作品の概要と感想(ネタバレあり)
ロンドンの地下駐車場で夜間警備員として働く中年男のマーティンは、映画「ムカデ人間」のDVDを繰り返し見ては、自分も“ムカデ人間”をつくりたいという欲望にかきたてられる。
マーティンは、駐車場で目をつけた男女を次々と拉致して倉庫に監禁。
邪悪な計画を進めていく──。
2010年製作、オランダとイギリスの合作作品。
原題は『The Human Centipede II (Full Sequence)』。
本記事には、前作『ムカデ人間』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
前作『ムカデ人間』については、以下の記事をご参照ください。
もっと、たくさん、つ・な・げ・て・み・た・い♪
じゃないんですよ。
さて、もはや何が問題かを説明する必要もない問題作。
とにかくまぁ、よく作ったなと思いますし、よく日本で上映できたなと思います。
公開当時に映画館で鑑賞したのですが、それ以来の再鑑賞。
10年以上経っているのに衝撃度が変わっておらず、さすがです。
前作でも衝撃を与えた『ムカデ人間』ですが、それは序章に過ぎませんでした。
「ストーリーはほとんどない」点はほぼ同じですが、前作以上に「これは映画か?」と思ってしまう、まるでドキュメンタリーのようなひたすら悪趣味な作り。
嫌悪感で言えばなかなか右に出る作品はないのではないでしょうか。
倫理観や道徳観への挑戦状とも言えそうなほどの本作は、前作はもちろん、「タブーに踏み込んだ」と感想で書いた『屋敷女』すら可愛く思えてくるほどです。
どちらかというと想像力に訴えかけて精神的な不快感を喚起させる前作と比べて、本作は直接的な不快感が大幅パワーアップ。
出産した赤ちゃんを踏み潰すところなんかは、さすがに強烈。
銃で殺されるならまだマシですが、弾切れしたら首をギコギコ切られるなど、抵抗するほど悲惨になっていくのも絶望感が凄まじい。
前作とは不快感のベクトルを変え、本作では直接的にガンガン攻めていました。
グロシーンも容赦ないですが、感想を一言で言えば「汚い」に尽きるでしょう。
終始、汚い。
汚さで有名な『マンホール』よりもよほど汚い。
いきなり始まるメタ的な展開は、前作のエンディングからスムーズに繋がっており、見事。
この構造自体がまるでムカデのように繋がっています。
『ムカデ人間』は所詮作り物であり、現実のおぞましさはそんなもんじゃないよ、と言わんばかりの展開でした。
やや美学すら感じられた前作とは異なり、本作は汚学(?)しか感じられません。
「ホラー映画を模倣した犯行が行われる」というのは作る側がもっとも嫌がりそうですが、それを自分でやってしまうんだからさすがです。
前作でジェニー役を務めたアシュリン・イェニーの本人役としてのメタ的な登場も熱い。
マーティンに勝手に名前を使われていたクエンティン・タランティーノ監督ですが、『ムカデ人間』を絶賛していたらしいので、きっとしっかり許可をもらっているのでしょう。
『ムカデ人間』に魅せられてしまった主人公マーティン。
彼がまた。
彼がまた強烈すぎて。
マーティンを演じたローレンス・R・ハーヴィーについて、公開当時、宣伝だか何だかのコメントで「今までどこでなにしてた!?」と書かれていたのを今でも鮮明に覚えているのですが、ほんとその通り。
よく見つけてきたな、と思うほどのハマり役です。
全身全霊で不気味かつ不快なキャラクターを演じてくれていますが、斜め上を睨みつけるような表情とか、不気味さが半端ありません。
ちなみにローレンス・R・ハーヴィー、イギリスでは子ども番組にも出演したりしていたそう。
『ムカデ人間2』ですら可愛さが垣間見れるので、普通に愛嬌がありそうですが、『ムカデ人間2』の演技を観たあとだともう普通の人としては見られない(=役者としてすごい)。
マーティンにはこれ以上ないほど(あえてこう言いますが)社会的弱者男性とされる要素が詰め込まれており、ヘイトの回避が図られています。
しかしそれでも「それじゃあ、こういうことしちゃってもしょうがないよね」などとフォローの余地は一切ない、鬼畜の極み。
ハイター博士の狂った理性のもと行われた前作に対して、マーティンには半ば純粋な無邪気さも感じられるところが、むしろ救いがありません。
マーティンの内面に関しては、シーブリング医師いわく発達障害のようです。
やめてやめて、そういう使い方やめて。
ムカデに執着しているのはマーティンにとって男根の象徴であり、父親からの精神的および性的虐待が影響しているそうです。
やめてやめて、そういう雑な精神分析やめて。
と、シーブリング医師が変態なところも含めて、このあたりは心理の専門家としては「やめてやめて」しか言葉が出てこないのですが、本作に対する安易な分析を嘲笑うかのような周到な構成になっているのでしょう。
マーティンの心理など、誰にも想像することも覗き見ることもできない深淵なのです。
しかし、これほどまでにハマれる映画と出会えるというのは、ある意味幸せなことですよね。
現実との境界が曖昧になってしまうのはさておいて。
自分でノート作っちゃうところなんか、素敵です。
何回もDVDを観て勉強して、ノートで予習までしたのに、実行したらうまくいかなくてめっちゃくちゃ雑になってしまったマーティンのムカデ人間手術。
