作品の概要と感想(ネタバレあり)
新聞社の不動産記者として働く女性ジュリアは、最愛の姉と甥を惨殺されて以来、悪夢に悩まされるように。
事件について調べるため姉の家を訪れると、そこは転売され、犯行現場となった部屋だけが取り除かれていた。
元恋人の刑事グレイディと調査を進めるジュリアは、森の奥に建つ奇妙な屋敷にたどり着く。
殺人現場を延々とつなげて作られたその屋敷から姉と甥の魂を救い出そうとするジュリアだったが、屋敷の内部には想像を絶する恐怖が待ち受けていた──。
2016年製作、アメリカの作品。
原題は『Abattoir』で「屠畜場」などの意。
原題と内容の関連性がいまいちわかりませんが、屠畜場は「牛や豚、馬などの家畜を殺して解体し、食肉に加工する施設の名称」なので、殺す→解体する→加工するという意味において、屋敷の創造が象徴されているのでしょうか。
殺人事件の起こった部屋を集めて作られた屋敷。
そんな屋敷が湛えているのはあまりの異質さと美しさ。
スピーディな展開。
美男美女な主人公ジュリアと相棒グレイディ。
我らがリン・シェイの怪演は期待を超える凄まじさ。
悪役?のジェベダイア・クローンも不気味で独特な雰囲気があって良い。
と、素晴らしい要素が揃っているのに、なぜこんなにも印象に残らないのでしょう。
それこそまるで本作の屋敷のように、個々の要素や雰囲気は抜群なのに、全体のバランスが滅茶苦茶なような。
というより、結局ストーリーがほぼ理解できていない点が原因ですかね。
素材や設定はかなり好きなので、もう少しシンプルな作りで良かったのでは、と思ってしまいます。
個人的には『ソウ』シリーズが大好きなのですが、本作の監督は『ソウ2〜4』および『スパイラル:ソウ オールリセット』の監督を務めたダーレン・リン・バウズマン。
ただ、『ソウ』はやはりジェームズ・ワンとリー・ワネルありきだと思っているので、そういった意味での期待はしていませんでした。
しかし、映像はとても美しく、カメラワークがまさに『ソウ』シリーズを思い出すスタイリッシュさでした。
終盤、ジュリアとグレイディが屋敷の中をそれぞれ歩き回る姿を交互に映すシーンなんかが特に『ソウ3』あたりがオーバーラップ。
序盤での、様々な事件について4人ぐらいの人が入り乱れながら話していたシーンも同様で、この監督らしさを感じました。
ですが、それが若干あだにもなっていたというか、スタイリッシュでスピーディなのは良いのですが、理解が追いつかなくなってしまう部分が多々ありました。
ストーリー全体は上述した通りあまりしっかり理解できず、かといって深掘りしたくなるような感じでもなく。
主人公のジュリアがひたすら猪突猛進で突っ走っていってしまうのも、無駄の少ない展開には繋がっていましたが、若干苛立ち要素に。
プラス、肝心の姉一家(アマンダ夫婦とチャーリー)の殺害シーンは結局ほぼまったく映らなかったこともあって、ジュリアの喪失感や悲しみへの共感もいちまいち。
終盤、ものすごい勢いと正確さでグレイディの喉を掻っ切ってしまったのも、驚きや悲壮というより呆気に取られてしまいました。
あそこまで、何があっても一切振るうことなく握りっぱなしだったのに。
クローンが「簡単に操られた」と言っていたので、屋敷の影響が何かしらあったのだとは思いますが、それにしても唐突すぎました。
全体的に、斬新さやオリジナリティは強めで、ゲーム『サイレントヒル』を彷彿とさせるような美しくも不気味で物悲しい映像や空気感はとても好きでしたが、いかんせんストーリーの難解さによって全体の評価や印象がいまいちなものになってしまいました。
その中で異彩を放っていたのはやはりリン・シェイで、鏡の前での無言のムンクの叫び顔(?)なんかもう、すごいの一言。
ただ、ちょっと派手めかつ不思議ちゃんな感じでの登場が『ルーム・フォー・レント』の印象と完全に被り、笑ってしまいました。
というわけで、自分の理解力の問題を棚に上げて偉そうに言えば「何か惜しい」に感想が終始してしまう作品ですが、屋敷のビジュアルは大好きなので、あれが観られただけでも価値がありました。
考察:結局何だったの……?(ネタバレあり)
結局理解しきれていない、かといって改めてしっかりと観直したい感じでもないのであれですが、一応少しだけ簡単に何が起こっていたのか整理してみたいと思います。
まず、謎の老人ジェベダイア・クローン。
彼はもともと、牧師であったようです。
彼の妻と娘が殺されてしまった事件が、おそらくすべての発端でしょう。
妻子の死は1953年となっていました。
その後、町にクローンが現れたのが1981年。
この間は謎に包まれていますが、1953年の事件ではクローン自身も撃たれ、生還しました。
町に現れた時点で彼は、すでに不思議な力を持っていたようです。
