作品の概要と感想(ネタバレあり)
小さな村で暮らす若く美しい女性ミンが、原因不明の体調不良に見舞われ、まるで人格が変わったように凶暴な言動を繰り返す。
途方に暮れた母親は、祈祷師である妹のニムに助けを求める。
もしやミンは一族の新たな後継者として選ばれて憑依され、その影響でもがき苦しんでいるのではないか。
やがてニムはミンを救うために祈祷を行うが、彼女に取り憑いている何者かの正体は、ニムの想像をはるかに超えるほど強大な存在だった──。
2021年製作、タイと韓国の合作作品。
原題は『랑종』、英題は『The Medium』で「霊媒」の意。
『哭声/コクソン』のナ・ホンジンが原案・プロデュース。
もともとは『哭声/コクソン』の続編的構想であったようですが、タイの祈祷師をモチーフに本作へと受け継がれ、『心霊写真』などのバンジョン・ピサンタナクーンが監督を務めオリジナル作品に。
このあたりも「継承」っぽい感覚があって面白いですね。
いや、これ。
評価も高めですし期待していたのですが、その期待を上回る、個人的に大っっっ好きな作品でした。
スリラーやサスペンスを除き、純粋なホラーとしてはトップレベルに好きです。
他にトップレベルで好きなのは『コンジアム』なので、何だかんだモキュメンタリーやPOV作品が好きなようです。
ヒトコワ系はホラーよりもスリラーやサスペンスに近いと思っているので、純粋にホラーと言えばやっぱりオカルト。
しかしオカルトはあまり信じていないというタチの悪い人間のため、CGやメイクで幽霊の実体が出てきてしまうと醒めてしまうので、「恐ろしい現象が起こる」「取り憑かれた人がおかしくなる」といった演出が合っているのかな。
大自然というのは、それだけで畏怖を感じさせるものがあります。
特に自分は都会生まれ都会育ちで、幼少期もあまり田舎に縁がなかったので、地方、田舎、大自然といったロケーション自体に憧れがあり、同時に非日常感を抱きます。
特に、そういった地方に残る宗教、儀式、信仰といったものはなおさら。
そのあたりも、本作が好きな要因だろうと自己分析。
アニミズムは日本古来の神道も同じなので、感覚的にもわかりやすい。
そして本作はとにかく、モキュメンタリーの中でもリアル感がすごかったです。
ファウンド・フッテージでありながら、発見された映像そのままではなく、ドキュメンタリー調に編集されているので、特に前半は本物のドキュメンタリー感が強め。
映像の美しさや演出も素晴らしく、前半は本当にドキュメンタリーを見ているようでした。
1年ほど現地で取材したり、バヤンを讃える歌は実際に現地の人たちに作ってもらったオリジナルのようです。
リアルさにはもちろん、キャスト陣の素晴らしさも欠かせません。
ニムを筆頭に、「本当に存在している」感が尋常ではありませんでした。
ミンの怪演も言うまでもなく、撮影期間中に1ヶ月休み、10kg近く体重を落としたそうです。
上映時間は131分で、前半の日常シーンが長めだった印象もありますが、それが本作において重要であったと感じます。
伏線が色々あるのを別にしても、現実と創作の境界が曖昧になるほどのリアルさが、後半の怒涛の展開にもかかわらず圧倒的リアリティを維持した要因になっていたでしょう。
飽きなかった要因としては、ジャンルや雰囲気がどんどん変わるのと、ホラー愛が感じられた点も挙げられます。
序盤は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『テイキング・オブ・デボラ・ローガン』のようなインタビューを交えたドキュメンタリー。
それが途中から『エクソシスト』になり、『パラノーマル・アクティビティ』や『コンジアム』のような定点カメラの演出も挟んでからの、『来る』のような謎に高揚感がありテンションが上がる儀式、そして『REC/レック』のような阿鼻叫喚のパニックを巻き起こす地獄絵図。
それでいて、ただホラーの様々な手法の良いとこ取りをしただけの作品ではなく、タイの文化や宗教観を軸としたオリジナリティ高い作品に仕上がっていました。
ピカピカと電飾の施されたパリピのパーティのようなお葬式も新鮮でしたし、エレクトリカルパレードみたいなクリスマスのショーとか、ロケット花火?で火葬の着火をするところなんて「えっ、すごっ!」とちょっと笑ってしまいました。
あの着火、タイでは本当に行われているらしく、どうやって正確に打ち込んでいるのか気になります。
タイは12月でも暖かいようなので、クリスマスに半袖だったのも新鮮ですね。
個人的に、ホラーとしての最高潮ポイントはニムの死あたりであったと思います。
