作品の概要と感想(ネタバレあり)
バカンスをエンジョイするため隠れスポットとして有名な湖「ラグーン」を訪れた男女4人。
彼らは、踏み入れてはならない「聖域」に立っていることを知る由もなかった。
巨大なトウモロコシ畑の農夫は、侵入者を生きたまま案山子にする案山子職人だったのだ──。
2017年製作、カナダの作品。
見事なまでのザ・B級ホラー。
『悪魔のいけにえ』を金字塔とする「田舎へ行ったら襲われた系ホラー」を地で行く作品です。
評価は低めですが、B級ホラー好きにはたまらない1作でしょう。
そして、B級ホラー好き以外には、そりゃあ低評価だよね、と言わざるを得ません。
もちろん、個人的には好き。
もうちょっと拷問シーンがあればなお良しでした。
個性に乏しい主人公、脳筋バカな男友達、黒髪ヒロイン、セクシー担当というテンプレパーティ。
入ってはいけない地に入り込み、しっかりと殺人鬼に襲われます。
古典スラッシャーホラーへのリスペクトとオマージュが散りばめられつつ、独自の新基軸を切り拓いた『X エックス』とは異なり、何の意表も突いてきません。
スケアクロウ(scarecrow)が「案山子」の意味なので、『スケアクロウ トウモロコシ畑の獲物』というタイトルが、本作のすべてを表現しています。
それ以上でもそれ以下でもありません。
近年では逆に珍しい、清々しいほどのストレートさ。
オリジナリティとしては、殺人鬼が案山子職人である点ぐらいでしょう。
しかし、その1点だけで面白くなるので、B級ホラーファンはちょろいですね。
あとは、古典的スラッシャーホラーでは必須の、しかし最低限で十分な「馬鹿とエロ」が、異常なまでにブーストがかっていました。
通常以上にお馬鹿なので、観ている側のイライラやもどかしさもひとしおです。
人間の親指ぐらいでは、彼らの欲望を止めることはできませんでした。
特徴的だったのは、主人公やヒロインも馬鹿でしかなかったところ。
ホラー映画の若者集団は、だいたい「あんま仲良くなさそうだけど、よく一緒に旅行とか来たね」と思うことがほとんどです。
その点(仲の悪さ)も過剰なこの作品を観て改めて、「やっぱり主人公たちは頭と仲が悪く、無駄な言い合いをして時間を稼ぐことが、低予算ホラーでは必須なんだな」と再確認。
一番謎だったのはデヴォンで、彼氏(?)のファーブジーがあんな大怪我を負っている状況でイーライを誘惑して、何がしたかったのでしょうか。
明らかにイーライに惚れていたとは思えず、アッシュのことも本心では嫌いそうだったので、「他人のものが欲しくなっちゃうタイプ」だったのか、単なる色情魔だったんですかね。
ファーブジーの顔芸は評価ポイント。
犬神家シーンは謎ポイント。
しかし、「生きたまま案山子にされる」というのは、地味ながらなかなかに恐ろしいものがあります。
「あのまま放置されたら」と自分に置き換えて考えると、いっそ殺された方が楽なパターン。
トウモロコシ畑での鬼ごっこも、定番ではありますがやっぱり良いです。
どこに逃げれば良いかわからない。
どこから敵が現れてくるかわからない。
距離を取ったら息を潜めているのが明らかに正解でしょうが、真夜中のトウモロコシ畑で「誰か助けて!」と大声で叫ぶアッシュの姿は、あまりにも愚かでした。
案山子おじさんは、ただ追いかけるだけではなく様々な方法で主人公を追い詰めてくれる、非常にエンターテイナーな殺人鬼でした。
特に、あの自ら案山子に化けていたシーン。
無駄すぎますし、早業すぎます。
笛の音で登場を教えてくれるところも、とても親切。
息子が死んだあとも笛の音を轟かせていたので、誰か呼んでいたわけでもなく、単なる登場の効果音だったようです。
