
作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
タイトル:奇妙な家についての注意喚起
著者:夢見里龍
出版社:KADOKAWA
発売日:2025年7月2日
この本は、作家である私、夢見里龍が収集した「奇妙な構造をした家の体験談」を小説の形に書きおこしたものです。
発端は小説投稿サイト上のエッセイでした。「生活をするのに不便はない。欠陥住宅というわけでもない。でも、明らかに奇妙な家なんです」それは〈排水口がすべての部屋にある家〉に住む主婦の投稿でした。
以来、私はネットで見つけた奇妙な家群を「ひらく家」と名づけ、親交の深かった読者のヤモリさんと考察を語らうようになりました。
ネット上の記述なので、全てはフィクション。そう考えていたんです。
でも、ある体験をして気づきました。これらの家は本当に存在すると。
私は本書を通じてみなさんに警戒を促します。
あなたは今、「ひらく家」に住んでいませんか?
流行りのモキュメンタリー形式の家ホラー。
初めて読む作家さんで、著者名は「ゆめみし りゅう」と読むそうです。
「夢見里」で「ゆめみし」と読むというのは、初見では絶対無理ですね。
著者にとって本作が初めての?本格的なホラーだと思いますが、2021年頃から作家として活動されているようでした。
『奇妙な家についての注意喚起』における「私」の経歴がほぼ実際の経歴なのだと思いますが、作中でも書かれていた通り、小説投稿サイトでの活動もされています。
書籍はメディアワークス文庫やTO文庫を中心に出版されており、ファンタジーやラノベをメインとして執筆されてきたようです。
ただ、デビュー作は『死者殺しのメメント・モリア』というタイトルで、死なども大きなテーマとして扱っているようなので、もともとホラーもお好きで親和性は高いのかな、と思います。
本作中でもネット怪談ネタも多く登場し、造詣の深さも窺えました。
名前が出てきていないものでは、序章で書かれていた「鏡の前でお辞儀をして横を見る」というのは、いわゆる洒落怖で有名な「リアル」でしょう(初出はホラーテラーという投稿サイト)。
そんな経歴もあってか、近年溢れているモキュメンタリーホラー小説の中でも完成度が高い1作でした。
正直に言って当たり外れも激しい昨今のブームで生まれたモキュメンタリーホラー小説群ですが、その中でもかなり完成度の高い1作でしょう。
毎度毎度の注意喚起は少しわざとらしく感じてしまいましたが、これはもちろん個人的な感覚。
飛び抜けた要素があるわけではありませんが、モキュメンタリーホラー小説として総じて器用にまとまっている1作でした。
個人的にモキュメンタリー作品は細部までリアルであることを重視しているのですが、本作は安定した筆力で、違和感を抱く表現はほとんどありませんでした。
さらには「実際の体験を小説の形に書き起こした」という設定が非常に巧妙で、ホラー小説としても高い完成度を誇っていました。
流行に乗ったモキュメンタリーホラーは、新聞などの記事、ネット上の文章、インタビュー音声といった情報をそのまま提示することが多く、それがゆえに「実際にありそうな記事」「実際に話していそうな話し方」等へのリアルさが求められますが、「小説の形に書き起こす」ことによって、細部のリアルさにこだわる必要がなくなり、内容に没頭できます。
これらの点は藍上央理『完璧な家族の作り方』にも似ていました。
小説の形に書き起こしているとはいえ、元の投稿や文章も部分的に出てくる点がリアリティを高めていました。
もちろん、それらの細部の完成度もしっかりと高い。
さらには、カクヨムで見つけた投稿、ブログの記事、編集部への手紙、匿名掲示板への投稿と、様々な形態で表現しており、異なる媒体の内容を取り上げるのは最近のモキュメンタリーホラーの定番でもありますが、飽きない作りも巧みでした。
