作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
タイトル:連続殺人鬼カエル男
著者:中山七里
出版社:宝島社
発売日:2011年2月4日
マンションの13階からフックでぶら下げられた女性の全裸死体。
傍らには子供が書いたような稚拙な犯行声明文。
これが近隣住民を恐怖と混乱の渦に陥れる殺人鬼「カエル男」による最初の凶行だった。
警察の捜査が進展しないなか、第二、第三と殺人事件が発生し、街中はパニックに──。
デビュー以降、怒涛の勢いで作品を生み出し続ける中山七里の「裏デビュー作」とも言われている1作。
『さよならドビュッシー』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞・大賞を受賞し2010年にデビューした著者ですが、この第8回『このミステリーがすごい!』大賞の最終選考に本作も残り、「初のダブルエントリー」されたという、何だかもう初っ端から只者ではない感が尋常ではありません。
そんな本作『連続殺人鬼カエル男』ですが、まず最初に言っておくと、残念ながら本作は自分には合いませんでした。
というのも、あまりに自分の専門に近すぎました。
展開云々よりも、あまりにもめちゃくちゃな細部や設定が終始気になってしまい、集中できず。
なので、医師が医療ドラマを観て文句を言っているようなもので、当然ながら作品が悪いのではなく、自分が読むべきではなかった、という個人的な問題です。
もちろん、小説に「リアルさ」ばかり求めてはいません。
特に本作なんか、精神科医の御前崎教授が黒幕でしたが、御前崎教授が有働さゆりを操っていた、という設定をリアルだと感じる方はあまりいないでしょう。
あくまでもフィクションとして割り切ってはいるつもりですが、心理学的な面においてもあまりにもあり得なさすぎる描写が連続してしまったので、どうにも没入できないまま終わってしまいました。
とはいえ、社会的な問題を絡めながら、予想外の展開を見せながら流れるように二転三転する物語はさすがとしか言えません。
専門的な設定はめちゃくちゃ、グロさは言われていたほど感じず物足りなかったのですが、一般的な評価は高いですしグロいグロい言われているので、明らかにただ自分にミスマッチしていただけです。
そもそも中山七里は、エッセイなども読んでいるのですが、「求められたものを書くエンタメ作家」という印象が強いです。
小説を読んだのは『護られなかった者たちへ』『特殊清掃人』に続いてたぶん3作目なのですが、この2作は普通に楽しめました。
とにかくその幅広さが魅力ですし、それは著者自身が意図している戦略でもありますし、その成功や人気っぷりは現状を見れば明らかでしょう。
中山七里は、求められている要素や問題提起を織り込みつつ、専門知識は一通り調べた上でガッと書き、細部のリアリティにこだわりすぎず楽しんでもらえる作品を書いている、という基本スタンスであると認識しています。
その意味では本作も、細かいリアリティに目を瞑ればエンタメとして勢いがありますし、猟奇性が高く先の読めないミステリィ作品であるのは間違いありません。
何より、読めてはいませんが『さよならドビュッシー』という爽やからしい青春音楽ミステリィと同時に書いているという時点でとにかく驚異的。
自分ももちろん、本作が全然楽しめなかったわけではありません。
五十音順に殺されるという設定はアガサ・クリスティの『ABC殺人事件』のオマージュと思われますが、全然気がつきませんでした。
中盤の警察署での暴動はエラリイ・クイーンの『災厄の町』のオマージュと言われているようです。
この暴動はさすがに突飛に感じてしまいましたが、飯能市全体が恐怖とパニックに陥る経緯は流れるように経過を追いながら書かれており、さすがの一言。
真相も途中で読めてはしまいましたが、もはや「どんでん返しの帝王」の異名が定着している中山七里だからこそでもありました。
刊行当時読んでいたら、そこまで読めていたかわかりません。
しかし、ミステリィ作家全員に当てはまるでしょうが、そもそもが意外性を求められますし、どんでん返しのイメージがこれだけ定着してしまうととにかく大変そうです。
古手川と渡瀬のコンビは、他作品でも登場するようですね。
色々と世界観にリンクがあるのが中山作品の魅力でもあるようです。
個人的に崇拝している森博嗣作品もシリーズ間でリンクする世界観なので、わかります、その嬉しさ。
しかし、想像力が乏しいなりに一応イメージしながら小説は読むのですが、自分の脳内では、もう終盤の古手川はボロ布かゾンビか、ぐらいボロボロになっていました。
人間としての原型を留めていないぐらい。
勝雄と戦ったあたりですでに「アドレナリンを枯れるまで出し尽くしてももう絶対動けなくない?」ぐらいのボロボロ具合だったので、さゆりと戦っているあたりでは「もしや人間じゃないのでは」ぐらいまで妄想が飛躍してしまったのですが、ただのタフすぎる超人でした。
それが本質ではなくとも、何かしら社会的なテーマが盛り込まれているのも中山作品に特徴的なイメージです。
『連続殺人鬼カエル男』ではそれが、刑法39条、すなわち責任能力に関する問題でした。
そして主にこの点が、個人的にあまりにも没入できなかった点でもあります。
責任能力に関する問題は、もっと議論されて良いと考えています。
法律に正解はないので、常に感情を排した冷静な議論があるべきです(当事者は感情を排するなんて到底無理でしょうが)。
