作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:スラッシャー 廃園の殺人
著者:三津田信三
出版社:講談社
発売日:2012年9月14日(ノベルス:2007年6月9日)
異形のホラー作家が巨額の費用をかけ、造りあげた廃墟庭園。
そこでは行方不明者が続出し、遺体で発見される者も出て、遂に作家自身まで姿を消す。
その場所、<魔庭(まてい)>を訪れた映画関係者たちに想像を絶する恐怖と怪異が襲いかかる。
殺戮を繰り返す黒怪人とは何者なのか──?
2024年3月22日に、KADOKAWAより角川ホラー文庫版が発売されました。
不気味な廃園で襲いかかってくる謎の殺人鬼。
もうそのシチュエーションだけでたまりません。
というかタイトルを見ただけで、ホラー映画好きとしては「読まなきゃいけない」という使命感すら感じました。
スラッシャー映画というのは明確な定義があるわけではありませんが、『13日の金曜日』や『ハロウィン』など、主に刃物などの凶器を用いた殺人鬼が襲いかかってきて、順番に殺されていく、というもの。
本作冒頭では「ダリオ・アルジェントに本書を捧ぐ──」と書かれていましたが、ダリオ・アルジェント監督作品などを表現するイタリアの「ジャッロ映画」が、スラッシャー映画に影響を与えたと言われています。
個人的な余談ですが、ダリオ・アルジェント監督作品はまだ『ダークグラス』しか観られていません。
『サスペリア』も観なきゃ観なきゃと思いながらまだ観ていないので、ホラー好きを名乗るには由々しき事態。
早めに観ましょう(自戒)。
ちなみに本作、「廃園」という文字を見たときに、なぜか勝手に廃遊園地をイメージしていました。
浮かんでいたのは、ゲーム『サイレントヒル3』のイメージ。
廃園は「手入れがされず荒れ果てた庭園」なので、どう考えても遊園地ではないのですが。
廃遊園地が舞台のスプラッタ作品も面白そう。
さて、本作の内容に移れば、スラッシャー映画好きにはたまらない作りとなっていました。
まず、惨劇の現場に向かう前にガソリンスタンドに寄り、そこで怪しい人物に出会うなど、小説の作品でどれだけあるでしょうか。
そのようなスラッシャー映画の定番を踏襲していたり、オマージュされている点が多々あるのが最高でした。
ダリオ・アルジェント作品を中心に有名なホラー映画も色々とオマージュされていそうなので、色々と観てからまた読み返してみたい1作。
角川ホラー文庫版には「好事家のためのノート」として、オマージュされた作品初回の特典がついているようです。
まだ完全ににわかファンですが、三津田信三作品というと、怪談系のホラーやミステリィ色が濃いイメージでした。
そこは本作も違わず、二重三重に大きなミステリィ要素が仕掛けられていたのも大きな特徴。
途中の「お金がないのでアダルト作品を作る」的なくだりから「スナッフフィルムを作るんだろうな」というのはすぐに想像がつきました。
これは別に「わかってましたよ」アピールではなく、けっこう定番の設定ではあるので、ホラー好きなら想像がつきやすかったのではないかと思います。
実はスナッフフィルムの撮影だったという設定は、とある有名な角川ホラー文庫小説も浮かびますが、ネタバレになるので触れないでおきましょう。
いずせにせよ、稀有な設定というほどではありませんし、そこも王道、まではいかなくともホラー映画路線と言えます。
洞末社長が犯人というのも、候補ではあったのでそこまで驚きはありませんでした。
ただ、作中の視点が実はカメラ視点だったというのは、小説ならではのトリックであったように感じます。
映画だと「カメラの視点」が必然的に意識されますが、小説だと「神の視点」があり得るので、逆に「カメラ視点」という固定された視点が盲点になっていました。
「見えない人」というミステリィ定番のトリックが、ごりごりスプラッタな作品に組み込まれているのも面白い。
タイトルからスプラッタ作品に見せかけて、思った以上にミステリィ要素が強めだったのが面白い作りでした。
極限状況を舞台に1人ずつ殺されていくというのは連続殺人ミステリィ感も強めだったので、相性は良さそうです。
ただ、トリックなどはちょっと強引さも感じてしまいました。
基本、洞末社長の持つハンディカメラ視点だったわけですが、東男英夫が殺されたシーンは「影」の姿が描写されていました。
このあたり、若干アンフェア感も感じなくはありませんが、「殺人シーンは固定カメラも使った」と言っていたので、そのカメラ視点だったということでしょうか。
他にも、籬帖之真と東男英夫が別行動したのを「彼らとは長い付き合いですから、それくらいの予測はできます」と述べていたりしたのも「それで済ませちゃうんだ」感は少々。
何より本作で一番気になったのはあまりにも不自然すぎる説明口調の独り言で、「三津田信三、こんなに表現下手なのか……?」と心配になってしまいましたが、ここはしっかり裏がありました。
失礼すぎてごめんなさい。
とはいえこれも「演技が下手だった」で片付けられてしまったのはやや消化不良でしたが、撮影していることの伏線にもなっていました。
洞末社長も丁寧すぎるほど丁寧に伏線を説明してくれましたが、これもメタ的な存在であるスナッフフィルムを見る人のための説明と考えればぎりぎり納得できなくはありません。
