【映画】イット・フォローズ(ネタバレ感想・心理学的考察)

映画『イット・フォローズ』のポスター
(C)2014 It Will Follow. Inc,
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『イット・フォローズ』のシーン
(C)2014 It Will Follow. Inc,

19歳のジェイはある男から“それ”をうつされ、その日以降、他の人には見えないはずのものが見え始める。
動きはゆっくりとしているが、確実に自分を目がけて歩いてくる“それ”に捕まると確実に死が待ちうけるという。
しかも“それ”は時と場所を選ばずに襲ってくるうえ、姿を様々に変化させてくるのだ。
いつ襲ってくるか分からない恐怖と常に戦い続けながらジェイは果たして“それ”から逃げ切ることができるのか──。

2014年製作、アメリカの作品。
原題も『It Follows』。

かなり有名で、観たいと思いながら後回しになっていた1作。
続編『They Follow(原題)』製作決定のニュースを目にしたので、これを機にようやく鑑賞しました。

セックスを媒介(?)として“それ”が移り、襲ってくる。
「恐ろしい何かが追いかけてくる」「恐怖が伝染する」という、ホラーにおいては比較的オーソドックスな要素で構成されていながら、個性溢れる作品
映像や演出も含めて、そりゃあ有名になるな、と納得の完成度でした。

“それ”は、セックスした若者は必ず殺す『13日の金曜日』のジェイソンに匹敵する風紀委員長っぷりでした。
でも襲う側も露出狂で変態。

「ひたすら追いかけてくる」というのは『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズを筆頭に殺人鬼モノの定番ですが、オカルト的存在なのにワープしない、ひたすら徒歩で追いかけてくる、というのが斬新
しかも、攻撃は超物理。
ラストのプールのシーンでは「(家電製品を)お前が投げるんかい!」とついついツッコミ。
それだけで面白い。

そして何より特徴的なのは、やはり「誰が“それ”かわからない」点でしょう。
近づいてくる人すべてが怪しく思えてくる。
しかもそれは、身近な人にも化けるらしい。

冒頭のつかみは抜群で、その後の展開も引き込まれましたが、狙われる人がわかっていることもあって、動きに乏しい中盤は若干中だるみ感も。
しかしそれでも、いつどこから誰の姿で襲ってくるかわからないというのは、常に不気味な不穏感が漂っていました


『リング』を筆頭に、こういった感染系の作品は、原因を探っていき真相を明かし、根本的解決を目指す展開が多く見られます(だいたい成功しませんが)。
ネットや図書館などで情報を集め、色々な場所や人を訪ねて、恐怖の原因が明らかにした上で解決を試みる。
しかし本作にはそんなプロセスはほとんどなく、ひたすら「追いかけられる恐怖」に特化

一方で、そのはっきりした軸以外はすべてが曖昧
原因もわからなければ、最終的にどうなったのかもはっきりしない。
そのメリハリが、本作の個性を光らせていました。

時代設定が曖昧なのも面白かったです
導入のために殺されてしまったアニーは携帯電話を使っているようでしたが、その後は携帯電話やスマホほぼ出てこず、パソコンすら出てきません。
デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督のインタビューでは「この映画の時代設定は昔を描いているわけでも今を描いているわけでもない」と述べられていましたがまさにその通りで、それにより、とにかく「追いかけられる恐怖」から焦点がブレることがありませんでした。


全体的には、映像の質感も含めて、1980〜1990年代のホラー映画な雰囲気が漂っていました
シンセサイザーが強めの音楽も、まさにその時代のホラー映画感。
しかし、幼馴染のヤラが読んでいた本は、貝殻型の電子書籍リーダー(これ欲しい)。
普通に紙の本でも良いのにここをあえて電子書籍にしているところなどは、時代性を曖昧にする上でとても上手いなと感じました。

アメリカの田舎な町並みは、これもまた『ハロウィン』などを彷彿とさせる風景でした。
こういった町並み、日本じゃ絶対ないよなぁ、と見るたびに思うのですが、改めてその要因を探してみると、全部一軒家というのに加えて、家と家の間に柵や塀などが一切ないんですね。
なかなかご近所の目が気になりそう。

