作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:ミサイルマン
著者:平山夢明
出版社:光文社
発売日:2010年2月9日(単行本:2007年6月20日)
凄絶な死の瞬間、破裂する電球、捻曲がる銀食器……。
〈顕現〉と名付けたそれを蒐集するため、男は女たちを惨殺し続ける。愛娘を手に掛けたときに現れた究極の顕現とは?(「枷」)
オンナをさらっては殺して埋めていた俺とシゲ。
ある日、証拠回収のため掘り出した死体には、とんでもない罠が仕掛けられていた。(表題作)
魂を鷲掴みにされる、史上最凶の七編を収録。
平山夢明、珠玉の短編集。
いや、鬼畜の短編集。
平山夢明は小説だと『独白するユニバーサル横メルカトル』『ダイナー』あたりを読んだことがありますが、内容もご本人もぶっ飛んでいて好きです。
映画『LAMB/ラム』の試写会時にゲストとして登壇し、話を聞けたのが最高の思い出。
そのときもとても自由な感じでした(褒めてます)。
さて、もう何と言えばいいかわからないほどオリジナリティに圧倒される短編たち。
内容やジャンルの振り幅も激しいですが、もう総じて「ジャンルは平山夢明」と言えるでしょう。
ホラーからファンタジー、SFまで、独自の世界観で何でもござれ。
それでもすべてに共通して感じられるのは、人間らしさでしょうか。
地図が独白するという、枠にとらわれないにも程がありすぎる短編『独白するユニバーサル横メルカトル』の表題作ですら、何ともいえない人間味が感じられました。
どのような形であれ、何かしら人間の根源にあるものを刺激してくるのが平山作品であり、短編だとそれが顕著に感じられます。
個人的に、物語の世界観に入り込むのが遅いのと、その世界をずっと味わっていたいタイプなので、以前は完全に短編より長編派でしたが、著者の幅広い作品を味わえるので、最近は短編もかなり好きになりました。
かなり前に読んですっかり忘れていたので『独白するユニバーサル横メルカトル』も最近読み返したのですが、全体的にグロさやダークさ、ぶっ飛び度合いは『独白するユニバーサル横メルカトル』の方が上だった印象です。
何より『独白するユニバーサル横メルカトル』は、表紙のインパクトも強め。
とはいえ、『ミサイルマン』もレビューや感想では「グロいグロい」といった感想が目立つので、一般的には十分常識はずれな内容でしょう。
文章の癖というか個性も強めな平山作品ですが、個人的にはどうも微妙にリズムが合わないというか、『独白するユニバーサル横メルカトル』では、文章や読点の位置にどうも違和感を抱いてしまいました。
それが独特な魅力にも繋がっているので、否定しているわけではありません。
ただ、「ミサイルマン」ではその違和感もだいぶ緩和されていた印象でした。
時間の経過による文体の変化かとも思ったのですが、単行本では『独白するユニバーサル横メルカトル』が2006年、『ミサイルマン』が2007年なので、それほど空いているわけでもありません。
使い分けているのだとしたらすごい。
また、平山作品はグロいですが何となくさっぱりしているのが特徴です。
そもそも登場人物たちが全員ぶっ飛んでいてノリが軽いことも影響していると思いますが、個人的に要因として感じているのが、独特の比喩表現。
「いや、どんな喩えやねん」の連発が神懸かっており、それが独特のリアルさとポップさを感じさせ、バランスが絶妙です。
たとえば、と挙げ始めると無数に挙げられそうなので一つだけ挙げておくと、表題作「ミサイルマン」での
「細かい羽虫が顔の前出ジェンカを踊っていったような感触が残り、続いて黴びたラーメン汁と腐った肉の甘いクソのような匂いが舌の上に広がっていった」
という文章。
十分すぎるほどにエグい状況であるのは伝わってきますが、同時に「どんなんやねん」と突っ込まずにもいられません。
常に漂うダークなユーモアが、人間らしさの要因の一つでしょうか。
作家には、「頭に浮かぶ映像を文字にしていくタイプ」と「文字で物語を紡いでいくタイプ」がいるとよく言われますが、個人的に平山夢明は後者なのではないかと勝手に感じています。
本当にただの勝手な想像に過ぎませんが、どちらだとしても、「文字の表現によって人間の中に引き起こされる感覚」を大事にしているのは間違いないのではないかな、とも思っています。
以下、一言ずつぐらいで簡単にですが、それぞれ感想。
テロルの創世
珍しく古い時代が舞台……かと思いきや、SF。
人間の深い部分を抉り出そうとする本質的な部分は変わりませんが、表面的には平山節は鳴りを潜めている印象でした。
作品によってここまで文体や言い回しまで変えてくるのは、さすがとしか言いようがありません。
光と影。
影として、光のスペア的な存在として作られた主人公の巳影。
