作品の概要と感想(ネタバレあり)
裕福な一家、オルブライト家の一人娘で6歳のエスターが行方不明になってから4年の月日が流れた。
ある日、エスターが見つかったという朗報が警察から届けられる。
父、母、兄は数年振りの再会という奇跡にこの上ない喜びを感じ、10歳に成長したエスターを迎え入れる。
再び4人そろって幸せな生活を送ることができる。
家族の誰もがそう思っていたが、4年ぶりに戻ってきたエスターは何かが変わってしまっていた──。
2022年製作、アメリカの作品。
原題は『Orphan: First Kill』。
本記事には、前作『エスター』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
前作『エスター』については、以下の記事をご参照ください。
言わずもがな、13年の時を経て、まさかまさかの24歳になったイザベル・ファーマンが再びエスターを演じた、名作『エスター』の第2作にして前日譚。
『エスター』の完成度があまりにも高いため、
あえて今さら前日譚をやる必要があるのか……?
蛇足では……?
という思いが拭えなかった本作。
ジャウム・コレット=セラ監督の映像や演出がかなり好きなので、恐ろしい完成度の脚本も相まって、前作が相当好きな身としては、本作は正直、内容も見せ方も微妙といえば微妙でした。
あえて10年以上経った今、前日譚をやる必要性があったのかという点は、正直今でも疑問ではあるのですが、あえて前作に囚われない思い切った展開は、前日譚を描く上では最適解の一つであったと感じます。
ほとんどの人が「前作を超えることはできないだろう」とは思っていたと思いますが、おそらく製作陣もその点を理解しており、あえてエスターの正体がすでに判明していることを活かしつつ、観客の予想の斜め上をいく作風に。
現実にありそう、というより映画公開後に同じような事件が現実にあったというリアリティが『エスター』の売りでしたが、『エスター ファースト・キル』はそのリアルな空気感やホラー要素をあえて切り捨て、エンタテインメント路線に振り切った作品でした。
そのため、リアルさはだいぶ薄れ、細かく見ると前作との矛盾点も多く見られます。
脚本はデヴィッド・コッゲシャル。
しかし、前作の原案を書いたアレックス・メイスが本作でも原案・製作に、前作の脚本を書いたデヴィッド・レスリー・ジョンソンが本作の製作総指揮に関わっています。
イザベル・ファーマンのインタビューによれば、デヴィッド・レスリー・ジョンソンに「『エスター』の続編を作らないのか?」と聞いた際には、「実は前日譚を書いている」と答えたそうです。
つまり、前作のストーリーに深く関わっていた人たちが本作にも関わっているので、前作との矛盾点については、あえてそのような方向性で進めたということになるので、その点をつつくのはおそらくナンセンス。
『エスター』の魅力といえば、前半と後半でがらっと変わる展開がその一つですが、本作においてもまさにその構図が引き継がれています。
実は大人であるというエスターの最大のトリックがネタバレしている状況で、再びこの衝撃的な構図を作り上げたのは、素晴らしい発想であるとしか言いようがありません。
とはいえ、だいぶ前作の雰囲気や設定から飛躍した作品であることもまた間違いありません。
しかし、ざっと評価などを見ると、決して悪くはない様子。
その要因の一つは、もちろん意表を突いた脚本にあるでしょう。
しかし最大の要因は、イザベル・ファーマンが再びエスターを演じた点にあると個人的には思っています。
『エスター』におけるイザベル・ファーマンは、10歳にしてははっきりしている大人びた顔立ちをしており、それがあまりにもエスターの設定に合っていて、奇跡的なバランスでした。
そのため、正直、本作において大人になったイザベル・ファーマンが再びエスターを演じたのは、無理がないかといえば、無理はありました。
それでも、やはりエスターの独特な不穏な雰囲気は、イザベル・ファーマンが醸し出す要素があまりにも大きいものがあります。
真顔の不気味さや、やや独特で耳に残る「Thank you.」の発音など、「やはりこれこそエスターだ」と感じる要素が、本作でも溢れていました。
そのイザベル・ファーマンが再び演じたことによるエスターの説得力が、本作のだいぶぶっ飛んでいる部分を力業でねじ伏せていたように感じました。
小人症のリアルさという意味でも、今の顔の方がむしろリアルなのかもしれません。
この内容でエスターがイザベル・ファーマンでなかったら、けっこう評価が低くなっていたのでは?と個人的には思います。
