
作品の概要と感想(ネタバレあり)

これは、ある町で起きた、多くの人が命を落とした本当の話。
水曜日の深夜2時17分。
子どもたち17人が、ベッドから起き、階段を下りて、自らドアを開けたあと、暗闇の中へ走り出し姿を消した。
消息を絶ったのは、ある学校の教室の生徒たちだけ。
なぜ、彼らは同じ時刻に、忽然と消えたのか?
いまどこにいるのか?
疑いをかけられた担任教師のジャスティン・ギャンディは、残された手がかりをもとに、集団失踪事件の真相に迫ろうとするが、この日を境に不可解な事件が多発、やがて町全体が狂い出していく──。
2025年製作、アメリカの作品。
原題も『WEAPONS』。
『バーバリアン』を手掛けたザック・クレッガー監督による新作。
『バーバリアン』の感想では「とにかく予想のつかない展開が魅力でした」と書きましたが、それが本作にも当てはまります。
というより、「作品紹介だけではどんな内容なのか全然わからない」「先が読めない」「前半は静、後半は動」「後半はコメディ化しつつも独自の世界観で見事にまとめ上げる」といったような『バーバリアン』で抱いた感想や印象が、すべて『WEPONS/ウェポンズ』にも当てはまると言っても過言ではないでしょう。
もちろん内容はまったく違うのですが、オリジナリティが炸裂しているという点において、かなり好きな監督になりそうです。
『バーバリアン』も『WEPONS/ウェポンズ』も、ホラーかミステリィかといったような既存の枠には収まりません。
個人的な印象としては、M・ナイト・シャマランやジョーダン・ピール、アリ・アスターといったような監督らの作品に近く、「ジャンルはザック・クレッガー」としか言いようがありません。
内容はもちろんなのですが、魅せ方がとにかく巧いな、と『バーバリアン』から引き続き感心しました。
本作は、言うなれば「黒魔術を使う老婆に町が翻弄される」だけの話です。
それをここまで128分という長さを感じさせずに楽しませるのは、スタイリッシュな演出、巧みな緩急、音や音楽の効果的な使い方、等に起因するでしょう。
飽きさせないという点においては、視点が約20分ごとに切り替わる点がとても大きそうです。
『バーバリアン』でも同じような手法が使われていました。
小説などで多く、映画でも少なくありませんが、視点を変えて真相を明らかにしていきつつ新たな謎を提示する、という連鎖が非常に巧妙。
ホラーだけで128分保たせるというのはだいぶきついかと思いますが、ミステリィ要素を推進力とすることで、最後まで続きが気になる作りになってしました。
ホラー好きとして観に行った身としては、『バーバリアン』と同じく怖さと不気味さと謎が溢れている前半が好きでしたが、勢いある後半もとても好きです。
特に、監督自身もこだわったらしいグラディスと子どもたちの追いかけっこシーンは、謎のカタルシスが溢れまくりでした。
グラディス演じるエイミー・マディガンは75歳とのことですが、用意されていたスタントマンを断り、自身で叫びながら走りまくったそうです。
すごい。
このラストシーンは「笑った」という感想が多く見られ、実際自分も笑ってしまいましたが、監督自身が「あのシーンは観客の皆を笑わせるんだから。この辛い道のりの終わりに、皆を笑顔にしてくれる最高のシーンだからね」と述べており、笑うので正解です。
『ジャッリカットゥ』ばりの勢いでした。
1回だけならよくありますが、何回も畳みかけてくる『シャイニング』オマージュも笑ってしまいました。
最後に子どもたちが群がってグラディスのお顔ベタベタは『グリーン・インフェルノ』オマージュが最初に浮かびましたが、他の作品のオマージュでもあるかな?
何はともあれ、『バーバリアン』で衝撃を受け、『WEAPONS/ウェポンズ』ですっかり魅了されたザック・クレッガー監督。
次なる作品も楽しみに待ちたいと思います。
考察:頼れない大人たちと、アレックスの奮闘(ネタバレあり)

