作品の概要と感想(ネタバレあり)
ローリーが仕掛けたバーニングトラップから生還したマイケルは、過去を背負う町ハドンフィールドでさらなる凶行を重ねる。
その恐怖に立ち向かいブギーマンと戦う者がいる一方、恐ろしさのあまり暴徒と化す者も現れ、ハドンフィールドは混沌としていく──。
2021年製作、アメリカの作品。
本記事には、前作『ハロウィン(2018)』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
『ハロウィン(2018)』については、以下の記事をご参照ください。
10月に観たくて寝かせてあった1作。
『ハロウィン』シリーズは前作しか観られていないモグリなので、シリーズを通しての比較・考察は他に譲り、ここでは新3部作(?)から入門した視点での感想となります(いつかちゃんと追って加筆したい気持ちはあり)。
マイケル・マイヤーズは生きていた──!!
というのは、もちろん全員知っていました。
40年間準備し続けたローリー・ストロードおばあちゃんの苦労も虚しく、あっさりとバーニングトラップから脱出(?)したマイケル。
『ハロウィン KILLS』は、時間軸的には前作からそのまま続いている作品です。
どちらかというと静かめであり、マイケルとローリーの因縁を改めて描いた前作に比べて、本作は躍動的に殺して殺して殺しまくります。
まさに「序破急」を地でいく3部作になりそう。
人間寄りだと思っていたマイケルは、すっかりモンスターになってしまっておりました。
前作の考察において、
「かといって、現代の武器で蜂の巣にされても生きているようでは、「不死身」という概念を超えて、「ただのモンスター」に近くなってしまいます。」
と書いていたのですが、まさに取り囲まれて殴られて撃たれても復活し、しっかりとただのモンスター化していた本作。
レビューなども見ると、そのあたりはやはり賛否両論の否定寄りでしょうか。
中間作のため、最終章への繋ぎとなることは明白な『ハロウィン KILLS』。
そのため、前作では大活躍したローリーは、本作では怪我のため休養。
いかにも主人公らしく、最終作への英気を養います。
ローリーの見せ場としては、40年越しの告白シーンでしょうか。
その後、めっちゃ鬼気迫る勢いで鎮痛剤を打ちましたが、保安官にキックを一発かましただけでノックアウト。
打って変わって、本作の主人公はハドンフィールドの住民たちです。
彼らもまた、恐怖に震え続けた40年越しの因縁を背負っていたのでした。
過去作の登場人物たちは、原点ファンにとってはとても熱い展開なのではないかと思います。
群衆たちのリーダー格となったトミーは違うようでしたが、ローリーとともに生き残った女性リンジーは、ローリー役のジェイミー・リー・カーティスと同じく、第1作と同じカイル・リチャーズが40数年振りに演じたそうです。
しかし、前作から鑑賞した身としては、誰が誰だかついていくのに精一杯。
昔話とマイケルへの怒りで盛り上がる彼らを見ても、まるで全然知らない人の同窓会に紛れ込んでしまったような居心地の悪さを感じてしまいました。
そんな彼らも、なかなかあっさりと殺されてしまいます。
それはまた、マイケルの「純粋な邪悪」らしさを強調させており良いのかもしれませんが、前作の考察でも触れた通り、住民たちの単独行動が目立ちます。
3〜4人で行動しても、「ここで待ってろ」パターンで返り討ちに。
特に、ローリーの旧友ロニーのべったべたで完璧な死亡フラグの立てっぷりは、今の時代に感動すら覚えるレベルでした。
息子キャメロンと、その彼女アリソン(ローリーの孫娘)を車に残し、親指を立てて元マイヤーズ家に入っていくあの勇姿は忘れられません。
何の期待を裏切ることもなく、速攻で死亡フラグを回収してくれました。
そんな感じで思い入れのない愚かな住民たちを見ていると、ついつい少し退屈さを感じてしまった前半でしたが、後半は勢いと面白さが加速。
アリソンの彼氏キャメロンがあっさり殺されたのと、ローリーの娘カレンが殺害されたラストは、意外性がありました。
気になったのは、マイケルのキャラに若干ブレを感じた点でしょうか。
途中、犠牲者たちにかぼちゃなどハロウィンのお面をかぶせていましたが、明らかにあれは猟奇性を際立たせるというか、発見者を怖がらせるための演出です。
見た目は大人、頭脳は子どもなマイケルにとっては、少し不自然な行動に感じてしまいました。
