【小説】澤村伊智『ぼぎわんが、来る』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『ぼぎわんが、来る』の表紙
(C)KADOKAWA CORPORATION.
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:ぼぎわんが、来る
著者:澤村伊智
出版社:KADOKAWA
発売日:2018年2月24日(単行本:2015年10月30日)

幸せな新婚生活を営んでいた田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。
取り次いだ後輩の伝言に戦慄する。
それは生誕を目前にした娘・知紗の名前であった。
原因不明の怪我を負った後輩は、入院先で憔悴してゆく。
その後も秀樹の周囲に不審な電話やメールが届く。
一連の怪異は、今は亡き祖父が恐れていた“ぼぎわん”という化け物の仕業なのか?
愛する家族を守るため秀樹は伝手をたどり、比嘉真琴という女性霊媒師に出会う。
真琴は田原家に通いはじめるが、迫り来る存在が極めて凶暴なものだと知る。
はたして“ぼぎわん”の魔の手から、逃れることはできるのか──。

第22回日本ホラー小説大賞〈大賞〉受賞作。
同賞史上初めて審査員全員の最高評価によって予備選考を通過し、綾辻行人、貴志祐介、宮部みゆきによる最終選考でも全会一致で受賞したという本作。
今でもすごいですが、後世にはもはや伝説として語り継がれていそう。
個人的に大好きすぎるこの3名による全会一致で受賞したら、自分だったら昇天します。

さて、本記事を書いている時点でデビューしてから8年ながら、もはや近年のホラー小説を語る上では外すことのできない存在となり、日本のホラー小説界を牽引していると言っても異論ではないであろう澤村伊智。
ホラー好きの風上にも置けませんが、ようやく初めて読みました(朝宮運河(編)『再生 角川ホラー文庫セレクション』に収録されていた短編を読んでいたのは除き)。

いや、もちろん、ずっと読みたかったんです。
でも期待が大きいほどもったいぶって後回しにしてしまうタイプなのです。

などという誰に向けているのかわからない言い訳を経て、感想としてはとにかく面白くて読みやすくて圧巻の一言でした
デビュー作とは思えない圧倒的な完成度。
小杉哲舟の「紀伊雑用」なる文献含め、設定がほぼオリジナルなところも良いです。

映画『来る』の方を先に観ていたので、後半の展開がまったく違うことに驚きました。
確かに原作のままだと終盤のバトルは映像的にはやや地味かもしれませんし、映画の終盤における怒涛の勢いは文章での表現は難しいかもしれません。
映画も映画で大好きなのですが、中島哲也監督のあれだけ思い切った方向転換は、勇気であり英断ですね。
一応映画版のネタバレは避けておきますが、逢坂勢津子の扱いの違いなども意外でした。

しかし、映画から入った身としては、やはり一番意外性を感じたのはぼぎわんの正体です。
映画版では一切姿を見せなかったぼぎわんが、原作では第一章のラストからいきなり出てきて驚きました。

ホラーとしては土着的な怪異モノで、徐々に怪異の正体が明らかになっていく展開は非常にオーソドックスと言えますが、その見せ方があまりにも巧妙でした
ぼぎわん一つ取っても、少しずつ少しずつ正体を見せていく加減が絶妙。
怪異やモンスター的なホラーは、対象が明確になるほど恐怖が薄れバトル要素が強まっていってしまうものですが、そこに持っていくまでの変遷が見事でした。
というか、ここまでのバトル展開になるというのがそもそも意外でもありました。
比嘉琴子姉さん、まさかぼぎわんを素手で掴んじゃうとは。


ついに手を伸ばしてしまったので、今後はガンガンとシリーズやシリーズ外の作品も追っていきたいと思いますが、インタビューなど軽く見ている限り、「恐怖」の本質についてかなり突き詰めて考えられているのが伝ってくるので、とても楽しみ
インタビューでは「由来でも実害でもなく、名前とそれが怖いものだという認識こそが怖い」と述べられていましたが、ぼぎわんもまさにそのような存在。
ホラー度合いで言えば、前半の方が圧倒的です。

イクメン(笑)田原秀樹を中心とした家族模様の描写はメインではなかったようですが、このあたりの日常のリアリティが、怪異という非日常的な存在の説得力も高めていたように感じます
映画を先に観てしまっていたので、田原秀樹の本性は最初から妻夫木聡のあまりにも上手すぎる演技のイメージで再生されてしまっていましたが、原作から入っていればそのあたりのミステリィ要素もさらに堪能できたのに、とやや悔やまれます。

リアリティについて言えば、個人的には、小説のリアリティは会話が大事だと思っています。
会話や言葉遣いがわざとらしかったりあまりにも説明的であったりするだけで、没入感が薄まってしまうタイプです。
その点は本作でも秀逸で、全員がちゃんと個性を持っており、人間観察が素晴らしいんだろうなと感じました。

