィやサスペンスではなく、終始とことんホラーを貫いている作品というのは、意外と少ないように思います

Xなどで見る限り、著者の藍上央理(ユニークなペンネームは「50音順で最初に来るようにかな?」と思いましたが、実際にそのような意図もあるようです)は繊細な感性をお持ちな印象です。
それで苦労されてきた面もあるようですが、本作では大きな武器となっていました。
これまでにも、ホラー以外のジャンルの小説や別PNでの漫画原作など多数創作されていながらも、ご本人としてはなかなか思うようにはいっていなかったようですが、それらの経験がすべて本作で花開いたように感じます。

モキュメンタリーホラーブームの中でも完成度が高いと書きましたが、それもそのはずで、『完璧な家族の作り方』の原型は『完璧な家族の家 首縊りの家』というタイトルで、モキュメンタリー的な作りではないようでした(以下「Web版」と表記します)。
現在もカクヨム(こちらが初出?)やnoteで読むことができ、すべて細部までは読めていませんが、インタビュー形式になったのはすべて書籍化に際しての加筆のようでした。
途中で挟まれる、著者のメモも同じく。

YouTuber失踪事件はWeb版でも同じく文字起こし形式なので、もともとモキュメンタリー風の要素も取り込まれていましたが、それ以上にスタンダードなホラー小説度が高かったのが、完成度の高さにも繋がっているのでしょう。
モキュメンタリーホラーとしてはもちろん、普通のホラー小説として読んでも耐え得るのが本作の強みでしょう
それがゆえに、書籍版ではインタビューで語った内容にしては細かすぎてやや不自然さが生じてしまっていますが、それを打ち消すだけの面白さで溢れていました。

ラストもけっこう異なり、「首縊りの家」要素の方が強かったWeb版に対して、首縊りよりも「完璧な家族」の方に圧倒的に重きが置かれたのが書籍版、という勝手な印象です。
なので、書籍版のタイトルがシンプルに『完璧な家族の作り方』になったのも納得。

書籍化に際しては大量に加筆・修正されているようですが、非常に大きいポイントとしては、Web版では宍戸篤の家族との生活が独白形式で手記ではない点でしょう。
内容はほぼ同じですが、書籍版では稚拙な文章で描かれる日記の狂気と残虐さが強烈なインパクトを放っていました
まさに完全版が書籍版と言えます。

そもそも「完璧な家族」とは何なのでしょう。
人それぞれ思い描く理想は違うでしょうし、たとえその理想が実現できたとしても、人間関係は流動的なので常に完璧な家族であり続けるというのは現実には不可能です。

やや古い本ですが、心理学者の西尾和美による『機能不全家族-「親」になりきれない親たち』(1999, 講談社)では、日本の家族の実に80%が機能不全家族であると述べられています。
つまり、いわゆる「普通」の家族の方が珍しいのです

家族から受ける影響は大きいですが、それがすべてではありません。
機能不全家族に属する個人それぞれが不幸なのかというと、そうとは限りません。
しかし、「完璧な家族」を追い求め、それがすべてになってしまうと、泥沼にハマってしまうでしょう。
そんな悪循環と狂気が伝染していく恐怖が描かれたのが、本作でした。

余談ですが、恥ずかしながら「丁字路(ていじろ)」という用語を初めて知りました。
「T字路では?」と思って調べたところ、現在はT字路の方がむしろ多く使われているようですが、もともとは丁字路であったようです。
学び。

すでに短編はアンソロジーなどで発表されていますし、ちょうど長編2作目『胡乱な聖典の信じ方』も2026年6月発売が発表され、今後も楽しみな作家さんとなりました。

考察:出来事の整理と宍戸篤について(ネタバレあり)

前提:藍上央理のfusetter(ふせったー)

まず、この作品の裏設定や解説について、著者である藍上央理自身がfusetter(ふせったー)を使って色々と公開してくれています
作中の謎や背景設定についてもかなりの部分がここで明らかになるので、このfusetterの内容も踏まえると、このブログで考察するべきポイントはほとんどなくなるほどです。

たとえば「メモにあった77日とは何なのか?」「著者はなぜ自分にしか書けないという確信を抱いたのか?」等についてもここで答えが示されています。
本作を読まれてお好きな方、かつ謎の解明を求めてこのブログをご覧いただいている方は、明らかにこのブログよりも優先して読んだ方が良いでしょう。

以下から一通り読むことができます。

大まかな時系列

さて、細かい部分はfusetterを参照していただくとして、ここでは逆に作中で入り乱れている流れや時系列を大雑把に整理しておきます。

大枠としてはあの家が呪われていたような感じですが、その起源はかなり遡り、宍戸研一(宍戸篤の父親)が家を建てたのが起点というわけではありません。
宍戸研一が石敢当(いしがんとう)を壊してしまったのは確かに大きな引き金になりましたが、もともと、分譲前のあの土地一帯がいわくつきであったようです。

結局、人喰い鬼が実在したのか、比喩としての鬼という表現だったのかはわかりませんが、おそらく完璧な家族を求める何かが、黒い影として存在していたようでした。
あるいは、鬼は人を食べたいだけで、完璧な家族を求めるというのは、黒い影が宍戸篤に取り憑いたことによる化学反応によって生まれたのかもしれません。
いずれにせよ、fusetterでは「人喰い鬼を封じた石は~」という説明をされていたので、鬼が実在した、というのを前提として問題はなさそうです

鬼(黒い影?)は封印されていましたが、宍戸研一が壊したことにより解放され、篤に撮り憑きました。
土地以外にも、あの家は「路殺」という丁字路の突き当りに立ち風水的に悪い気が流れ込む作りでもありました。
そしてその後、同じような形で惨劇が繰り返されます。