単体で見るとどうしても訳がわからずやや物足りなさも感じる作品でしょうが、3部作前提なので感想はこの辺にしておいて、最終章まで取っておきたいと思います。
考察:恐怖と悪というテーマ(ネタバレあり)
恐怖と怒りが引き起こす悪
『ハロウィン KILLS』の大きなテーマの一つに、悪とは何か?誰が悪なのか?というものがありました。
けっこうはっきりと説明されていたので、あえて考察するまでもない気もしますが一応。
パニックに陥った群衆心理については『REC/レック』の考察で詳述しましたが、本作においてもパニックに陥った住民たちの様子が描かれています。
彼らのパニックをかき立てていた感情は、恐怖と怒りでした。
マイケルに殺されるかもしれないという恐怖は、実に40年以上蓄積されてきた重みがあります。
そして、町の平和や、仲間、家族をマイケルに奪われた怒り。
「マイケルを殺す」という選択肢は、そのどちらをも同時に解消するものでした。
その結果は、暴徒と化した住民たちに追い込まれた精神科病院の患者の飛び降りによる死です。
正義感を暴走させ、周囲の意見を顧みず突き進み、無実の人間を死に追いやった住民たち。
まさに「俺らが怪物になっちまった」のです。
これは怒りによる住民たちの分断でもあり、現実的な視点がものすごく反映されていたシーンでした。
これらのシーンは、彼らはマイケルと何が違うのか?という問いを投げかけます。
むしろ、「純粋な邪悪」であるマイケルより悪質であるという見方もできるでしょう。
恐怖に駆られたら、誰もが悪を生み出す可能性があるのです。
ちなみに、重箱の隅を突きますが、病院に迷い込んだ精神科病院患者が飛び降りた際、彼の視点になりましたが、それは地面に向かって手を伸ばしており、あのままいくと顔面から地面に突っ込む体勢であったと思われます。
しかし最終的には仰向けで後頭部からぶつかっており、最後の一瞬でものすごい勢いで反転したことになります。
前作の考察で書いた「マイケル、いつマスクかぶりました?」から引き続き、微妙な爪の甘さが愛おしい。
3部作におけるマイケル・マイヤーズ
ラストシーンで、ローリーは「マイケルを人間だと思っていたけれど人間ではなかった」ことについて触れています。
そのため、マイケルのモンスター化は、上では否定的に書きましたが、作品的にはしっかりと意図されたものであると考えられます。
ローリーは、
「殺せば殺すほど、奴は人知を超えた不死身の生き物になっていく」
「人の心に巣食う恐怖、それがマイケルの呪いよ」
「暴力では倒せない」
「恐怖こそが悪の本質」
「怒りは人々を分断し、目を背けようとするほど恐怖は強まる」
と続けます。
これらの発言から推察されるのは、人々の恐怖がマイケルをより恐ろしい存在にしている=モンスター化させているということです。
逆に捉えて少し飛躍すれば、果たしてマイケルは存在するのか?という疑問も生じてきます。
40年前の惨劇は、実際にあったことでしょう。
しかし、今回の3部作におけるマイケルは、本当に当時のマイケルなのでしょうか。
個人的には、今回の3部作におけるマイケルは、人々の恐怖が生み出した想像の産物なのではないかとも思っています。
そう考えれば、モンスター化していることも説明がつきやすくなります。
40年間怯え続けたローリーとハドンフィールドの住民たち。
今回のマイケルは、彼らの恐怖が生み出した、あるいは呼び寄せた、殺人鬼マイケルというよりブギーマンに近い存在なのでは、という考えです。
『ハロウィン KILLS』では、人々の恐怖が悪を生み出し、それによって彼ら自身が怪物と化してしまう過程が明確に描かれました。
自分たちの恐怖が生み出したマイケル。
この3部作は、ローリーの、そして住民たちの、長年にわたるマイケルに対する恐怖の克服を描く物語になるのかもしれません。
「暴力では倒せない」と悟ったローリー。
娘カレンも失ったローリーが、マイケルの因縁とどう決着をつけるのか。
『ハロウィン ENDS』にも期待です。
ちなみに邦題は『ハロウィン THE END』で、2023年10月に公開とのこと。
『ハロウィン KILLS』は10月公開だったのに、『ハロウィン(2018)』と同じく季節外れに戻ってしまったのですね。
追記
『ハロウィン THE END』(2023/11/07)
続編『ハロウィン THE END』の感想をアップしました。
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