本作を読んで少し詳しく知ったという方もいらっしゃるでしょうし、渡瀬刑事と御前崎教授の議論は問題の本質を突いている部分がありますし、それだけでもとても意味があると思っています。
ただ、あまりにも現実離れしているのと、本作ではどちらかというとネガティブなイメージで書かれている点は危惧されるので、念のため少しだけ触れておきたいと思います。
精神医学や心理学、法律に関する定義などは10年以上前の作品であり、現在に当てはまらない部分があるのは当然なので、細かくは触れません。
それでも一応、失礼を承知で言えば、精神医学・心理学面や司法に関する部分は、正直指摘し始めたらキリがないぐらい、だいぶめちゃくちゃであると思っておいてください。
当然ながら、御前崎がさゆりを操るのも現実的には荒唐無稽ですし、さゆりの病態もあり得ません。
それらは置いておいてもとにかく触れておきたいポイントとしては、当真勝雄についてです。
14歳頃に幼女を監禁し、暴行を加えた上で絞殺。
カナー症候群と診断されたらしい彼は、不起訴→措置入院→保護観察となった(この流れも現実的にはめちゃくちゃ)、とのことでした。
作中に登場したナツオは、当真勝雄と見せかけて有働さゆりでした。
勝雄もさゆりも少女を殺害していたわけですが、その偶然は置いておいて、さゆりの経緯はナツオとしての過去、つまり虐待されていた環境から生じたものとして描かれていました。
その妥当性はさておいて、ナツオがさゆりの過去であった以上、勝雄の過去や犯行に至る経緯については一切描かれていないことになります。
これだと、カナー症候群だから犯行に及んだ、そしてカナー症候群だから不起訴になった、と捉えかねられません。
カナー症候群は、IQ70以下の自閉症という概念です。
そもそもが正式な診断名ではありませんが、今はカナー症候群も、高機能自閉症もアスペルガー症候群も、すべて「自閉症スペクトラム症」という診断名で統一されています。
様々な症状は発達の偏りであり、それは正常と異常の境界線があるわけではなく、グラデーションになっているのです。
勝雄は刑法39条が適用されたわけではありませんが、発達障害で心神喪失になることはほぼあり得ません。
また、御前崎教授の娘を殺害した男は統合失調症の診断で心神喪失のため無罪になったとのことでした。
統合失調症は心神喪失の判断となり得る精神疾患の筆頭ではありますが、「統合失調症の診断=心神喪失」ではありません。
責任能力の有無については、最終的に判断を下すのは裁判官や裁判員であり、鑑定をした医師ではありません。
医師なりの見解を述べることもありますが、それがそのまま反映されるとは限りません。
また、鑑定人である医師が精神障害と事件の関連性について言及する際には、「7つの着眼点」と言われるものが利用されることがあります。
それは調べれば出てくると思うので省きますが、精神障害があったとして、それが事件にどう影響していたかを検討するのです。
つまり、当たり前と言えば当たり前ですが、精神障害があったとしても、それが事件にどの程度、どのように影響していたかによって、責任能力の判断は変わってくるのです。
完全に統合失調症の妄想に支配されて殺人を犯したとすれば、心神喪失の判断になることはあり得ます。
しかし、統合失調症の診断がついたとしても、事件当時にその症状が強く出ていなかったとすれば、責任能力があった(心神喪失ではない)とみなされることもあり得るのです。
ついでに触れておくと、勝雄が診断されていたカナー症候群、すなわち知的障害と自閉症の症状が合併しているというのは現実はかなり大変で、社会的に自立するだけでも困難が多く、家族や福祉的な援助を受けながら生活することがほとんどです。
もちろん個人差はあるとはいえ、少なくとも勝雄のように思い通りにはコントロールはできないでしょうし、突発的な状況に対応して戦略的に格闘するのも独白パートも現実的にはだいぶ無理がありました。
また、勝雄は記憶力が優れていた、映像的に完全に記憶しているという描写がありましたが、それはいわゆる以前のアスペルガー症候群に見られるものです。
カナー症候群、つまり知的障害を伴う自閉症においてそのような突き抜けた能力を持つことはまずなく、その点からも現実的な観点を持ち込むと本作は根底から揺らいでしまいます(カルテの情報を丸暗記する、というのが無理だと犯行もラストの衝撃の1文も成り立たなくなってしまうので)。
揺らぐついでに言えば、御前崎教授の娘の事件は1999年の光市母子殺害事件がモデルになっていると思われますが、かなり重大な少年事件なので、一審であっさり終わることはまずないでしょう。
『連続殺人鬼カエル男』で個人的に一番危惧されたのは、細かい点とも言えるのですが、上述した通り「カナー症候群だから犯罪を犯したし不起訴になった」と見えてしまう点です。
人気の本作に水を差すのも若干迷ったのですが、それは非常に短絡的ですし間違っており、偏見を助長しかねないものとして書き残しておきました。
こういった猟奇的な連続殺人ミステリィは好きですし、本作も魅力的な点がたくさんあったので、無理に精神疾患や責任能力を絡める形になってしまっているのが個人的には少々残念な点でした。
なので続編の『連続殺人鬼カエル男ふたたび』も、読みたい気持ちと自分にはミスマッチかもしれないのでどうしようかなぁという気持ちとで、迷ってしまっているのでした。
コメント