何より大切なのは、そういった形式抜きにして、単純にそれぞれのエピソードの内容が怖く面白かったという点です。
些細な家の違和感が、大きな恐怖に繋がっていく。
そして「同じ人が建てた奇妙な家」という共通点でのまとめ上げ方も見事。
ミステリィ界隈で言うところの、中村青司の館でした(綾辻行人の「館」シリーズ参照)。
オカルトとヒトコワのバランスも絶妙。
すべては推察の域を出ませんが、下手をすれば40年ほど前には亡くなった夫を「産み直す」ために人生を捧げるヤモリさんこと矢森純香。
他者の犠牲を厭わない一途な想いは、愛情と狂気が紙一重であることを痛感させます。
「ヤモリ」と「棲家」がかかったような名前は運命的ですらあります(本名なのかはわかりませんが)。
ヤモリさんが奇妙な家を建てた目的はしっかりと明かされつつ、なぜそのような現象が起こるのかはわからないままというオカルトとしての謎の残し方も、不満が残る投げっ放しではなく絶妙。
作中で言及されていた通り、実際におかしな現象が起こっているんだから、受け入れるしかないのです。
いくら呪いなどないと否定しても、実際に起きている事実は否定できません。
また、家を箱として「ひらく」条件の一つが「共同体(主に家族)の破綻」であることからも必然ですが、それぞれのエピソードで描かれる家族が崩壊していく過程も、恐ろしいものでした。
ただ、それぞれの家族が、そもそも何かしらの歪みや時限爆弾を抱えていました。
第1の家では、虐待家庭で育った水希の「理想の家族」への強い執着。
娘かと思われた碧依は息子だったわけですが、おそらく、家庭内で暴力を振るっていた父親が原因で、男性に対する嫌悪感があったのでしょう。
終わり方は悲惨ですが、インパクトがあり好き。
第2の家では、ブログの書き手である男性の価値観が、明らかにやばい。
澤村伊智『ぼぎわんが、来る』を思い出すほどのモラハラ男でしたが、その極端な価値観や味の好みが、途中で書き手の男性自身が裏返っていることのヒントになっていました。
書き手の男性が失職し無職となり、妻が漫画のヒットにより打ち合わせで外に出ていこうとする構図は、「男性は働いて外で稼ぎ、女性は専業主婦として家で支えるもの」という男性の価値観に基づいた夫婦関係をひっくり返すものとなっていたりと、様々なレベルでの「裏返し」演出が巧妙。
第3の家では、ほとんど偽装結婚と言えるような夫婦関係。
娘である花清への愛情が皆無と思われた母親ですが、実際は愛情を抱くようになっていたところまで母親の手記を読まずすれ違い、花清は家を「ひらいて」しまいました。
この話では、必要な対話を回避することからすれ違いや歪みが生じ、その歪みによって悲惨な結末に繋がることや、話の噛み合わなさから生じる強烈な違和感が印象的でした。
第4の家では、ヤングケアラーとして家族の暗部をすべて押しつけられた少年、直幸。
全員ずるずるさんに乗っ取られた方がもはや幸せなようにすら思えてしまいますが、やはり自分が自分でなくなるのはもちろん、家族が別の存在になってしまうことには恐ろしさしかありません。
そんな怖さが描かれていますが、そもそも認知症が「別人になってしまう恐怖」を喚起するものでもある点が、パラドクスを生じさせています。
ヤモリさんが仕掛け人である点や、夫が実は死んでいて「産み直したい」といった目的は、わかりやすくヒントが散りばめられていたので意外性はありませんでした。
多くの人に読ませて拡散させるために出版した、という出版の動機もド定番。
それがゆえに「優等生」という評価ですが、ラストは中途半端に散逸しがちなモキュメンタリー作品が多い中で「箱(ハコ)」を軸としたまとめ上げ方は非常に綺麗で、モキュメンタリーホラー好きにも初めてモキュメンタリーホラーを読む人にも、広く勧められる完成度の高い作品でした。

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