作品の概要と感想(ネタバレあり)
行方不明の妹・ウィットニーを探してクリスタル・レイクを訪れたクレイ。
同じく友人たちと一緒にクリスタル・レイク付近に遊びに来た女子大生のジェンナは、その捜索に同行する。
若者たちに襲いかかるホッケーマスクの殺人鬼・ジェイソンの、新たな恐怖が描かれる──。
2009年製作、アメリカの作品。
原題は『Friday the 13th』。
もはやホラー映画における一番有名な殺人鬼と言っても異論は少ないであろう、ジェイソン・ボーヒーズ。
たとえ作品は観たことがなくても、名前も知らないという人はほとんどいないはずです。
よく考えるとすごい。
本作は、オリジナル版の『13日の金曜日』の初期4作を、『トランスフォーマー』などのマイケル・ベイが製作として携わり、リメイクした作品です。
『悪魔のいけにえ』リメイクの『テキサス・チェーンソー』に続く、マーカス・ニスベル監督とのコンビ。
オリジナル版『13日の金曜日』の監督であるショーン・カニンガムも、製作に名を連ねています。
オリジナル版はもはや古典になりつつある(もうなっている?)名作であり、現代に観ても圧倒的完成度を誇っていますが、テンポが悪く、映像や演出が古く感じるのも当然です。
そこに突っ込むのは、発明当初のパソコンや携帯電話を現代で見て「何これでっかww」と馬鹿にするのと同じようなもので、的外れというものです。
それらの点を思い切ってアレンジし、現代に合わせてスタイリッシュに再構築したリメイク作品。
よほどホラー好きでもない限り、今からオリジナル版『13日の金曜日』を順番に全部観ようという人は、なかなかいないかと思います。
一方で、「1作だけ観るとしたらどれ?」と言われると難しいのが、オリジナル版の難点。
普通なら1作目が定番でしょうが、『13日の金曜日』は、1作目ではジェイソンがメインで活躍するわけではないという複雑な事情(?)を抱えています。
そこで、1作で『13日の金曜日』とジェイソンの魅力をしっかりと楽しめるのが、本作です。
少し気になった点としては、リメイクの方向性がはっきり見えない点でしょうか。
『13日の金曜日』を初めて観る人にとっては、ジェイソン誕生の背景があまり描かれておらず、途中で出てくる祭壇などの意味がわかりづらいかもしれません。
一方で、ファンにとっては、やや物足りないというか、スタイリッシュでありながら殺し方のバリエーションは地味めです。
トラップや囮を使ったりといった知的な一面も、オリジナル版のジェイソンのイメージとはあまり合いません。
新規観客を狙ったのか、古参ファンを狙ったのかがやや中途半端なので、個人的には「13金を観たことない人も、この1本を観ればOK!」な方向にもっと振り切っても良かったかな、と感じました。
あらゆる名作のリメイクの定めとして、オリジナル版と比較すると批判的になってしまうのは必然。
なるべくそのような点は排除しながら『13日の金曜日』のオリジナル版初期4作とリメイクを比較して、『13日の金曜日』の魅力を考察していきたいと思います(批判ではなく突っ込みは入れてしまうと思いますが)。
後半はオリジナル版のネタバレも含みますので、念のためご注意ください。
考察:オリジナル版との比較と、「他人の不幸は蜜の味」による魅力(ネタバレあり)
オリジナル版との比較(オリジナル版のネタバレもあり)
今回、リメイク版の感想・考察を書くに当たって、初期4作も観直してみました(偉い)。
さすがに古いので、4作一気に観ると疲れますね。
ただ、古いフィルムの映像が独特の雰囲気を醸し出しており、古典的な高音の不協和音が混じった効果音やBGMと相まって、古い作品ならではの緊張感が感じられます。
しかし、どれも結局は「若者たちが殺されていく」だけの話なので、4作観終わった時点ですでに「どれがどれだっけ」みたいな感じになります。
