作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
タイトル:牛家
著者:岩城裕明
出版社:KADOKAWA
発売日:2014年11月22日
あるゴミ屋敷の清掃をすることになった特殊清掃員。
清掃期間は2日間。
清掃は順調に進んでいたが……いてはいけないもの、片付けられない部屋、様相を変え続ける内装……これは夢か現実か──。
第21回日本ホラー小説大賞で佳作を受賞した「牛家」に、書き下ろし作品「瓶人」を加え、文庫化された1冊。
何とも表現や感想が難しい、独特な空気感の作品でした。
こういったどこか狂ったようなおかしな世界観、とても好きです。
2作品とも、日常から何かがずれているという、恐怖の基本を押さえた紛れもないホラー作品。
時空が狂っているかのような家や、瓶人なるゾンビのような存在など、現実では到底あり得ない設定でありながら、あくまでも現実的な日常の中で描かれるので、ファンタジーほど異世界というわけでもありません。
おかしな世界に迷い込むという点においては恒川光太郎『夜市』が印象的ですが、『夜市』はホラーという以上にダークファンタジーな世界観が強めな一方、『牛家』2作はそういった感じではなく、「どこか歯車が狂っている日常」感が強め。
日常の延長が狂っているという意味では矢部嵩『紗央里ちゃんの家』が一番近いイメージですが、あそこまでぶっ飛んでいる感じではありません。
『紗央里ちゃんの家』は、家がおかしいというよりは、主人公を含めた登場人物ほぼ全員の頭のネジが外れてしまっていた点が特徴的(褒めてます)でしたが、『牛家』2作の主人公は比較的常識的でした。
適応力高すぎというか、何か感性の大事なところが麻痺してますよね感もひしひしと感じるのですが、淡々とした常識的な感性のツッコミは読者視点を代弁してくれており、この淡々とした主人公たちに馴染めるかが好き嫌いが分かれるポイントかもしれませんが、個人的にはとても好きなノリでした。
ブラックなジョークが好きなので、「牛家」の「まさか牛男を牛と男に分けてくるとは思わなかった」とか、「瓶人」の「ひざまずいて神に感謝しないようにがんばって堪えた」とかの表現がとても面白くて好きでした。
飄々としたテンポが特徴的なので、このあたりが面白いと思えるかもポイントでしょうか。
「受賞の言葉」も好きすぎるので、たぶん自分は相性が良いです。
それぞれの作品については後ほど触れますが、岩城裕明作品、個人的に好きそうなのですが数はそれほど多くはないようであるのが残念なところ。
『牛家』はおすすめしてもらったので先に読んだのですが、それ以前からずっと『事故物件7日間監視リポート』を読みたいなと思っていたので、こちらも近々読んでみたいと思います。
しかし、本作が佳作を受賞した第21回日本ホラー小説大賞は、〈大賞〉が雪富千晶紀『死呪の島』で、こちらの著者も現時点でそれほど著作は多くありません。
一方で〈読者賞〉は内藤了『ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』で、内藤了の多作度合いは尋常ではありません。
『牛家』の巻末に載っている過去の日本ホラー大賞受賞作品を見るだけでも、大賞の人が必ずしも第一線で執筆し続けているとは限らず、むしろ現在躍進している作家が当時は〈読者賞〉などでそこまで目立っていたわけではなかったりするのを見ると、面白い(もちろん〈読者賞〉などでもとんでもないレベルですが)。
当然ながら、作品が多ければ良いというわけではないですし、どれほど作家としてやっていきたいか等のスタンスも人それぞれであるというのは言うまでもありませんが、大賞を受賞しながらもその後埋もれていってしまった方もいるのでしょうし、やはりシビアな世界なんだな、というのを痛感します。
『牛家』から逸れたどころか壮大な話になってしまったところで、それぞれの感想を簡単に。
「牛家」
表題作かつ受賞作品だけあり、インパクトと勢いを感じました。
特殊清掃員という仕事でありながら、ゴム手袋をした程度でゴミ屋敷の中に突入していき、描かれている感じからは「え、マスクしたり防護服着たりしていないの?」と最初は思いました。