アリシア(リン・シェイ。正体はジュリアの母エウラリア・ハワードでアリシアは偽名ですが、こう呼んでおきます)が持っていた古い映像では、車椅子の青年が実際に立ち上がっていました。
車椅子の青年がサクラだった可能性もなきにしもあらずですが、現在で実際に屋敷を作ったりその中の霊を操る不思議な力を持っていたことも考え合わせると、1953年の事件で生還して以降、超常的な存在となっていたと考えられるでしょう。
1953年のクローン一家殺傷事件は、信者によるものだったのではないかと思います。
もちろん、現在のカルト的というか悪魔的なクローンの信者ではなく、牧師としてのクローンの信者です。
おそらく、神を信じても報われなかった者による暴走した逆恨み的な犯行でしょう。
クローンは、自分自身を「欺かれた詐欺師」と表現していました。
彼は自身の妻子が殺された事件で、神などいないのだ、あるいは神に裏切られたという絶望を感じたはずです。
町の住人たちを焚きつける映像でもキリスト教的な神を「偽の神」と表現していたので、「欺かれていた」というのは、牧師時代に神を信じていたことを指すと考えられます。
「詐欺師」というのは、町の住人を利用していたことを指していたのかもしれませんし、これもかつての牧師だった自分を指しているのかもしれません。
いずれにせよ、銃殺されかけて死の淵から甦ったクローンは、神への信仰を捨て、悪魔と契約でもして帰ってきたようです。
そこで学んだのが冥界への扉を開く方法であり、つまりは悲劇を集めること。
貧困に喘ぎ絶望に沈む町の住人たちを焚きつけて、従来の信仰を捨てさせて自分の信者としました。
目的はもちろん、亡くなった自分の家族(妻と娘)に会うため。
これまでの喪失や苦しみは既存の偽の神のせいだと信じた町の住人たちは、既存の神を捨ててクローンと協定を結びました。
町の住人たちが家族など大切な人を生贄に捧げさせたのは、保安官いわく「土地を清めて土台を作る必要があったため」とのこと。
実際にそうだったと考えても良いですが、もしかするとこれは方便であり、手っ取り早く悲劇を集めるためだったのかもしれません。
冥界の扉が開かれれば、住人たちも生贄に捧げた子どもたちと会えることにはなりますが。
その後の複数の事件(だいたいが家族を殺して自殺するパターン)の事件も、いずれも犯人はあの町の出身者だったようなので、クローンの信仰者による犯行と考えられます。
ジュリアの姉アマンダ一家を襲った犯人も、おそらく現世という牢獄から解放されることが目的だったのでしょう。
指示されたのか、自分から動くように誘導されたのかはわかりませんが、過去の火事の生き残りであることを知ってアマンダをわざわざ狙ってきたのは間違いありません。
逮捕後は精神病院に送られたようですが、簡単に自傷できる鉄の扉がある部屋に入れられていたのも、被害者遺族と面談ができるのも、鉄の扉があるとはいえ加害者と被害者遺族を2人だけにしてしまうのも、ツッコミどころ。
過去にアリシアが生贄に捧げたのはアマンダだけだったようなので、ジュリアは本来生贄だったわけではありません。
最終的にジュリアの悲劇をもって冥界の扉が開いたのは、たまたま最後の1ピースがジュリアだったのか、あの町出身だったことの因果なのか。
少なくとも、最後が絶対にジュリアでないといけなかったわけではないように思います。
ただ、クローンやアリシアはたびたびジュリアに町から出ていくように選択肢を提示していましたが、きっとジュリアが町から出ていくことはない(=過去に囚われ未来に進めない)というのは予想していたのでしょう。
最後に屋敷に入る前の選択肢は「屋敷に入る」か「町を出て行ってこのことを新聞記事にする」でしたが、後者の場合、読者が信じるかはさておいて事実が明るみに出ればクローンの計画は批判に晒され頓挫する可能性が高くなります。
あえてそのような選択肢を提示したのは、ジュリアは必ず屋敷に入るだろうという自信の表れだと考えられます。
最後にアリシアがジュリアを撃ったのもいまいちよくわかりませんが、結局彼女はクローンの狂信的な信者だったのでしょう。
クローンも言及していた通り、クローンの行動の目的も、ジュリアの行動の目的も、自分の大切に人に会うためでした。
グレイディもアリシアも、それぞれ大切に想う人のために動きました。
町の住人たちも、絶望の果てに新たな希望を求めていたに過ぎません。
実際に冥界への扉が開かれたことが救いになる人もいるかもしれません。
そう考えると、救いがあるようなないような、誰が悪人とも言い難いような作品。
キリスト教や社会に対するアンチテーゼ的なニュアンスも含まれていたのかな、とも感じました。
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