たとえばで言えば、秀樹の幼少期の場面における祖母・志津の「ひで──ちゃう、秀樹とちゃうわ、澄江、あんたや、あかんなあ、最近よう名前前違えてもうて。あんたが小さいときの話や」という台詞。
ここで秀樹と澄江の名前を間違えるのは展開上まったく必要なく、ただストーリーだけ書こうとすると「澄江、あんたが小さいとき……」みたいに素直に書きがちなのではないかと思いますが、こういう自然な「あるある」「いるいる」と思わされる台詞が、個人的には大好きです。

リアリティを保ちながら、比嘉琴子というチートキャラの存在などで作品の個性やエンタメ感も抜群
今後のシリーズの展開も楽しみです。

ちなみに本作、応募&受賞時点では『ぼぎわん』というタイトルだったようです。
出版にあたり『ぼぎわんが、来る』と改題され、映画では『来る』だけになったの、何だか面白い。
ただ、映画版はポスターも含めて『来る』がスタイリッシュかつ「何が来るんだろう」と吸引力もあって合っていたと思いますし、逆に小説が『ぼぎわん』『来る』だけだと吸引力に乏しくなってしまっていたように思います。
「名前」の重要性を説く著者の作品におけるこのような変遷も、何やら運命的なものを感じるのでした。

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考察:ラストシーンの解釈の解釈(ネタバレあり)

“ぼぎわん”の由来については作中でなされていた通り、三重県に古来伝わっていた妖怪が、室町時代に宣教師によって伝わった「ブギーマン」とくっついたもの、という解釈で問題ないでしょう。

ここで重要なのは、この妖怪は“ぼぎわん”と名づけられる以前から存在していたことです
名前を呼び、子どもや老人を連れ去るという妖怪。
野崎や琴子の調査および推測によれば、「こだから山」の由来となった存在であり、口減らしのために子どもや老人を捧げていた、とのこと。

しかしこれは結局「解釈」に過ぎず、ぼぎわんの真相は定かではありません
そもそも、そのような存在は本当にもともと存在したのでしょうか。
実際に(作中では)姿を現しているので存在していたのは事実ですが、口減らしのための人間の罪悪感や押し殺したネガティブな感情が、そのような存在を生み出したのだと思えてなりません。
集団による幻想だったり、人間の妄想が実態を持ったとまでは言いませんが、人間が生み出したのではないか、という感覚がどうしても残ります。

個人的には、霊的な存在や妖怪を信じていません。
しかし、信じている人の心の中の現実、心理学的に言えば「心的現実」においては存在しているのもまた事実。
現実には存在しないけれど、もし全員の心的現実に存在するのだとすれば、それは現実には存在しないと言えるのでしょうか?
人は理由を求める、解釈を求めて勝手な設定を作り上げていく、そしてそれが伝承となるというのも本作で描かれていたことであり、ぼぎわんの正体が結局には明らかにならないあたりも絶妙です。


話が逸れ始めているので本作に話を戻し、上述した点も踏まえて、ラストシーンを考えてみましょう。

ラストシーンでは、助かった知紗、そして野崎や真琴、香奈の平和的なシーンが描かれます。
しかし、遊び疲れて眠りに落ちた知紗の口から漏れ出た「……さお……い、さ、むあ……んん……ち、が……り」という言葉。
この不穏さを残す終わり方もホラーの定番中の定番なわけで、あえてベタを踏襲してくるところがさすがだなぁと感じますが、これはどう理解するべきなのでしょう。

この言葉は、秀樹が殺されるときにぼぎわんが発していた「ちがつり……ちがつり……さおい……さむあん……」と同じでしょう。
秀樹の死後、同じく知紗が寝言で発していたのもほぼ同じ。
「ちがつり」は幼少期の秀樹の前に現れた(ドア越しですが)ぼぎわんも発していました。

つまりぼぎわんの存在を示唆する言葉であり、ラストシーンで知紗がこの寝言を発していた点について考えられる解釈は2通りで、

①まだぼぎわんが消滅していないことを示す
②ぼぎわんに連れ去れられたときの記憶が残っているだけ

のいずれかでしょう。


また、軽く調べたところ「さおい」「さむあん」「ちがつり」についてはすでに読者の間で考察が進んでいました。

「さおい」「さむあん」については、「ハロウィンの元となった北ヨーロッパのケルト族の「サムハイン祭り」からきている」といった考察がなされていました。
サムハイン祭りは「サウィン(Samhain)」と書く。
これが「ブギーマン→ぼぎわん」と同じく日本の訛りで転じて「さおい」「さむあん」。

また、「ちがつり」については「トリック・オア・トリート」であろうとのこと。
さすがにちょっと強引なようにも感じましたが、「Trick or Treat!」をネイティブな発音でイメージすると、確かに近くなります。
「トリック・オア・トリート」は悪霊が家に来て言う台詞なので、本作との繋がりも深いです。

