【映画】ブレア・ウィッチ・プロジェクト(ネタバレ感想・考察)

映画『ブレアウィッチ・プロジェクト』のポスター
(C)1999 Blair Witch Film Partners, Ltd. All Rights Reserved
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作品の概要と感想とちょっと考察(ネタバレあり)

映画『ブレアウィッチ・プロジェクト』のシーン
(C)1999 Blair Witch Film Partners, Ltd. All Rights Reserved

映画学校モンゴメリー・カレッジの学生、ヘザー、ジョシュ、マイク。
3人は、ドキュメンタリー撮影のためにメリーランド州の森の中へ入ったのち、失踪。
1年後、彼らの撮影していたフィルムだけが発見された。

もはや説明不要、多くを語る必要がないなほど有名な、1999年の作品。
一人称視点で、まるで現実のドキュメンタリー・フィルムのように作成された、いわゆるPOV視点のモキュメンタリー作品
モキュメンタリー形式はホラー映画と相性が良く、遡れば1980年の『食人族』(のちにイーライ・ロス監督が『グリーン・インフェルノ』としてリブート)あたりが元祖になるようです。
しかし、『パラノーマル・アクティビティ』や『REC/レック』などの有名作品を含め、2000年代以降に無数に生み出されるPOVブームを巻き起こしたのは、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の影響で間違いありません。
超低予算でのヒットも話題になりました。

レビューなどを見ると、結局何も起こらない、何もはっきりと映らないという点が、賛否両論のようです。
この点、個人的には気にならず楽めたのと、はっきりさせないからこそ、当時大ヒットしたのではないかと思います。
その派生系がたくさん生まれた今、改めて観て物足りなさを感じるのは仕方ありませんし、それで批判するのも的外れです。

1999年あたりは、インターネットが普及してきて一般的なものになり、携帯電話も多くの個人が持つようになってきた時期です。
個人のホームページなども流行しており、2ちゃんねるなどの掲示板はありましたが、SNSと呼べるようなものはまだない時代。
ある意味では、圧倒的な情報の広さと、一方では不自由さが同居していた、マニアックな過渡期。
インターネットが一番混沌としていて面白かった時代だと思っています。

そのため、面白いものが話題になる一方、今のSNSほど情報伝達は広く速くありません。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、公開当初、モキュメンタリー作品、つまりフィクションではなく、本当の出来事だと誤解した人も多くいたそうです
SNS全盛期の現代であれば、情報が一瞬で手に入ります。
POVのモキュメンタリー作品も一般的になり、誤解する余地がそもそもほとんどありません。

当時はまだあまりメジャーではなかったPOVのモキュメンタリー作品、それを黎明期のインターネットも活用して宣伝を行っていったことが、これだけのヒットに繋がった要因でもあるのでしょう。
さらに、表現が曖昧な場合、考察の余地が生まれます。
本当に魔女の仕業なのか、人間の仕業なのか、それすらもわからない『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』
だからこそ、ああでもないこうでもない、こうじゃないか、いやこういう考えもあるんじゃないか、といった考察が盛り上がることで、より話題性が広がります。

何だか社会的な話になってしまいますが、現代は「わかりやすさ」が求められがちです。
そのため、結末や細部がはっきり描かれないだけで、「わからない」と敬遠されやすい。
逆に、「さぁ考察してください」といった点をあからさまに押しつけてくる作品も、いやらしさが目立ちます。
そんな「我慢したり自分なりに考えたりすることが苦手」な受け手も増え、様々な手法が使い尽くされて、一瞬で情報が集まる現代で「斬新さ」を生み出すのは、なかなか難しく大変だなぁと思います。

さておき、そんな時代背景もあってヒットしたと考えられる『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』。
もちろん、決して完璧な作品ではありません。
中盤までは、やや冗長な部分もあり、というより、中盤あたりは道に迷った3人がひたすら喧嘩
いや、まぁ、そこまで言わんでも、というか自分を棚に上げすぎでは、といったような醜い言い争いが続きます。
HSP(念のため、HSPはまだ学術的な概念として確立していません)のような、自分が怒られていなくても誰かが怒っているのを見るだけでストレスを感じるような人には、向いていないかもしれません(そういう人はそもそもホラー映画を観ないかもですが)。

ホラー映画の若者たち、だいたいあんまり仲良くなさそうで、途中で喧嘩しますよね
仲良くないのに旅行行ったりドキュメンタリー撮ったりしてるのかな。

真面目に考えると、POV作品の場合、『REC/レック』でも触れましたが「撮り続ける自然さ」が必要です。
「いや、こういう状況で撮影を続けないだろ」という観客の突っ込みを代弁するキャラクターが「おい、撮影やめろよ!」と言い、しかしそれに「嫌よ!私は撮り続けるの!」と応えさせることで、自然かどうかはさておき、撮影し続けている不自然さに何も触れないで進んで観客が白けてしまうのを防いでいます。

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の場合、映像が古いので、それがリアルさも生みますが、何が起きているのか、登場人物たちが何に驚いているのかいまいちよくわからない部分もありました(曖昧に描かれているので、という意味ではなく、解像度的な意味で)。
あと、画面は終始揺れるので、やっぱり酔います
穏やかなシーンでも、がっくんがっくん揺れまくります。

かの有名な、顔のアップのシーン。
思ったより唐突にあのシーンが始まり、そこから一気に不穏さが急上昇
緊迫と恐怖を張りつかせた演技が、観ている側の緊張感を否が応でも高めます。
録画されていない間の情報が観客側には抜けるので、「撮影されていないこの短い間に、何があったんだろう」という想像力を喚起させる演出も上手いと感じました。

ラストは結局どうなったのかわからないまま幕を閉じますが、マイクが背を向けて立っていたのは、序盤でインタビューしていた際、数人が話していた昔の事件の話が反映されているのだと思います。
「1940年に子どもたちが何人か失踪した。パーさんが市場へ来て『やっと終わった』と言っていた。警察がパーさんの家を捜索すると7人の子どもが死んでいた。子ども2人を地下室に連れて行き、1人に背を向けさせた。もう1人を殺してから、後ろを向かせた子どもも殺した」といった話です。

確かに、さらに進化した作品たちを楽しめる現代においては、古さを感じるのも仕方ありません。
ただ、当時、もし何も知らずに観て、本物のドキュメンタリー・フィルムだと勘違いした場合の恐怖感は、相当なものだったのではないかと思います。
その場合は、決定的なものが何も写っていないからこそ、より一層、恐怖と想像力をかき立てるものになったはずです。
願わくば、そんな条件で観てみたかった作品でした。

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