作品の概要と感想(ネタバレあり)
マッチングアプリでの出会いにうんざりしていたノアは、スーパーでスティーブという魅力的な男性と知り合う。
瞬く間に恋に落ちた2人は、週末をスティーブの別荘で一緒に過ごすことに。
森の奥の豪邸で夢のような時間を過ごすノアだったが、やがてスティーブは恐ろしい本性を現しはじめる──。
2022年製作、アメリカの作品。
原題も『Fresh』。
ずっと観たかった作品で、ようやく鑑賞できました。
もう最初にポスターを見たときから「好き!」と思い、ずっと気になっており、そして観てみたらやはりとても好きな作品でした。
設定こそ斬新なわけではありませんが、何より映像や演出がスタイリッシュ。
感想としてもよく見かけますが、タイトルの現れ方がとてもお洒落。
冒頭、マッチングアプリで会った男性(チャド)の「マッチングアプリで出会うダメな男性要素詰め合わせ」具合はとても見事で、あのシーンだけで見せ方の上手さがわかります。
しかしまぁ、いきなり性器の写真を送ってくるとかは、世界共通なのですね……。
結局スティーブが結婚していたのを知るというのも、最後にチャドからメッセージが来るのも、序盤の伏線を回収したオチもお見事でした。
コメディ寄りですが、同じカニバリズムを扱った『ヴィーガンズ・ハム』に比べれば真面目。
スティーブのノリノリな調理シーンは笑ってしまいますが。
また、殺人鬼目線だった『ヴィーガンズ・ハム』に比べて、『フレッシュ』は被害者側目線だったので、それなりに絶望感も漂います。
ポップに描いているのでそこまでシリアスではありませんが、ノア側に感情移入してみると、けっこう『マーターズ』や『ムカデ人間』並みのリアルなエグさもあるように感じました。
ただ、ラスト近くでは、性器を噛みちぎられた上に殴られまくったスティーブが間抜けな格好で執拗に追いかけてくるあたり、もはや不死身すぎてギャグ度が高めになっていました(噛みちぎられてはいなかったのか?)。
テンポよく獲物を捕まえて調理していった『ヴィーガンズ・ハム』に比べて、ノア目線の『フレッシュ』は必然的にテンポはゆっくりめ。
それが監禁されて死が迫る恐ろしさにも繋がっており、巧みな演出によって冗長さは感じさせませんが、個人的にはもう少しコンパクトにまとめても良かった気もします。
と、ついつい似ている部分があるので比較して書きましたが、『ヴィーガンズ・ハム』とはまったく毛色は違う作品なので、それぞれの良さがあり、どちらも好きです。
本作ではとにかく、出てくる料理がすべて美味しそう。
料理の映し方や食べる音は、特にこだわりが感じられました。
見た目は普通の美味しそうな料理なのに、「人肉でできている」と想像するだけでちょっと不気味なものに見えてきて抵抗感が生じるのは、面白いものです。
人間の想像力に起因する恐怖、嫌悪感と言えるでしょう。
ノアを演じたデイジー・エドガー=ジョーンズと、スティーブを演じたセバスチャン・スタン。
演技を含めて2人がとても魅力的だった点も、本作の質を底上げしていました。
特にセバスチャン・スタンの、イケメンながらややダサい感じも湛えたサイコなスティーブ像がとても好き。
デイジー・エドガー=ジョーンズは、ちょっとだけアン・ハサウェイの面影を感じました。
Disney+限定での配信作品ですが、こんな攻めた作品も配信しているんだな、と感心。
特に序盤、ディズニー作品をちょっと馬鹿にしている会話があったのが面白い。
しかし本作は、フェミ映画とまでは言いませんが、構成は非常に近年のディズニー作品に類似しているように感じました。
男になんか頼らない、と言わんばかりの強い女性たち。
女性を搾取するか、役に立たないだけの男性たち。
特に、ノアの親友モリーの元彼ポールが、ヒーローになるかと思いきや結局まっっったく何もしない役立たずで終わってしまったところなんか、まさに近年のディズニー感が強めです。
ただ、最後にスティーブの妻アンもしっかりと制裁を受けたのは、カタルシスがありました。
「あんたみたいな女が問題なのよ」は名言ですね。
監督のミミ・ケイヴが女性であるのも、面白いところ。
あとは、ミュージカルとまではいきませんが、スティーブの調理シーン含めて、ちょいちょい音楽に合わせて踊るシーンがあるのも、ディズニーっぽさがありました。
あえて冒頭でディズニー作品の会話をさせているあたり、当然ながら意識してる部分もあったのでしょう。
唐突かつ「今ここで踊らんやろ」なダンスシーンがポップなコメディ度を高めていたと思いますが、音楽もどれも好きでした。
お尻を切り取られて歩きづらそうだったノアが、ノリノリでダンスしていたのは潔い。
エンドロールでは、スティーブから人肉を購入していたと思われる変態セレブたちが映っていましたが、何か1人、裸でめちゃくちゃインパクトのあるおじさんがいました。
気になる。
気になりすぎる。
