作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:殺戮にいたる病
著者:我孫子武丸
出版社:講談社
発売日:2017年10月13日(文庫新装版)(単行本:1992年9月)
永遠の愛を求める男が、東京の繁華街で次々と猟奇的な殺人を重ねていく。
犯人、その家族、そして被害者の関係者の視点が入り乱れながら、真実が明らかになっていく──。
1992年に単行本で発売された作品。
その後、ノベルス(新書)、文庫で発売され、2017年には新装版が発売されています。
我孫子武丸というと、個人的にはゲーム『かまいたちの夜』のシナリオを担当していた印象が強いです(名作)。
筆者自身が新装版のあとがきで書いているように、時代背景は古さを感じさせますが、今でも楽しめるどころか衝撃を受ける名作。
叙述トリックは、ぎりぎりフェア、いや、ぎりぎりアンフェアでは?と思ってしまう部分もありますが、これだけの量を、視点や時間軸を入れ替えながら構成していくのは、並大抵の作業ではありません。
今でも評価され続けているのが、その完成度を物語っています。
作中、何度か「日本中を騒がせた幼女連続殺人」という記載が出てきますが、1988〜1989年に4人の幼女・女児を誘拐・殺害した宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を指していると思われます。
日本の犯罪史を語る上では必ず挙がる大きな事件のひとつであり、この事件によってホラービデオや、いわゆるロリコンやオタクへの偏見が強まりました。
1992年発表の『殺戮にいたる病』は、この事件の影響も受けていることは間違いありません。
ある意味では、この頃が日本のシリアルキラーにとっては、一番都合の良い時代だったかもしれません。
バブル期の終盤、浮かれた時代でもあり(リアルタイムの世代ではないので肌感覚はわかりませんが)、車や電車などによって行動範囲がどんどん広がり、夜遅くまで人が歩き回る一方で、防犯カメラや科学捜査は発展途上。
現代だったら、最初の事件の時点で、ラブホテルの防犯カメラから割り出されているでしょう。
櫛木理宇の小説『死刑にいたる病』でも少し触れましたが、日本ではアメリカほどセンセーショナルな連続殺人は多くありません。
衝撃的な連続殺人は、1997年の神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)で止まっていると言っても過言ではないでしょう。
それは、潜在的には、日本において連続殺人を続けることの難しさも影響しているはずです。
要因は多々考えられますが、たとえば、国としての土地が狭いことによる死角の少なさや、科学捜査のレベルの高さ。
つまり、本来は長期的な連続殺人になり得る可能性を秘めていた犯人も、単発、あるいはせいぜい2回目の事件あたりで検挙されているということです。
2000年代以降も、大きな事件はもちろん存在しますが、連続殺人ではなく、大量殺人が多く見られるようになります。
2017年の座間9人殺害事件などの連続殺人もありますが、期間は短いもので、長期にわたる連続殺人というのはほとんど見られません。
日本における殺人事件の検挙率は、世界でもトップレベルです。
叙述トリックが用いられる作品も、現代では減少傾向にあるように感じます。
本格ミステリィ以上にパターンが少なく、高度であり、新しく生み出すことが困難なのではないかな、と勝手に想像。
何より、うまくミスリードしつつ整合性をとるための労力が半端ないでしょうし、情報化社会の現代は、「この作品は叙述トリックだ」という情報が出回るだけで、多大なダメージとなってしまいます。
その意味では、『殺戮にいたる病』は、1990年代だからこそ生まれた傑作の一つであると言えるでしょう。
叙述トリック部分についての考察は、すでに様々なサイトで散見されます。
そのため、このブログにおける後半では、犯人・蒲生稔の心理について考察していきたいと思います。
考察:蒲生稔の心理:母性を求め、呑み込まれた子ども(ネタバレあり)
概要の整理
まず、簡単に『殺戮にいたる病』の真相を整理すると、犯人・蒲生稔は43歳の大学教授。
稔の妻・雅子は、息子である大学生・信一を連続殺人の犯人と疑いますが、実は信一は父である稔が連続殺人の犯人ではないかと疑い、調べていただけ。
最終的に、元刑事・樋口の相棒(?)であり最初の被害者の妹・島木かおるを殺害しようとした現場に信一が現れたため、蒲生稔は息子である信一を殺害。
蒲生稔は「自分が求めていた真実の愛の対象は、母・容子である」と自覚し、自宅に戻り容子を殺害・死姦していたところを逮捕されます。
稔=信一(稔と雅子の息子)のように描かれていたところが叙述トリックでした。
叙述トリックとしてどこがどのように表現されていたかの考察は、上述した通りここでは置いておくとして、犯人の蒲生稔は43歳の大学教授であり、母の容子、妻の雅子、息子の信一、娘の愛と同居していました。
以前はさら稔の父親も同居していましたが、5年前に亡くなったようです。
蒲生稔が求めていたもの
さて、蒲生稔はなぜこのような連続猟奇殺人に走ったのか。
それは、本作ではそこまで深掘りはされていません。
叙述トリックを用いていたために深掘りできなかったという都合もあるでしょう。
40代になってから快楽殺人を始めるというケースは少ないですが、これも叙述トリックを用いる都合と考えて、現実的な考察は置いておきます。
得られた情報からシンプルな図式として描かれるのは、幼少期に、母親である容子に性的関心を抱いたことが原因であるというものです。
おそらくきっかけは、当時、両親のセックスシーンを目撃したこと(「父が母をいじめているところを見た」)。
翌日、その興味関心から、寝ている容子のスカート内を覗き見ようとしたところを父親に見つかり、烈火の如く怒られました。
それ以降、長年抑圧され続けていた欲求が、最初の被害者である江藤佐智子の殺害によって目覚めた、と考えることができます。
母親のイメージが投影される女性に惹かれ、殺害と死姦を繰り返したのです。
しかし、なぜ死姦だったのか?
