作品の概要と感想(ネタバレあり)
孤独な自閉症の少年オリヴァーは、新しいタブレットで子供向けの不気味な物語を見つける。
それは友達を探し求める孤独なモンスター、ラリーの物語だった。
オリヴァーは、ラリーを家に招き入れることになるとは知らず、その物語を読んでしまう。
しかしラリーの本当の望みは、さらに恐ろしいことだった──。
2020年製作、アメリカの作品。
原題は『Come Play』。
邦題は『カムプレイ』という原題そのままのものと『ラリー スマホの中に棲むモノ』という二つがあるようですが、後者のピントが絶妙にズレているのはもはやこういった作品の邦題では定番。
スマホに棲んではいないですね。
本作は、2017年公開された短編ホラー映画『Larry』を長編映画化したもの。
監督はもちろん同じジェイコブ・チェイス。
5分ほどの短い作品で、字幕はありませんが、英語がほとんどわからない人でも本作を観た人ならほぼわかるだろうと思います。
何なら音声もなしで映像だけでもわかるでしょう。
短編『Larry』の方は至ってシンプルで、長編化の本作にも出てきた駐車場の管理室だけが舞台。
登場人物も男性1人で、忘れ物のタブレットにラリーの絵本が表示される、ラリーは見た目が普通と違うので笑われて孤独、友達を求めている、ガラス越しに見えるといったあたりが、本作のベースになっているのがよくわかります。
ラストシーンはしっかりホラーしていてインパクトもあり、短いながら見事な完成度。
本作において、さすがに駐車場暗すぎないか?と思いましたが、短編で使ったシチュエーションを活かしたんだな、というのがわかって納得。
本作はそれをそのまま拡大して長編化したようなものですが、それもあってか、設定がややごちゃごちゃに。
電気をエネルギーとしている、という付加要素は斬新で面白いですが、一体どういう仕組みなのかツッコミポイントにもなっています。
そもそもオカルト的な存在なので、科学的に説明できる必要はありませんが、後付け設定を色々と足したためによくわからない存在になってしまっていました。
電球を替えてくれるところは便利。
ラリーがどのように生まれたのかについても少し設定が加えられ、「寂しさ」がキーワードになっていましたが、それがなぜスマホやタブレットと結びついたのかは謎のまま。
現代の人々はスマホやタブレットばかり見ていて、本当の意味で向き合っていない、という風刺的な要素はありそうでしたが。
電気やタブレットありきの存在なので、子どもを連れ去るという古典的な要素がありながら、現代的な存在とも言えます。
短編の設定がシンプルかつ綺麗にまとまっていたので、色々と追加したことで矛盾が生じてしまっており、細かい背景や設定はあまり気にせずに雰囲気を楽しむべきなのでしょう。
ホラー演出に関しては、ほぼスタンダードながら、色々な工夫が凝らされていて楽しめました。
特に、伸びるスライムみたいなやつや、距離を計測する機械など、ちょっとした小道具が伏線的に活用されていたのは面白かったです。
風に飛ばされた紙が見えないラリーに張りつくところも好きでした。
しかし、ほとんどどこかで見たことがあるような演出が多く、本作ならではの個性には欠けていた印象も。
スマホのカメラ越しに見えるというのも、もはや珍しくありません。
全体的に丁寧なホラーでしたが、ホラー慣れしていると物足りなさを感じてしまうのではないかと思います。
主人公が子どもなので、子ども向けのジュブナイルホラーなのかと思いつつ、子ども向けにしてはちょっと怖すぎたりわかりづらかったりするような。
正直、短編を無理に長編化した、という印象は否めません。
ラリーの造形も不気味さがあり悪くないですが、あれもどこかで見たことがあるような。
生態があまりに謎すぎるのがホラーとしては致命的で、透明なのに物理的に干渉できるのかとか、実体化した方が索敵能力が下がりすぎてて弱くないかとか、色々と気になってしまいました。
ある程度はどのような存在かという一貫した設定がわからないと、予想もできないので恐怖感も低減してしまいます。
一番最強だったのは、走って逃げる車に余裕で追いついたあたりではないでしょうか。
あれができるのに、終盤はうろうろ家の中を探すのは、画的にはホラーなのですが弱体化が顕著。
肝心の終盤も、野原に落ちていたスマホで登場できるんかい、しかもあんなに長距離走って追いかけられるなら別に野原の外からでも追いかけられるのでは?などなど、シンプルに没入すればもっと楽しめたのかもしれませんが、ついつい細かい部分が気になってしまいました。
四つん這いで猛スピードで走るところは良かった。
そして結局、ラリーが差し出した手をお母さんがつかんでオリヴァーを助けましたが、そこも「それでいいのか」という気持ちの方が先行。
ラリーも完全に「お前じゃねぇぇぇ!!!」と叫んでいましたね。
手をつかんできた人を問答無用で連れ去らないといけないのは、ラリーもラリーでなかなか不便で大変そう。
お母さんがラリー化(?)したシーンはインパクトがあり、本作における一番印象的なシーンでした。
また、ネガティブな内容ばかりになってしまい申し訳ありませんが、オリヴァーの孤独の原因がお母さんだったところも何とも言えません。
そもそもオリヴァーは自閉症(現在の正式な診断名としては自閉症スペクトラム障害)とのことでしたが、その大変さの描かれ方もいまいち。
ぐるぐる回る、手を動かす、急な予定変更に混乱するなど、演じていたアジー・ロバートソンの演技はとても良かったです。
が、あそこまでまったく言葉を話さないとなると本来知的障害も有していることがほとんどで、パニックやこだわりももっと大変だと思うので、やや都合の良い使われ方をしていた感は否めません。
そこにリアリティはなくても良いのですが、重い自閉症スペクトラム障害を抱えた子を育てる大変さは、並大抵ではありません。
特に幼少期のうちは親の側もなかなか障害が受け入れられず、「普通であってほしい」と願う親御さんも少なくなく、親の側の障害受容に対する支援もとても重要になってきます。
そのあたりが本作では、言葉を喋らない以外はほとんど大きな問題がないように描かれていたので、お母さんがただ理解がない親のようになってしまっていたのがもったいない印象でした。
障害ゆえに周囲の理解が得られない少年の孤独、というのがラリーを引き寄せる要因として描きたかったのだと思うのですが、うまく活かせていませんでした。
ラストも何とも言えず、ラリー化した母親と楽しそうに遊ぶオリヴァーの姿にお父さんは涙していましたが、素直にただただ感動していて良い状況なのかやや違和感。
ただ、子どもたちが和解できたのは良かったですし、バイロンくんはとても素敵な子でした。
オリヴァーくんは言うまでもなく、ホラー度を下げてしまうほどの可愛さでした。
そんなわけで、丁寧なホラーではあるのですが、本作ならではの魅力に乏しく、設定もごちゃごちゃしてしまっており、惜しさを感じてしまった作品でした。
短編の長編化ですし、短編がシンプルに完成しているので仕方ないと言えば仕方ないのかもしれませんが、1ヶ月後ぐらいにはほとんど内容を忘れてしまっていそうな気がします。
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