「あの、ネッドが殺されたシーンでさぁ……」みたいな表現だけで通じたら、完全にマニアと呼んで差し支えないレベルのファンでしょう。
以下、簡単にオリジナル版シリーズの振り返りです。
『13日の金曜日』
記念すべき第1作。
クリスタル・レイクのキャンプ場で溺れ死んだジェイソンのママ(パメラ・ボーヒーズ)による、血と涙の殺戮リベンジ物語。
初代ファイナルガールことアリスが最後の1人になった瞬間、パメラの「脅威のステルス機能」と「怪力」の能力が失われ、泥臭く鈍臭い怒涛の殴り合いを繰り広げますが、あえなく敗れて生首と化してしまいました。
今でこそ、『13日の金曜日』は殺人鬼によるスラッシャー映画というイメージが確立していますが、「公開当初に観ていたら」という視点で考えると、ミステリィ小説のような雰囲気も漂っているように思います。
序盤で監視員が殺されるシーンがあるとはいえ、最後の最後までパメラは姿を現さないので、メインで描かれる若者たちの、仲間の誰かが犯人である可能性も否定できません。
「1作目は(殺人鬼としての)ジェイソンは登場せず、ジェイソンママが犯人」というのは、ネタバレとして扱うべきなのか難しいところですね。
「ねぇねぇ、『13日の金曜日』とか『スクリーム』とかって、観たことある?」とさり気なく訊いてみるしかありません。
独特な、「キ、キ、キ、キ……マ、マ、マ、マ……」というディレイがかった囁き声のような効果音は、「kill mom(殺して、ママ)」というジェイソンの声(パメラの幻聴でしょうか)という設定。
1作目では、この音がするときはパメラが近くに潜んでいるシーンのようです。
2作目以降、ジェイソンが殺人鬼になってもこの効果音は引き継がれ、「実はジェイソンじゃなくてこの人でした〜」みたいなフェイントシーンでも節操なく使われるようになります(言っている内容が「kill mom」から変わっている可能性はあるかも)。
最後、何でボートに乗ったんだろう。
『13日の金曜日 Part2』
1作目から5年後のお話。
ついにジェイソンが殺人鬼として目覚めます。
今度は母親・パメラの仇を取るため(?)の、ジェイソンくんによる血と涙の殺戮リベンジ物語。
初代ファイナルガールのアリスを家に押しかけてまで殺害して持ち帰る執念を見せたあとは、拠点であるクリスタル・レイク周辺で若者たちを待ち受け、せっせと処理していきます。
しかし、まだスタイルは確立しておらず、頭にはホッケーマスクではなく麻袋をかぶっています。
Part2だけで見られる、レアな姿。
片目しか穴が空いていないので、距離感をつかむのが難しそうです。
パメラの生首を祭壇のような場所に保管しており、女性にパメラの真似をされると、可愛く小首を傾げながら騙されてしまいます。
他にも、尻餅をつくどころか後ろにごろんとひっくり返ったり、チェーンソーを向けられて反撃されるとマジビビりしたりと、チャーミングな一面もたくさん見せてくれました。
ファイナルガールとの戦いになると、突如ステルス性能と怪力を失うところは、しっかりとボーヒーズの血を引いているということなのでしょうか。
あるいは、人数が減ると発動するファイナルガールが持つ能力でしょうか。
ファイナルガールは児童心理学を学んでいたジニー。
ジェイソンを理解しようという分析も見せていましたし、中身は少年(?)なジェイソンの心もつかんだようです。
『13日の金曜日 Part3』
ついにジェイソンがホッケーマスクをかぶります。
Part2の翌日の物語ですが、体型や後頭部の雰囲気が変わっているのはご愛嬌。
待ちスタイルから攻めのスタイルに移行して、クリスタル・レイク近くの別のキャンプ場で大暴れ。
構ってちゃんでみんなから嫌われがちなシェリーでしたが、ジェイソンにホッケーマスクを与えた功績は大きいです。
