作品の概要と感想(ネタバレあり)
ポール一家は夜になるとやってくる正体不明の「それ」から逃れるため、森の中の一軒家に隠れ住んでいた。
そんなポール一家のもとに、ウィルと名乗る男とその家族が助けを求めて訪れてくる。
ポールは「それ」の侵入を防ぐため、夜は入り口の赤いドアを常にロックするというルールに従うことを条件に、ウィル一家を受け入れる──。
2017年製作、アメリカの作品。
原題も『It Comes at Night』。
知らずに観始めましたが、A24製だったんですね。
ポスターにもある「『イット・フォローズ』製作陣が仕掛ける」という文言が日本のプロモーションでは押されていますが、ストーリーや世界観はトレイ・エドワード・シュルツ監督によるもので、A24が出資し、『イット・フォローズ』の製作陣が制作に名乗りを上げた、ということのようです。
パンデミック後の崩壊した社会で生きる二つの家族を描いた作品。
何となく雰囲気などは『クワイエット・プレイス』にも似た印象を受けました。
そして、こちらもポスターに「極限心理スリラー」と表現されている通り、恐怖の対象そのものではなく、恐怖や不安などに駆られた人間たちの心理に重点が置かれた作品。
この点も、ドラマ『ウォーキング・デッド』やドラマ化もされたゲーム『The Last of Us』などを筆頭に「パンデミック(恐怖の原因)よりもそれを取り巻く人間の方が怖い」系はたくさんありますが、『クワイエット・プレイス』や『ウォーキング・デッド』などとは異なり、『イット・カムズ・アット・ナイト』は恐怖の対象がまったく描かれないのが特徴でした。
そのため、曖昧さというか、「結局、何だったの?」感も残る本作。
その点は後ほど考察の部分も述べたいと思いますが、謎は多く残るので、そういう作品が苦手な人、答えをはっきり示してほしい人にとっては評価はいまいちかもしれません。
個人的には、雰囲気も良く好きでした。
ただ、心理描写も、深かったり意外性があるわけではなく、ある意味想像の範囲内におさまるラストだったので、やや地味な印象も。
とはいえ、「事実」に関しては徹底して曖昧に表現していたのは、個人的評価ポイントでした。
後ほど検討しますが「it(それ)」が指し示すものの曖昧性については言うまでもなく、感染症もどれだけ恐れるべきものだったのか不明ですし、外部にモンスター?未知の生物?オカルト的な存在?がいたのかもわかりません。
そして何より、ウィル一家がどこまで信頼できるのか、という点のわからなさが絶妙でした。
人当たりは良く、実際に不穏な行動は見られない。
けれど、ウィル一家が隠れていた家に車で向かう道中で襲撃されたのが本当に偶然だったのかもわからなければ、「兄の家」と言っていたのが「妻の兄の家」だったというのも怪しいと思えば怪しく思えてくる。
最後は本当にアンドリューが感染したのか、出て行こうとした理由もはっきりしない。
そしてそれらの曖昧さに振り回され、想像力が膨らみ、疑心暗鬼に陥っていく2組の家族(というより主にポール)。
もしかすると恐るべき感染症ではなかったのかもしれませんし、ウィル一家も信頼できたのかもしれませんし、となると本作のすべてが人間の想像力が生み出した悲劇ということになります。
もちろん、人間の想像力が悲劇を招く作品も珍しいわけではありませんが、ここまで徹底して刺激を曖昧にした上で、反応だけに特化した作品はなかなかないのではないかと感じました。
トレイ監督はインタビューで「自分の家族を守るのはどういうことなのかとか、やりすぎの線はどこにあるのか、自分の家族を守るためにどこまで人間性を失っていいものかとか、そういった問題提起をしているんです」と述べており、感染症などの恐怖や、荒廃した世界を描くのではなく、極限状況にある人間の心理的な力動や、人間性そのものに重点が置かれているのは間違いありません。
普遍的なテーマでもありますが、コロナ禍を経て観ると、より一層リアルさを感じる部分が多くある作品でした。
考察:「it(それ)」が示すもの(ネタバレあり)
「死の勝利」から読み解く「it(それ)」
本作のタイトル『イット・カムズ・アット・ナイト』の「イット」が何を指すのか。
それは観た人それぞれの解釈が可能でしょうし、そもそも多義的なものであると考えられます。