前提と既存の情報の整理
本作は、日本では考察型ホラーのような売り出し方をされていますが、それは肝心のジャスティンの動機や背景を筆頭に、明かされないままの謎が多数あるからでしょう。
そしてその大部分は、作中の情報で答えが導けるものではありません。
なので、答えを考察するというよりは、余白の色々な解釈を楽しむ作品、であるはずです。
内容や文化的な考察については、すでに他のサイトで散見されたので、ここではあまり触れません。
そもそも監督自身が曖昧なままにしている部分も多そうなので、「こう」という明確な答えが、監督自身の中でも確定していなさそうなのもあります。
たとえば、主人公の1人でマシューの父親であるアーチャーが、夢の中で辿り着いた家の上空に「2:17」の文字が書かれたアサルトライフルの影が浮かんでいましたが、これについて問われた際、ザック・クレッガー監督は以下のように回答しています。
「この映画の中で、あれは僕にとって非常に重要な瞬間。
https://theriver.jp/weapons-archer-dream/
どうしてこんなに気に入っているのかというと、僕も理解していないからです。
何のためにあるのか、いくつか想像はつくけど、正解はない。
あのシーンに対して、人それぞれがそれぞれの反応や関係性を持つだろうっていうのが、いいなと思う。
どうでもいいと思って退屈だと思う人もいれば、政治的なメッセージだと思う人も、ただかっこいいと思う人もいる。
でも、それは別に構わない。
僕が決めることじゃない。
ただ、あのシーンがあるってことが好きなんだ」
https://variety.com/2025/film/features/weapons-sequel-director-david-fincher-1236468200/
少し長いですが、大事なのでそのまま引用しました。
観た人それぞれが感じたことを大切にするべきでしょう。
それでも、決して投げっ放しと思わせないバランス感覚が絶妙です。
基本的な解説や監督の発言に基づく解釈は、以下のワーナーの公式サイトにまとめられています。

