
作品の概要と感想(ネタバレあり)

1985年、ハリウッド。
巨大な撮影スタジオに現れたブロンドの女、その名はマキシーン。
ポルノ界で人気を極めた彼女は、新作ホラー映画『ピューリタンⅡ』のオーディションに参加していた。
“本物のスター”になるために。
その頃のLAは、連日連夜ニュースで報道される連続殺人鬼「ナイト・ストーカー」の恐怖に包まれていた──。
2024年製作、アメリカの作品。
原題も『MaXXXine』。
『X エックス』『Pearl パール』に続く3部作の完結編。
本記事には、前2作『X エックス』および『Pearl パール』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
前2作についてはそれぞれ以下の記事をご参照ください。


3部作も、ついに完結。
タイ・ウエスト監督のインタビューによれば、本シリーズは最初から3部作構想だったわけではないようです。
1作目『X エックス』製作時にコロナ渦になり、世界中で映画製作もストップしたようですが、唯一と言っていいほど撮影ができたらしいニュージーランドで撮影していたタイ・ウエスト監督ご一行。
せっかく作れるこの機会を逃すまいと、一気に続編かつ前日譚として書き上げたのが『Pearl パール』の脚本。
なので、どちらも製作年は2022年。
それからさらに3作目の構想を練り、『X エックス』が好評だったためにA24から製作を許可されたのが『MaXXXine マキシーン』だそうです。
『X エックス』の製作がスタートしたタイミングから数えて5年で3作製作という、怒涛の勢い。
なので、3部作ではありますが、もともと3作前提でイメージされていたわけではありません。
それもあってか、繋がりは緩やかで、独立した作品としても楽しめるような仕上がりにもなっています(順番に観た方がわかりやすいのは間違いありませんが)。
また、『Pearl パール』でも感じましたが、3作それぞれが違うコンセプトというか、異なる雰囲気や方向性で演出されているのは間違いないでしょう。
時代も飛んでいますし、パールとマキシーンの2人が繋いでいるとはいえ、3作を並べてみると色々な面でバラバラ感も否めません。
しかしそれをしっかりと繋いでいるのはミア・ゴスで、彼女こそが本シリーズを繋ぐX Factorと言っても過言ではないはず。
『MaXXXine』の正直な感想としては、面白かったけれど前2作は超えないかな、思ったよりも大人しめな作品だったな、という感じでした。
ネットを軽く見た限りでは、同じようにやや物足りなさを感じているような感想も散見されたので、似た感想は自分だけではなさそう。
その要因としては、上述した通り3作それぞれ作風が違うというのもあるでしょう。
前2作の両方あるいはどちらかが好きなほど、また違った作風にギャップを感じてしまったのかもしれません。
それを差し引いても、3作目は特に特殊だったな、とも感じました。
日本の公式サイトは「スターダム・スリラー・エンターテイメント」と銘打っていますが、確かに単純なホラーではなく、色々な要素やジャンルが混ざっている印象を受けます。
色々混ぜ込まれていた分、それぞれの要素は浅めでわちゃわちゃしていた感も。
個人的には、前2作はそれぞれ登場人物に強くスポットライトが当たっていたのに対して、『MaXXXine マキシーン』はそれ以上にタイ・ウエスト監督自身の要素が濃いめだったような印象でした。
確かにマキシーンという女性を軸に描かれているのですが、それ以上に、ホラー映画愛、ハリウッド愛、そしてそれ以上に映画への愛情が強く感じられました。
本作は一見、やや風刺的というかハリウッドの負の部分も描かれていますが、決して批判的でも、かといって賛美的でもありません。
自身が愛する映画というメディアやハリウッド映画界そのものに感じている想いを、1980年代という時代に合わせた背景や小道具、演出で表現していた印象を強く受けました。
それもあってか、新たなファイナルガール像であり、キャラとしてもアイコン化されて人気がありそうな割に、マキシーン個人の掘り下げはそれほど深くありません。
