【小説】白井智之『人間の顔は食べづらい』(ネタバレ感想・考察)

小説『人間の顔は食べづらい』の表紙
(C) KADOKAWA CORPORATION.
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作品の概要と感想とちょっと考察(ネタバレあり)

タイトル:人間の顔は食べづらい
著者:白井智之
出版社:KADOKAWA
発売日:2017年8月25日(単行本:2014年11月1日)

「お客さんに届くのは『首なし死体』ってわけ」。
安全な食料の確保のため、食用クローン人間が育てられている日本。
クローン施設で働く和志は、育てた人間の首を切り落として発送する業務に就いていた。
ある日、首なしで出荷したはずのクローン人間の商品ケースから、生首が発見される事件が起きて──。


2014年発売。
第34回横溝正史ミステリ大賞の最終選考会まで残り、物議を醸した作品です。
さすがに受賞には至りませんでしたが、有栖川有栖、および道尾秀介両氏の猛プッシュによって単行本で刊行されました。

それもそのはず、明らかに万人受けする設定や内容でありませんが、カルトっぽさすら漂う圧倒的に独自な世界観
こういう尖ったタイトルはタイトル負けしていることも少なくありませんが、本作はまったくそんなことはない、しっかり練られた本格ミステリィ

クローン人間が出てくるので、「トリックもクローンが絡むんだろうな」「一人称で入れ替わるし叙述トリック的なのもあるんだろうな」というのは何となく見えてしまい、細かい部分ではだいぶ荒さも目立ちはします。
しかし、ここまで独自の世界を構築し、なおかつぎりぎりフェアに本格ミステリィとして組み立てる技術の凄さは、文庫版の解説で道尾秀介が指摘している通りです。


色々と入り組んでいるのでわかりづらいですが、本作で何が起こっていたのかざっくりと整理すると以下の通り。

  • 元政治家でプラナリアセンターを作った冨士山は、反プラナリアセンター派の野田を殺害するために自身のクローンをこっそり育てていた
  • プラナリアセンターで働く柴田和志も、勝手に自宅で自身のクローン(チャー坊)を育てていた
  • 和志のミスでチャー坊は檻の鍵のコピーを作り、和志の仕事中に出歩くようになる
  • 和志は、ノイズユニット「守銭奴」のメンバーの河内ゐのりと出会う
  • 冨士山がクローンでアリバイを作りながら野田を殺害したが、クローンに殺される
  • 抗議団体のイベントで冨士山クローンとチャー坊がたまたま出会う
  • チャー坊は、風俗嬢の河内ゐのりと出会う
  • クローンの入れ替わりプロジェクト始動。誤発送事件や爆破事件によって和志が嵌められ指名手配犯に
  • チャー坊が風俗嬢の河内ゐのりを呼び出す
  • 和志が「守銭奴」の河内ゐのりを呼び出し、気絶させる
  • 推理後、チャー坊が和志に反撃。巻き込まれた河内ゐのりが死亡
  • 和志はチャー坊の推理を信じて出頭。犯人として捕まる
  • 遅れてやって来た風俗嬢の河内ゐのりが真実を知る

特にわかりづらいのが河内ゐのりパートで、基本的に風俗嬢の河内ゐのり視点ですが、「十七 河内ゐのり」の項だけは、新聞などを持って和志の家を訪れているので「守銭奴」の河内ゐのり視点であると考えられます。
ただ、そのあとに来た風俗嬢の河内ゐのりも新聞などを持ってきた可能性はゼロではないので、もしかすると「すべて風俗嬢の河内ゐのり視点」でも通るかもしれませんが、「十七」だけは違うと考えた方が自然です。


クローンやカニバリズムといったテーマは新しいものではありませんが、その背景となる設定が独自のもので、無茶も多いですが絶妙なバランス。
「新型コロナウイルス」が出てきて一瞬びっくりしましたが、もちろん現在、現実世界を騒がせているものとは全然別物で、人間よりむしろ動物への影響が大きく、肉を食べるためにクローンの作成や食人が合法化された日本
ただの金持ちの道楽や嗜好としてではなく、極限状態で人間が人間を食べてしまうパターンに近いような、それなりに必然性のある設定が面白い。

