作品の概要と感想(ネタバレあり)
暴動数、医療費、離職率が全米ワースト1になってしまった刑務所の所長ビル・ボスは、州知事から解雇通告を受けてしまう。
囚人たちをうまく手なずけることができず困り果てていたビルに、忠実な部下ドワイトがあるアイデアを提案。
それは映画「ムカデ人間」をヒントにしたもので、囚人たちに究極の罰と抑止力を与えるばかりか食費さえも節約できる夢のようなアイデアだった。
ビルとドワイトは、500人もの囚人たちをつなげて「ムカデ囚人」を作り出そうとする──。
2015年製作、アメリカとオランダの合作作品。
原題は『The Human Centipede III (Final Sequence)』。
本記事には、前作『ムカデ人間』『ムカデ人間2』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
前作『ムカデ人間』『ムカデ人間2』については、以下の記事をご参照ください。
ぜ・ん・ぶ・つ・な・げ・ま・し・た♪
じゃないんですよ。
といわけで、3作目だけ鑑賞できていなかったのですが、ついに初鑑賞、トム・シックス監督の性癖3部作……じゃなくて『ムカデ人間』シリーズ3部作の完結編。
ムカデ人間のインパクト勝負で、ストーリーなどあってないようなシリーズなので、もはや数を増やす以外に選択肢はありません。
3人から12人(実質10人)、そして一気に飛躍しての500人!
そんな超大型ムカデだけあって、きっと撮影も大変だったのでしょう。
出てくるのはほぼ終盤のみであり、108分の作品で実に90分近くまで登場せず。
満を持して登場するも、あまりに長すぎるのでほとんどオブジェクトと化していました。
見た目は圧巻ですが、ポスターやらBlu-rayの表紙やら宣伝やらですでにけっこう目にしていたので、インパクトも若干低下していたのが少しもったいなくも感じました。
ちなみにこのシーン、実際に500人並べて撮影したそうです。
何でも、1作目のヒット以降、「『ムカデ人間』に出してほしい」という手紙が殺到したんだとか。
『ムカデ人間』シリーズは好きですが、ムカデ人間として出たいとはまったく思ったこともありませんでした。
世の中広いですね。
さて、そんな事情もあってか、前半、というより終盤までのほとんどの時間は刑務所内部のごちゃごちゃ模様が続きます。
ほぼビル・ボス所長の勢いと熱量だけで乗り切ったと言っても過言ではないでしょう。
聴診器に語りかけるところはちょっと笑ってしまいました。
改めて言うまでもありませんが、ビル・ボス所長を演じたのは、1でヨーゼフ・ハイター博士を演じたディーター・ラーザー。
残念ながら、2020年に78歳で亡くなられているようです。
ということは、2015年の本作製作当時は73歳ぐらい。
それであんなにひたすら叫びまくるの、元気すぎませんか。
ディーター・ラーザーと、2でマーティンを演じたローレンス・R・ハーヴィーという夢の共演を筆頭に、1からはカツローを演じた北村昭博と、フェラー刑事(長髪のイケおじ刑事)を演じたピーター・ブランケンシュタインが、2からはシーブリング医師を演じたビル・ハッチェンスが出演しており、キャスト陣からファンサービスも満載でした。
北村昭博は暴動のどさくさに紛れてあっさりと殺されてしまい残念でしたが、自身が出演していた1の映像を観ながら「クソ映画」と言っているのが面白かったです(関西弁じゃなくて英語だったのも残念)。
ピーター・ブランケンシュタインは自身の便を食べながらムカデ人間になるのを望みビル・ボス所長に銃殺されるという狂ったキャラでしたが、ビル・ボス所長が腰だめで銃を撃っていたのは1のオマージュかな?と思いました。
ビル・ハッチェンスは髭もじゃのおじさんで囚人役でしたが、さほど目立ってはいなかったような。
しかしとにかく、ディーター・ラーザーとローレンス・R・ハーヴィーの1や2の役とはまるで別人の演技は凄まじかったです。
特にローレンス・R・ハーヴィーはもう表情から完全に別人。
無駄に格好良かったヒューズ州知事は、エリック・ロバーツ。
妹はジュリア・ロバーツです。
ビル・ボス所長の秘書のデイジー役のブリー・オルソンは、元ポルノ女優とのこと。
そして何より、満を持しての(?)トム・シックス監督の出演。
ムカデ人間やらイモムシ人間の手術を見ながらドン引いたり吐いちゃったりするところは、シュールすぎて面白い。
作ったの、あなたですよ。
内容に関しては、1、2と比べると、ややコミカルでコメディタッチというか、まるでセルフパロディのような軽妙さでした。
全体的に明るめで、ついにアメリカを舞台にしただけあり、壮大でワイルド。
画面の色合いも、青っぽかった寒色系の1、モノクロだった2と比べて、オレンジっぽい暖色系と明るめのイメージ。
1、2のような陰鬱さは薄らいでいました。
レイティングがR18+なのも、グロさ要素はほぼなく、エロ要素とビル・ボス所長の汚い発言だけのせいでは……?