しかし、せっかくホッケーマスクデビュー記念作品なのに、公開当時、3D作品として上映されたようで、3Dのための演出がやたら目につきます。
3Dで観れば違うのでしょうが、2Dで観るとちょっと見にくい。
オープニングクレジットの、これでもかと言わんばかりににょーんと飛び出してくる文字には、さすがに笑ってしまいました。
基本的に粛々と若者たちが殺されていきますが、なぜか逆立ちしたまま殺されるという超絶トリッキーな死に方をしたアンディは、しっかりと爪痕を残しました。
他にホラー映画で逆立ちをしたまま殺されたキャラがいるでしょうか。
ファイナルガールはクリス。
ジェイソンにナイフを突き立て、首吊りをさせて、ナタを頭に叩き込むという、これまでのファイナルガール以上の攻めの姿勢で生き残ります。
が、最後には幻覚を見て精神に異常を来している様子で運ばれていきました。
クリスの幻覚だと思われますが、パメラも特別出演。
首と身体はくっついた状態で、1作目の息子のオマージュという憎いサービス。
最後、何でボートに乗ったんだろう。
『13日の金曜日 完結編』
当然のようにこれで終わらない「完結編」。
4作の中では、個人的には一番キャラの区別がつきにくかった作品です(特に女性陣)。
最も個性を放っていたのは、序盤でバナナを食べながら殺されたぽよぽよヒッチハイカーで間違いありません。
初めて子供と犬が出てきて、きっと彼らは生き残るだろうという予想から、姉のトリッシュがファイナルガールであろうことも容易に想像がつきます。
今度はさらに時間間隔が短く、Part3の事件の夜からスタート。
ジェイソンはだいぶ忙しい数日です。
Part2で犠牲となったサンドラの兄・ロブが登場。
終盤、意外とあっさり退場しましたが、トリッシュを守ろうとする最低限の威厳は保たれたままでした。
彼が、リメイク版で妹を探しにクリスタル・レイクにやってきたクレイの原型と思われます。
初登場の少年トミーはやはりキーパーソンで、少年時代のジェイソンに頭を似せたのがジェイソンにどんな効果を与えたのかがやや不明ですが、ジェイソンにトドメを刺したという栄誉を勝ち取ります。
これまでの3作とは異なり、トミーのやや不気味な表情で作品は終了。
リメイク版
さて、自分でもやや視点の偏りを感じなくもありませんが、以上がオリジナル版の初期4作でした。
リメイク版では、これらが組み合わさった感じで、最初の数分はアリス対パメラの様子(1作目の終盤シーン)が駆け足で描かれます。
保管されていたパメラの生首の意味とか、初見の人がこれでしっかり状況理解できるかは、やや心配。
その後、クリスタル・レイクを訪れた若者たちがスピーディに処理されますが、ここでようやくタイトルが入るのは、個人的にけっこう好きな演出です。
この段階ではまだ、ホッケーマスクではなく包帯のような袋的なものをかぶっていますが、オリジナル版Part2の麻袋よりかっこいい。
本当のメインはその後の若者たちで、お決まりのようにやんちゃ騒ぎ。
黒人やアジア人がメンバーに含まれているところは、時代の流れを感じさせます。
妹のウィットニーを探しにやってきたクレイと、それを手伝う常識人のジェンナ、そして実は生きていたウィットニーが、本作のメインキャラ。
オリジナル版との一番の違いは、上述した通りジェイソンのスタイリッシュさです。
姿が見えないときは気配皆無ですごく要領が良いのに、姿を見せた途端もっさり動くオリジナル版とは対照的に、素早く、時には駆け抜けながら相手を追い詰めます。
タイトルが入る直前、ウィットニーにきりかかるところなんかはジェイソンらしからぬ華麗さがありますが、あれで結局殺してなかったのか、とも思いました。
母親に似ていることに気がついて、寸止めしたんですかね。
罠を使うところ、怪我したやつを囮に使うところなんかは、オリジナル版では見られない狡猾さ。
