【映画】悪魔のサンタクロース 惨殺の斧(ネタバレ感想・心理学的考察)

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作品の概要と感想(ネタバレあり)

幼い頃、サンタクロースの格好をした強盗に両親を殺されたビリー。
トラウマを抱えながら18歳になったビリーは、おもちゃ屋で働き始め、クリスマスイブにサンタクロースの扮装をすることに。
だが、それがビリーの中に眠っていた悪夢を呼び起こしてしまう──。

1984年製作、アメリカの作品。
原題は『Silent Night, Deadly Night』と、シンプルながらセンスあるタイトル。

サンタさんが斧持って襲ってくる!

というシンプルなスラッシャーホラー。
ですが、本物のサンタクロースではなく、普通の人間ビリーが扮するサンタクロース。
凶悪無慈悲で恐ろしい殺人鬼というよりは、「サンタのコスプレをした殺人犯」といった趣です。
顔を見せるためか髭は下にずらしているのと、普通の人間なのでちょいちょいドジっ子な一面も見えるため、コミカルさも見受けられました。

しかも、彼の犯行の背景には、幼少期の悲しきトラウマが
もちろんそれで殺戮が正当化されるわけでありませんが、ビリーもビリーでかわいそうな存在であったのは間違いありません。
誰も救われない話ですが、重苦しい雰囲気ではないので気軽に観られるスラッシャーホラーでした。

悪いのはビリーですが、トラウマの原因となった強盗サンタクロースの方が凶悪ですし、結局最初しか登場しなかったおじいちゃんが一番謎でホラー
そして何より、院長シスターの恐ろしさ。
時代背景を加味したとしても、若いシスターの助言にも聞く耳を持たず、子どもたちの心にはまったく寄り添わないのは、さすがにひどい。
サンタのコスプレをした男に両親を殺害された子どもをサンタの膝の上に無理矢理乗せるなんて、まさに鬼畜の所業。
もはや本作のタイトルは「悪魔のシスター」の方が相応しいでしょう。


スラッシャーホラーとはいえ、『悪魔のいけにえ』、『ハロウィン』『13日の金曜日』といったような1970〜1980年代の有名な作品群とは一線を画す感じでもありました。
殺人鬼がモンスターではなく普通の人間で、かつその背景が深掘りされており、主な視点が殺人鬼であることに由来する部分が大きいでしょう。
『13日の金曜日』もオリジナルの1作目の殺人鬼はモンスターなジェイソンではありませんが、あくまで被害者目線で殺人鬼を怖がる(楽しむ)作品。
殺戮の背景も説明されますが、必要最低限。

一方の本作では、あくまでも主人公はビリーであり、それもあってか、上述した作品群では定番のファイナル・ガールも登場しません(いやでも、院長シスターはファイナル・ガールと呼べるかも。呼べないか)。
はっきりした形でビリー=殺人鬼が死んでしまうのも、恐ろしい殺人鬼による殺戮をメインとした作品とは異なっていました。

ファイナル・ガールといえば、グレイディ・ヘンドリクスの小説『ファイナルガール・サポート・グループ』でオマージュされていた作品は、本作を観たことでついに網羅。
『ファイナルガール・サポート・グループ』の主人公は『悪魔のサンタクロース 惨劇の斧』をオマージュした事件の生き残りという設定でしたが、実際の本作ではファイナル・ガールは存在しないというのは面白くも意外でした。
ちなみに『ファイナルガール・サポート・グループ』は、惨劇を生き残りトラウマに苦しむファイナル・ガールたちが、再びトラブルに巻き込まれていく様子を描いたメタ的な作品です。

本作公開当時は、PTAなどを中心に上映に対して反対意見が多く、物議を醸したようです。
確かに時代的にも、「サンタクロースが斧を持って襲ってくる」という作品、しかもその部分を強調してプロモーションされたようなので、不思議ではありません。
今でこそレトロな映像でもはや牧歌的ですが、当時、しかも幼少期に観ていたら、それこそクリスマスやサンタクロースに対する恐怖心が植えつけられそうです。

余談ですが、途中で警察官にビリーと間違えられたサンタのコスプレをしたお父さん。
撃たれなくて良かったですが、自分の家にわざわざハシゴを使って侵入するなんて、娘想いすぎて涙ぐましい。
そのせっかくの努力も、勘違いした警察官が押しかけてきたことで水の泡となり、娘にはサンタがパパであることがバレてしまいましたが、あの子はあんな形で真実を知ってしまって大丈夫だったでしょうか。
いやでも、わざわざコスプレしていたってことは、もともと娘に見せるつもりだったんですかね。
と、果てしなくどうでも良い心配。

警察官は、みんな中の構え方が腰が引けていてちょっとお間抜けでした。

今観れば当然古さは感じてしまいますが、テンポも良く、シンプルに楽しめた作品でした。
しかしとにかく、おじいちゃんが謎すぎる

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考察:ビリーの心理と最期の言葉の意味(ネタバレあり)