トイレ掃除をしたツネくんの両頬にヘドロがついているのとか、どう考えても衛生的に危険すぎます。
もちろん、フィクションなので現実に忠実な描写を求めてはいないのですが、それにしても無防備すぎだな、ちょっとさすがに非現実的すぎるな、適当すぎる気すらしてしまうな、と思ったものでしたが、
そういう問題の作品じゃなかった。
そんな現実的な心配をしていた当初の自分が可愛いです。
マクドナルドのポテトの機械の音を経て、ワニに噛まれたツネくんが這いずってきたあたりではもう確信しました。
現実的とか、そういう話をする作品ではないと。
「瓶人」のおじいちゃんのアドバイスが本作にも当てはまります。
考えるんじゃない、感じるんだと。
そこからはもう、怒涛の異常な出来事のラッシュ。
「奥さんの方がもっと怖いから」という理由になっていない理由で尋常ではない適応力を見せる主人公・コバの常識的な感覚で辛うじて地に足がついていましたが、そのバランス感覚が絶妙でした。
世にも奇妙な物語風でもあり、悪夢の中を彷徨っているようでもありました。
その「悪夢っぽい」というのが比較的的を射いていたな、というのがわかってくる後半。
ラストは一気に抽象化されて放り投げられた感じで終わるので、そのあたりも好みは分かれそうですが、登場人物3人、つまりコバ、ツネくん、ジンさんのトラウマや問題が具現化された家と化していたのは間違いないでしょう。
おそらく首を吊って自殺したジンさんの娘の部屋。
自分を捨てた母親に対するツネくんの恨みや怒り。
そして、流産して精神に異常を来して牛のように太ってしまった妻のマリと、ゴミ屋敷と化した自宅を擁するコバ。
入るたびに部屋が変わる家と、髪の毛の入ったご飯を食べさせてくる妻がいる自宅。
果たしてどちらが怖いでしょうか(マリはどう考えても精神科案件でしょうが)。
そこから感じられるのは、異常はやはり現実の延長線上に存在するということです。
というより、日常、常識、正常といったいわば「暗黙の基準」があるからこそ、異常という概念が存在するのでしょう。
それぞれが抱えた辛い過去、そしてそれらから目を背けていた現在。
その対象と向き合うことになったのがあの家でしたが、その理由やメカニズムはわかりません。
ただ、牛家がミノタウロスが住むような迷宮であり、ゴミ屋敷であったことは興味深いです。
辛い過去、目を背けたい現実を捨てる場所。
それによって混沌と化したのが、あの家だったのかもしれません。
異常現象による不安定さやゴミ屋敷の不潔感はもちろん、赤子のミイラ、髪の毛の入ったご飯など生理的な嫌悪感を喚起してくる点もいやらしい作品でした。
また、冒頭はまだ元気だったマリと歩くコバが牛家を目撃するシーンでしたが、あの時点で取り込まれることが確定してしまっていたのだとすると、怖いものもあります。
ちなみに、リアル寄りの特殊清掃員を取り扱った小説を読みたい場合は、中山七里『特殊清掃人』がミステリィ要素も織り込まれたお仕事小説としても楽しめる1作です。
「瓶人」
文庫化にあたり書き下ろされた1作。
ですが、当然ながらページ数を埋めるためのようなものではなく、こちらも負けず劣らず完成度の高い1作でした。
「日常から何か一つ大きなずれが生じている世界」という点は共通していながらもだいぶ空気感は違うので、どちらが好きかはけっこう割れるのではないかと思います。
こちらの作品は、大人っぽい小学5年生、テルこと黒川テルオを主人公とした物語。
『不思議の国のアリス』がごとく、突如おかしな世界へと放り込まれる「牛家」に対して、こちらは「瓶人」というおかしな存在がすでに(少なくともテルには)受け入れられている世界。
そのため、どちらかというとミステリィ要素が強く感じられた作品でした。
そこで描かれるのは、愛情を軸とした物語、と言えるでしょう。
我が子に連絡もしない母親と、以前とは別人でありながら優しく日々の世話をしてくれる瓶人の父親。
しかしその父親も、主人となる母親に尽くすための瓶人であり、母親の息子であるために自分に優しくしてくれているのであって、自分自身に愛情を注いでくれているわけではないのではないか、そもそも死んでるし、という疑念と葛藤。
ただ、母親はテルを軽視していたことを考えると、果たして父親がテルに優しく尽くしていたのは、本当に母親のためだけだったのでしょうか?