そこからはちょっと派手なエンタメ度が高めに。
この点は、監督のインタビューでも「リアルを追求し、カメラの手が震えたり、ライトを使わないなどのフェイクドキュメンタリーの工夫ではなく、今回のモキュメンタリーでは最初はすごく美しく撮りながら、次第に怖くなっていき、後半は全く違う様相になる……そういった雰囲気作りに一番心血を注ぎました」と述べられていたので、間違っていない認識でしょう。
あとから編集されているという演出になっているので、POVでありながら効果音やBGMが流れる点も違和感はありませんでした。
ただ、終盤のゾンビ犬おじさんの群れが襲ってくるシーンは、ホラー慣れしているとちょっと笑いの方が強めに感じられてしまうでしょう。
ゾンビ犬おじさんに襲われて食べられて死ぬのは、だいぶ嫌。
POVの宿命ですが、カメラマンたちの鈍臭さももどかしさは感じてしまいました。
しかしまぁ、ニムが死んだときの「あ、終わったな」感は尋常じゃありませんでした。
いつでもどっしり構えていて、何かあってもニムが来ると「どうにかしてくれそう」という安心感が、映画を観ている立場でも感じられました。
そんな存在感をリアルに醸し出していたのもすごい話なのですが、それだけにバヤン像の首が斬られていたのを見つけたときの慟哭と、あまりにあっさりとした死はゾッとするものがありました。
そんなニムの最後の告白も、とんでもない後味の悪さを残してくれます。
犬の殺害は間違いなく賛否両論でしょうが、個人的には本作においては必然性があったと思います。
エンドロールの最後でわざわざ「動物が登場するシーンは専門家の監修のもと撮影されました。この映画製作において動物に危害は加えられていません」と注釈してまで取り入れたのは、攻めの姿勢と、描きたいものへの徹底したこだわりを感じました。
さて、本作は大筋を追うだけでも楽しく、感想だけでも延々と続けられそうなのでこの辺にしておくとして、細かい点は謎も多い作品です。
監督が「観客がこの映画を観て自分と繋がるところがあり、様々な疑問を持つ。だからこそ、わざとはっきりと書かないで様々に考えてもらって楽しんでもらう。議論してもらうことを意図しているんです」と述べているので、あえてぼやかして描かれている点も多々あるのは確実。
個人的に、こんなブログを書いていながら「考察してね」系の作品は考察したくなくなってしまう天邪鬼なのですが、本作は好きなので数日考えてしまいました。
考察系の作品は考えるほど底なし沼で、当然ながらはっきりとした答えが出るものではありませんが、自分なりに考えたことを書き残しておこうと思います。
考察:『女神の継承』解体新書(ネタバレあり)
いえ、「解体新書」は言いすぎました。
というどうでも良いことはさておいて、人名が混ざりやすいので、まず簡単に登場人物の整理をしておきます。
ニム……女神バヤンの巫女
ノイ……ニムの姉。過去、女神バヤンの継承を拒否
ウィロー……ノイの夫。がんで死去
ミン……ノイの娘
マック……ノイの息子、ミンの兄。表向きは交通事故で死去
マニ……ニムとノイの兄
パン……マニの妻
ポン……マニの息子
サンティ……祈祷師
これらを踏まえて、いざ。
大筋の流れ
まず、必然的にあらすじを追う感じになってしまいますが、本作で何が起こっていたか、という流れの自分なりの解釈です。
細かい点は後ほど補足・解説します。
前提としては、「女神バヤンは存在した」という立場です。
そして、ミンに取り憑いていたのは、ミンの父方(ウィロー)の家系、ヤサンティア家を呪う人や動物の霊たちです。
ニムがウィローのお葬式に向かう道中、犬と思しき死体が道路に横たわっていました。
これは単なる偶然とも捉えられますが、凶兆として捉えています。
つまり、この時点ですでに不吉な出来事は始まっていました。
また、葬儀後、ミンがニムにメモを渡します。
このときミンに腕を触れられたニムは、不審そうに触られた腕とミンを見つめていました。
これらを総合すると、この時点ですでにミンは悪霊に取り憑かれ始めていたと考えています。
ミンの祖父→兄のマック→父のウィローと呪いや悪霊が移行し、ウィローの死によってミンが呪いの対象となったのです。
その後、ミンに不可解な言動が目立ち始めます。
これを、ニムやノイは、ミンが女神バヤンの継承者に選ばれたのだと考えました。
過去、自分たちの身に生じた症状と似ていたからです。
しかしこの点は、悪霊が、ミンが女神バヤンの継承者に選ばれたと勘違いさせるために偽っていたと考えています。
なぜか?