一つのヒントになると思われるのが、ポールの息子トラヴィスの最初の悪夢で映った絵画です。
この絵は、悪夢の中では赤いドアに通ずる通路の右手に、現実ではトラヴィスが寝ていた部屋に飾られていました。
この絵画は、ピーデル・ブリューゲルという画家によって1562年に描かれた「死の勝利」という油彩画です。
この中ではペスト流行時の様子が描かれています。
また、ポールはかつては教師として歴史を教えており、「ローマ帝国のことは俺に聞いてくれ」と述べていました。
ペストは、東ローマ帝国でも流行したと言われています。
これらのことから、ペストかどうかは別として、本作においても何かしらの感染症が実在したことは間違いないでしょう。
ただ、「死の勝利」については、直接的にペストを描いているものではないようです。
この中では、死の軍勢(骸骨)に立ち向かう人もいれば、処刑されている人、惨殺されている人、逃げ惑い将棋倒しになる人など多様な場面が組み合わされており、様々な死と、その死を前にした人間の反応が描かれています。
あえてこの絵画が強調されていたことから本作の内容と重ね合わせれば、本作においてもやはり、感染症などに限らず恐怖や不安を前にした人間の反応を描いていると考えられます。
つまり「it(それ)」は、死の恐怖や不安などを喚起するすべてのものを指しているのです。
何か特定の一つだけを指しているのではありません。
人間、というより動物は本能的に闇、つまり夜を怖がります。
見えないからこそ、わからないからこそ、ネガティブな想像力も掻き立てられます。
夜に恐怖を感じるのはもちろん、夜になると気分が落ち込んだり不安になったり、というのを経験したことがある人も少なくないでしょう。
そのような、「人間の心に忍び込んで恐怖や不安、疑心を煽るあらゆるものが夜にやってくる」というのが本作で描かれていたと考えられます。
そのようなものであれば、「it」に何を当てはめても構わないのです。
描かれないからこそ、観る側の想像力も勝手に膨らんでいく。
そしてその、もしかするとありもしない「何か」に怯える人間たちを描いたのが、本作だったのでしょう。
赤いドアを開いたのは誰か?
そうなると、赤いドアを開いたのが誰かというのも、犬のスタンリーに何が起こったのかというのも、現実的な細かい部分はすべて些事といえば些事になります。
いえ、あの出来事を境に一気に崩壊したのでもちろん彼らにとっては重大事件でしたが、ポールの中に積もり積もった疑念は、あの件がなくてもいずれは爆発していたでしょう。
つまりきっかけは何でもよく、犯人探しをしてもあまり意味がありません。
一応客観的に考えてみれば、アンドリューの背丈であの赤いドアの鍵を開けられるか、というのはやはり難しそうな気がします。
アンドリューがバド(トラヴィスの祖父)の部屋で寝ていたのもよくわかりませんが、それで言えば、トラヴィスがあっさりとアンドリューを見つけたのもまた謎です。
可能性として高いのは、トラヴィスが夢遊病で彷徨っていて鍵を開けた、という説かなと思います。
スタンリーを探しに外に出ていき、瀕死の状態で倒れているスタンリーを見つけて連れてきた。
その後目を覚まし、夢遊病時の記憶はなく、鍵の開いた赤いドアを見つけた。
目的はわかりませんが、アンドリューを元の部屋からバドの部屋に運んだのもトラヴィス、というのもあり得るかもしれません。
この場合、最初に感染したのはトラヴィスとなり、その後手を繋いだりしたことでアンドリューに感染させた、ということになります。
ただこの説だと、あれだけ血だらけのスタンリーを運んだ場合、トラヴィスにも血がついていないとおかしくなります。
かといって、着替えたりシャワーを浴びた、とまでは考えづらいものがありますが、論拠はありません。
そのように考え始めれば、赤いドアの向こうにスタンリーを置いたのも謎ですし、謎はいくらでも見つけられます。
そうなると、外にいる「何か」にスタンリーが反応して走り去り、襲われ、その「何か」があの赤いドアの向こうまで運んできた、と考えた方が良いかもしれません。
ただこれはこれで、トラヴィスやアンドリューが感染したのがいつかということになりますが、そもそも感染経路も明確ではありません。
