作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
かつて日本中の子どもたちを恐怖に陥れた口裂け女の噂が生まれた町で、再びその噂が流れはじめる。
やがて噂は現実となり、町の子どもたちが次々と姿を消していく。
自身が担任を務めるクラスの生徒・美佳を目の前で連れ去られてしまった教師・京子は、同僚の松崎と共に調査を開始するが──。
2006年製作、日本の作品。
初めての白石晃士監督作品でした……と思っていましたが、だいぶ前に『貞子 vs 伽椰子』観てました。
本作の感想としては、着眼点としては面白い部分がありつつも、正直、少し前の作品であるという点は差し引いても、観ていてかなり退屈してしまいました。
基本的に「作品を悪くは言わない・否定しないように心がけていますが、自分に合わなかったりつまらなく感じてしまったものは正直に言う(あくまでも個人の感想として)」というスタンスなので、以下、ネガティブめな表現が多いかもしれません。
本作がお好きな方はご注意ください。
さて、もはや説明不要なほど有名な都市伝説「口裂け女」を題材とした本作。
都市伝説というのもまた非常に魅力的な題材で、色々調べたいと思っているのですが、それはさておき、本作は結果として、都市伝説として有名な口裂け女を描いたものではなく、都市伝説を逆手に取ったオリジナル作品、といった印象でした。
しかし、容姿に関する言及は慎重さが求められる現代においては、「ワタシ、キレイ?」と聞かれた側もなかなか答えづらいと思うので、口裂け女も大変でしょうね。
それもさておき。
ポスターに踊る文字は、都市伝説で語られる口裂け女の特徴です。
本作で登場する口裂け女もビジュアルは都市伝説に則しており、都市伝説を描いたものとミスリードさせようとしているように感じられます。
しかし中盤から明らかになる真相は、完全に独自の解釈、というよりオリジナルの創作。
「ワタシ、キレイ?」という口裂け女を象徴するセリフを、「私、綺麗?」ではなく「私ぉ斬れぃ!」というどこぞのお代官様のセリフのように解釈したのは、まさに斬新というより他ありません。
斬新。
そう、確かに斬新ではあるのですが、何というかその解釈ありきというか、「私ぉ斬れぃ!」というセリフありきで物語を作り上げていったような強引さを感じてしまいました。
そもそも、「私の首を斬りなさい」というときに、「私を斬れ」と言うでしょうか?せめて「首を斬れ」じゃない?というところから、少々疑問が。
自分でやらないの?子どもにやらせるの?というのもありますが、そこは「切るだけじゃなくて、斬り落とさないとダメ」というのをわかっていたのかもしれません。
物語全体もあまり起伏がなく、加藤晴彦演じる松崎先生がキーパーソンであり、口裂け女との繋がりがあるというのも、伏線とは言えないほど序盤から明らかでした。
また、ここも正直に言って、水野美紀と加藤晴彦の2人を除いて演技は少々苦しいものがあり、子役たちの演技にいたっては目も当てられません。
子役なので、もちろん批判するつもりはなく、頑張って演技している感は微笑ましさすら感じますが、ホラー映画でそれを頻発されると、どうしても没入感や緊迫感は薄れてしまいます。
やや話が逸れますが、佐藤江梨子と加藤晴彦という組み合わせは、何とも時間の流れを感じさせる2人でした。
そういえば最近見ないな、と思って調べてみたところ、お二人とも結婚して子ども生まれ、幸せに過ごされているようでした。
良かった。
ちなみに加藤晴彦は、多忙により自分で仕事量をセーブしたようです。
さらに余談ですが、この記事を書いている5月13日、何と加藤晴彦の誕生日でした。
何たる偶然。
おめでとうございます。
話を戻すと、ストーリーというか設定に関しては、考察というほど真剣にする感じでもなく、情報もだいぶ足りない感じですが、本作に登場する口裂け女の原点は、松崎先生の母親でした。
そもそも子どもたちを虐待していた彼女でしたが、それもどうやら、何かに憑依されていたとしか思えません。
リアルな視点を持ち出すべきではないかもしれませんが、多重人格といった現実的な精神疾患では到底説明のつかない豹変ぶりで、オカルト路線での解釈しか説明がつきません。
しかもその点に関しては、説明は完全スルー。