ストーリーに関しては、上述した通り若干中だるみは感じてしまったのと、終盤は、大きなプールのある思い出の建物に思わせぶりに移動したにもかかわらず別に大したことがなくて、やや失速感も。
そもそもあれは、“それ”を感電死させようとしていたんですかね?
“それ”が来てからプールに入っても良かった(ずっと水中で待ってたら身体が冷えそう)気がしますし、いざ現れてからバタバタしていましたし、結局感電しなかったですし、けっこう時間があったのでもうちょっと計画を詰めておいても良かったような。

とはいえ、やはり「追いかけられる恐怖」に徹していたのが、本作の魅力でした
誰が“それ”かわからないのも良いですし、逆に言えば、“それ”だと思ったけれどそうじゃない可能性もあるわけです。
たとえばラストシーンは、手を繋いで歩くジェイとポールの背後に追いかけてくるような人影が見えましたが、あれはただの通行人である可能性もあります。
あるいは、もしかしたらジェイのストーカーだったりするのかも。
などなど、自由度が高くて観た人それぞれが想像できるのが強みです。

そもそもが、本作の恐怖は「想像力」に大きく起因しているでしょう
いるかもしれない、来るかもしれない、あの人かもしれない、と膨れ上がる不安や疑心暗鬼。
まっすぐ向かってくる“それ”の不気味さは強烈な印象を残しますが、実際に襲われるシーンは、時間にすればそれほど多いわけではありません。
想像力をかき立てる曖昧さが多い点こそが、作品全体の恐怖感を底上げしていたのではないかと感じます。
あえて自由度を高めにしたことで、作品の焦点を絞ると同時に、観た人それぞれが勝手に想像することによる(もしかすると監督すら意図していなかった)さらなる恐怖に繋がってしました。

「誰が“それ”かわからない」という点で言えば、個人的に本作で一番インパクトがあったのは終盤で屋根の上に全裸で立っていたおじいさんですが、あれは“それ”ではなく、普通の人間である可能性もあるわけですよね。
もしそうだとすると、それが一番のホラーです。

死をもたらす超常的な存在より、何をしてくるわけでもないけれど訳のわからない全裸おじいさんの方が怖いというのは、面白くありませんか?
いや、いざ自分が狙われていたら、迫り来る死の方が怖いでしょうけれど。
本作に限らず、ホラーには「下手をしたらギャグ」なシーンや演出が多々見られますが、恐怖も笑いも「日常からのズレ」が生み出すものなので、そもそもが紙一重な概念なのです。

そんなこんなで、だいぶ自由度は高い作品なので、すでに考察しているサイトも多くありそうですし、こういう作品こそ考察するのは野暮だよなぁと思ってしまいます(こんなブログを書いているにもかかわらず)。
しかし、それを言い出したら考察という行為が野暮でしかありませんし、せっかくなので、自分なりに考えたことを少しだけ。

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考察:子どもから大人へ(ネタバレあり)

映画『イット・フォローズ』のシーン
(C)2014 It Will Follow. Inc,

細かい部分はさておいて、大枠について少しだけ。

「“それ”は性病のメタファーではない」「死を表現している」と(渋々)監督が言及したというのは色々なところで書かれていそうなので、省略します。

一定のペースで徐々に迫ってくる「死」。
それが本作の恐怖の本質であるのは間違いないでしょうが、それがなぜセックスを媒介として広がっていくのか。

その答えとして、本作のテーマの一つは「子どもから大人になること」であるように感じました
子どもと大人の違いは何か?
そんな永遠の問いに端的に答えるとすれば「過去を振り返り、未来を考えるようになること」です。

子どもの頃は、常に全力でその日を楽しんでいました。
しかし、大人になるとそればかりではいられません。
大人になっても子どもらしさが残っている人は、だいたい「今を全力で楽しんでいる」点が大きいのではないかと思います。
もちろん、それはできる限り失いたくない気持ちですが、将来を見据えた準備も必要ですし、必然的に未来のことを考えてしまうのが普通です。

ひっくるめれば、「より大きな時間軸の中で自分を捉えるようになる」ということです。
そのような相対的な視点が出てくると、どうなるか?
そう、いずれは訪れる「死」というもののリアルさが増していきます。

