作品の概要と感想(ネタバレあり)
喫茶店を経営をしているソンスは、妻ミンジと2人の子供たちに囲まれ、不自由なく生活していた。
そんな彼の元に、長い間音信が途絶えていた兄に関しての連絡が届く。
郊外にある老朽化した団地で暮らしていた兄だったが、突然姿を消したという。
墓参りの帰りに、団地を訪れたソンスだったが、兄が暮らしていた部屋はどこか様子がおかしかった──。
2013年製作、韓国の作品。
原題も『Hide and Seek』。
知らない人が勝手に住み着いてるんですけど!
という、人怖系の恐怖を描いたスリラー。
「日本、ニューヨーク、韓国など世界で実際に起こった事件を完全映画化!」と謳われているだけあり、実際にあり得るリアルさが恐ろしい作品でした。
音楽の使い方も、主張しすぎず、けれどシーンに合っており、絶妙でした。
韓国らしい容赦なきバイオレンスも魅力でした。
韓国のホラーやスリラー、観たい観たいと思いながらも、これまであまり観られていません。
ですが、数少ない観た中でも『箪笥』『コンジアム』あたりは最高に好きで、バイオレンスやエグさに定評のある韓国作品、絶対自分に合っているので、これから色々観ていきたいと思います。
さて、本作はX(当時はTwitter)でフォローしている方の鑑賞ツイートがきっかけで興味を持ちました。
いわく、「きったねぇスラムマンションで繰り広げられる気絶祭りの正統派スリラー」という訳のわからなさすぎる感想。
「どんなんやねん」と観てみたところ、
きったねぇスラムマンションで繰り広げられる気絶祭りの正統派スリラーでしたね。
鉄パイプの一撃で確実に気絶させるテクニックは、これまでの犯行の積み重ねを感じさせるプロの所業。
冒頭から引き込み、次々と展開させていって、徐々に真相が明らかになっていくサスペンスな過程もとても見事。
特に、最初にクローゼットから死体が出てきたところ、あまりにも唐突ですごく好きです。
不穏さを匂わせるでもなくいきなり登場させるところが、リアルさがあって良かった。
しかし、サスペンス要素という意味では、上に載せたDVDのジャケット、ちょっと(だいぶ?)ネタバレな気がします。
俳優陣の熱演も緊迫感を高めていました。
主人公のソンスを演じたソン・ヒョンジュは、若干オーバーリアクションにも感じましたが激しく変化する表情での表現がすごかった。
奥さんのミンジを演じたチョン・ミソンは、松たか子系でした(でも何と2019年に享年48歳で亡くなっているようです)。
ソン・ヒョンジュもちょっと似ている人が浮かんだんですけれど、ここに書くのは憚られるので自主規制。
そして何より、犯人のチュヒを演じたムン・ジョンヒ。
彼女の怪演なくして、本作の恐怖感は成り立っていなかったでしょう。
インタビューによれば、ヘルメットを被っているシーンも含めた本作におけるほとんどの場面において、実際にムン・ジョンヒが演じていたそうです。
疾走するチェイスのシーンも、ソンスとバトるシーンも。
そのため、痣だらけになったり、足の爪が剥がれたりと、文字通り身体を張った怪演だったとのこと。
インタビューでは「『女がどうやって男を制圧できる?』というような話を聞きたくなかった」とも述べられており、まさにその通り、そんな安直な感想を覆す気迫でした。
それが、チュヒの狂気すら感じさせる執着エネルギーをこれ以上ないほどに表現していました。
子どもたちの演技は、若干グレーゾーンですね(批判ではありません)。
大泣きしているシーンはちょっとわざとらしすぎて、可愛らしさの方が上回ってしまいました。
全体的に高評価で好きですが、ややマイナスに感じてしまったのは、仕方ないですがみんな警戒心なさすぎなところでした。
あんないかにも治安悪そうな街、(知らなかったとしても)子どもだけで外に出して遊ばせるのもどうかと思いますし、みんな施錠とか適当ですし、明らかに犯人が近くにいるのに油断しまくりだったり。
ホラーやスリラー全般、危機管理がばっちりであれば展開しづらくなってしまうのはわかりますが、みんなあまりにも油断しまくり感が目立ってしまっていました。