しかし、どれだけ厳しく管理しようとも、セキュリティの穴は人間によって生じるもの
『人間の顔は食べづらい』で起こる事件においても同様、結局は冨士山や和志のエゴによって生じた事件でしかありません。
文庫版で追加された「由島三紀夫のノート」においては、由島の恋人・沖弓志麻が由島のクローンを育てていたことも発覚しました。
結局こうやって、どんどんと崩壊していくのです。

クローンたちはもちろん、人間と同等の構成要素である限り自我があり、食用に甘んじてはいられません。
クローンたちが少しずつ入れ替わり、いずれ自分たちの人権を主張し始めたとき、人間社会の崩壊すら見えてきます

しかしそれは、人間社会の崩壊と言えるのでしょうか。
クローンは、人間か否か
それによって見方も変わってきます。
人間がクローンに置き換わっても、人間社会と言えるのかもしれません。

それはどこか、クローンを同等の人間として見ていない、という点で人種の問題も彷彿とさせます。
本作を是と捉えるか非と捉えるか。
単なるSF的な推理小説ではありますが、そういった思考や議論にまで発展し得る潜在的な要素を孕んでいます。
方向性はまったく違いますが、ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』も連想しました。
クローンが人間社会を乗っ取っても、結局その愚かさは何も変わらない気がします。


本作で面白かったのはやはり、由島三紀夫の存在です。
というより、その存在に、ほとんど何も意味がなかったところ
冒頭から「金髪の男」として思わせぶりに登場し、満を持して表舞台に登場してきてからは、意味不明なネーミングセンスも相まって「癖のある名探偵役」っぽさをこれでもかと醸し出します。

しかしそれが、何の予兆もなくたった1行で退場。
しかも、ほとんど上半身だけになった状態で、冨士山クローンの脚に笑顔で絡みついたシーンもかなり謎です。
実は由島の恋人・沖弓志麻が監禁していたのが本物の由島で、作中ずっと登場していたのがクローン、という深読みもありかもしれませんが、別にクローンであったとしても身体能力が向上したりゾンビのようになるわけでもありません。

結局、物語の本筋とはほとんど関係なく、インパクト以外何も残さずに消えていったキャラでした


本作は、強引な部分は多々あり、あまり現実的に検討するべきものではありませんが、一つだけ心理学的な視点で見ると気になったのは、チャー坊や冨士山クローンの心理的成長です。

成長促進剤によって、身体は驚異的なスピードで成長していました。
しかし、心理面は、そのような促進剤で成長させられるものではありません。

実質チャー坊も冨士山クローンも、せいぜい5歳程度。
それであそこまで論理的に物事を考えるというのは、どれほど天才であっても困難です。
人格を使い分けていたのは「精神が未発達だから」「人とのコミュニケーションに慣れていないから」といった説明がなされていましたが、そのような使い分けはむしろ社会性が必要な高度な技術
子どもを見ればわかりますが、むしろ未熟であるほど、誰に対しても同じような接し方になります。


最後に、『人間の顔は食べづらい』という、一見内容とは直接関係ないタイトル
個人的には、これがかなり秀逸だと思いました。
別にトリックや推理が本質ではないよ、と言っているように感じます。

本作で出荷される食用クローン人間の死体は、首から下の身体でした。
それはなぜか。
作中で言及はされていませんでしたが、やっぱり顔は食べづらいのです

魚料理などでも、いわゆる尾頭つきで頭までドンッと置かれていると、慣れていないと何とも言えない威圧感を感じます。
ししゃもの頭とかも、食べて良いと言われても若干の抵抗感があります。
たい焼きを頭の側から食べることに抵抗を感じる人もいるほどです。

これはやはり、頭部、特に顔がその生物の大きなアイデンティティとして機能しており、顔の存在が「死」を強く意識させるからだと思います。
バラバラ死体を発見するにしても、手や脚、胴体を発見するより、頭部を発見する方がインパクトが強いはずです。
顔こそがその個人を象徴する大きな特徴であり、また、見た目からして「死」が如実に感じられるからです。
人間から見ればほぼ無個性である魚の顔も同じことで、「生き物である(あった)」ことを強く感じさせられるため、抵抗が生じます。

つまり、そう、たとえ人肉食が合法化され、ある程度慣れたとしても、やっぱり顔は食べづらいのです
それをこの作品のタイトルに持ってくるところに、抜群のセンスを感じました。

文庫版の表紙も、フェティシズムを喚起させるようなデザインで、とても好き。

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