長年にわたって積み重ねてきたヤサンティア家の呪いを、ついに成就させるためです。
これまで、ヤサンティア家の男性が不幸な死に方で早逝してきたのは、呪いによるものでしょう。
逆に言えば、呪いにできたことと言えば、何とか不幸な死に方をさせる程度のものでした。
なぜ本作のタイミングで、ここまで惨劇が起こったのか?
それは、ヤサンティア家の血と、女神バヤンの巫女の血を引くミンが誕生したからです。
巫女の血を引くミンに取り憑くことによって、より大きな呪いを発動させることができたのでしょう。
呪いは、それこそウィローの祖先の時代から、かなりの時間をかけて積み重なってきています。
祈祷師サンティは「ウィローが、女神を拒んだノイと結婚したときから運命は決まっていた」と言いました。
おそらく、ウィローがノイと結婚したのも偶然ではなく、悪霊がウィローを操っていた側面があったでしょう。
ノイがバヤン継承を拒否したのは20代の頃ですが、ニムは「ノイとウィローは晩婚だった」と言っていたので、結婚したのはバヤン拒否のあとであるはずです。
話を戻すと、なぜ悪霊はミンが継承者に選ばれたかのように偽装したのか。
継承の儀式をさせるためです。
儀式によって、ミンがオープンな状態になる。
そこで、完全に乗っ取ろうとしたのです。
それまではまだ完全には乗っ取れていないので、ミンはミンなりにおかしいと思い、ウコンなどを用意したのでしょう。
実際にはバヤンはミンを選んでいないので、継承の儀式をしてもバヤンの継承はされません。
ただミンが隙だらけな状態になるだけです。
だから普通にバヤンの継承の儀式でも同じような結果になったのでしょうが、ニムとノイに一悶着あり、ノイは怪しい祈祷師に儀式をさせてしまいました。
これは悪霊にとってはより好都合であったでしょうし、もしかすると、そうなることまで予想していたかもしれません。
いずれにせよ、怪しい祈祷師のところに向かう車の中のシーンで、無気力・無表情のミンでしたが、窓ガラスに映ったミンは勝ち誇ったような悪魔的な笑顔を見せています。
これはすでにミンに悪霊が取り憑いていること、および祈祷師に儀式をさせることが悪霊の思惑通りであることの証でしょう。
案の定、マニから連絡を受けたニムが儀式を中断させましたが、時すでに遅し。
明らかにこの儀式からミンの状態はさらに悪化しました。
この時点でサンティの言う「キーを車内に置いて外に出た状態」になったのでしょう。
そして逃走したミン(実質、操っているのは悪霊)は、ヤサンティア紡績工場跡地へ。
ヤサンティア家に対する呪いや恨みが渦巻く場所であり、巫女の器の素質を持ったミンの身体は、より多くの悪霊を取り込みました。
ここからは主な流れはわかりやすいですが、何とかミンを発見しつつも、自分の手に負えないことがわかったニムは、サンティに相談。
儀式を前に、ニムは突然死。
そして、儀式は案の定失敗し、呪いは成就されたのでした。
細かい点あれこれ
というのが、大きな流れの自分なりの解釈です。
その他、細かい謎が残っているので、補足していきます。
①盲目の女性と遠くから見つめていた人影
葬儀の夜、ミンは記憶のないまま盲目の女性と見つめ合っていました。
その翌日、盲目の女性は死亡。
これは正直悩ましいのですが、目に見えない女性は何かしら感覚的に不吉なものを感じ取っていたのかな、と思いました。
そして正体を勘付かれることを恐れ、悪霊が盲目の女性を殺した、というのが一番しっくりくるように思います。