特に、ソンスとミンジ夫妻の、ちゃんと子どもたちを見ていない感は終始もどかしさを感じました。
子どもたちも、生活環境の割に絶妙に育ちが良くない印象を受けてしまったのですが、それは2人の養育態度によるものでは?と感じてしまいました。
あとは、少し冗長に感じられてしまったところも。
人違いでヘルメットの男を追いかけたシーンや兄ソンチョルとの過去のエピソードなど、あんなに必要だったかな?とちょっと感じてしまいました。
というか、人違いヘルメットマンは容姿似すぎでしたし、怪しすぎましたし、いきなり逃げましたし、あれは彼もちょっと悪い。
ウネ(冒頭に出てきた女性)の彼氏とソンスのバトルなんかもちょっと無駄に長い感はありましたが、あれだけお互い勘違いして殴り合いまくったのに、仲良くなっているの、面白かったです。
特に彼氏側、心広すぎました。
とはいえ、ウネにも都合良く利用されている感もあったので、相当なお人好しだったのでしょう。
ウネ側が彼を恋人と認識していたのかどうかは、怪しいところ。
本作で一番かわいそうだったのは彼かもしれません。
冗長に感じるかどうかは純粋に好みの問題ですが、登場人物にイライラしてしまいがちな感は否めない気がします。
あとは、ソンスだけなかなかとどめを刺さずに見逃される、さすがにあれだけ死体を密閉していても異臭すごいはず、ボロ団地ならともかくあんな高層マンションで入れ替わったらすぐバレるでしょう、などツッコミどころは非常に多く、展開的にはだいぶ強引な部分も多かったですが、主軸がしっかりしているので安定していました。
考察:ソンスやチュヒの心理と、その他あれこれ(ネタバレあり)
上述した通り、展開は少々強引な部分もあるので、細かい部分の整合性の検討は控えます。
大枠部分について、感じたり考えたりした点をいくつか。
ソンスの精神疾患と心理
主人公ソンスで印象的だったのが、ひたすら手を洗ったり、物をきっちりと揃えて置くなどの姿でした。
これは精神医学的には強迫症状と呼ばれるもので、頭の中に浮かぶ不快な考えやイメージ(強迫観念)にとらわれ、それを打ち消そうとする繰り返しの行為(強迫行為)として描かれていたと考えられます。
強迫症状を呈する精神疾患としては、強迫性障害が一番有名でしょう。
必要以上に手を洗う、鍵やガスの元栓を何度も確認する、納得するまで物の位置を細かく調整する……などの強迫症状により、日常生活に支障を来している状態です。
「日常生活に支障を来している」というのは、汚染されるのを恐れて外に出られなくなったり、何度も何度もドアの鍵を確認するために家に戻って仕事に遅刻するなどの状態です。
ソンスに関しては、それほど日常生活に支障が生じているようには見えなかったので、強迫性障害の診断までつくかどうかは微妙なところ。
ただ、薬を飲んでいたので、薬によって軽減されている可能性はありそうです。
幻覚や妄想を特徴とする統合失調症患者にも、強迫性症状が見られることがあります。
途中、ソンスも妄想を見ているのでは?と思われる場面もありましたが、統合失調症のような飛躍した妄想ではなかったので、おそらく統合失調症ではないでしょう。
妄想に関しては、作中で起こっている出来事は現実なのか?ソンス妄想なのか?という序盤でミスリーディングを誘ったり撹乱するための演出の側面が強かったのではないかと思います。
ではなぜわざわざ強迫症状が描かれていたのかといえば、ソンスの心理状態を表すためであったと考えられます。
彼は幼少期、養子としてとある家族に引き取られました。
そして、その家族にもともといた義理の兄ソンチョルに対して、女の子を触った冤罪を着せるという事件がありました。
この件については、ソンスが養子として引き取られる過程、および養子になってからの生活はまったく描かれていないのではっきりわかりませんが、幸せな家庭で暮らすソンチョルへの妬みのようなものがあったと考えられます。
あるいは、幸せを独占したいと思ったのか。
このソンスの策略は成功し、冤罪を着せられて人生が狂ったソンチョルは、その後、本当に性犯罪を繰り返し、服役までしていたようでした。