ちなみに、大人になったイザベル・ファーマンを子どもの身体に見せるためには、周りの人が厚底靴を履いたり、遠近法を利用するなど、極力CGなどに頼らずアナログな方法が採用されたようです。
そのあたりも違和感がなく、見事でした。
後ろ姿はおそらく別人でしょう。
本作では、エスターよりむしろオルブライト母子のヤバさが際立っていました。
この点こそ、「エスターこそヤバい危険人物」という観客の先入観を逆手にとった見事な設定でした。
特に、喧嘩をした勢いで(?)妹を殺してしまった息子のグンナーが相当に危険人物。
ノリノリでフェンシングの剣を持ってエスターを殺そうとするところなんか、スポーツマンシップや道具への敬意や愛情などこれっぽっちも感じられません。
その割に、明らかにグンナーとトリシア(母親)への殺意があり、中身は大人であることを知っているエスターに対して、隙だらけの態度で追いかけてあっさり返り討ちに遭ってしまう間抜けさが完全なる敗因でした。
子どもの問題を、親の育て方だけに帰属させてしまうのはナンセンス。
しかし、グンナーがあんな風に育ってしまったのは「母親であるトリシアのせい」でしょうね、さすがに。
息子を守るために実の娘の遺体を遺棄し、容赦無く刑事を撃ち殺してこれまた遺棄し、ネズミの死体入りのスムージーを口にしても大きく動じない。
本作では、エスターよりトリシアの方がよほどサイコパスみが強かったです。
エスター視点ですら「人間の怖さ」が滲み出てくる、強烈な新キャラを作り上げただけでもすごい。
何も知らない、芸術家らしく純粋そうな父親のアレンは、もはやピエロすぎてかわいそう。
「あなたの目の前で、奥さんと娘さんが家の屋根から落ちそうになっています。どちらかしか助けられないとしたら、どちらを助けますか?」というまるで心理テストのような究極の選択を迫られた上、最後までエスターを心配していたのに、入れ歯が外れたことで急に察しが良くなり、それが仇となって哀れ犠牲者に。
ドナン刑事は、エスターの正体を怪しむ鋭さを見せる一方、超バレバレで下手くそな盗撮など、優秀なのかそうでないのかいまいちわかりません。
自宅で指紋の照合をしていましたが、警察の情報管理、大丈夫でしょうか。
エスターが病院スタッフの男性を手懐けていたのは、個人的なエスター像からはやや外れていました。
愛情に飢えている印象だったので、自分に向けられた愛情にまるで無関心なのは、少しだけ違和感。
ただ、彼はロリコンだったのかもしれませんが、興味のない男性からの好意には何の興味・関心も抱かず、むしろ利用してしまうというのは、それはそれでサイコパス像をイメージして描いていたのであれば納得はできます。
病院脱出の際に協力してもらった(?)女性患者は、まるで狂犬。
あんな思い通りに操れて、勢いで人も殺してしまうような精神疾患は、もちろんありません。
念のため。
あんなに命の危険に晒されながら働かないといけない精神病院は、もはやあそここそホラー映画の舞台にふさわしい。
というわけで、思ったより前作に繋がるような細かい考察ポイントや前作のように心理学的に考察できる要素があるわけではなく、勢いを楽しむべきエンタテインメント性の高い作品でした。
その中でも、不安になると頭を打ちつけたり暴れ回る、ブラックライトを利用した絵、父親的な男性への憧れ、「F爆弾」の原点など、『エスター』でのエスターに繋がる小ネタが多かったのも憎いポイント。
上述した通り、細かく考察しようとすると矛盾点が多いですが、それらはあえて許容する選択がなされた作品であると考えられるため、後半では大まかに、本作と『エスター』との繋がりについて考えてみたいと思います。
考察:前作『エスター』との繋がりと「ファースト・キル」の解釈(ネタバレあり)
前作『エスター』との繋がり
エスターは、これはすでに前作で明かされていますが、本名はリーナでした。
ただ、リーナと呼ぶとわかりづらいというか違和感があるので、ここでは「エスター」表記で統一します。
本作で描かれたのは、前作で仄めかされたエスターの過去でした。
上述した通り、本作の展開がなかなか現実離れしているのは置いておいても、背景設定的にも矛盾点が散見されました。
一応挙げておくと、大きなポイントとしては、『エスター』で説明されていた「エスターはロシア出身で、アメリカに呼んだ養親(サリバン家)は火事で死んだ」という点です。
本作でエスターと過ごした家族は、オルブライト家でありサリバン家ではありません。
しかも、本物のエスターはオルブライト家の実子であり、養子とも呼べません。
本作のラストで、エスターは孤児院に預けられることになりましたが、その後まずサリバン家に養子になったのだと解釈しても、「エスターをアメリカに呼んだサリバン家」という説明が矛盾します。