まぁ陰鬱コースは2でやり切った感があるので仕方ありません。
その分、スケールアップしつつもパワーダウンは感じてしまいましたが、良くも悪くも完全にファン向けの作品であったことは間違いない3作目。
イモムシ人間はもっと見たかった。
ちょくちょく星条旗(アメリカの国歌)っぽい曲を流すところは攻めているなと思いましたが、最後は完全に星条旗のメロディが流れていてさすがでした。
人権問題でとんでもないことになるのは間違いありませんが、抑止力は確かに尋常ではなさそうです。
とはいえ、犯罪心理学の研究上は、決して厳罰化が犯罪率の低下には繋がっていないので、どこまで本当に効果的かはわかりませんが。
総合的に見ると、3部作すべてが違ったベクトルで楽しめました。
考察:ラストシーンの解釈(ネタバレあり)
2と同じく、ラストシーンは若干考察の余地が残る3作目。
まず、ビル・ボス所長がなぜドワイト・バトラーを撃ったのか?という点について。
これは単純に、「手柄を独り占めするため」だと思います。
明らかに自己愛の強すぎるビル・ボス所長にとっては、事あるごとに「私の案ですよ」と念押ししてくるドワイトの存在は、たとえ事実であっても邪魔でしかありません。
すべてを自分の業績にするため、口封じのためにドワイトを殺害したのだと考えられます。
ちなみに、あの至近距離で撃ったら、自分の鼓膜もやられそう。
銃を拭いてドワイトの死体に握らせたのはもちろん、ドワイトがジョーンズ医師を射殺し、自殺したように見せかけるためです。
ただ、そもそも本当にヒューズ知事は戻ってきてあのようなムカデ囚人計画を容認する台詞を発したのでしょうか?
個人的には、否だと思っています。
ヒューズ知事が帰り道の車内で考え込むような姿は映っていましたが、引き返すような場面は映像としてはありません。
また、ビル・ボス所長とドワイトが絶望に打ちひしがれているシーンと、ヒューズ知事が車内で考え込むシーンの時系列的は並行しているように映っていましたが、ヒューズ知事は戻ってきたシーンは唐突に感じられました。
そしてヒューズ知事は、少ない出番から判断する限りではそれなりに常識を備えていそうです。
この点と、ビル・ボス所長の自己愛の強さ、そして妄想に取り込まれやすい傾向も合わせて考えると、実際にはヒューズ知事は戻ってきてはおらず、戻ってきたヒューズ知事の姿と台詞はビル・ボス所長の願望が見せる妄想、幻覚、幻聴だったのではないか。
その場合、ドワイトも反応していたのはやや疑問が残りますが、ドワイトの反応も含めてビル・ボス所長の妄想だった、あるいはもはや運命共同体と化していたドワイトもビル・ボス所長の妄想に取り込まれていた、と解釈できます。
それが基本的な捉え方ではあるのですが、2の感想で「2の世界観は1のメタ的な構造になっており、この構造自体がまるでムカデのように繋がっている」と書きましたが、それは本作でも踏襲されていました。
つまり、1を2がメタり、1と2を3がメタり、という構造で、3部作自体が過去作をメタりながら繋がっていくムカデ映画と言えるでしょう。
この点を考えると、『ムカデ人間』シリーズは3部作でひとまず完結しましたが、この世界観が続いていくとすれば、ずっとメタりながら進んでいく、と考えられます。
メタ的な構造は「1も2も所詮はフィクションだ」というのを自ら強調しているわけですが、この構造は、3もまたフィクションであるということを強調します。
そう考えると、実際にヒューズ所長は戻ってきたのであり、「フィクションらしい(ビル・ボス所長にとっての)都合の良いハッピーエンド」として捉えることも可能かもしれません。
いずれにしても、星条旗をBGMとして、ムカデ囚人を見下ろしながら拡声器で叫び続けるビル・ボス所長の姿は、壮大すぎてとっ散らかっておりもはや収集がつかず、フィクションでありエンタメとしての『ムカデ人間』シリーズのラストとして相応しかったのではないかと感じました。
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