なるほど。
こういうの探り当てる人、本当にすごいなと尊敬します。

しかし。
しかしですよ。

この先人の知恵を踏み台にして偉そうに持論を述べると、「だから何?」となります(いえ、ごめんなさい、全然批判的なわけでも喧嘩腰でもありません)。


なるほど、「さおい、さむあん、ちがつり」は「サウィン、サムハイン、トリック・オア・トリート」というのは非常に納得がいきます。
勝手な想像ですが、おそらく本当にそれらに由来して設定された台詞でしょう。

しかし、妙に納得がいきすぎるのも事実
冷静に考えれば、ぼぎわん、あるいはぼぎわんに取り込まれた子どもが「サウィン、サムハイン、トリック・オア・トリート」と言うのは、まったく意味がわかりません
家を訪れたときの「トリック・オア・トリート」は百歩譲ってわかるとしても、サウィンやサムハインに関しては「ハロウィン……お盆……」みたいに呟いているのと同じわけで、あまりにも謎すぎます。

ここで重要なのが、上述した“ぼぎわん”と名前がつく以前からこの怪異が存在していたであろう点です。
単純に、得体の知れない恐ろしい存在に対して、ちょうど伝来した「ブギーマン」の名を拝借して名づけただけで、本来はブギーマンとは何の関係もない存在であったはずです。
日本に存在する怪異がハロウィン関係の言葉を呟くというのも訳がわかりません。

これらを考慮するとどうなるか。
個人的な解釈としては、「そのような考察も含めて著者の手のひらで転がされているだけ」です。


人間は、曖昧な状態、未知の存在に対して不安や恐怖を感じます。
そのような状態を解消するには、対象を明確にして理解なり対処なりするのが一番でしょう。
しかし、対象の存在を明らかにできない場合、曖昧や未知のままにしておくのは落ち着かないので、何かしらの理由をつけたがります。
嘘でもいいから、納得したい生き物なのです

それがまさに本作で述べられていた「解釈」であり、野崎と琴子が陥った罠でした。
未知の怪異に“ぼぎわん”と名づけた人たちもまた、「ブギーマンという存在なのだ」という答えを求めたのです。
名前をつけるというのは、対象を定義することに繋がります

ラストシーンの「……さお……い、さ、むあ……んん……ち、が……り」という知紗の言葉は、ぼぎわんと関係のある言葉であるということもあって、不穏さを感じさせるものでした。
いったいどういうことなのでしょう?
事件は解決したのか、していないのか?
ぼぎわんは、消えたのか消えていないのか?
と、気になって落ち着かなくなります。

ネット社会の現代においては、気になって落ち着かないことがあればまず検索するでしょう
サウィン。サムハイン。トリック・オア・トリート。
なるほど!
その正体がわかり、何となくすっきりした気持ちになります。

しかし本来、事態は何も解決していません
その解釈が合っていたのだとしても、知紗が寝言でこの言葉を発した意味はわからないままです。
でも、何となくわかったつもりになって、上述したような「まだぼぎわんが消滅していないのか、ぼぎわんに連れ去れられたときの記憶が残っているだけなのか、まぁどちらかなのだろうな」あるいは「ホラー作品らしく、不穏さを残すための演出だろうな」あたりの理由で自分を納得させて本を閉じた方も少なくないのではないでしょうか。


それらも踏まえると、本来はもっとまったく意味不明の言葉でいいはずなのに、あえていつかは読者がハロウィンネタに行き着くところまで想定した上で「さおい、さむあん、ちがつり」という表現にしたように思えてなりません
純粋に日本の怪異として意味のある言葉で考えれば、「寒い」や「血祭り」などの方が浮かびやすいはず。
それが、上述したような考察によってまったく違う方向に走り始め、新たな「解釈」として広がり始めているように感じてしまいます。

そもそも、ブギーマンは映画『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズの異名で有名なのもあってかハロウィンイメージが強いですが、もともとは単純に子どもを怯えさせるための架空の怪物であり、ハロウィンとは関係がありません。
しかし、ホラー小説好きにはホラー映画好きも多いでしょう。
ブギーマンからハロウィンを連想し、サムハイン祭りまで辿り着く人がきっといるだろう
個人的には、そこまで想定されていたのではないかと思ってしまいます。

感想部分で「恐怖の本質についてかなり突き詰めて考えられているのでは」といったことを書いたのは、このような点も踏まえてでした。
曖昧さや未知への想像が恐怖を生み出し、その解釈が怪談や物語を生む。
本作の存在自体が人間の心理の脆弱性を突いているように思えてならず、澤村伊智が生み出した怪異は、現実においても新たな物語を生み出し、拡散されていっているように感じるのでした。

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