少なくとも、パールほどの強烈な個性があるわけでも、田舎でスターになることを夢見つつも挫折して年老いたようなドラマが描かれるわけでもない。
きっと描かれていない背景は色々あるのでしょうが、シンプルに夢見る女性が自ら手段を択ばず自分の信じる道を突き進んでいく過程が描かれていただけ、と言ってしまえなくもないので、マキシーン個人に深みはそれほど感じられませんでした。
むしろマキシーンも、強い光と影の両面を合わせ持つハリウッド映画界を体現する存在としても見ることができ、おそらく意図的なものでしょう。
そのあたりが、いまいち入り込みきれなかった要因かもしれません。
さらには1980年代の、それもアメリカの空気感を知らないので、それらを知っていたり好きだったりするとまた捉え方や感じ方は違うのかな、と思いました。
しかし、決して1980年代だけに囚われていたわけではありません。
ポルノへの偏見や女性の戦いなどは、現代にも通ずる要素はたくさんありました。
それは1980年代と現代で変わっていないから、というだけでもありません。
現代も強く意識されているのを感じたのは、冒頭です。
『X エックス』の冒頭は正方形に切り取られた画面から始まり、それについて『X エックス』の感想では「古いカメラの映像や、ブラウン管のテレビを彷彿とさせる切り取られ方」と書きました。
それが『MaXXXine マキシーン』では縦長の長方形から始まっており、これはスマホの画面、つまり現代を連想しました。
もしかするとそういう意図ではないのかもしれませんが、1980年代のレトロ感だけではなく現代っぽさも強いように感じました。
何にせよやはり完成度は高く、本作も楽しめたのは間違いありません。
ミア・ゴスはもちろん、彼女を取り巻くキャスト陣も素晴らしく、女性映画監督のエリザベス・ベンダーを演じたエリザベス・デビッキはかっこよかったですし、私立探偵のジョン・ラバトを演じたのはまさかのケヴィン・ベーコンでしたが、あっけない死に様はちょと笑ってしまいました。
本作に登場したオマージュや小ネタは、公式サイトに「『MaXXXine マキシーン』ネタバレ徹底解析(完全版)」として詳しくまとめられています。

ちょっとだけ考察:ラストシーンの解釈

そんなわけで、心理面でも考察しがいがあったパールに対して、マキシーンはそこまで心理的に考察したくなるポイントがあるわけではありませんでした。
なので、ストーリー的な部分での考察を少しだけ。
まず、少しややこしかったですが、ナイト・ストーカーなる連続殺人鬼は1985年に逮捕された実在の殺人犯です。
リチャード・ラミレスという人物で、1984年から1985年にかけて実に13人を殺害しました。
本作で言及され、最後に逮捕されていたのは彼でしょう。
そして、リチャード・ラミレスの犯行とは別に連続殺人を行っていたのが、マキシーンの父親であるアーネスト・ミラーでした。
彼はマキシーン周辺の知人を殺害してデビルスター(逆五芒星)の刻印を押し、スナッフフィルムを製作していました。
言い分としては、ハリウッドが若者を堕落させる場所だと信じ、娘を奪った悪でもあり、カルトを利用して彼なりの「真実」を世に知らしめようと企んでいたようです。
なかなかぶっ飛んだパパ。
上述した通りマキシーンの心理を推察できる要素はあまりありませんが、パパからの言葉を忘れずにモットーとし続け、パパから言われた通り映画スターの夢を追い続けていたところからは、良くも悪くも大きな影響を受け続けていたことが想像されます。
「私らしくない人生は受け入れない」というセリフは、『X エックス』のラストでも口にしていました。
そんな彼女は、映画スターの夢を追い続けていましたが、なかなか花開かないまま33歳に。
彼女の転機となったのは、やはり『X エックス』での事件でしょう。
自身が殺人を犯したこと(パール殺害は明らかに過剰防衛)もトラウマ的になっていたかとは思いますが、それ以上に影響を与えたのは、年老いてなお未練に囚われ続けるパールの姿だったはずです。
「自分もああなるのでは」という恐怖が、マキシーンのなりふり構わない言動に繋がっていたと考えられます。