総合すれば、トラヴィス夢遊病説が一番しっくりくる気はしますが、明らかに情報は足りず、断片的なパズルのピースすら綺麗に組み合わせられません。
もう少し整合性のある展開にもしようと思えばいくらでもできたはずで、あえてぴったりハマる解答がないように設定されているようにも見受けられます。
そうなるともう、やはり真相を探るのはこの作品においては野暮であり、真相がわからないからこそポールたちも崩壊し、観ている側ももやもやと色々な感情が残る作品に仕上がっているのだろうと考えられます。
監督のインタビューでも「『イット・カムズ・アット・ナイト』はれっきとしたホラー映画や、ハラハラする恐怖映画ではありません。いろいろ考えさせる映画で、観客が観てそれぞれに解釈してくれれば僕にとっては嬉しいです」と述べられているので、観た人それぞれが想像を巡らせるのが正解でしょう。
父性による秩序と破壊
本作を少し心理学的に見れば、ポールという父親の父性の暴走と見ることもできます。
本作の脚本はトレイ監督の父親が亡くなられた直後に書かれたもので、そのときに感じた想いが反映されているようです。
また、ポールは、トレイ監督の父親と義父(妻の父親)を合わせたようなキャラクターとも述べられており、父親の存在が大きなテーマになっているのは間違いありません。
父性は、規範を示し秩序を保つ機能です。
ウィル一家を迎え入れるときに示したルールなどがまさにそれを表現するものであり、ポールの強い父性によってポール一家はパンデミックごの荒廃した世界を生き延びてこられたのでしょう。
しかし一方、父性が強すぎたり暴走すると、それは周囲を萎縮させるような脅威となります。
ルールを決めたり何かを決めることは、何かを切り捨てることと同義です。
この「切り離す」機能が父性の特徴の一つですが、それが暴走し、少しでも疑いがあればを切り捨てるという行動に走ったのがポールでした。
ウィル一家の登場が暴走のきっかけになったのは間違いありませんが、バドの死などによっても影響を受けていたのだろうと推察されます。
感想部分ではウィル一家がどこまで信頼できるかわからないと書きましたが、客観的に見れば信頼して良い人物だったのではないかと思います。
最後もやはり、アンドリューが感染したので出て行こうとしただけなのでしょう。
ポールの一家を殺して家を乗っ取ろうと思えばいつでもできたわけですし、夜逃げする前にポールが部屋に押しかけてきた際にも、銃は突きつけましたが結局撃つことはありませんでした。
冷静に考えればポールもわかったでしょうが、冷静に考えられないのがあの極限状況。
そして、一度芽生えた、というより最初から消えることがなかった疑念はいつまでも潜み続け、些細なきっかけでどんどんと増幅していってしまったのでした。
死の間際に後悔する父親を見て、そのときの悲しみを膨らませて本作を描いたというトレイ監督。
作中ではポールが目立っていますが、その視点の中心はトラヴィスにあったのだろうと思われます。
トラヴィスにとって、頼りになる父であり、トラヴィスの言葉や気持ちを無視して突っ走る場面もあったポール。
結果として辿り着いてしまったのは、愛する息子トラヴィスの死でした。
ラストシーン時にはおそらくポールとサラも感染していたはずですが、あのあと後悔の念に駆られながら死に向かうポールまで想像すると、非常に重苦しい作品です。
印象的な赤いドアは、外部と内部の境界線を象徴する存在として描かれていました。
ラストシーンにおけるトラヴィスの死は直接的なものではなく、トラヴィスが赤いドアの向こう側に出ていくというシーンで描かれていました。
赤いドアの外側は死の世界ということが暗示されています。
しかし、赤いドアを境界線として設定したのも(おそらく)ポールでした。
それによって内部と外部が分断され、外の世界が恐ろしい死の世界として定義されてしまったとも考えられるのです。
とはいえ、ポールもポールで必死に家族を守ろうとしていただけです。
正解などはない世界。
「死の勝利」などの絵画の根底に流れている「メメント・モリ(人間は死すべき運命にあることを自覚して生きよという警句)」の思想も、本作の根幹をなしているのでしょう。
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