【小説】五十嵐律人『法廷遊戯』(ネタバレ感想・考察)

小説『法廷遊戯』の表紙
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作品の概要と感想とちょっと考察(ネタバレあり)

タイトル:法廷遊戯
著者:五十嵐律人
出版社:講談社
発売日:2023年4月14日(単行本:2020年7月15日)

法曹の道を目指してロースクールに通う、久我清義と織本美鈴。
2人の過去を告発する差出人不明の手紙をきっかけに不可解な事件が続く。
清義が相談を持ち掛けたのは、異端の天才ロースクール生・結城馨。
真相を追う3人だったが、それぞれの道は思わぬ方向に分岐して──?


第62回メフィスト賞受賞、2020年の作品です。
「森博嗣に憧れた天才司法修習生が描く、感動と衝撃の傑作ミステリー」という公式の謳い文句に、森博嗣ファンとしてほいほい釣られて読みました
そんな動機で手に取ったので、ほとんど何も情報はないまま読み始めたのですが、それが功を奏し、あまりの面白さに一気に読了。

法曹界に身を置く作者が書いただけあり、法律や裁判に関するリアリティは当然ながら完璧です。
それに加えて、デビュー作とは思えない圧倒的な表現力。
そして、いかにも法律家らしく緻密に練られたプロット。
満場一致でメフィスト賞を受賞したというのも納得の一作でした。

昔からありはしますが、近年では特に、各種業界の専門家(たとえば医師など)が、その専門性を絡めた小説を書くことも珍しくありません。
しかし、法廷をテーマにした作品が多い中で、現役の法曹関係者というのは意外と少なかったんですね。
要因を勝手に想像すると、裁判官や検察官は公務員なので制限があるだろうなというのと、弁護士はだいたい本当にとんでもなく尋常じゃなく忙しいからだと思います。

『法廷遊戯』執筆当時は司法修習生だった作者・五十嵐律人も、2022年現在では弁護士になられているようです。
「五十嵐律人」はペンネームのようですが、普通に経歴にも現在の所属事務所が書いてあったり、所属事務所のHPにも「五十嵐律人名義で作家業をしている」ことも書かれており、というより著者本人の Twitterにも所属事務所名が書いてあったりと、オープンな様子。

さて、『法廷遊戯』では、前半はロースクール時代の主人公たちの様子が、主に「無辜ゲーム」というオリジナルのゲームを通じて描かれており、後半では卒業後に繰り広げられる事件が描かれています。
すべてに意味があり、繋がっていく展開。
終盤、裁判でビデオカメラの映像が提出され、真実が明らかになっていくあたりは、静かながらとてつもない盛り上がりを感じました
何となく、リアル版ゲーム『逆転裁判』のような感覚。

一方で、その緻密さゆえ、あまり心理学的に考察する部分はありません。
全体的に、ストーリィやラストが決まっており、それに合わせて登場人物の性格や行動が規定されていったような印象を(勝手に)受けました。
ひとつずつピースを嵌めていって、パズルを組み立てた作品のような印象です

登場人物も決して合理的なだけではなく、それぞれの感情に従って行動しますが、それすらもまるでプログラミングされていたようなイメージを抱きました。
森博嗣ファンとしては、真賀田四季や犀川創平、西之園萌絵といったような、「このキャラたちのやり取りを見てるだけで幸せ」みたいな感覚には乏しいところが、唯一の弱点でしょうか(森博嗣を読んだことない方はなに言っているかわからないと思いますが、ご自身の好きなキャラクタに置き換えて考えてください)。
ただ、緻密な展開のために登場人物の個性がやや弱くなりがち(自由度が下がりがち)なその構造は、本格ミステリィが抱える弱点とも共通します。

その意味では、今後、「登場人物が自ら動く」ような生き生きとしたキャラクタが生み出されていくと、かなり好きな作家になりそうです。
あるいは、いかにも法曹関係者らしいこのロジカルな緻密さは、本格ミステリィに振り切った作品も読んでみたいと期待してしまいます

あえて『法廷遊戯』の難点をもうひとつ挙げるとすれば、それなりに留意されているとはいえ、法曹関係の知識がないと、けっこう難解だったりイメージが湧きづらいかもしれないという点です。
専門家にとっての当たり前と、一般的な知識のギャップを把握・意識するのは、難しいものです。
そもそも、裁判官と検察官、弁護士の違いがはっきり理解できてない人も多いのではないでしょうか。
かといって、あまり説明的になっても小説としてのエンタテインメイント性が低下したり「知識のひけらかし」と評されてしまうこともあり、難しいバランスなのだと思います。

逆に、リアルさはさすが過ぎるものがあり、個人的には職業柄、裁判など司法関連も多少関わりがあるのですが、少しでも知識があると本当にリアルに情景が浮かびます。
弁護士と検察官、そして裁判官のやり取りなんて、言葉の使い方も含めてまさにあんな淡々とした感じです。
全然イメージできなかった方は、機会があれば裁判の傍聴などしてみると、イメージしやすくなるはずです。

法律は、万能でも万全でもありません。
それを用いて判決を下す裁判官も、もちろん神ではありません。
白黒つけるイメージが強い「法律」や「裁判」ですが、判決で白黒はついてもその濃淡は事件によって異なり、その難しさや魅力を描いたのが『法廷遊戯』であるように感じました
過去まで遡れば、登場人物の誰にどれだけ何の責任があるのか、その判断はとても難しい。