本当に性犯罪を繰り返しているので、最初の事件も冤罪ではなかった可能性も考えられますが、ソンチョルの反応からは、あの最初の件に関しては実際にソンチョルが犯人ではなかった可能性が高そうです。
ソンスは思い通り、すべてを手に入れました。
しかしそれと引き換えに得たものは、罪悪感です。
兄の人生が堕落していくにつれて、その罪悪感も強まっていたことでしょう。
その罪悪感の表れが、強迫症状であり、妄想でした。
強迫症状の中でも、何度も手を洗うシーンが一番多く描かれていましたが、自分の中にある汚いものを洗い流そうとする心理の表現であったと考えられます。
兄に責められる妄想や幻聴は、自分で自分を責める心理が形を変えて現れたものでしょう。
これらがわざわざ描かれていたのは、一つは、ソンチョルの失踪について調べる理由づけと考えられます。
妻に兄の存在を黙っており、妻子を置いてまで兄の失踪を調べようとする極端な行動への理由づけです。
罪悪感によるものもあったでしょうが、兄が実は生きていて、いずれ自分に復讐しに来ることも恐れていたはずです。
また、もう一つ考えられるのは、幸せな家庭とは?という大きなテーマです。
良い家に住み、幸せな家族に恵まれているように見えるソンス。
しかしそれは、過去の罪の上に成り立っているものでした。
「他人から奪って手に入れた幸せ」という意味では、チュヒの行動と何ら変わりなかったと言えるでしょう。
チュヒの心理
本作の犯人であったチュヒ。
彼女の心理に関しては、情報が乏しいので想像の域を脱しません。
ただ、奪った家を「ここは私の家だ」と主張しているのは心の底からそう思い込んでいるように見え、極端に妄想的な傾向が窺えますが、現実にぴったり該当するような精神疾患は浮かびません。
少なくともチュヒに特徴的なのは、独占欲と思い込みの激しさでした。
生育歴はまったく描かれないので、離婚したのか、もともと結婚せず娘のピョンファを産んだのかもわかりません。
いずれにしても、幼少期からずっと、幸せな生活を送ってこなかったであろうことは確実でしょう。
娘のピョンファは眼帯をしていました。
あれも理由は不明ですが、社会や世界に対する怒りの感情が激しく、かつアンガーコントロールが苦手そうであり、思い込みも激しいチュヒが、娘を虐待していた可能性は高そうです。
もしかすると、チュヒ自身も虐待されて育ったのかもしれません。
チュヒは、お茶に招いたソンス一家を、ソンチョルの親族だと知った途端に追い返しました。
あれは自分が殺害した相手の親族だとわかったからとも考えられますが、それ以前からソンチョルに関して「家を覗かないように言ってください」といったことを執拗に言っていたので、おそらく、本当にソンチョルを恐れていたのではないかと思います。
性犯罪の前科が複数あるソンチョルに、娘が被害に遭うのでは。
娘が狙われ、家が覗かれている。
それが妄想的な思い込みであったのか、本当にソンチョルが覗きなどしていたのかはわかりませんが、あのソンチョルへの嫌悪感や恐怖感は、演技的なものではなかっただろうと感じられます。
チュヒが求めていたのは、「良い家」ではなく「幸せな家族」だったのではないでしょうか。
わざわざ家族写真を飾っていたのも、おそらくそれが理由です。
「オーストラリアにいるパパ」の写真はもちろん、あの部屋にもともと住んでいた人の写真のはずです。
次はソンス一家を狙ったのは、ボロ団地が取り壊されそうだったり、ソンスが裕福そうに見えたのもあるとは思いますが、一番の理由は、ソンス一家が幸せな家族の象徴のように見えたからではないかと思います。
幸せな生活を求める一方、周囲の人間はすべて自分を迫害する存在として感じられてしまう。
幸せな家族を見ると、妬みや憎しみの感情を抱かずにはいられない。
チュヒは決してモンスターではなく、社会の闇が投影された存在として描かれていたのだと考えられます。
記号の意味
思わせぶりに登場した割にはそれほど重要でなかった気もしますが、玄関に書かれていた謎の記号。
あれは作中で説明されていた通り、その部屋の住民の構成を示すものでした。