あるいは、惨劇の最後に映ったブードゥー人形(ヤサンティア家の名前が描かれ、釘がたくさん刺さっていた人形)は、そこまで古いものに見えなかったので、現代でもヤサンティア家を呪い続けている犠牲者の子孫たちがいるのかもしれません。
盲目の女性もその1人で、命を懸けてミンへの呪いを発動させたのかもしれませんが、その前の時点でミンは被害妄想に陥って暴れていたので、盲目女性がトリガーとまではいかないはず。
カメラマンとミンが歩いているとき、遠くに人影が見えたシーンもありました。
これが一番わからず、意味はないのかもしれませんが、意味があると考えると、これもまた犠牲者の子孫であり、ミンに呪いを送り続けいてたのかもしれません。
②女神バヤン像の首が斬られた意味と、ニムの死の原因
女神バヤンは、上述した通り「存在した」と考えています。
そして、悪霊化したりしたわけではなく、やはりニムたち一族を先祖代々守ってきた精霊なのだろうとも捉えています。
しかし、その力は決して強大なわけではなく、かつ、信じる心によって得られる力や加護は変わるのではないでしょうか。
バヤンはバヤンなりに、ニムたちを守ろうとしていたのではないかと思います。
しかし、自身を拒否するノイやミンたちを直接助けることはできない。
さらには、現巫女であるニムの信仰も揺らいだため、その力はかなり小さなものになってしまいました。
それによって、バヤンは悪霊に負けた。
その象徴が、首の斬られた像ではないかと思います。
タイミング的に、逃走したミン(悪霊)が斬り落とした可能性も高いですが、あのように綺麗に斬るのも難しいでしょう。
悪霊による超常的な力もあったかもしれませんが、あれは誰がどのように斬ったのかという現実的なことよりも、バヤンが悪霊に敗れたことを象徴するものとして捉えるのが良いのではないかと思います。
首を斬られていたのはもちろん、ヤサンティア家の先祖が大勢の首を刎ねていたことに由来するでしょう(死刑執行でもしていたのか?)
ミンが夢で見ていた長剣を持った男はその祖先であり、斬られた首がミンに訴えようとしていたのは、呪いの言葉かもしれません。
いずれにせよあの夢は、過去のカルマがミンに巡ってきていることの象徴です。
しかし、「赤いふんどしにベスト姿でお守りを身につけた巨大な男が、足を踏み鳴らし、剣についた血を舐めている」という図は、とんでもない光景であること間違いなし。
ニムの突然死は「ライタイ」と説明されていましたが、あれは実際にタイで社会問題になっているようです。
それはさておき、あの死もいくつか解釈があり得ます。
- バヤンの力が弱り、悪霊に殺された
- バヤンの存在を疑う言葉を口にしたので、バヤンに罰せられた
- 儀式での凄惨な死を回避するための、バヤンの最後の慈悲
個人的に浮かぶのはこの三つで、自分の選択は3です。
1は、ニムの存在は悪霊にとって厄介であったと思われるので、十分あり得ます。
一晩足らずでウジが湧くのも不自然なので、呪いが侵食してきた示唆とも捉えられます。
2は、タイ語で「ウジ」は「裏切り者」を意味するニュアンスもあるというのを見かけたので、それが本当なのであれば、自身への疑義を呈したバヤンによる罰とも考えられます。
ただ、これまでもノイは明確に拒絶しましたし、ニムも最初は嫌がってリストカットまでしています。
巫女になってからの態度が大切なのかもしれませんが、ここでいきなりブチ切れるのはやや不自然な気がしました。
そして、個人的には3で捉えています。
ヤサンティア家の呪いは一朝一夕ではなく、ものすごい長い月日をかけて積み重なってきた強大なものです。