しまいにはホチキスでバチバチ留めちゃうところなんかもはやギャグですが、やられる側としてはたまったものではありません。
麻酔なしのハンマー抜歯や切開など、拷問にも程があります。
前作『ムカデ人間』の感想で「実際にされたくないホラー映画の行為ランキングの上位に確実に食い込みます」と書きましたが、それをさらに上回る本作。
マーティンに手術されるぐらいなら、まだ技術があるハイター博士にされた方がマシ。
いや、どっちにしてもムカデ人間にされるぐらいなら死んだ方がマシですが。
とにかくエグい描写の詰め合わせは、白黒だからよりエグさが増していたように思います。
一箇所だけ色があるのは、あまりにも悪質すぎますが。
前作の方が何となく陰鬱な印象があるのですが、それはあまり直接的な描写が少ないからだと考えています。
ムカデ人間にされた彼らの心情を想像したりと、想像力によって陰惨さが際立っていくのです。
白黒の映像もまた、暗い雰囲気を醸し出すとともに、想像力を喚起する働きがあります。
3作セットの完全連結 Blu-ray BOXではカラー版も収録されているそうで、直接的なエグさはカラーの方が増すでしょうが、精神的な負担を強いるという点では個人的には白黒の方が効果的なのではないかと思いました。
せっかくなのでカラー版も観てみたいですが。
ちなみに本作、公開当時に映画館に観に行ったと書きましたが、バイト先の先輩と観に行きました。
まだそこまで親しかったわけでもないのに、『ムカデ人間』を観たという話題で盛り上がり、「まさかの続編やるらしいですよ観に行きましょう」みたいなノリで行ったのですが、それで本作ですよ。
観終わった直後の空気感、お察しください。
いや、同類のお仲間だったのでその後はしっかり盛り上がり、気まずいことにはなりませんでしたが、終わった直後の劇場全体の何とも言えない空気感は今でも忘れられない思い出なのでした。
考察:ラストシーンの解釈(ネタバレあり)
本作もまた考察するようなポイントがある作品でもありませんが、唯一、ラストはやや曖昧な描かれ方でした。
考察というほどではありませんが、この点について最後に少し考えておきたいと思います。
ラストシーンは冒頭とまったく同じだったので、シンプルに考えれば「本編のすべてがマーティンの妄想だった」と捉えられます。
そう考えれば、本編で感じられた違和感も解消できます。
たとえば、
- マーティン、バールの達人(殺すことなく、かつほぼ一撃で確実に気絶させる)
- 下剤、あんな素人の適当な注射で効くの?
- ムカデ人間にされる前の被害者たち、背中合わせになってお互いの手の拘束外せばいいのに
- あんなにも駐車場で行方不明になっていたら事件化するはず
- 駐車場での犯行時、毎回他に誰も来ないのはさすがに都合が良すぎる
- 知的能力にも制限があり言葉が喋れなさそう(?)なのに、留守電を聞いたあとオーディションに関する連絡はどうしていたのか
- そもそもあんな何の確認もなくタランティーノ監督のオーディションが進められるわけない
などなど、だいぶご都合主義的な場面も多いのですが、マーティンの妄想なら納得です。
しかし、ラストシーンでは赤ちゃんの泣き声が聞こえていました。
本編途中で唯一手を出さずに車の中に置いておいた赤ちゃんだと思われますが、冒頭のシーンの時点であの子の泣き声が聞こえるというのは不可解です。
また、本編に関しては、マーティンの妄想だとすると逆に不自然に感じられる点も多々見られます。
- 特に思い入れの強そうだった妊婦を殺してしまったと勘違いした上、逃してしまう
- ムカデ人間が抵抗して分裂してしまい失敗
- アシュリン・イェニーの反撃に遭い、ムカデを体内に放り込まれる
- 母親や上階の住人その他から、辛い目に遭わされる
といったようなマーティンに都合の悪いシーンが登場するのは、マーティンの妄想だとすると不合理です。
父親の虐待の影響によるマゾヒスティックな傾向があるにしても、ムカデ人間の失敗は解せません。
これらを総合して考えると、表面的にはマーティンの妄想という体を取りながらも、本質的には「現実に実行した世界線」を描いているという捉え方が適切ではないかと思います。
つまり、あくまでもメインに据えているのは「実際にマーティンがムカデ人間を作ろうとした」という現実。
ただ、あまりに現実的に描いてしまうとマーティン1人の犯行がうまくいくわけがないので、拉致監禁など本質的でない部分は都合の良い展開に。
さらには、エグすぎる内容への批判を回避するために、「これはマーティンの妄想だよ、どんな内容えも考えるだけなら自由だよ」という逃げ道を確保する。
それらのための「妄想エンド」です。
赤ちゃんの泣き声も、別にあのシーンで本当に聞こえていたというわけではなく、「妄想エンドでお茶を濁しておくけれど、本来は全部現実なんだよ」というメッセージなのではないかと捉えました。
つまり、夢オチとはある意味真逆であり、あまりにしんどい内容を軽減してあげる優しさであり、批判的な観点を回避するための用意周到なエンディングなのだろうと思います。
うーん、やっぱりエグい。
追記
『ムカデ人間3』(2023/08/18)
続編『ムカデ人間3』の感想をアップしました。
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