
作品の概要と感想(ネタバレあり)

高校生アレックスは修学旅行に旅立つ離陸前の飛行機の中で居眠りし、飛行機が離陸直後に大爆発するという悪夢を見る。
飛び起きて「この飛行機は爆発する!」と叫ぶアレックスに周囲は騒然。
この騒ぎに巻き込まれた数人の同級生と先生、アレックスの7人は飛行機から降りるが、彼の言葉通り飛行機は大爆発。
それから数日後、生き残りの1人である親友トッドにまたも奇妙な予兆を感じたアレックスはトッドの家に急ぐが、彼はすでに帰らぬ人となっていた──。
2000年製作、アメリカの作品。
原題も『Final Destination』。
もはや改まって説明するまでもないような有名作品。
大好きで、『ソウ』シリーズと並んでもはや何回観たか覚えていないほどですが、10数年ぶりにして最新作の6作目『ファイナル・デッドブラッド』を前にまた観返しました。
5作目『ファイナル・デッドブリッジ』の記事にも載せましたが、邦題がわかりづらいシリーズの順番は以下の通り。
原題 | 邦題 | 製作年 |
---|---|---|
Final Destination | ファイナル・デスティネーション | 2000年 |
Final Destination 2 | デッドコースター | 2003年 |
Final Destination 3 | ファイナル・デッドコースター | 2006年 |
The Final Destination | ファイナル・デッドサーキット 3D | 2009年 |
Final Destination 5 | ファイナル・デッドブリッジ | 2011年 |
Final Destination: Bloodlines | ファイナル・デッドブラッド | 2025年 |
ここに来て原題もまたナンバリングではなくなっており、ややこしさに拍車をかけています。
さて、記念すべき第1作目である『ファイナル・デスティネーション』ですが、シリーズを追った上で改めて観ると、やはり「完成しているなぁ」と感じます。
シリーズの原型がほぼほぼ整っています。
その後のシリーズはほとんどこのプロットそのままに、最初の事故と登場人物の死に方が変わっているだけ、と言っても過言ではありません。
もはや発明であり、様式美。
それは何を意味するでしょうか。
そう、
感想が難しいんですよね。
ストーリーはあってないようなもので、シリーズ通してほぼ同じ。
作品によって細部がやや異なるとはいえ大筋は同じなので、「あの死に方が派手で良かったな」ぐらいしか感想が出てこなくなります。
ピタゴラ死を楽しむのが本シリーズの魅力なのでそれはそれで全然良いのですが、改まって感想を書くとなると難しい。
そんな中でも2作目『デッド・コースター』は続編としてもだいぶ凝っているので面白いのですが、みたいなことを言い始めると『デッド・コースター』の感想を書くときに困ること間違いなしなので、ここでは大人しく『ファイナル・デスティネーション』の内容のみに絞りましょう。
まずはとにかく、1作目にしてすでに完成形であることは間違いありません。
予知夢からのド派手な事故。
生き残ったメンバーが次々と不慮のピタゴラ死。
死のリスト、死の運命、死神との戦い。
1作目でありながら、すでにちょっとフェイントがあるところが憎いですね。
最初のトッドの死でも、床に水が広がってきて「踏むかな」と思ったらまずは1回外してきます。
死に方のバリエーションも豊富で、特に凝ったピタゴラ死の中でテリーにいきなりバスが突っ込んできたシーンは、今でも強烈なインパクトがありました。
改めて観ると、予兆が丁寧だな、とも思いました。
次に死ぬ人の背後を黒い影が過っていましたが、そんな演出があること、ちょっと忘れてました。
あれは死神がやってきたということなのかな。
と考えると、シリーズを追うごとにあの演出がなくなったのは、思ったより死のリストを回避する人が増えて死神が忙しくなってしまったのかもしれません。
1人(?)でリストを見ながら追いかけているのだとしたら、けっこう大変。
みたいなのは半ば冗談として、主たる要因はスピード感の向上、つまりは無駄の排除でしょう。
「死の運命を回避したことによって、死のリストの順番に死が襲い掛かる」という設定は、1作目ではその謎を解き明かすこともストーリーに含まれていました。
しかしその設定は2作目以降では、観客にとっては「当たり前の前提」となります。
いちいち「これは何が起こっているんだ?まさか、あの事故を回避したから?」みたいな謎解きに時間を費やしていたら、観客は醒めてしまいます。
そのため、シリーズを追うごとに、登場人物が状況を把握していくスピードが上がっていくとともに、だんだんとド派手なピタゴラ死、および、これで死ぬと思ったら死なずにフェイントをかけて観客の裏をかくという方向性に注力されていきます。
逆に言えば、1作目はそのあたりがまだスローペース、というより丁寧。
その後のシリーズのメインが派手さの強化であるとすれば、1作目が地味に見えてしまうのも必然。
なので、シリーズを追ってから改めて1作目を観ると、確かに物足りなくは感じてしまいます。
ただそれは、初代iPhoneに対して「今触ると古いね」と言うようなものでしょう。
それでももちろん、1作目の時点で尖った魅力にも溢れています。
親友ポジションのトッドが速攻死んだのは驚きました。
シリーズ通してのキーマンとなる、トニー・トッド演じるウィリアム・ブラッドワースを登場させたのも大きい。
過激になるにつれコメディ感も強まる続編に比べると、1作目は全体的に空気感が重々しかった気がします。
特に、何の非もない若者たちが次々と非業の死を遂げていくのは、リアルな運命の残酷さが反映されておりシビア。
それでいて、それなりに背景は設定されていつつもあまりキャラを深堀りしないことで、重くなりすぎないようなバランスが保たれており、その匙加減が絶妙です。
最初の方で、寝ているアレックスに不吉な予兆があったあと、デジタル時計の「01:00」の表示が180便の表示に重なる演出なども好きでした。
このあたりの、いわば今となっては「余計」と冗長に感じてしまいかねない部分も、1作目ならではの丁寧でおしゃれな演出であったと感じます。
あと、改めて観るとけっこう死神の意思というか計画性みたいなところも感じられました。
水を踏んで転んだトッドが死んだあと、水がすーっと引いていったような演出は、続編ではほとんど見かけた記憶がありません。
あれって、いわば証拠隠滅ですよね。
水があれば事故死と判断されていたかもしれず、水が引いたことでトッドの自殺説が強まり真相の解明が遅れたのだとすると、「ただ順番に殺すだけ」みたいな続編と異なり、最初はけっこう死神も小細工していた様子が窺えます。
最初はそのあたりも工夫していたけれど、だんだんと凝ったピタゴラ装置作りの方にハマっちゃったのかな。
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