口が裂けたのはたまたまだったので、ビジュアル的にも本作における口裂け女の原点が松崎母であったのは間違いありませんが、そもそも松崎母に何が憑依されていたのか……?という謎が残ります。
松崎母は、息子である松崎によって刺されたあと、家の押し入れ(?)に隠されていたようですが、長い時を経て復活。
本記事を書くために軽く見直すまですっかり忘れていましたが、そういえば映画冒頭で大きな地震があり、あれが復活のタイミングでした。
それがなぜかという理由もさっぱりわからないのですが、町の人たちが口裂け女の噂をしていたので、噂が広まったことがきっかけだったのでしょうか。
その後、松崎母の本来の身体はあのゾンビっぽくなっていた姿で、誰かに憑依したときに若かりし頃の姿になっていたということのようでした。
若かりし松崎母を演じていたのが水野美紀でしたが、いかんせん口が裂けていても美しすぎて、「私、綺麗?」と聞かれても「はい」と答えて終わってしまいそうです。
でも、その一般的な口裂け女ではなかったわけなので、これもまたあえて逆手に取っての配役だったのかもしれません。
と思ったのですが、どうやら水野美紀側から「口裂け女役なら出る」という逆オファーだったようです。
すごいな、その逆オファー。
かっこいい。
復活した松崎母は、「子どもを虐待している母親」に憑依できるのかと思いましたが、少なくとも描かれている限りでは虐待していなさそうな母親にも憑依していたので、単純に「母親」というのが憑依できる条件だったようです。
その割に、虐待している母親の割合が非常に多かったのが本作の特徴でもありました。
その点が必要以上に本作の雰囲気を重々しいものにしているように感じられますが、本作の製作が2006年というのを踏まえると、いわゆる児童虐待防止法である「児童虐待の防止等に関する法律」が成立したのが2000年のことなので、まだまだ虐待に対する対策や世間の認識が不十分な時期でもありました。
そういった社会事情も反映されているのかもしれません。
ただ、いじめの描写もそういった意図が含まれていたのかもしれませんが、いじめていた子どもたちがあっさり心を入れ替えたのは、ちょっと安易に感じてしまいました。
それで言えば、最後の最後で山下先生の娘が「お母さん」と言って抱きついたのもそうですが。
『口裂け女』に話を戻すと、子どもを容赦なく殺すシーンはなかなか攻めた姿勢で、当時はなかなかショッキングだったのではないかと思います。
虐待により殺された子どもたちの骨が転がっていたのも、なかなか。
ただ結局、あっさり殺された子もいれば、解放されたり監禁されたままの子もいたり、その基準はまったくわかりませんでした。
ラストシーンも、佐藤江梨子演じる山下先生が憑依されたのは「母親だったから」でしょうが、なぜあのタイミングだったのかというのはさておいても、なぜあの山下先生の姿のままだったのか、というのはわかりません。
全員、憑依される前には咳をしていましたが、「咳をする母親」が憑依される条件なのか、憑依される予兆として咳が出ているのかの因果関係も定かではありません。
というように、謎が全部説明される必要もありませんが、ほとんど謎しか残らなかったのが、本作における一番のもやもやポイントでした。
口裂け女のビジュアルも含め、それなりにグロめだったり暴力的なシーンは多かったですが、その割にあまりにもツッコミどころが多かったのと、上述した子どもたちのシーンで気が抜ける部分が多く、ホラーコメディ路線ではなく完全に真面目モードだったので、世界観の軸が中途半端になっているように感じてしまいました。
余談ですが、口裂け女のビジュアルで言えば、小さい頃に見た映画『学校の怪談』に出てきた口裂け女のビジュアルが非常にインパクトがあり印象に残っています。
1995年の映画ですが、今見てもなかなかの技術。
『口裂け女』においてはとにかく、ツッコミどころがあまりにも多かったのが、楽しめた要素でもあり、さすがにもうちょっとどうにかしてほしいと思ってしまった要素でもあり。
揚げ足を取るつもりではなくても、気になりすぎてしまいました。
家では虐待され、学校ではいじめられて、さらには口裂け女に誘拐されてしまった佐々木美佳がつけていたマスク、「アベノマスクだ!」と思わず立ち上がって画面を指差しながら大声で叫んでしまいました(少しだけ誇張しています)。
この点はもちろん、この作品に非は一切ありません。