ラストは色々入り乱れてわかりづらくなりますが、マキシーンがインタビューを受けたりレッドカーペットを歩いていたのは、いずれもマキシーンの妄想でしょう。
今回の事件は彼女を一気に有名にするでしょうが、それだけでスターダムにのし上がれるほど甘くはないはず。
そもそも、警察からは参考人以上に容疑をかけられているように見受けられました。
最後も武器を捨てるよう最終警告を受けていたにもかかわらず、のちに凶悪犯だったことが判明するだろうとはいえ、無抵抗の男性を発砲して殺害してもお咎めなしというのはやや不自然です。
それどころか、むしろマキシーンも射殺されてもおかしくないぐらいの勢いだったように感じました。
なので、ラストの映画製作現場のシーンも射殺されて死んだマキシーンの妄想というか願望だったのかも……とすら想像しましたが、監督はインタビューで以下のように述べていました。
マキシーンというキャラクターは、典型的な「ファイナル・ガール」ではない。
「『MaXXXine マキシーン』監督タイ・ウエストが語る、Xトリロジーへの思い」
つまり、これまでのように性に奔放だったりドラッグをやっていたら死ぬ、みたいな定番のパターンじゃなくて、「彼女はただ彼女である」っていう。
そのままの彼女が主人公で、それがこの映画なんです。
だから『MaXXXine マキシーン』でも、「ハリウッドに潰されて終わる」みたいな話にはしたくなかった。
むしろ「絶対に勝つ。何があっても勝ち抜く」という話にしたかったんです。
彼女にはハッピーエンドをあげたかった。
それがこのキャラクターへの思いでした。
なので、特定のイデオロギーから出発したというより、「こういうキャラが見たかった」という気持ちが大きかったと思います。
https://ginzamag.com/categories/interview/517128
これを読むと、射殺された説はさすがに違いそうです。
むしろ、もしかするとマキシーンの妄想と述べたスターダムも、現実に起こり得る未来なのかもしれません。
このあたりは、なかなか都合が良すぎるようにも感じてしまいます。
ただ、本作は全体的に細部を見るとけっこう無茶や矛盾も少なくありません。
それも1980年代のホラー映画らしさのようにも感じられるので、わざとなのかな、とも思いました。
なので、あまり細かいストーリーラインに整合性を求めて観るべき作品ではないのでしょう。
ハッピーエンドと捉えると、パールとの対比も明確です。
夢を諦め田舎で年老いたパールと、なりふり構わず映画スターの夢を追い続けるマキシーン。
どちらもそれぞれのキャラがなり得た姿であり、同じミア・ゴスが演じていることからもわかる通り、光と影のような関係です。
上に載せた海外のポスターは、そのことを強く感じさせます。
マキシーンは、パールと出会ったことでさらに必死になったと考えられます。
上述した「パールのようになりたくない」という気持ちは、強烈なモチベーションになりました。
その意味では、パールから諦めた夢を受け継いだとも言えるでしょう。
まだ実績は伴っていないとはいえ、『X エックス』では鏡に向かって「私はセックスシンボル」と言っていたマキシーンは、『MaXXXine マキシーン』では「私は映画スター」とまで言うようになりました。
「スターになる」というのは『X エックス』の終盤ですでに言っていたので、やはりパールとの出会いによって変化したと考えられます。
「私らしくない人生は受け入れない」という信念を抱き続けたことも彼女なりのハッピーエンドに繋がったのだとすれば、父親から受け継いだものも彼女の成功に繋がっています。
良くも悪くも、父親やパールとの出会いがマキシーンを怪物にしたのです。
ファイナルガールらしくないファイナルガールであり、ホラー映画らしからぬハッピーエンド。
それもまた、過去作へのオマージュやリスペクトを捧げつつも、1人の女性の人生を通してタイ・ウエスト監督の個性や映画観が凝縮された、新しいホラー映画の形なのだろうと感じました。
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