祈祷師サンティの「運命は決まっていた」という発言はおそらく間違いではなく、ウィローとノイが結婚してミンが生まれた時点で、悪霊側の勝利は確定していたと言ってもおそらく過言ではありません。
マックがミンと近親相姦の関係を持ったのも、ミンが女神バヤンに選ばれないようにするため(継承者として相応しくない存在にするために禁忌を犯させた)とも考えられます。
そう考えると、悪霊に負け、巫女からの信仰を失い、継承者もいなくなったバヤンもまた、消えるしかありません。
もはや儀式の失敗は確定しているので、せめてもの慈悲として、ニムには穏やかな死を与えたのではないかと考えています。
③「この車は赤い」の意味
最後の儀式に向かう道中、マニの車の後ろに貼られていた「この車は赤い」というシール。
取材班から「ニムの死を考えると儀式には危険が伴うのでは?」という質問を受け、サンティはマニの車に「この車は赤い」と書かれたシールが貼られていることを指摘し、謎にニヤけました。
ちなみに、めちゃくちゃ胡散臭いサンティでしたが、本当にすごい力がありましたね。
これについて、監督は「タイ人の迷信なんです。例えば、車を買って、霊媒師や占い師に『この色の車をあなたが運転すると運が悪い』と云われたとしても、もう買い替えるお金がないんですよ。だからシールを貼っている。この考え方が最後の儀式に繋がっていく」と話しています。
なのでサンティの返答と態度は、ミンと見せかけて実はノイが入れ替わっているという、悪霊を騙すための儀式のトリックを示唆していたのだと考えられます。
「危険が伴うのでは?」に対してこの答えは若干ずれているようにも感じられますが、それだけサンティにはこの偽装トリックに自信があったということかもしれません。
実際、パンの邪魔が入らなければ、儀式は成功していたのではないかとすら思えます。
④悪霊の入念な準備
しかし、そこは悪霊の方がさらに1枚上手でした。
伊達に長い時間をかけて準備してきたわけではありません。
儀式は、ミンを閉じ込めた部屋の結界をパンが破ってしまったことで失敗しました。
観ていた誰もが思ったでしょう。
こいつが大戦犯だと。
弟子もカメラマンも、命を懸けてもカメラを投げ出してでも止めろよと。
しかしこのシーンにも、悪霊側の入念な準備が窺えます。
まず、固定カメラの映像で、ミンが寝ていたパンのお腹に触れ、パンが痛みを訴えたシーンがありました。
あのときにおそらく何かしら呪いをかけており、それによってあの瞬間にベビーベッドのポン(赤ちゃん)が見えなくなったのだと思われます。
儀式の数日前に、ミンがポンを連れ出した事件がありました。
あのとき、ポンは無事に外で見つかっています。
あれも決して慈悲などではなく、「ポンの泣き声を学習する」「マニとパンの反応を見る」という二つの目的があったものと思われます。
そして案の定、マニとパンが我を忘れ血相を変えて追いかけてきたので、囮に使えると踏んであの時点では殺さなかったのでしょう。
これらの準備によって、パンを利用してミンの部屋の結界を破らせたのです。
つまりは、ノイを囮にするというサンティの策略が見破られていた、あるいは予測されていたことを示唆します。
都合が良すぎるとも捉えられますが、本作においては結局、圧倒的に悪霊側の方が上回っていたのは間違いないでしょう。
であるにしても、ミンを閉じ込めた部屋の外にパンとポン、そして弟子とカメラマン2人だけで待機させたのは、愚かでしたね。
⑤ノイに乗り移ったのはバヤンだったのか?
儀式終盤、サンティが死んだあと、ノイは「バヤンが私と一緒にいる」と言って儀式を続けさせました。
これは本当にバヤンが乗り移ったのでしょうか?