以下、作中で描かれていた出来事の大まかな時系列。

1990年頃、小6の宍戸篤がこの新居に引っ越してきました。
1992年8月頃、篤が中2(15歳)のときに姉の千咲と近親相姦をして千咲が妊娠し、父親の自殺や無理心中事件が立て続けに起こりました。
篤に取り憑いた黒い影の影響が推察されます。

その後、しばらく死体と生活していた篤は措置入院となったようです
手記として掲載されていた日記はその期間、1993年3~5月に書かれたものでした。

2年ほど入院し、1995年に17歳で退院したらしい篤は叔父の宍戸勇二に引き取られますが、直後に臼井家皆殺し事件を起こしました。
理由はもちろん、完璧な家族を作るため。
今度は篤自らが犯行に及んでおり、かつ再び遺体と一緒に2週間過ごしたという異常さからか、篤は医療少年院送致となり、実に7年ほどを医療少年院で過ごしたようでした

通常、医療少年院は20歳までの心身に著しい障害がある少年を収容する施設ですが、必要性が認められれば20歳を超える延長もあり得ます。
1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の少年A(酒鬼薔薇聖斗)が6年5ヶ月ほどであった点を踏まえると、篤はほぼそれと同等の扱いだったということになります(というより、この事件の処遇が参考になってるのかも)。

医療少年院を退院後、半年ほど経った2002年に雑誌のインタビューを受けますが、2003年には旧宍戸邸のリビングで首吊り自殺。
それを発見したのが、当時10歳の鷹村翔太でした

鷹村翔太は、宍戸篤と姉の千咲の子どもであることが終盤で明らかになりました。
母親の介護がきっかけでの帰郷でしたが、旧宍戸邸に呼び寄せられたという要素も大きそうです。
帰郷する半年ほど前に妻子を事故死で亡くした翔太は、息子の隼也の死が受け入れられず、幻影を見ていました。
夜な夜な母親を連れて旧宍戸邸に向かったりしたのは、すべて翔太自身の行動でした

一方、本作の「著者」(以下「著者」とカギカッコつきで書きます)は、創作大賞2024に応募するために、旧宍戸邸について調べ始めました。
しかしその最中、2024年6月18日に婚約者のダイくんを事故で亡くしてしまいます。

「著者」は、調査過程において、あの家族写真を見た者の中から選ばれたものが旧宍戸邸に呼ばれ、死者に会い完璧な家族を作れることを知りました。
5ちゃんねる経由でXに投稿されていた家族写真を見つけたり、色々なタイミングが合いすぎていることから、「著者」は亡くなったダイくんに再び会えることを確信して、それを実現するために鷹村翔太へのインタビュー等の調査を進めました。

どこまで正気を失っていたのかは定かではありませんが、「著者」は取り込まれてしまったと言えるでしょう。
写真を見ることがきっかけとなり、その後旧宍戸邸に立ち入ることが完全に取り込まれてしまう条件のようでした。

写真を見て選ばれた者が、完璧な家族を作るために生かされる。
選ばれなかった者は行方不明になり、家族の構成員となる。

いずれにしても、あの家に多くの人を呼び寄せる結果となります。
fusetterいわく、あの家で亡くなった人しかあの家にはいないようなので、鷹村翔太の妻子やダイくんはあの家にはいないはず。
彼らの幻影を見たというのは、完璧な家族を作るために利用されているに過ぎないのでしょう。

つまり、鷹村翔太や「著者」は、決して自分たちが望む家族を取り戻せるわけではないのです
おそらく、家族写真を見て「選ばれる・選ばれない」の基準は、大切な家族を亡くし、完璧な家族を求めているか否かによっているのだと考えられます。

ちなみに、書籍版では無事だった人たちが、Web版では異なる結果を迎えていたりします。
正史は書籍版ということになるのでしょうが、Web版のエピローグだけでも、ぜひ覗いてみてください。

宍戸篤について

以上が大まかな流れで、だいたいはこれで理解できますが、宍戸篤についてもう少し深掘りしてみます。
宍戸篤があれだけの凶行に及んだのは、いったい何が要因だったのでしょうか。
もちろん、黒い影に取り憑かれたことも大きな要因ですが、彼自身が色々と闇を生み出している様子も窺え、それだけで説明を終わらせるのは不十分です。

fusetterの中から宍戸篤についていくつかだけピックアップさせていただくと、「作文や漢字が苦手で、字が汚く、ひらがなを多用する」「倫理観がないというよりも、理解できないといった方が正しい」「未来や状況を考える想像力に欠けている」といった情報がありました。

これらの設定、および年齢よりも幼く感じる日記の文章から安直にイメージされるのは、知的能力障害です
ただ、作中では「精神疾患はない」と書かれており、どのような設定が想定されていたのかははっきりしません。

著者の「精神疾患」のイメージに知的能力障害などが含まれていなかっただけという可能性もありますが、いずれにしても篤に見られた傾向は、環境要因だけではなく、ベースに知的能力や発達、パーソナリティなど何かしらの精神疾患を有していた可能性が高いのではないかと思われます。
改めて言うまでもありませんが念のため、精神疾患があるからと言って犯罪を起こしやすくなるわけではありません。

いずれにせよ、悪意を持って犯行に及んだのではなく、常に純粋な気持ちで行動していたところが、犯行の異様さを際立たせていました。
しかし、おそらくは生まれつき何か障害があり、プラスして黒い影にも取り憑かれての凶行の末に完璧な家族にとらわれたまま自殺に至ってしまったと考えると、篤も篤でかわいそうな存在でもありました。

藍上央理『完璧な家族の作り方』の表紙

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