作品の概要と感想(ネタバレあり)
大学生のグレースは、ハロウィンに関するネットミームを目にする。
それは「最も恐いもの」について質問され、それに回答するというものだったが、グレースのパソコンはそのミームに応じたことをきっかけに恐ろしいコンピューターウイルスに感染。
ウイルスは大学中に拡散され、ついには惨劇が起こる。
グレースはパソコンオタクのスペンサーに協力を求め、きっかけとなった謎めいたミームの正体を突き止めるべく奔走する──。
2019年製作、カナダの作品。
原題は『Halloween Party』。
やっぱりこの時期はハロウィンモノを観ておかないとね、ということで鑑賞。
ミームという現代的な要素を介している点が新鮮ですが、ベースは呪いの拡散という古典的な要素を用いた比較的スタンダードなホラー。
インターネットミームというのは、ネットを通して文章や画像、動画などが拡散されていく現象。
個人的に、IT要素を絡めたホラー作品はかなり好き。
なので、レビューなどを見ると評価は低めですが、個人的には好きな作品でした。
全体的に『トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム』に雰囲気が似ていた印象も。
とはいえ、テクノロジー的な部分は演出のための装置の一つであり、現実的に考えればほぼ滅茶苦茶。
原題が『Halloween Party』であることからも、あくまでもメインは公害被害を受けた子どもたちの呪いでした。
基本的には途中でグレースが丁寧に整理して説明してくれた通り、「大学寮の地下が以前は病院、特にゾーイの部屋の真下にあたる場所は小児緩和ケア病棟で、公害被害を受けた子どもたちが孤独に過ごしており、コンピュータに長けた彼らが作ったゲームが、社会を憎む彼らの気持ちと合わさって呪いのゲームとなった」というもの。
なので、邦題の「悪魔のウイルス」はあまり良くないですね。
しかもタイトルだけだと、コンピュータの方ではなく感染症的なものを思い浮かべそう。
ただ、意図的ではなく勝手に拡散されていくところはまさにコンピュータ・ウイルスであり、ミームというよりウイルスの方が日本的な感覚だとわかりやすいようにも思います。
簡単に調べた感じだと、「風船赤ちゃんとゼリーの子どもたち」という本やあそこまでの奇形発達はもちろん、公害の原因となったファロカーバイドという物質も、本作における創作のようです。
この根幹となる背景がしっかりと設定されており、資料などもかなりリアルに作られていたのが良かったです。
なので、襲ってくる怪物たちはだいぶおぞましくもありますが、公害被害を受けた子どもたちの恨みだと思うと、ある種切ない作品でもあります。
怪物たちはそれぞれビジュアルや造形面でも個性が強く、見た目だけでも恐ろしくありましたが、見た目を恐ろしく感じてしまうということこそが、彼らを追い詰めた要因でもありました。
なので「怪物」と呼ぶには抵抗がありますが、「公害被害の子どもたち」もちょっと長いしわかりづらいので、以下ではわかりやすさ重視で「怪物」と呼んでおきます。
ミステリィというほどではないかもですが、謎を解き明かしていくグレース&スペンサーは良いバディで、見ていて飽きませんでした。
スペンサーくんは若干ハリー・ポッターみあり。
微笑ましい2人でしたが、スペンサーくんは思ったよりあっさりとやられてしまって残念。
演出に関しても、低予算ながら頑張っている感がひしひしと伝わってきました。
怪物の造形やCG、特殊メイクなどは、若干ギャグと紙一重の部分も多々ありましたがオリジナリティが感じられてとても好き。
特に驚かせシーンの見せ方が、だいぶ独特だった気がします。
マケイル博士に画像を見せてマケイル博士が発作(?)を起こすシーンは、音楽が意外な感じすぎてちょっと笑ってしまいました。
ただ、それらも合わせてインパクトがあって印象に残り、良い。
終盤の暗視カメラのシーンも、『REC/レック』や『コンジアム』などを彷彿とさせる近年の定番ながら好きな演出。
地下道に逃げた理由も、結局はスマホ画面の明かりが見えてしまうのでライトを使わない意味がさほどないところもツッコミどころ満載ですが、飽きさせない工夫が感じられました。
トイレからこんにちはのシーンはさすがにギャグと言って良いと思いますが、トイレなりお風呂なり、すぐに逃げられない状況で襲われるのはかなり嫌です。
というかトイレで襲われた彼、何でドア閉めないの。
怪物たちは、車の窓を殴ったりと、攻撃はだいぶ物理的でした。
そのあたりも、逃げようとすれば逃げられそうな感もあって絶妙。
考察するには整合性が足りていない印象なので、謎の解明のプロセスや、怪物たちの造形、ホラー演出をシンプルに楽しむ作品と言えるでしょう。
逆に、演出が合わなかったり、ガバガバな部分が気になってしまうと評価はいまいちになってしまうのかも。
設定としては面白く、特に、ベタではありますがやはり自分が怖がっているものに襲われて殺されるとうのは非常に嫌ですね。
ただこの点も、終盤はちょっと崩壊するというか、5人の子どもたちが登場するようになってからは、もはやミームは関係なく無法地帯。
あれはおそらく、
もともとクマが一番怖かったスペンサー
↓
公害被害による子どもたちのことを知って、クマより子どもたちの方が怖くなった
↓
スペンサーのゲームが失敗したため、子どもたちが現れた
といった流れだと思いますが、もはや「ゲームに失敗した人が、その人が怖がっているものに殺される」というルールは崩壊。
関係ない人たちまで怪物たちの被害者に。
しかし、もともとゲームがメインだったわけではなく、自分たちを見捨てた社会全体に対する恨みが呪いのゲームを生み出したわけなので、決して不合理ではありません。
終盤の「良かれと思ったことが裏目に出て、解決するどころかむしろ大変なことになっちゃった」展開も、絶望感溢れるラストも、ザ・定番。
マケイル夫人が最後にブチ切れた気持ちもわかりますが、それならもっとちゃんと管理しておいてほしかったですね。
そして何より、飛行機に登場したクマさん。
なぜ!
別にクマじゃなくても何でも良かったはずなのに、何であのクオリティのクマを出そうと思ったの!
入力の仕方がわからなくてゲームに失敗しちゃうのも、もはやグダグダ。
そういうところも含めて、なぜかすべてが愛おしい作品。
こうやって振り返ると、骨子はだいぶホラーの定番を踏襲した作品ですが、肉づけによっていくらでもオリジナリティを出せるんだなぁ、と再実感した作品。
前半は謎のゲーム、後半は襲いくる怪物たちと恐怖の質が転換したところも、飽きなかったポイントでした。
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