『イット・フォローズ』の主人公たちは大学生で、思春期と呼ぶには後半ですが、本作には思春期、友情、恋愛といった青春的なテーマも多分に含まれていました。
死を認識し、自分の存在を脅かされるという、子どもから大人へと変わっていく思春期のプロセスを描いたのが本作と言えるでしょう。

セックスが媒介となっているのも、単純に大人への一歩という側面ももちろんあるでしょう。
ただ、別に主人公たちは全員経験がなかったわけではありません。
本作で際立つのは、あくまでも「恐ろしい存在として死が認識される」瞬間であり、その対極をなすのが「生」を象徴するセックスであると考えられます。

生命を作り出すという神秘性。
生物として、生を象徴する大きな一つがセックスです。
しかし、光が強ければ影も濃くなります。
強烈な「生」の象徴には、「死」の影が濃くつきまとうのです。


また、そのようなプロセスを描いているからこそ、本作にはほとんど子どもたちだけで進んでいくのでしょう
親の庇護下や枠組みから抜け出し、自立していくのが成長のプロセスです。
そのプロセスにおいては、大人や親は時に、自立を阻んだり、自分の存在を脅かしたり、大人になろうとする自分を殺しかねないものとして立ちはだかります。
“それ”=死が、グレッグを襲ったときの姿はグレッグの母親だったのも、最後にプールでジェイに襲いかかってきたときの姿はジェイの父親だったのも、おそらくそのためです。
「過去」や「子ども時代の自分」に引きずりこもうとする存在です。

時に“それ”=死の姿は、「トラウマ」や「過去」の性質を帯びるものでもあったのかもしれません
そしてそれは、対象が生きているのか死んでいるのか、関係性が良好だったのか悪かったのかは関係ありません。
ジェイの父親については、あえて情報が一切明かされていないと考えられますが、子どもにとって親が「悪夢」「トラウマ」の性質を帯びるのは、虐待があったり死別していたりといったわかりやすくネガティブな出来事に限らず、不合理だったり理屈を超えた上でも生じ得ます。

なので、この脅威に立ち向かうには、自分自身、あるいは同世代の仲間たちしか頼れません
親に頼って解決してもらっても、それは自立とは言えないでしょう。
ジェイたちが親や大人に頼ることを拒んでいたのは、そのような理由によるものです。
そして、逃げるだけではなく、何とか立ち向かおうとしていました。


思春期は、安全な保護者の庇護下にいたいという欲求と、そこから抜け出して自分自身を確立していきたいという欲求が葛藤する、自分という存在が不安定になる時期です。
そんな思春期頃に、不意に死という概念を恐ろしく感じたことがある方も少なくないのではないでしょうか。
未開の地の部族などでは、強烈な死の恐怖を体感させる儀式が、子どもが大人になるためのイニシエーションとして存在しています。

本作は、死は死でも、そのような「自立・成長に伴って立ちのぼってくる死の恐ろしさ」を描いた作品ではないかと考えます。
そのような普遍的なテーマを描いているので、時代背景も曖昧にしたのでしょうし、多くの人に観られる作品になったのかもしれません。

そしてそのプロセスは、ゴールや正解があるものではありません
本作のラストシーンは、愛する人と手を取り合って死の恐怖に怯えずに前を向いて進んでいく姿とも捉えられますし、死はいつまでも静かについてくることを表現しているとも捉えられますし、勝手に死の恐怖に怯えて怖くないものが怖く見えてしまっている可能性を示唆していると捉えることもできます。

いずれにせよ、観る人それぞれの解釈に委ねられますが、それなりにまとまっているラストだと思うので、続編を作るのはそれはそれで野暮なような。
とはいえ、しっかりとデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督が続投とのことなので、また違った切り口で魅力的な作品に仕上げてくれるのだろうと期待したいと思います。
原題通りなら『ゼイ・フォロー』なので、単純に考えれば追いかけてくる“それ”が増えて“彼ら”になりそうですが、裸のおじいさん軍団が黙々と追いかけてきたら、とっても怖い。

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