○が女性、□が男性、△が子どもで、数字がそれぞれの人数。
これに似たマークが、日本でも一時期話題になりました。
空き巣が情報共有のために、(玄関に限らず)特定の場所に傷などをつけてマーキングしていたのです。
女性の一人暮らしであるとか、夜に家にいないとか、そういった情報を記号やシールの色で共有していました。
本作の記号についても、もしかするとチュヒがつけたものだけではないのかもしれません。
冒頭とラストでは「いつからかこの町には変なウワサが流れ始めた。人の家にこっそり入り込み、身を隠して暮らす人たちの話だった」というナレーションが流れます。
パラサイト行為(侵入して勝手に住む)をチュヒだけが行っていたのであれば、噂にまでなるのはやや不自然です。
特に、ラストシーンのナレーションでは、あのソンスたちが住んでいた高層マンションのある街にもこの噂が広がったように語られています。
チュヒ亡きあと(はっきり死んだかはわかりませんが、生きていても相当な重症でしばらく動けないはず)に噂が立ったということは、別の誰かが同様の行為をしていた可能性が示唆されます。
これは、ラストシーンでクローゼットに隠れたままだったピョンファによる犯行の継続によるものとも解釈できますが、あの記号を活用して、他にも同様の犯行を繰り返していた者たちがいたと考えた方が自然です。
チュヒだけが犯行を行っていたのであれば、狙っていたソンスの部屋以外にも家族構成を示すマークを残す必要がありません。
そのため、あのマークは、チュヒのようにパラサイト行為を行っていた者たちの情報共有のためのマークであったと考えられます。
さすがにあんなにインターホン周りにはっきり書かれていたら住民に気づかれるだろうというのはさておいて。
そう考えると、チェックマークについては説明がありませんでしたが、おそらく「先約があるよ」というマークなのではないかと思います。
「侵入方法がわかった(暗証番号が判明したり鍵を入手した)」などの可能性もありますが、それをわざわざ示す必要性もあまりありません。
パラサイト仲間たちは、情報共有しているとはいえ、直接の関わりはないはずなので、侵入先が被ったら困ります。
それを避けるための、「ここ、もう狙ってます or すでに侵入済みです」を示すマークなのでしょう。
マークがついていたのは、ボロ団地ではチュヒが住んでいた304号室、ソンチョルが住んでいた317号室、そして高層マンションではソンス一家の部屋だけだったので、一致します。
ラストシーンの意味は?
ラストシーンでは、上述した通り、今度はソンスたちが住んでいた高層マンションのある街でもパラサイト行為の噂が広まったことが語られていました。
同時に映されていたのが、ソンス一家の部屋のクローゼットに隠れたままだったピョンファが、その部屋に新しく引っ越してきた家族を見つめるシーンです。
これはもちろん、さすがにあり得ません。
部屋の住民が引っ越して新たな住民に入居するのに、ずっとクローゼットに隠れたままでいられたというのは無理があります。
ボロ団地ならまだしも、管理がしっかりしていそうなあんな高級そうなマンションであればなおさらですし、事件のあった部屋なので、警察たちが調べなかったわけもありません。
それは誰がどう考えても明らかですが、それでもあえてあのシーンを挟んだことには別の意味があるはずです。
それはつまり、チュヒが死んだからこの事件が終わったわけではなく、このような暮らし方しから知らないピョンファも今後同じ生き方になってしまうのであろうこと、そして、チュヒ一家だけの問題だけではなく、同様の行為を行う人が他にもたくさんいるということの示唆でしょう。
つまりあのピョンファは、「本当にピョンファがずっと隠れていました」ということではなく、このような問題はまだまだ終わることがないということの象徴です。
貧困や格差の問題などの社会的なテーマも、本作には含まれていたのでしょう。
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