このあたり、前作の考察でも時系列などが混乱したのですが、本作でさらに拍車がかかることになってしまいました。
しかし、それら矛盾点は目をつぶるべきだとすると、本作を踏まえたエスターの行動の流れとしては「エストニアで精神病院から脱走し、行方不明になっており外見が似ていたエスターになりすましてロシアで保護され、アメリカのエスターの家族のもとへ。本作の事件が起こり、孤児院に預けられ、その後、前作のコールマン家に引き取られることになった」といった理解になるでしょう。
「ファースト・キル」の意味
本作の副題「ファースト・キル」は、直訳すれば「最初の殺人」となります。
しかし、本作がエスターの最初の殺人だったかといえば、そうではありません。
そもそも本作だけで見ても、「ファースト・キル」はあの超力業で病院スタッフの頭を壁に叩きつけて殺害した件でした。
その後も事あるごとに色々な人と互角の取っ組み合いを繰り広げますが、エスター、身体は子どもの割に腕力めっちゃ強い。
それ以前に、芸術療法を専門とするアナの前任者も、エスターに殺害されたらしいことが示唆されています。
さらには、なぜあのサールン・インスティテュートという精神病院にいたのかといえば、前作の中では「彼女はこれまでに少なくとも7人を殺している」「最初の事件はエストニアで養子になり、その父親の誘惑に失敗したため家族を皆殺しにして放火した事件」であると説明されていました。
つまり、家族の殺害や放火というのは、本作におけるオルブライト事件が原点となったわけではありません。
「最初の殺人」だけで考えても、病院に拘束される以前に行われていたはずです。
では、本作における何が「ファースト・キル」なのか。
それは、一つは「エスターとしての最初の殺人」であると考えることができます。
本作では、リーナがなぜエスターを名乗るようになったのかという「エスター誕生秘話」が描かれていました。
そのため、エスターとしての最初の殺人は、本作におけるオルブライト家の事件で間違いありません。
『エスター』に繋がるポイントとして、ブラックライトを利用した絵や、父親的な男性への憧れという要素も、本作が原点と考えられます。
他にも、前作のエスターは、弟や妹にも敵意を向けていました。
これは「父親の愛情を独占したい」という嫉妬心によるものと捉えていましたが、本作を踏まえると、「母親だけでなく、きょうだいも父親への愛情を邪魔する障害である」という認識が本作の事件で生まれたのだと推察することもできます。
また、「共犯関係になって相手を支配しコントロールしようとする」というのは、前作でエスターがマックスに行ったことと一致します。
あれも、本作の事件で学んだことを活かしたのかもしれません。
ただ、本作の事件が、エスターが子どもの振りをして家族に入り込んだり、殺害後に放火をするという行為の原点となったわけではありません。
上述した通り、前作の説明では、エストニアでの最初の事件ですでに家族の父親を誘惑して失敗し、殺害後に放火しているからです。
しかし、「ファースト・キル」という副題からは、「あくまでもエスターの原点を描いた作品」として本作を捉えるのが妥当なのでしょう。
このようにごちゃごちゃと整合性を考察するのは邪道であり、「父親にあたる男性への憧れと、それを邪魔する母親」「放火による清算」という前作のエスターに繋がる要素の原点としても本作が描かれていたとシンプルに捉えた方が良いのだろうと考えられます。
つまり、完全に前作に繋がる前日譚というよりは、ややリブート的な作品であり、『エスター』の世界を再構築した部分もあるという解釈です。
本作におけるエスターが原点と捉えると、前作とは異なりまだ未熟なエスターが四苦八苦し、悪戦苦闘する姿が、本作の見どころの一つにもなっていました。
ラストでアレンを突き落とすと同時に「パパ!」みたいなことも確か口走っていたので、思わず衝動的に突き落としてしまい一瞬で後悔するような、前作ではあまり見られなかった様子も窺えました。
ネズミに優しく(?)したり、命を賭けたバトル中でも外れた入れ歯をちゃんと直しちゃうところなんかは、乙女。
そんなわけで、本作は本作で、あえて前日譚を描くという中では、予想外の展開を見せてくれて楽しめました。
ただ、世界観というか背景設定的にはだいぶごちゃっとしてしまったので、これ以上の続編は難しいかな?と思ってしまうのでした。
それでも、それをさらに裏切ってくれるような新作も、それはそれで期待したいと思います。
むしろスピンオフで『トリシア』という、激ヤバママの激ヤバエピソードを描いた作品も観てみたいかもしれない。
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