ビリーの過去をかなり丁寧に説明してくれる本作なので、わざわざ補足するまでもない気もしますが、せっかくなので、なぜビリーがあのような凶行に走ったのかを検討してみたいと思います。

まず、ビリーにとってのトラウマは三つありました

一つ目は、おじいちゃんの言葉
両親がビリーだけ残していったのも、おじいちゃんの症状も、なぜおじいちゃんがあんなことを言ったのかもすべてが謎ですが、とにかくビリーはおじいちゃんによって「悪い子はサンタにお仕置きされる」という考えを植えつけられました。
しかも、完全に良い子でないといけなくて、ちょっとでも悪いことをしていたらダメ。

二つ目は、サンタのコスプレをした男に目の前で両親を殺害されたこと
当然ながら、トラウマとしてはこれが一番大きいでしょう。
おじいちゃんの言葉と合わさって、「サンタクロース=恐ろしい存在」という概念が確固たるものとなります。

そして三つ目は、児童養護施設での「罰」
院長シスターはビリーの心に寄り添うことなく、「悪い子」と判断すると容赦なくお仕置きを加えていました。
さらに、目撃してしまった男女の性行為について「悪いこと」と教えられ、「性的な行為=罰を与えられること」という考えも学習させられてしまいました。


これらのトラウマを抱えたまま成長したビリーは、就職先の玩具屋で、まさかのサンタのコスプレをさせられます。
かわいそうすぎる
もう彼の人生はサンタクロースに呪われていると言っても過言ではないでしょう。

それらがベースとなっていた上で、覚醒の引き金となったのは、閉店後のクリスマスパーティ(?)での店長の言葉と、好意を寄せていたパメラが嫌な同僚と性的な行為に及んでいたことの二つでしょう。
店長の言葉というのは「今夜サンタが何をするかわかってるな?」というセリフで、何気ない一言でしたが、かなり重要なセリフであったと考えられます。
ビリーの認識における「サンタがするべきこと」は、「良い子にプレゼントを与える」と同時に「悪い子にお仕置きや罰を与える」ことだったのです。

その後、「性行為=悪いこと」をしていたパメラと同僚を殺害(これに関しては嫉妬もあったかも)したのを皮切りに、彼は暴走していきます。
ここで、店長など明らかに「悪いこと」をしているわけではない人たちまで殺害したのは不自然に感じるかもしれません。
「単純にただ暴走しただけ」「トラウマに支配されて我を失っていた」とも捉えられますが、個人的には別の解釈です。

彼にとって、サンタは恐怖の象徴です。
それと同時に、両親の命を奪った憎い相手でもあります
そして自分は、両親を助けることができなかった無力な存在でした
子どもだったんだからしょうがない、では彼の中では済まないのです。

幼少期のビリーは、母親の暴言に対して「ママ、今のは良くない」と嗜めるほど分別があり、真面目な良い子であったことが窺えます。
そんな彼に「悪いことを一切していないか?」というおじいちゃんの言葉は、重く響いたでしょう。
真面目であるほど、「まったくしていない」とは言えなくなってしまいます。

そこに、両親を助けられなかった罪悪感が加わり、彼自身は自分のことを「悪い子」と思い続けていたはずです
そのため、ビリーが暴走した背景には、「悪い子」である自分を他者に投影し、それを殺害することで、自分を罰しようとする心理が働いていたと考えられます。
さらには、櫛木理宇の小説『殺人依存症』の考察で詳しく書いていますが、ビリーの犯行は、「支配者(=強盗サンタ)の前で何もできなかった自分」から「自分が支配者(=殺戮をするサンタ)になる」ことで、過去の弱かった自分を打ち消そうとする試みでもありました。

それが、ビリーの最期の言葉にも繋がってきます。
彼の最期の言葉は「君たちはもう安全だ。サンタはもういない」といったものでした。
「サンタ」が意味するものは、恐怖や悪の象徴であると同時に、「悪い子」である自分も含まれています

つまり彼は、自分が死ぬことで、恐ろしいサンタと、悪い子である自分を消し去ったのです。
上述したメカニズムと照らし合わせると、ビリーの目的は彼の死をもってしか完結し得ないものであり、彼が望んでいたのも死だったのでしょう
死ぬ間際のビリーの穏やかさが、それを物語っています。
児童養護施設でもっと寄り添ってもらえていたらと思うと、悔やまれてなりません(大袈裟)。

しかし、物事はそう単純ではありません。
ビリーのトラウマは克服されたかもしれませんが、彼の負の遺産は弟のリッキーに引き継がれてしまいました。
続編はリッキーがサンタクロース殺人鬼と化してしまうようなので、こちらもいずれ観てみたいと思います。

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