
作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
2022年4月。
とあるMAスタジオにて。
それは丁度『ほんとにあった!呪いのビデオ96』ナレーション収録の最中のことであった。
シリーズ1~7まで構成・演出を担当し、現在までシリーズを通してナレーターを務めている中村義洋が、収録予定だった投稿映像のうちの1本を、24年前にも見たことがあるのだという。
ただし理由があって当時は採用しなかったのだというのだが──。
2023年製作、日本の作品。
モキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)の日本における老舗と言ってもいいであろう、いわゆる「ほんのろ」シリーズの劇場版。
モキュメンタリーなどと表現するのはもしかして営業妨害?と若干心配にもなってしまいますが、さすがに大丈夫でしょう。
略称表記は「ほん呪」かと思っていましたが、公式が「ほんのろ」と書いていたので、ここでは公式の表記で統一しておきます。
さて、そんな歴史ある「ほんのろ」シリーズですが、ちゃんと観たのは本作が初めてでした。
相変わらず基礎がなっておらず、ホラー好きの風上にも置けません。
おそらく、断片的にいくつか観たことはあると思うのですが、以前はあまり心霊系に興味がなかったこともあり、今となっては履修しておきたかったなと痛恨の極み。
そのため、個人的には残念ながらそれほど思い入れはないのですが、1999年に始まったこのシリーズを追ってきたファンの方々には、2023年についに100作目にして劇場版というのは、とても感慨深いんだろうなぁと思います。
その感慨深さ、味わいたかった。
しかも、ほとんど観たことがなくても知っている「おわかりいただけただろうか……」のフレーズをナレーションし、シリーズの基礎を築いた中村義洋監督が登場するというのも熱い。
ちなみに中村義洋監督、名前は初めて意識したなと思ったら『残穢【ざんえ】―住んではいけない部屋―』の監督もされてました。
なるほど、それを踏まえると『残穢【ざんえ】―住んではいけない部屋―』の解像度もちょっと上がる気がします。
老舗だけあって心霊映像の完成度が非常に高く、それだけでもとても好きでした。
展開的には、心霊映像の謎を追っていき徐々に真相が明らかになっていくだけ、と言っても過言ではないのに、飽きることなく楽しめました。
今でこそ、『フェイクドキュメンタリーQ』を筆頭に、古いビデオテープの質感を巧みに再現したモキュメンタリーはたくさんありますが、その源流を味わえた気がします。
はっきりとは映らない、けれど確かに何かがいるような映り込み方、等の程良いリアルさも、匙加減が絶妙。
百戦錬磨の(?)スタッフたちが追い込まれていくところもスリリングでした。
特に、かつて和子さんが住んでいた家を夜に探索したシーンは、本当に何か人影が見えてきそうな抜群の雰囲気。
それだけに、人影が映る3つのシーンがありましたが、3つ目はけっこうがっつり映ってしまっていたのが、個人的にはマイナスでした。
ただ、それがないとシゲモリ氏が今も彷徨っているという推察に繋がりづらいので、仕方ありません。
見たら呪われるビデオというのは、『リング』の名前を出すまでもなくもはやザ・王道な感染系ですが、何らかの感染症になるという呪いがやや目新しい。
しかも、本作が製作および公開された2023年当時は、コロナ禍がようやく落ち着いてきて不謹慎とまでは叩かれづらい、けれどまだまだ影響や爪痕は残っているという絶妙な時期。
あえて感染症を取り扱った姿勢は、攻めを感じます。
当時観ていたらさらに、フィクションとはわかっていても漠然とした不安が喚起されていたでしょう。
内容というかストーリーに関しては、あまり細かいところを突き詰めて考えるものではないだろうと思います。
なので以下は、ざっくりめに整理してみましょう。
まず、根本原因となっていたのは、ママさんバレーの監督をしていた神主でもあるシゲモリ氏でした。
彼が、教えていたママさんバレーのメンバーであった和子さんにストーカー行為。
和子さんに受け入れられなかったため、疱瘡神を神迎えすることによって和子さんを感染症にし、自身が枕元でずっと看病する、というトンデモ作戦を打ち立てました。
この作戦内容には謎が多いですが、神迎えの映像で疱瘡神を和子さんのもとに送り込むとともに、ミミズクの仮面を被ったシゲモリの生き霊(?)もついていった、という感じかと思います。
ミミズクは神迎えの際に使われていましたが、そのフリをすることによって自分も神迎えに便乗できるのかというのは説明がなく、かなり飛躍を感じます。
浮かぶのは、和子さんのもとへ向かう疱瘡神の後ろをこっそりついていったのかな、といったやや滑稽な図。
一応「ストーカーの心理」という観点で少々見てみると、この時点でシゲモリは、その作戦によって和子さんが、そして自分がどうなるかについては、ほとんど無頓着であったと考えられます。
ストーカーは様々な心理状態が複合していますが、あえて一つに絞って象徴的な感情を挙げるとすれば「執着」です。
相手を思う「愛情」ではなく、自分のことしか考えていない「執着」。
時に、それは自己破滅的な選択すら厭わないほどの執着心となります。
この作戦によって、和子さんのそばにずっといられる。
そのことしか頭の中にはなかったのでしょう。
しかし、和子さんはまさかの肝炎によって死んでしまいました。
この作戦が成功したのだという前提に立場、いわば予防接種をしたら重症化して死んでしまったような感じでしょうか。
そして、霊と化したシゲモリは、そのことを認識できなかったようです。
24年経った今でも、和子さんの家で和子さんを探し続けているようでした。
そして、24年後の現在。
なぜか再びこの映像が出回りました。
大学生の鷲巣さんによって「ほんのろ」スタッフに送られてきたこの映像は、当時のものよりもカットされ短くなり、全体が赤みがかっていました。
その映像は、鷲津さんが初詣に出かけた際に突然AirDropで送られてきたとのこと。
その映像を観たことにより、「ほんのろ」スタッフも不幸に見舞われます。
みんなそれぞれ感染症にかかり、重症化したスタッフも。
ですが、これが本当に呪いのせいかはわかりません。
それは和子さんの死にも言えることですが、因果関係の証明は不可能です。
そこに呪いという因果関係を見るか、「呪いをかけられたのでは」という心理的影響によるものと考えるか、あるいはただの偶然と考えるか。
それは観た人それぞれの解釈に委ねられます。
スタッフが付き纏われていた人影も、ずっと和子さんの家を彷徨い続けているらしいシゲモリであると考えるには不自然です。
ストーリーのメインは、現在送られてきた映像を辿って24年前の謎を解き明かす、ということにありました。
現在の鷲巣さんにまつわる話はおまけ程度で、やや蛇足でしょう。
なのでここも深入りは避けますが、鷲巣さんにAirDropで映像を送りつけたのは、隣に住んでいた大学院生の女性であったことが示唆されていました。
彼女がこの映像をどう入手したのか、その効果をどう知ったのか、映像がなぜ短くなって赤みがかっていたのかは、完全に謎のまま。
唯一ヒントっぽく示されていたのは、失踪当時のシゲモリには小さな女の子の赤ちゃんがいた、ということでした。
これがこの女子大学院生であった可能性は高そうです。
ただそれでも、上述した謎は解決しません。
いずれにせよ、本作で描かれていた恐怖は、心霊映像でありながら執着に塗れたストーカーの恐怖でした。
ストーカー規制法ができるきっかけとなった1999年の桶川ストーカー殺人事件も絡めていましたが、執着の強いストーカーと霊というのは相性が良いのかも、と改めて思ったのでした。

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