そんな散々な目に遭った佐々木美佳ちゃんですが、母親に対する気持ちを(おそらく)信頼して山下先生に打ち明けた際、「何でそんなこと言うの!」と山下先生がいきなり叫んだシーンが、正直一番ホラーでした。
その後、山下先生の背景が明らかになって理由はわかりましたが、教師としてはいかがなものでしょう……。
山下先生が虐待に至る背景が描かれていなかったのも、本編には関係ありませんが、主人公の1人なだけに気になってしまいました。
しかも山下先生、他でもちょいちょい言動がやばかったですよね。
松崎先生の車に無理矢理乗って「教えてくれないと降りません」とゴネたり。
中身が別の女性である可能性を理解したあとも、けっこうあっさりと口裂け女を刺したり。
何より終盤で、瀕死の松崎先生に「それを」と言われるがまま包丁を渡し、必死に這いながら口裂け女に向かっていく松崎先生のことは完全にスルーして、佐々木親子に「早く病院へ!」と切り替え(こっちも大事ですが)。
その後、再び襲ってくる口裂け女を食い止める松崎先生に「行け!早く行け!」と言われたときには、まさかの「はいっ!」。
いや、確かにあそこで「いやぁっ、ダメっ、そんなっ、置いていけません、松崎先生!」とかやっていたら全滅ルートですし、実際にああいった場面でそんな勇気が出るかというと微妙なところなので、リアルと言えばリアルなのかもしれませんが。
松崎先生、頭の中で口裂け女(母親)の声が聞こえて、方向がわかるのはまだ理解できたとしても、だいぶ細かい位置まで絞り込んでおり、脅威の探索能力を見せていました。
描かれていなかっただけでこまめに声が聞こえたり、血の導きによるものだったのかもしれませんが。
松崎先生と言えば、最初に口裂け女と邂逅した際、左腕を切られてかなり痛そうにしていましたが、シーンが切り替わったら何事もなかったかのように回復していました。
終盤も、脇腹を刺されてもアキレス腱を切られても根性で口裂け女に食らいついていたので、かなりの体力や回復力を持っていたのか、あるいは実は彼もまた人間じゃなかったのかもしれません。
口裂け女の秘密基地に駆けつけた松崎先生と山下先生は、だいぶ無警戒でした。
車も正面に堂々と停め、大声で美佳の名前を呼びながら家の中を探索。
美佳を見つけたあとも、すぐに脱出するでもなくきょろきょろ。
警察を呼ぶべき場面も、たくさんあったと思います。
けっこう肝心なシーンで、口裂け女の蹴り方が優しかったのがちょっと笑ってしまいました。
ぺちっ、ぺちっ、という感じで、ちょっと可愛い蹴り方。
そして、正直一番わからなかったのが、時代背景です。
全体的に2006年の作品にしてはだいぶ古さを感じたのですが、それは出演者によるものだけではなく、ファッションや、テレビや逆探知機などの小道具とか、作中でのテレビ番組の演出の古臭さといったような要素によるものでした。
また、2006年であればほとんどの人が携帯電話を持っていた時代だと思いますが、作中に携帯電話は一切出てきません(たぶん)。
近年で口裂け女の噂が流行ったのは、1979年頃のようです。
まだ自分は生まれていなかったのではっきりとは言えませんが、その時代を描いたにしては、作中の風景は現代的に感じます。
また、冒頭では黒板に「静川に口さけ女あらわれる」と書かれていたので、ある程度口裂け女の噂が流行したあとであると考えられます(あの絵を描いたのも誰なのかわかりませんが)。
では、口裂け女の噂がある程度広まってから、携帯電話が普及するまでの間と考えると、1980〜1990年代頃が舞台なのか?
とか色々考えていたのですが、まさかの決定打が、佐々木美佳捜索のポスター。
そこには美佳のプロフィールとして、「平成6年2月1日生(12歳)」と書かれていました。
平成6年、すなわち1994年。
その年に生まれた美佳が12歳。
がっつり製作年の2006年が舞台でした。
えぇっ、本当に?
何か、間違っていません……?
と思ってしまうほど、どうにも2006年が舞台には見えなかったのですが、それだけ静川町が田舎ということだった(一応、1970年代の噂のルーツは岐阜県のようです)のか……?
他の点は引っかかりつつも「そういうもの」として納得はできるのですが、この点だけはどうにも納得できず、気になってしまっているのでした。
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