母親に似ているからといって、ウィットニーを連れ去り監禁しているところなんかも、オリジナル版では想像しづらい行動です。
オリジナル版では、顔は奇形で脳は小さいという設定があった気がしますが、それでも獲物が逃げるであろうルートに他の被害者の死体を絶妙に配置したりもしていたので、もともとそういう狡猾さはあった、と無理矢理言えなくもありません。
一方で、リメイク版においても、妙に人間らしいというか、何となく間が抜けて見えてしまうところもあります。
それはそれでジェイソンっぽいのですが、殺しのシーンで変に目立つので、せっかくのスタイリッシュさが失われてしまっていたのが惜しい。
たとえば、斧を投げるシーンでは、両手で持ち、頭の上から振りかぶって投げていました。
オリジナル版では片手でひゅんっと当てていたのに、ウルトラセブンみたいな全力感溢れる投げ方に。
全力疾走シーンも、素早さが恐怖ではあるのですが、もう少し余裕を持ってほしかったです。
のっしのっし歩いているのに相手を追い詰めていくような恐怖感は薄め。
その割に、ワープしたとしか思えないレベルの先回りもありました。
あと、監禁していたウィットニーがいなくなっていることに気がついたときなんかは、マチェテ(メイン武器の山刀)をシャキーンと取り出し、猛ダッシュを切ります。
あまりにも綺麗に鳴り響くシャキーンという効果音も相まって、まるで刀を抜いて駆け出す侍のように見えました。
そんなこんなで、殺しのバリエーションなども、むしろ拘束して火の上に吊るすケバブ方式などの冒頭部分が一番勢いがあり、メインの部分がややどっちつかずな印象だったところが少し残念です。
終盤でジェイソンの首に巻かれた鎖を巻き込んだ機械なんて、序盤で登場したときには絶対誰かに使ってもらえると思ったのに、誰もぶち込まれなかったのも個人的には残念。
というように、オリジナル版を知っていると気になる点はやはりいくつかありますが、観たことがない人への「『13日の金曜日』を簡単に体験したいならこれ1本!」としてのクオリティは保証されていると思います。
ジェイソンにとって母親パメラの存在が重要であるところが、いまいちわかりづらいところだけ心配です。
初めて見る人でも突っ込みどころが多いのもまた『13日の金曜日』らしさです。
拉致監禁されて数週間経っているのに、ウィットニーがまったくやつれておらず汚れていないのも。
オリジナル版を踏襲した「最後にがばーっ!」のシーンも、海底でホッケーマスクをわざわざかぶってから浮上してきたと思うと、シャイなジェイソンらしく微笑ましいものがあります。
他人の不幸は蜜の味
さて、結局やや愚痴のようにもなってしまいましたが、今回考察したかったのは、「なぜ『13日の金曜日』がこれだけ人気になったのか」です。
上でも書いた通り、シリーズを追ってもほとんどストーリーもへったくれもなく、「若者たちが殺人鬼ジェイソンに殺されていくだけ」の映画でしかありません。
それなのに、ここまで人気が出たのはなぜなのでしょうか。
この点はもちろん、様々な視点から考察が可能なものです。
ホラー映画は世間の不安が高まると流行するとも言われますが、1980年代のアメリカは、ベトナム戦争のあとであったり、シリアルキラーの流行期であったり、といったような歴史的背景も影響していると考えられます。
特殊メイクの技術が向上してきたことによる、リアルな死の表現が可能になったことであったり。
ジェイソンという超人的な殺人鬼が、ホッケーマスクスタイルが確立したことで、恐怖の象徴としてのアイコン的な存在として捉えられたことであったり。
七つの大罪を体現しているような、刹那的な快楽に溺れる自己中心的な若者たちへの、キリスト教的な断罪感情であったり。
そのようにいくつもの視点がある中で、ここでは「他人の不幸は蜜の味」の心理、という視点から考えてみたいと思います。