購入者側のエピソードも、ぜひ見てみたいものです。
とにもかくにも、社会風刺的な要素を抜きにしてもシンプルに面白く、好きな作品の仲間入り。
考察:登場人物の心理:好奇心が危険を招く(ネタバレあり)
恋愛に苦手意識があった本作の主人公、ノア。
そんな彼女がマッチングアプリを使っていたのは、やはり心の底では何かしら求めていたものがあったのでしょう。
それは単純に異性、恋愛というものでもあるでしょうが、より抽象的には、「今、足りない何か」であったと考えられます。
夜道で背後の人影を気にするなど、普段から隙が多いわけではなく、むしろしっかりと慎重なノア。
そんな彼女が軽率にスティーブに連絡先を教えてしまったのは、好奇心に他なりません。
普段はとても慎重な人が、不意に驚くような危険に踏み出してしまう、というパターンは多く見られます。
ノアはおそらく、友達にも恵まれ、それなりに楽しい日々を過ごしていましたが、どこか物足りなさや孤独感を抱えていたのでしょう。
それが、スーパーという日常で出会った非日常に、ほのかに危険の香りを感じながらも惹かれてしまった理由です。
今に満足していれば自分と似た相手を選びやすいかもしれませんが、現状に物足りなさを感じている場合、自分にないものを持っている人、知らない世界を見せてくれそうな人に、ふと惹かれてしまうのです。
その心理には、好奇心も多く含まれています。
自分の知らない世界は、現状に不全感を抱いているほど魅力的なものに映るでしょう。
悪い男性に引っかかって、最悪死を迎えてしまう女性の事件も、枚挙に暇がありません。
男女の関係、特に恋愛的な関係性は、精神科医・心理学者ユングの言うグレートマザーの属性である土や肉へと還元されます。
他の考察でも多々触れていますが、グレートマザーは母性の普遍的なイメージで、「生命を生み出し、包み込み、育む」という肯定的な側面と、「すべてを呑み込み、死に至らしめる」という否定的な側面を持ちます。
肉や男女の関係をメインに描かれる本作は、まさに肉欲的な、刹那的な快楽に呑み込まれ堕落する人間の愚かな側面を描いていると言えるでしょう。
ノアだけではなく、スティーブも、その妻アンも、そのイメージに取り憑かれ、呑み込まれた存在です。
スティーブはサイコパスのようでありながら、ノアを特別視していたように、愛情を求めていた様子も窺えます。
アンも、おそらくスティーブによって自らの脚を失いながらも、スティーブと家族を築き、尽くしていました。
それぞれ、自分を認め受け入れ包み込んでくれるような存在を求めていたことが推察されます。
ノアに関しては、最初は現状への物足りなさや好奇心の側面が強かったでしょう。
好奇心は人間の理性的な働きであり、人類が発展したり文明を築いてきたのも好奇心の力ですが、グレートマザーの巨大な力の前では、一瞬で呑み込まれてしまいかねません。
男女関係に限らず、好奇心の犠牲になる物語は、昔話でも多く見られます。
そこで助かるか助からないかは、運要素も絡みながら、自分の全存在を賭けた判断に委ねられます。
『グリム童話』において、「トゥルーデおばさん」という話では、好奇心に駆られて森の魔女に会いに行った少女が、魔女の正体を目撃したことを口にしてしまい、一瞬で木材に変えられて火に投げ込まれるという壮絶な死を迎えます。
一方、ロシアの民話「美しいヴァシリーサ」という話では、主人公のヴァシリーサという少女が、魔女的な存在に踏み込みすぎなかったおかげで助かります。
このとき魔女的な存在は、「お前が、私の家の外で見たことばかり聞いて、家の中で見たことを聞かなかったのはいいことだよ。……あんまり物を聞きたがる人間は、食べてしまうのだよ」と言います。
明暗を分けたのは理屈ではなく、相手に合わせた感覚的な聡明さです。
その意味では、ノアが助かったのは聡明であったからというよりほとんど力業であり、運要素が大きかったと言えるでしょう。
そこには、ちょっとお間抜けなスティーブのミスが大きく影響していました。
ただ、ミスに付け込むことができたのは、ノアが巧みにスティーブを騙し、諦めずに機会を窺い続けたからです。
スティーブ目線で見れば、スティーブのミスもまた、ノアに受け入れられることを求めていた盲目さから生じた油断によるものです。
スティーブもスティーブで、おそらく今に満足しきれておらず、自分を包み込んでくれる新たな存在を求めていたことで危機に陥り、死に至ってしまったのでした。
スティーブは、誰かの人肉が、それを食べた他者の一部となる(一体化する)ことにも美学を感じていました。
スティーブの親に関する話は、もちろん嘘だった可能性も高いですが、意外とあれは本当の話で、母性的な愛情を求めるようなちょっとマザコン的な要素があったのかもしれません。
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