心理学的に「影(シャドウ)」というのは、「その人の生きられなかった別の人生」を指します。
巳影は自らのリュミエールのためではなく、愛する美千流のために行動し、光と影を逆転させました。
そしてさらに、自らのリュミエールに向かった先に待つのは、自分の死か、あるいは立場の逆転か。
クローンであろうと影であろうと、オリジナルとは異なる自分を生きる。
その人権や境界は、どう定めるべきなのでしょう。
何となく、森博嗣作品に通ずるものを感じました。
Necksucker Blues
吸血鬼ブルーに惚れた男の話。
ただただ思い通りに操られ、自らすべてを投げ打って、文字通り血も肉も吸血鬼ブルーとカニバリスト(?)のデブの餌食となってしまった主人公。
このどこまでも報われない感じ、さすがです。
店名【Cha Sauvage】について「山猫亭いう意味じゃないか……」と最期に心の中で呟いた主人公でしたが、その通り、宮沢賢治の『注文の多い料理店』の「山猫軒」もオマージュされているのでしょう。
何も知らず、誘導されるがままに自分で自分を調理していく滑稽さと恐ろしさ。
しかし、主人公の異常なまでの執着心もコンプレックスも、元はと言えば母親のせいと言って差し支えないレベルでしょう。
母親は精神疾患を抱えていたのか宗教にでもハマっていたのかはわかりませんが、ひたすら女性に翻弄されたまま終わりを迎えてしまった主人公は、ひたすら哀れでした。
ブルーのお店を紹介したネモトすら、もしかするとブルー側の人間であり、ちょろそうな獲物としてブルーの元へと誘導したのかもしれません。
血というのは、身体の内側にあるものです。
きっとこれまでの人生で唯一、表面で引かずに内面を求めてくれるブルーに主人公が惹かれたのは、仕方なかったと言えるでしょう。
序盤でさり気なく出てきた「俺は自分を怖がらない人に逢いたいのだ」という独白は、ひねくれて見える主人公の切実な本音であり、非常に切なさを感じました。
けだもの
これもまたダークファンタジーな雰囲気の漂う1作。
ここまでの2作もそうですが、「人間の深い部分を掘り返すのが大好き!」といった雰囲気がびしびしと伝わってくる平山作品において、あえて人間と似て非なる存在が出てくるのは、あくまでも人間という存在を際立たせるためでしょう。
狼男である父親と、その血を引くテオこと昭雄。
しかしそれ以上に恐ろしかったのは結局、純粋な人間であるナカタでした。
父親の心臓を食べてまで、家族のために戦ったテオ。
人間らしいのは、どちらでしょうか。
枷
実に難しい「あなた」という2人称を主語とした作品。
内容も合わさって、本作品群の中でも印象に残る1作でした。
「顕現」を求めて殺人を繰り返す「あなた」。
シリアルキラーにも造詣が深い平山夢明らしい主人公ですが、そこに快楽はほとんど見出せません。
殺人自体が目的なのではなく、枷を作ってまでひたすら「顕現」を追い求める姿には、強迫的なニュアンスすら感じられます。
2人称の主語が、さらにその感を強めていました。
果たして、「あなた」と語りかけてきているのは誰なのか?
自分の意思ではなく、何かに操られているような感覚を抱かせます。
単に奇を衒って2人称の主語を使っているわけでなく、内容と2人称視点が合致しており、その必要性がしっかりとある見事な1作。
それでもおまえは俺のハニー
平山式・純愛ラブストーリー。
それ以上に語ることはもはやないでしょう。
非現実を強引に力業で現実に落とし込んだ世界観と展開。
「この狂った世界で耳の聞こえない彼女と一緒にいたいなら、自分も鼓膜を破ればいいじゃない」という斬新すぎる解決方法。
一気に老けようが、毎日愛する。
純愛だよ。
或る彼岸の接近
実話怪談もワイフワークとする著者の面目躍如なホラー作。
いわくつきの家に引っ越し、徐々におかしくなる妻。
追い詰められていく家族たち。
派手なグロさではなく、少しずつ崩れていく日常の恐怖。
この両極の怖さを描けるのが、平山夢明の強みの一つだろうと思います。
ミサイルマン
しかしまぁ、幅広い作品を得意とする平山夢明の中でも、これこれ、やっぱりこれ。
狂った比喩表現、ネジの外れた人間たちのユーモラスな会話。
ノワールなハードボイルド。
最後の最後に求めているメインディッシュをしっかりと出してくれました。
胃もたれする重量感でデザートいらず、それでいて不思議と後味はさっぱり。
やはりこの狂った人間たちが織りなし奏でる臓物まみれのシンフォニーが、最高に好きです。
全体的に『独白するユニバーサル横メルカトル』の方が好きでしたが、後味さっぱりな作品が多かったのが『ミサイルマン』の特徴だったように思います。
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