それは、単なる性的欲求によるものではありません。
結論から言えば、母性を求めてたのであり、母性に呑み込まれていたとも言えます。
寝ている母のスカート内を覗き見ようとした幼少期。
しかし、それを妨害し怒りを向けてきた父親に憎悪を抱き、「父さんなんか死んじゃえ!」と言い放った際には、母親から殴られました。
これは稔にとって予想外であり、それ以降、母親への性欲は感じなくなったようなことが述べられています。
エディプス・コンプレックス
母親への性的欲求、それを邪魔する父親への憎悪という図式は、精神分析を提唱したフロイトによる「エディプス・コンプレックス」という概念を彷彿とさせます。
エディプス・コンプレックスとは、ギリシャ神話のエディプス(オイディプス)王の悲劇から名づけられた概念で、「男児は母親に性的願望を抱き、父親を敵視するが、父親に去勢される不安を抱き、その願望は抑圧される。性的衝動が強くなる思春期に再現するが、それは異なる異性に向けられることで克服される」というもの。
こうやってまとめてみると、けっこうとんでもない感じですよね。
作中に登場する精神科医の竹田教授の話や、雅子が色々顔を出したらしいセミナーで学んだことのくだりからは、フロイト的な視点が作品に反映されているのは明らかです。
現代では、フロイト創始の精神分析は、視点に偏りがあったり科学的根拠には乏しいため、やや斜陽です(日本ではまだまだ流行っているので言いにくいですが)。
作中での竹田教授の「タナトス」を持ち出した分析などは、現代のテレビなどでコメンテーターが好き勝手述べる分析と大差ありません。
精神分析は、犯罪における犯人像の推定、いわゆるプロファイリングなどにおいては用いられていないものです。
ただ、人間や物語を分析する視点としては面白い視点を提供してくれるので、そのような視点からも本作を見ていきます。
母性について
少し話が逸れましたが、稔が求めていた母性とは何か。
それは、包み込むような、自分を無条件で受け入れてくれる愛情です。
母親である女性は、古来、命を生み出す神秘的な存在として、崇められてきました。
それは生命を生み出す大地のイメージと繋がります。
大地は、生命を生み育む一方では、死んだ生命が土に還ることから死の象徴でもある。
母性の「包含する」という機能が、正に向くと生み出し包み込む愛情に、負に向くと呑み込み死に至らしめる概念となります。
神話や伝説、昔話に多く見られるこの普遍的なイメージを、ユングは「グレートマザー」と名付けました。
グレートマザーまで説明し始めると長くなるのでここでは省きますが、母性には、このような光の面と影の面が存在します。
ちなみにここで言う母性とは、女性だけに備わっているものではありません。
過保護な親というのは、この呑み込む側面が強い母性です。
子どもの適切な自立を妨げる存在となります。
息子の部屋に立ち入って隈なくチェックし、マスターベーションの回数まで把握しようとする雅子の姿は、異常でしかありません。
邪魔されたからといって息子をあっさり殺すかな、という疑問はさておいて、稔と雅子の息子の信一は終盤で稔に殺害されてしまいましたが、生きていたとしても、相当拗れた成長を遂げてしまうのではないかと心配になります。
叙述トリックの都合であまり描かれていませんでしたが、稔の母親・容子もおそらくそのような存在だったのでしょう。
「稔さん」とさん付けで呼ばれていたり、殺人事件が容子にバレているのでは、という心配があったとはいえ、43歳にもなって部屋に鍵を閉めていたのが母親にバレただけで焦ったり。
雅子と同じように、容子も過保護だったと考えられます。
しかし一方で、稔が求める形での愛情は与えられていなかったと思われます。
それもそのはず、稔が求めていたのは、すべてを受け入れてくれる存在。
それは、幼少期の母親(容子)イメージです。
容子に対してその理想の母親イメージが崩れたのは、父親に暴言を吐いた際に、容子から殴られたことです。
そのとき、「殴られる以前の容子」が理想像(=何でも受け入れてくれる)として、「殴られた以降の容子」が現実像(=何でも受け入れてくれるわけではない)として、稔の中で分離し、理想像は心の奥深くに抑圧されました。
だから、現実の容子には性欲を感じなくなったのです。