しかし、これだけ伏線をしっかりと説明してくれる作品も、そうそうないような気がします。
というわけで、ミステリィとしてはやや強引。
一方のスラッシャーものとして見ればどうかというと、これも正直、若干の中途半端感は否めません。
肝心の殺害シーンが、個人的には思ったよりあっさりしていました。
何より凶器がほとんどナイフだけなので、スプラッタ的なシーンで言えばむしろプロローグ的な位置付けの少年少女の振り子のギロチンがピークだったような。
このシーンは映画の『ソウ』シリーズっぽさもあり期待が非常に高まりましたが、その後はだいたい刃物で切り刻み。
拷問器具も、拷問器具図鑑ばりに並べられた割に、ほぼ実際に使われることがなかったのが残念です。
ただ、「異端者のフォーク」が登場したのは個人的には激アツでした(自分のハンドルネームにしているので)。
とはいえ、軽くレビューなど見ると「グロかった」という感想も少なくないので、個人的な基準や感覚がおかしいだけ、という指摘には返す言葉もありません。
自分の感覚がズレているのは自覚しており、スプラッタ系に慣れていなければ十分グロいでしょう。
結果としては作品の性質上仕方なかったわけですが、誰も死体を発見しなかったので、緊迫感に乏しくなってしまったのもスラッシャー作品としては惜しいポイント。
他で個人的に気になったのは、これは完全に相性ですが、どうにも文章がわかりづらく、文章から<魔庭>がイメージしきれませんでした。
そこは自分の想像力の問題もありますが、文章や会話部分の違和感が終始気になってしまいました。
会話のわざとらしさというか説明口調すぎるのは「演技していたから」というのもありますが、東男が1人になったときにもとてつもなく説明口調で独り言を言っていたり、向かってきた影に対して「一体全体、何をしてる?」という表現をしていたあたりが違和感マックスでした。
「一体全体」なんて、実際に言います?
しかしここはもちろん、批判ではないのでしつこく言いますが、完全に好みや相性の問題。
個人的に会話などの表現はリアルな方が好きなので、本作の表現が合わなかっただけで、批判や内容のマイナスポイントではありません。
三津田作品が合わないのかというとそうではなく、まだあまり多く読めてはいませんが、『小狐たちの災園』などは「文章や表現がとても巧いな、さすがだな、見事だな」と感じたので、作品による使い分けもあるのでしょう。
X(旧Twitter)では、『スラッシャー 廃園の殺人』の文庫化にあたり「昔の文章の下手さが嫌になる」と仰っていたので、単に古い作品だからなのかも。
総合的には、正直に言えば本作は期待を上回りはしませんでした。
上述した表現が終始気になってしまったのもありますが、スラッシャーとしては弱め、ミステリィとしてもやや強引だった印象。
スプラッタとミステリィの融合としては、同じくダリオ・アルジェント好きの綾辻行人による『殺人鬼』シリーズがあり、個人的に大好きな作品なので、それを基準にしてしまうとハードルが高すぎるのもあったかもしれません。
ただそれでも、こういったスラッシャー小説に飢えているので、生み出してくれただけで個人的にはとても嬉しい作品でもあります。
作中作的な、廻数回一藍が書いたと言われる「サ行シリーズ」(?)もぜひ読んでみたい。
そこでは「シ」は「シェルター」ではなく『ショッカー 恐怖の殺人』でした。
個人的には、『セラピー 箱庭の殺人』が非常に気になります。
最後に城納莓だけ残ったのは、スラッシャー映画定番のファイナル・ガールとも言えますが、戦って生き残ったわけでも犯人の正体を当てたわけでもないので、厳密にはファイナル・ガールらしさはあまりありません(粕谷恵利香も生きているかもしれませんし)。
莓の鬼ごっこゲームから始まる『スラッシャー2 狂園の逃走』も読みたい、というのはさすがに無理があるでしょうか。
ちなみに、作中に出てきた「火照陽之助」という廻数回一藍に金銭的援助をしたという作家は、三津田信三の『シェルター 終末の殺人』という作品に出てくるようです。
「連続殺人があった土地と家屋を買い取り、核シェルターと生垣迷路を造った変人」と説明されていましたが、そこが舞台となっているのが『シェルター 終末の殺人』のようでした。
こちらも読んでみたい。
講談社文庫化は『スラッシャー 廃園の殺人』→『シェルター 終末の殺人』の順番ですが、単行本では逆だったようです(『シェルター 終末の殺人』の単行本は東京創元社)。
この2作は、ご本人が「サ行」シリーズと明言していました。
「サ行」シリーズは、ぜひ読んでいきたい。
それこそ、今の筆力での新作も出してほしい。
ですが、「講談社文庫で重版が掛かっていないのは『シェルター 終末の殺人』と『スラッシャー 廃園の殺人』だけかもしれない」「需要がありません(笑」「僕が「次作を書く」なんて言い出すと、きっと講談社は嫌がるでしょう。(^_^)」とご本人がXで仰っていたので、今出ている2作以降の難しいのかな……いや、期待したいと思います!
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