トウモロコシ畑での鬼ごっこは、ゲーム『Dead by Daylight』というゲームを彷彿とさせます(有名なホラー映画の殺人鬼たちも登場)。
1人のキラー(殺人鬼側)から、サバイバー(逃げる側)4人が脱出を図る対人ゲームですが、キラー視点で操作すると、サバイバーが逃げた足跡のような痕跡が一定時間見えるのです。
『スケアクロウ トウモロコシ畑の獲物』でも、いくら自分の庭とはいえ、案山子おじさん側も追いかけるのは大変だったはずです。
それが易々と可能だったのは、彼にももしかすると逃げる者の痕跡が見えていたのかもしれません。
ちょっとだけ考察:案山子おじさんの目的は?(ネタバレあり)
考察するようなものでもありませんが、少しだけ。
侵入者をバッタバッタと薙ぎ倒し、案山子に仕立て上げてトウモロコシ畑に飾りつけていた案山子おじさん。
余談ですが、彼は気絶させるプロでもありましたね。
殴っても、ヘッドバットでも、足を掬って転ばせるでも、必ず1撃でKOしていました。
彼の息子が不自然な流れで説明してくれたところによると、彼はどうやら過去にあの土地に侵入して来た者たちのせいで、愛する妻を失ったようでした。
事故ではあったようですが、「あいつらのせいで……!」と恨みを募らせた彼は、以降、侵入者を案山子化する復讐の鬼と化しました。
ショックからか、言葉も失ってしまったようです。
何で案山子?というのは、まったくもってわかりません。
「そんな深い設定があるわけないだろ?」という内なる声を無視して考察すると、三つの仮説が浮かびいます。
仮説1は、「案山子おじさんの妻は案山子の事故で死んだ」説です。
愚かな侵入者がトウモロコシ畑に立ててあった本物の案山子を倒してしまい、哀れ案山子おじさんの妻が偶然下敷きに。
かくして、彼は侵入者を案山子に変える鬼と化したのです。
んなわけあるか。
仮説2は、「苦しめて殺す」という目的です。
放置された案山子人間は、発狂して餓死するか、カラスや鳥に突かれて死ぬか、いずれにせよひどい苦痛に苛まれながら死に至ることは間違いありません。
そのようにして、侵入者に対する恨みを晴らしていたのでしょうか。
仮説3は、儀式的な意味合いがある可能性です。
妻の遺体は、なぜか小屋の天井に吊るされていました。
また、ラストシーンでは、やや規則的に案山子が配置されていた様子も窺えます。
もしかすると、生きた人間を案山子として生贄のように捧げることで、妻が生き返るという迷信か言い伝えか何かを信じていたのかもしれません。
そうすると、息子がアッシュを逃そうとした際、「母さん、ごめん」と言って刃物を父親(案山子おじさん)に渡したことも、少しだけ説明がつきやすくなります。
アッシュを見逃すことは、生贄が1人減ることを意味します。
そのため、「代わりに自分を殺してもいいから彼女は助けてほしい」と、判断を父親に委ねたと考えることも可能です。
何でアッシュだけあれほど助けようとしていたのかは不明ですが、もともとこの殺人生活の手伝いに迷いが生じていたのに加えて、アッシュがタイプだったのでしょうか。
そう考えれば、案山子おじさんが息子を殺したのもまたやや説明がつきます。
とはいえ、妻を失い悲嘆に暮れていたのに、邪魔をしたからといって唯一の肉親である(と思われる)息子まで殺害するというのは、不自然さは拭えません。
もはや正気を失っており、復讐(あるいは儀式)のことしか頭にない殺人鬼と化してしまっていた、と考えるのが自然でしょうか。
ラストシーンのあとも、妻も息子も失った彼は1人で案山子人間を作り続けていくのかと思うと、哀愁すら漂う殺人鬼でした(息子は自分で殺したわけですが)。
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