特に冤罪は、本当に難しい問題だと感じます。
痴漢の冤罪、中でも『法廷遊戯』にも登場する「痴漢のでっち上げ」も話題にのぼるようにはなりましたが、まだまだ、実際に冤罪をでっち上げられた際の対応は難しいものがあります。
「冤罪なのに自分がやったと認めてしまう」ということも現実では多くあり、それはなぜか?と疑問を持たれる方も多いかと思いますが、比較的イメージされやすい「取り調べが厳しいからついつい認めてしまう」だけでもありません。
近年は、取り調べも録画され可視化されるようになってきているので、以前ほど威圧的だったりするような違法・不当な取り調べは減っているとされていますが、まだ浸透率や対象事件は多くありません。

そもそも、無実を証明するというのは、いわゆる「悪魔の証明」に近く、非常に困難を伴います
近年でこそ、微物鑑定(たとえば、手に被害者の衣服の繊維がついているかの検査)などで冤罪の判別も少しはできるようになってきましたが、「完全にやっていないという証明」はほぼ不可能。
なので、否認し続けている場合は、警察署の留置場で勾留(身柄が拘束)されて取り調べが続くことも多く、細かい点は省きますが、最長23日ほど勾留されてしまう可能性もあります。

一方で、たとえ冤罪でも、犯行を認めると身柄は釈放されることがあります。
20日間も勾留されれば、たとえば社会人なら職場に多大な影響が出ます。
たとえ冤罪だと主張しても、「警察に逮捕された」というだけで、どうしても心象は悪くなりがちです。
それならば、痴漢や盗撮の初犯であれば不起訴や略式裁判での罰金刑で終わることが多いので、たとえ冤罪でも認めてしまって早く釈放してもらい、やってないのにやったと言ってしまった方が、むしろ楽だし現実的な影響も少ない……といったことが、実際に起こり得るのです。

「容疑者」というのはマスコミ用語で、加害者と疑われ捜査や取り調べを受ける段階の者は正確には「被疑者」と呼ばれます。
『法廷遊戯』でも触れられている通り、被疑者の時点では、まだ本当に犯人であるかどうかは定かではありません(もちろん、現行犯逮捕など完全に明らかな場合もありますが)。
しかし、少なくとも現代の日本では、被疑者として検挙・逮捕された時点で、社会的にはほぼ黒なイメージがついてしまいます
もちろん、しっかりとした捜査や証拠に基づいて検挙することが多く、現場の誠実な努力によって実際に誤認逮捕などが少ないからではあるのですが、それが皮肉にも、冤罪や誤認逮捕の際の対応を難しくする要因にもなってしまっています。

ちなみに、ざっくり言えば、警察から一次的な捜査を引き継いで捜査し、起訴・不起訴を決めるのが検察官
法律の知識が乏しい一般人に代わってサポートするのが弁護士
起訴された事件について、判決を決めるのが裁判官です。
ロースクールを卒業して司法試験に受かると司法修習生となり(現在は結城馨のようにロースクールを卒業していなくても司法試験は受けられる)、その後、裁判官になるか検察官になるか弁護士になるかを選択することになります。

話が逸れたので戻ると、『法廷遊戯』の主人公、久我清義と織本美鈴は、冤罪をわざと生み出していたわけで、いかなる理由があったにしても、なかなか卑劣な犯行だったと言わざるを得ません
実際、結城馨の父親はそのせいで、命まで含めたすべてを失ったと言っても過言ではないでしょう。

その意味では、だからこそこの物語が成り立つのですが、なかなか感情移入はしづらい主人公たちかもしれません
しかし、たとえ許せないと思ったとしても、そんな彼らが法曹の道を目指すことはルール上、問題はありません(隠していた部分があったりするのは問題ですが)。

ルールと感情論は、時に相容れません
加害者が罰を受けても、被害者やその家族が失われたものを取り戻せるわけではありません。
それでも、個人的な感情に基づいて行動することが許容されれば、復讐の連鎖がどんどんエスカレートしていき、その辿り着く先は戦争のような誰も救われない世界です。
刑罰は、行為の責任を負わせると同時に、社会秩序を維持する目的も含まれています。
そのため、決して万能ではない法律について考え続けていく必要があるのは、法律の研究家や法曹関係者だけではなく、社会全体なのです

刑罰による社会秩序の維持というのは、罰があることによる抑止効果です。
つまり、「犯罪を犯したら罰を受ける」ということが、犯罪行為の抑止力になります。
しかし、犯罪心理学(だけに限りませんが)的な観点からは、「罰を恐れない人」が大きな課題です。
無差別大量殺人犯に見られがちですが、拡大自殺と呼ばれるような、「もうどうでもいいから、最後に社会(あるいは特定の対象)に復讐をして巻き込んでから、死刑になって死のう」と自暴自棄な捨て身になった者を抑止できる要因は、今のところありません

そういった社会的な問題をついつい考えてしまいますが、『法廷遊戯』はエンタテインメントとしても秀逸です
発端となる痴漢冤罪の事件で、ペン型カメラを階段から転げ落ちた佐久間悟(結城馨の父親)の胸ポケットに入れたというところや、久我清義の一人称視点でありながら佐久間の背中を押して階段から突き落とした事実が終盤まで明かされないなど、細かく拾っていけば若干引っかかりを感じる部分もありますが、全体の構成と勢いは、これがデビュー作と考えると恐ろしいです
お互いの影としてお互いを想いながら生きる清義と美鈴。ラストにおけるその悲しいすれ違いは、東野圭吾『白夜行』を思い出しました。

ちなみに、2022年5月時点で確認できる『法廷遊戯』の公式サイトでは、「往復書簡」として五十嵐律人と森博嗣のメール形式でのやり取りが見られます
作品のペースも緩やかになって、ホームページの近況報告の更新も止まり、森博嗣の言葉に飢えているファンには必見です。
この作品の締め方としてはどうかとも思いますが、森博嗣を神と崇めている自分なので、どうか温かい目でご容赦ください。

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