つまり、簡単に言えば、愚かな若者たちが次々と粛清されていくことによる爽快感、です。
人間には「妬み」という感情があります。
それは、自分が憧れるもの(物質に限らず、能力でも、特性でも、生活スタイルでも)を相手が持っているときに抱く、劣等感や敵対心を伴う感情です。
そして、不満が大きいほど、妬む相手が不幸な目に遭ったときには、喜びを感じます。
優れた容姿や才能、経済力を有し、華やかな生活を送っているイメージの強い有名人がスキャンダルを起こすと大騒ぎになりますが、それもベースはこの感情に基づくものです。
ですが、人間は理性を備え、倫理観を学んでいるため、「あいつが失敗して嬉しい」といった感情を抱くことに、少なからず罪悪感も覚えます。
そのため、何かしらの理由をつけて、正当化するのです。
「不倫をするなんて奥さんがかわいそう」といったように。
もちろん、その理由づけをしている気持ちもまったく嘘というわけではありません。
本当にひどいと思い、許せない気持ちを抱いている人も、もちろんいるでしょう。
しかし、現代における過剰なまでのバッシングは、これまで自分が憧れるものを持っていた相手が失敗したときに、そこを叩き相手をさらに貶め、不幸になっている姿を見ることで溜飲が下がり、爽快感を感じる人がいることも影響しているはずです。
もちろん、そのように叩き貶めることが可能になったインターネットという環境も影響しています。
そのような人は、たとえ本当は興味のない内容であっても、それらしい理論を振りかざして攻撃します。
本当は他人の浮気に対して興味がないのに「そんなことするなんて人間として最低だ」と叫び続けるのです。
その対象が、「人間的には尊敬できないのに、憧れるものを持っていた」ような相手であればなおさらです。
不祥事を起こした芸能人が復帰できるか否かも、もちろん起こした問題の内容も重要ですが、そのような「もともとの人間性のイメージ」にも大きく左右されています。
尊敬できない、あるいは人間性においては下に見ていたような相手であれば、再び自分が憧れるものを持つ存在になることが許せないのです。
もちろん、そこまで極端になっている場合は妬んでいる側に問題があることが多いですし、いかなる場合でも誹謗中傷は許されるものではありません。
さて、話を『13日の金曜日』に戻しましょう。
この作品で殺される若者たちは、基本的にみな愚かに描かれています。
それがスラッシャー映画のテンプレ的設定にまでなったほどです。
ここで重要なのは、「愚かな若者たち」というカテゴリです。
彼らの脳は三つの部位に分かれており、「酒」「ドラッグ」「セックス」だけで成り立っています。
このようなカテゴリの存在だからこそ、不幸な目に遭ったときに罪悪感の少ない爽快感が伴うのです。
もしこれが、優しく穏やかな高齢者たちのキャンプだったらどうでしょうか。
身寄りをなくした施設暮らしのおじいちゃんおばあちゃんが集まり、憩いを求めて山に旅行にやってきたとしましょう。
みんなそれぞれ、お互いを思い遣り、助け合っています。
そんな彼らが、のんびりと野草を摘んだりお茶を楽しんでいたとき、突如ジェイソンに襲われたら。
足腰の弱い彼ら彼女ら(山には施設の運転手の車で来たという設定です)は、逃げる間もなく殲滅してしまうでしょう。
まさに鬼畜の所業です。
もし、『13日の金曜日』がそんな作品であったなら、殺人鬼としてのジェイソン像は圧巻ですが、観客はジェイソンへの怒りを募らせ、あるいはそれを通り越して監督や作品への怒りを募らせて、ここまでの人気作にはならなかったかもしれません。
今でこそ、何の罪もない人々が理不尽に殺されていくようなハードな作品もありますが、現代の社会だからこそという点と、『13日の金曜日』のような作品がベースに存在していたからこそ、許容されているのだと思います。