そして、線香を逆さに挿して呪いを発動させたのは、バヤンが悪霊化していたからなのでしょうか?
個人的な答えはノーで、あれもやはり悪霊の仕業と考えます。
バヤンの振りをして儀式を続けさせたことで、その場にいたほぼ全員が犬の悪霊に取り憑かれました。
カメラマンが影響を受けなかったのは、線香をノイに渡さなかったからかな、と思います。
自分の解釈が正しければ、最初にミンに取り憑いたときもバヤンに選ばれた振りをしていたわけですし、中盤でも「自分はバヤンだ」と名乗りニムを挑発しました。
バヤンの振りをして惑わせるのは、悪霊の得意技と言えます。
儀式の前、寝ているノイの上に乗って覗き込むミンの姿が固定カメラに映っていました。
これもまた、悪霊による事前の仕込みであったと考えられます。
その後現れたミンに対して、ノイは「悪霊よ、娘の身体を返せ。偉大なるバヤンの前にひれ伏すのだ」と言いましたが、これはノイがトランス状態みたいになっていたのかな、と考えています。
悪霊も相手を完全に乗っ取るのは難しいようですし、ノイの自我は残っており、彼女は彼女なりに本当にバヤンが助けてくれていると考えており、極限状態であることも手伝ってテンションが上がり、トランス状態のようになっていたのではないか。
さすがに、バヤンが「偉大なるバヤンの前にひれ伏すのだ」といきなりのオラオラ系で登場するのは違和感がありますし、悪霊の影響であったと考えるのが自然です。
ノイはミンの頭に手を乗せ、呪文を唱えていましたが、あの呪文はおそらくニムがミンに行っていた除霊(指先をコップの水につけていたシーン)のときと同じものでした。
あのときに聞いたのをただ真似したか、巫女の家系なので知っていただけであると思われます。
結局また悪霊に騙され返り討ちに遭い、燃やされてしまいました。
わざわざノイが燃やされたのは、過去の恨みの一つ、ウィローの父が保険金目的で放火したのが、最終決戦の舞台となったヤサンティア紡績工場であったからでしょう。
その際、大勢の従業員や動植物が被害に遭ったと考えられます。
ミンを完全に乗っ取った今、恨みを晴らすべき最後の対象はノイです。
彼女はヤサンティア家の血を継いではいませんが、犬肉を売るという因果な商売をウィローの母から引き継いでいました。
ニムの心理:見えないものを信じることの難しさ
『女神の継承』においてインパクトがあるのは、やはり最後のニムの独白でしょう。
まさかの、バヤンを感じたことがないという告白。
実はバヤンは存在しなかった、あるいはニムは巫女ではなかったのでしょうか。
この点は、すでに「バヤンは存在していた」と捉える立場であることは上述していますが、ニムが巫女であるというのも間違いなかったのではないかと思います。
ニムが神秘的な現象や奇跡を起こしたことは、証拠としては何もありません。
相談者の不調を治したのも、心理的な効果があっただけかもしれません。
しかし、ミンに腕をつかまれて何かを感じ取ったり、儀式を行って割った卵の中身で真相を見抜いたり(あれ、大量に卵準備するの大変そう)、呪文を唱えてミンから悪霊の一部を追い出したり(指先からコップの水に黒い液体が流れたシーン)、などなど実際に超常的に見える力を発揮しています。
これを、偶然や直感、心理的な効果と捉えるか。
実際に神秘的な力があったと考えるか。
科学的に考えれば、偶然や直感で説明がついてしまうかもしれません。
宗教的に考えれば、精霊の力によるものと信じるべきです。
ニムは実際、何かしらを感じてはいたのでしょう。
しかし、それがバヤンの力によるものという確証が持てていませんでした。
何か他の異質なものの力なのかもしれない。
あるいは、もしかしたらただの偶然なのかもしれない。
最初から「バヤンが自分の中にいる」という実感を持てていなかった彼女は、そんな不安をずっと抱えていたはずです。
しかし、「この車は赤い」というのと同じく、「これはバヤンの加護なのだ」と自分に言い聞かせていたのでしょう。
上述した通り、信じる力がバヤンの力を得る条件であったのだろうと、個人的には考えています。