また、字幕では削られている英語のニュアンスについては、ライターの氏家譲寿さんによる以下の記事が参考になります。

やや話が逸れますが、これを読んで改めて、誠実に考察をするにはちゃんと英語(原語)で理解しないとなぁ……と思うなどしましたが、そういった完璧を求め出すといつまでも書けなくなってしまうので、自分なりの誠実さで自分にできることを粛々と。
グラディスの捉え方
本作の鍵を握る、インパクト抜群のおばあちゃんグラディス。
新たなホラーアイコンとなり得る彼女は、一体何者だったのでしょうか。
グラディスについてですら、監督自身も解釈を一つには絞っていないようです。
ザック・クレッガー監督は、グラディスの背景について、演じるエイミー・マディガンに以下の2つから「好きな方を選んでほしい」と伝えたそうです。
1つ目は、グラディスはただの普通の人間で、病を克服するために最後の手段としてこの闇の魔法に頼ったというストーリー。
https://thetab.com/2025/08/11/the-weapons-director-just-explained-the-origins-of-aunt-gladys-the-films-ending-never-tells-you
2つ目は、彼女は人間ではなく、人間のように振る舞おうとする生き物であるというストーリーだ。そのため、人と接する際には、極端で不気味なコスチュームを着るのだ。
そして、エイミー・マディガンがどちらを選んだのかについては、監督も聞いていないとのこと。
しかし、作中で結核を「労咳」と古い呼び方をしていたことから、生きている期間が長い、つまりは後者のストーリーである可能性が高いことが推察されます。
いずれにしても、グラディスと彼女が使う黒魔術については、アルコール依存症との結びつきが強いようです。
同じインタビュー記事では、ザック・クレガー監督が「グラディスと彼女の魔術がアルコール依存症を象徴していることを説明し、自身の幼少期を描いた自伝的作品だと主張している」ことを説明した上で、監督の言葉として以下を引用しています。
「この映画の最後の章は、まさに自伝的な内容です。私の子供時代を描いたものです。アルコール依存症の親と暮らす中で、力関係が逆転するんです。子供が“介護者”になることもあるんです」
https://thetab.com/2025/08/11/the-weapons-director-just-explained-the-origins-of-aunt-gladys-the-films-ending-never-tells-you
この指摘は重要でしょう。
本作の脚本はそもそもザック・クレッガー監督の友人であったトレヴァー・ムーアの死が発端となっていますし、監督の親がアルコール依存症であったエピソードなども織り込まれています。
つまり、突如現れる外的な恐怖や、それによる家族の崩壊、そして喪失などが包含されている作品です。
この点を踏まえると、グラディスの黒魔術にかかったものは皆、他者に対してであれ自分に対してであれ、顔面を攻撃する点も理解しやすくなります。
アイデンティティや社会との接点である顔を破壊するというのは、その人の人間性や社会性が破壊されるのと同義です。
このように、グラディスについては「何者であるか」が重要なのではなく、「平和や日常を突如崩壊させる要因」の象徴であると留めるだけで十分なのではないかと思います。
これらを踏まえて、以下、メイブルックの町を少し心理学的に俯瞰してみます。
頼れない大人たち
本作では、大人たちがみんな頼りにならない点が印象的です。
それはジュブナイル・ホラーではあるあるですが、さらに特徴的なのは、みんな何かに依存していることでした。
上述したように、担任のジャスティスとその元カレ(?)のポールはアルコール。
ジャスティスは性行為への依存もあったでしょうか。
ポールは強迫症的な潔癖(というより感染恐怖)や、怒りのコントロールが難しそうな様子も窺えました。
失踪したマシューの父親アーチャーは暴力。
ホームレスのジェームズは薬物。
依存症は、依存対象が好きだからなるものではありません。
何かから逃げたかったり、不安を紛らわせたかったり、暇を潰したかったりしたいがために依存していくのです。
自分が確立できていなかったり、弱い部分があったりすることが少なくありません。
それはその人の存在が弱いということではなく、誰しも心が弱る時期はあるという意味では、誰もが何かへの依存に陥る可能性を秘めています。
依存している点に限らず、本作の大人は頼りになりません。
誰一人、子どもたちのことを思って探しているとは言い難いものでした。
批判にさらされ、保身に走るジャスティン。
それ自体は被害者でもありかわいそうですが、あの状況下でアルコールに逃げ、元カレを呼び出し不倫に走るというのは、弱さが垣間見えます。
きっと禁酒しているのを知っていたはずなのに、ポールにお酒を勧めたのも自己中心的。
さらには、アレックスの「大丈夫」という表面的な言葉をそのまま鵜呑みにしてしまいます。
アレックスが盗んだクラス全員の名札がなくなっていることにすら気がつきません。
本質的に子どもたちを見ていなかったのでは?と思わせるようなエピソードです。
アーチャーは、自分の子どもであるマシューのことしか考えていません。
全員を発見したのに、マシューだけ抱きかかえて去るラストシーンが象徴的でした。
マシューに対しても、失踪前は愛情を伝えず、よく怒鳴りつけていたのかなと思わせる描写もありました。
親の躾だけが影響するものではありませんが、アーチャーがアレックスをいじめていたのも、この親にしてこの子あり感は否めません。
警察も何だかのんびりしていますし、ジェームズのダメさは言わずもがな。
唯一まともだったと言えるのは、マーカス校長でしょうか。
どちらかと言うと事なかれ主義っぽい感じもありましたが、伯母と名乗るグラディスへの面談では妥協しないだけの正義感は持ち合わせていました。
余談ですが、インパクト的には血塗れで目を剝きながらアラレちゃん走りで襲ってくるマーカス校長人間兵器Ver.が一番強烈でした。
とにかく、メイブルックの町では誰もが頼れない大人であることが印象的でした。
グラディスだけではなく、みんなが何かに寄生していた、とすら言えるかもしれません。
寄生とは、誰かを頼ることや共生とは異なります。
それは潜在的に、グラディスが介入するまでもなく、個人もコミュニティも脆弱さを抱えていたことを示唆します。
武器化させる最後の一押しをしたのはグラディスかもしれませんが、武器となる要素はそもそも個や社会が抱えていたのです。
アレックスの奮闘
本作で一番頑張ったのは間違いなく、まつ毛ばっちばち少年アレックスで異論ないでしょう。
上述した通り、大人が頼りにならないのはジュブナイル・ホラーあるあるではありますが、同級生も大体ロクでもなく、友人も出てこないというのはけっこう珍しい気がします。
まさに孤軍奮闘でした。
彼は、大人しく優しそうですが自己主張しない、できない子として序盤は描かれています。
いじめられても我慢する。
親にも話さない、話せない。
アレックスの両親は、メイブルックの町ではまともそうではありましたが、彼の悩みには気づけません。
グラディスの黒魔術によって早々に機能停止した両親を、アレックスはお世話します。
これはまさにアダルトチルドレンと言えるでしょう。
本来アダルトチルドレンという用語は、アルコール依存症の親元で育った子を指します。
子どもが親を世話をする、最近流行の用語で言うとヤングケアラーは、養育者と被養育者の逆転です。
ちょっと余談で、触れるのは野暮なポイントではありますが、機能停止した人たちのトイレ問題はどうしていたのかなというのがちょっと気になってしまいました。
それはさておき、アレックスは献身的に両親、そして同級生たちの面倒を見ます。
グラディスに脅されていたから、というのもあるでしょうが、そこには親に対する愛情や、アレックス本来の優しさを見て取れました。
そんな受け身なアレックスでしたが、終盤でついに覚醒します。
1人で黒魔術を駆使したのはもちろんですが、その前の「踏み越えてはいけない」とグラディスから言われていた塩の結界を跨いだシーンが見逃せません。
これまで大人の言うことには従順で、言われるがままに従っていたアレックス。
ここで初めて、自らの意思でルールを破ります。
そこには両親を助けたいという思いもあったでしょうが、枠を超えたらどうなるのかという好奇心や、グラディスに対する反抗心なども深読みできます。
これはアレックスの成長です。
奇しくも、グラディスの登場がアレックスの成長を促したことになります。
これが子どもの強さと言えるでしょう。
それでも、「子どもが成長できたんだから、親がアルコール依存で良かったね!」とはならないように、アレックスにとって良い成長の仕方であったとは言えません。
やむを得なかったとはいえ、あの解決法は正しかったのか。
暴力での解決のモデリングと言えなくもありません。
アレックスに限らず、無事に根本の原因であったグラディスは排除できましたが、生々しい傷跡は残り続けます。
喪失を受け入れていくことが簡単ではないように、依存症の回復プロセスが容易ではないように、彼ら彼女らの今後もまた、まだまだ険しいものでしょう。
本作のあと、あの町がどうなっていくのかを想像してみるのも、面白いかもしれません。

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