しかし、それ以前の「理想の母親像」は、抑圧されただけで、消え去ったわけでありません。
だからこそ、稔は似たような女性である雅子を妻に選んだと考えられます。
過保護であることは、それはそれで母性が強いということでもあるのです。
殴られたことが母親像が分離する大きなきっかけとなりましたが、それ以前からすでに、現実では「何でも受け入れてくれる母親」ではなくなっていたはずです。
押し入れなど狭い空間も、それこそフロイト的には、子宮の象徴として捉えられます。
両親の寝室の押し入れに入り、母親の匂いのする毛布に包まれて寝ていた稔の描写がありましたが、6〜7歳で行うには幼い行動です。
母親に素直に甘えて抱き締めてもらう、ということは、その時点ですでにできなくなっていたと考えられます。
死姦の意味
死姦に関する一般的な心理は、明らかになっているわけではありませんが、諸説あるうちの一つは「すべてを受け入れてくれる究極の存在」として死体が機能しているというものです。
死体は一切抵抗しません。
為すがままです。
それは、「完全に支配できる」とも言えますし、「すべてを受け入れてくれる」とも言えます。
何をしようが、何も抵抗することなく、すべてを受け入れてくれるのです。
幼少期の稔が、エジプトのミイラのように手を組んで寝ていた容子を見て欲情したことから、ネクロフィリア的な嗜好が生まれたと考えることもできます。
しかし、43歳とは思えない稔の幼児性や犯行内容を考えると、すべてを受け入れてくれる母性を求めていた、と考える方がしっくりきます。
まさに母性の象徴である子宮を切り取って持ち帰ったことからも、そのように考えられます。
一方で、母性=子宮というのは、あまりにも具体的すぎて、安直です。
死体のレベルでないと「受け入れられている」と感じられないのも、あまりにも極端。
大学の先生は良くも悪くも子どもっぽい人が多いものですが、それにしても幼児的。
蒲生稔は、母性を求めていた幼少期から、ほとんど成長していなかった(できていなかった)のでしょう。
乳幼児は、基本的に泣けば母親が世話をしてくれます(虐待家庭などは別として)。
受け身で生きているだけで、すべてが満たされる。
そのような感覚を「幼児的万能感」と言います。
それは、成長し、現実を知るにつれ徐々に失われていくのですが、一方で、幼児的万能感から抜け出せない人もいます。
「本気出してないだけ」「周りのせい」といったような言い訳は、まさにそのような人たちに特徴的です。
「何でも思い通りになるわけではない」という現実を知り、受け入れ、折り合いをつけながら自己像を確立していくのが健全な成長です。
しかし、そこで現実を受け入れず、「思い通りにならないのは、周りの理解が足りないだけ、環境に恵まれていないだけ」といった形で、すべてを自分以外のせいにして、幼児的万能感から抜け出せない人がいます。
蒲生稔は、そのような人物の一人であったと考えられます。
いつまでも、すべてを受け入れてくれる理想像を心の中に抱き続けていました。
「すべてを受け入れてくれる存在」ではなくなったけれど、容子は過保護であったため、精神的な自立が妨げられ、適切に現実と折り合いをつけられないまま大人になってしまった。
抑圧していたのである程度現実には適応できていましたが、心の奥は幼児期のままだったのです。
だから、幼少期の母親のように、すべてを受け入れてくれる存在を求めていた。
だから、抵抗されると苛立って殺害した。
最後に容子を殺害し、死姦したのも、当然ながら今の容子に欲情したわけではありません。
かつて容子の中に存在していた「理想的な母性」を見ていたのです。
以上のように、蒲生稔は、幼少期に抑圧した段階から内面がほとんど成長しておらず、幼児的な感覚で母性を求め続けていたのだと考えられます。
また、作品の方向性自体は『殺戮にいたる病』とは大きく異なりますが、母性を大きくテーマとして扱ったミステリィとして、湊かなえの小説『母性』があります。
ど直球なタイトルですが、こちらもまた母性の負の側面がえぐいほど描かれているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
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