しかしこれが、詐欺まがいの行為で莫大な金を稼ぎ、人身売買やドラッグの密輸を行う組織の上層部である高齢者たちのキャンプであったらどうでしょうか。
先ほどの微笑ましい高齢者バージョンと比べて、ジェイソンにぶった斬られていく彼らの姿に、ある種の爽快感が伴うはずです。
ただ、この場合だと、彼らを妬んでいるからこその爽快感というよりも、犯罪者に対する処罰感情も含まれます。
では、普通の若者たちだったらどうでしょうか。
それなりに青春を謳歌していますが、羽目を外しすぎるわけではない、普通の大学生のサークル集団。
この場合、「かわいそう」と「すっきり」が分かれるのではないかと思われます。
「妬み」の感情は、上述した通り、自分の憧れるものを相手が持っている場合に抱きます。
普通の若者でも妬みの対象になり得るのは、「若さ」という要因です。
まったく理想通りの人生を送れないまま年齢を重ねた人にとっては、若いというだけで妬みの対象になり得るのです。
また、妬みの感情を抱くのは、ある程度自分と近い存在です。
短距離走で2位だった人は、1位の人を妬ましく思うかもしれませんが、書道大会で1位になった人を妬ましいとは思いません。
その意味では、子供はやや異質な存在で、自分も通ってきた道ではありますが、大人である自分とはあまり同列では扱われれにくい存在です。
高齢者も同様で、自分もいつかはそうなるけれど、まだちょっと距離があってわからない存在。
その点、高校生〜大学生ぐらいの若者は、まさに大人の領域に踏み込んできている存在であり、自分と近い存在として捉えられます。
そのため、「好き勝手やっている若者」というのは、不満の多い大人ほど、妬みを感じる存在なのです。
刹那的な快楽に溺れている彼らを、心のどこかでは見下しながら、一方では羨ましく思う部分があるのです。
『13日の金曜日』における犠牲者がほとんど若者であったり性的なシーンが描かれるのは、溢れる生命エネルギーと、それがあっさりと奪われるというコントラストによる恐怖という側面ももちろんあります。
しかし、それだけではなく、彼ら彼女らが殺されるからこそ爽快感が伴うという、人間の暗い部分が刺激されている側面もあるのです。
ちなみに、この「他人の不幸は蜜の味」といったような「妬みの対象に不幸が起こると喜びを感じる」現象は、脳神経学的にも証明されてきています。
人間が妬みを感じると、脳の前部帯状回という部分が活動します。
これは、身体の痛みを感じると活動する部位であり、妬みは「心の痛み」として捉えられているような、興味深い反応です。
そしてさらに、妬みを感じた相手に不幸が起こると、線条体という部位が活発化します。
線条体は「報酬系」と呼ばれるネットワークの重要な部位で、美味しいものを食べたりお金を得たときなどに活性化する部位。
つまり、妬ましい相手の不幸を、脳は報酬として、喜びとして感じているのです。
他人の不幸を喜ぶことは、非道徳的であり、良くないこととして学習されてきているため、これらは表立って表現はされにくく、また、それを一言で表す単語は日本語にも英語にもありません。
しかし、ドイツ語には「shadenferude(シャーデンフロイデ)」という単語が存在します。
shaden(損害)とfreude(喜び)を組み合わせたもので、他人の不幸を喜ぶ感情を表す単語です。
単純に、「周りに迷惑をかける若者が痛い目(どころじゃないですが)に遭うのを見てすっきりする」というのもあると思いますが、さらに、このshadenfreudeに伴う爽快感を得られることが、『13日の金曜日』がヒットした裏の一面を担っているのではないかと考えられます。
そう考えると、やっぱり怖いのは人間ですね。
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