もちろん、あまり空気は読めないようですし、情報がアップデートされていないだけの可能性もありますが、本作における要所要所のエピソードは、そのような疑問を抱かせるに十分なものでした。
かといってテルへの愛情を保証するほどのものでもなく、何とも言えない曖昧さがもやもやとさせ、テルと読者の気持ちがシンクロします。
露木ユリも瓶人だったというのはミステリィ的な要素でしたが、黒川家の人物以外ではこの人物だけ妙に目立っていたのと、わざわざ「シャンプーの」とは表現しながらも甘い香りが漂っていたので、それほど意外性はなかった、というか早々に読めた方も多いのではないかと思います。
ただ、父親が瓶人化させたという設定は予想を上回るものであり、本作における重要なポイントだったでしょう。
考察というほどではなく、言語化してしまうと野暮ではありますが、父親はやはりテルを大切に想っていたのではないかと思います。
少なくとも、生きている母親よりはよほどテルに愛情を与えていたでしょう。
愛情というのは、そもそも与えてやろうと思って与えるものでもありません。
露木ユリを瓶人化したのは、やはりテルのためであったと考えられます。
おそらく殺した上で瓶人化させたのだと思いますが、瓶人の製造過程で口に入れる紙に書かれた名前の人物に忠実になるということは瓶人たち自身も知っていたようなので、テルが好意を抱いている(と思い込んでいた)露木ユリがテルの想いに応えてくれるように、「お父さんにも手伝えること」をしたのでしょう。
ただ、それが愛情によるものだったとしても、一方的な押しつけであり、テルの気持ちは無視したものであったとは言わざるを得ません。
授業参観なども同様です。
ただのお節介、小さな親切大きなお世話とも言え、瓶人だからこそのずれとも言えますが、いや、実際にこのような押しつけがましい人間関係は現実世界でも溢れ返っています。
瓶人として相手の気持ちを考慮できない機械的な行動を取る父親。
実子よりも新たなパートナーを優先する母親。
殺人も躊躇わずに自己中心的な搾取を行う尾藤。
こう考えると、瓶人か人間かというのが大きな問題ではないのでしょう。
異常と現実のどちらが怖いのか?という観点は、「牛家」と共通しています。
そしてそれは、主人公のテルも同じ。
彼は、露木ユリが自分の想いに応えなければ、自ら露木ユリを瓶人にするつもりでもいたようです。
それは尾藤寄りの考え方でもあり、怖いのは人間だ、と言うとチープになってしまいますが、人間とは?愛情とは?という普遍的な、ある意味ではよくあるテーマも含まれていた1作でした。
それでいて強いオリジナリティを感じられたのは、独特な設定の世界観によるものでしょう。
最後に少しだけ細かい点をフォローしておくと、父親が母親を布団に包んで燃える家から飛び降りたのは、主人である母親を助けるためだったでしょう。
とはいえすでに死んでいたわけなので、そのあたりの融通の利かなさは、瓶人というとオリジナルの設定ですが、ロボットやアンドロイドなどに置き換えるとわかりやすくなるような存在でした。
瓶人製造の際、主人の名前を書いた紙を口に入れるというのは、同姓同名はどうなるんだという『デスノート』問題が発生しそうです。
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