その信じる力が、今回の事件を通してどんどん弱まってしまいました。
そこには悪霊の計略もありましたが、ニム自身の問題も絡んでいたと思われます。
まず、ミンに異常が現れ始めた際、ニムの初動が遅れた感があるのは否めません。
もしかすると、ミンの最初の異常は、実際にバヤンが継承者として選んだ可能性もあるかもしれないとも思っています。
ただしこれは、悪霊がミンを狙っていることを知ったからであり、ミンを守るために自分が入り込もうとした、という解釈です。
そうであれば、早めに継承の儀式をやっていれば、事態は変わっていた可能性もなくはありません。
悪霊の方がよほど上手で時間をかけていたことを考えれば、どちらにせよ不利だったとは思いますが、ラストチャンスは実はあの序盤だったのかもしれない。
そもそもミンが継承を拒絶していたのもありますが、ニムにも迷いがあったはずで、それはバヤンへの信仰を弱めるものでもありました。
具体的には、「バヤンはもう自分を捨ててミンを選ぶのか?」という考えです。
ニムは若い頃、都会の服飾学校に通っていましたが、そのときにノイの継承拒否によって継承者として選ばれてしまいました。
その後、死にたいと思うほどの葛藤を経て、巫女の道を歩み始めます。
真面目なニムは、自分のやりたかったこと(ファッションの道)を諦め、結婚もせず、バヤンが自分の中にいる実感も得られないまま、ひたすら巫女として尽くしてきました。
それが今、自分から巫女という立場がなくなったら、自分には何が残るのだろうか?
年齢的な理由でそろそろミンが選ばれるのは不自然ではないと言い聞かせたとしても、そんな強烈な不安がなかったはずはありません。
それが初動で出遅れ、自殺したマックがミンを呼んでいるのだというトリックに引っかかってしまった要因であると思えてなりません。
その後も、バヤン像の首が斬られたり、悪霊が「自分がバヤンだ」と惑わせてくるといったような出来事も経て、決定的になったのはノイの問いかけでしょう。
「バヤンはいるの?」「会ったの?」という問いです。
いると信じている。
しかし、会ったこともなければ、その確証を得たことはないのです。
さらには、ノイがバヤンを騙してニムに継承させようとした過去まで明らかになりました。
自分は本当にバヤンに選ばれた人間なのだろうか?
バヤンを強く信じるニムと、サンティが力を合わせれば、もしかしたら悪霊に勝てていたのかもしれません。
見えないものを信じること。
それが本作の肝であったと考えます。
それはこの映画を観ている観客にも問われているものでしょう。
バヤンは本当にいたのか?
良い精霊だったのか?
実は悪霊だった、あるいは悪霊になってしまったのではないか?
どう解釈し、何を信じるのかは、観る人の数だけあり得る作りになっています。
古き伝統や信仰が残る本作の舞台。
しかしそこでも、見えないものを信じるというのは非常に難しいことなのでした。
おまけ:悪魔の仕業?
最後におまけ。
トンデモ解釈として、実は本作は悪魔の仕業だったのではないか?という説を考えてみました。
これは、キリスト教的な悪魔です。
人格が大きく変わる、性的に奔放になる、下品な言葉で相手を罵る、相手の心の弱い部分を突いて惑わせる、動物のような動き、動物霊を操る。
これらはすべて、『エクソシスト』を筆頭としたキリスト教における悪魔を描いた作品のイメージと強く重なります。
ノイはバヤンの継承を拒み、キリスト教へと逃避しました。
ミンも、ノイと一緒に礼拝に参加している様子が描かれましたが、スマホを触っているなど明らかに信仰心は窺えません。
そんなミンに、悪魔が忍び寄って取り憑いた。
というトンデモ理論を採用すると、もしかしたら頼むべきは、最初のお葬式で登場した神父さんだったのかもしれません。
いや、神父さんが全員悪魔祓いできるとは限らないので、頼るべき存在はラッセル・クロウだったのかも(『ヴァチカンのエクソシスト』参照)。
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