作品の概要と感想(ネタバレあり)
台湾で感染拡大していた謎のウイルス「アルヴィン」が突然変異を起こし、人間の脳に作用して凶暴性を助長する恐ろしい疫病が発生した。
カイティンから連絡を受けたジュンジョーは生きて彼女と再会するため、狂気に満ちた街へひとり乗り出していく──。
2021年製作、台湾の作品。
読み方は「こくひ」。
どの場面カットを見ても真っ赤っかで、公開前から「公開できるのか?」などやばいやばい言われていた通り、スーパーハイテンションスプラッタ映画ことエクストリーム・ホラー。
その勢いはもう限界まで挑戦しているのかと思わせるほどで、開始10分ほどで血の惨劇がスタートしてからは、最後まで血と肉が飛び散り続けます。
序盤の電車内で、肩を刺されただけで天井まで噴き上げる血を見た時点で「おや?」と思いますが、人間の許容量を超えて溢れ出す血液は、もはやスプラッタというよりスプラッシュ・マウンテンばりの、文字通り出血大サービス。
作り物感はやや強めで、だんだん血と肉と内臓のインフレ状態になってくるのと、後半は殺戮パターンが刺す殴るばかりになってくるのも相まって、グロ・ゴア大好き勢(健全な意味で)からすると、若干の物足りなさも。
後半はカイティンとジュンジョーのドラマに重きを置いたのかもしれませんが、前半の方がフライヤーの油ばしゃ〜とか指ちょっきんとかバリエーションに富んでいたので、少しもったいない。
性的なシーンは多くはなく、それほど直接的には描かれませんが、狂いすぎている強姦シーンばかりなので、あれぐらいで留めておいてちょうど良かったかと思います。
終始エログロ満載なので、ウイルスという設定も合わせて、よく今の時代にこんな作品をぶつけてきてくれたなと拍手です。
本作が長編デビュー作であるロブ・ジャバズ監督も程よくイッちゃってる(良い意味で)素敵な監督なので、インタビューなどもぜひ読んでみてください。
もともとアニメーターでもあるとのことなので、『哭悲/THE SADNESS』もアニメやゲームのような雰囲気も感じられました(『DAYS GONE』とか)。
すでに次回作の構想もあるようなので、期待したい。
とはいえ、ストーリーは、あってないようなもの。
設定も、あってないようなもの。というより、科学的に細かく設定されているというよりは、「こういうものなんだ」として捉えるべきなので、そのあたりの矛盾を突くのは控えます。
それほど深みもないので、その分、ジェットコースターに乗り終わったあとのような感覚で、気持ち良かったしまた乗りたいけれど、改まっての感想もそれほどない、とうのが正直なところ。
個人的には、ここまでぶっ飛んでくれているのはとても好きでもあり、もう少しどこかしらを深掘りしてほしかったようなやや物足りなさを感じる作品でもありました(贅沢か)。
考察:恐ろしいのは感染者か非感染者か(ネタバレあり)
ダブルバインド
『哭悲/THE SADNESS』で描かれるのは、人間の攻撃性や暴力。
このテーマと内容は、貴志祐介の小説のいくつかに少し通ずるものがありました。
さておき、笑顔で猛ダッシュして連携を取りながら襲いかかってくる感染者たちは、それだけでインパクトがあります。
溢れる血や内臓に目が行きがちですが、あの笑顔が観る者の不安をさらに高めているのは間違いありません。
笑顔と恐怖の関連については『死霊のはらわた』の記事に詳しく書いてしまったのですが、安心感を与えるはずの笑顔が、状況にそぐわないと恐怖を与える対象になるというのは、とても興味深いです。
終盤、カイティンと発症したジュンジョーが会話するシーンでは、カイティンは笑っているのか泣いているのかわからないようにも見えました。
これも少し『ジョーカー』の記事に書きましたが、「笑う」と「泣く」も似ています。
心理学には「ダブルバインド」という概念があります。
一般的的に浸透してきている印象も受けますが、「矛盾した二つのメッセージを同時に受けると、人は混乱する」というものです。
たとえば、
母親「何でも好きなお菓子買ってげる」
子ども「じゃあこれ!」
母親「それはダメ」
というのもそうですし、明らかに怒ってる顔で「怒ってないよ」というような場合もそうです。
以前は、ダブルバインドは統合失調症を発症させる要因になるとまで言われていましたが、今はその見方は否定的です。
とはいえ、上述したような一貫しないメッセージは子どもに悪影響があるのはもちろんですし、
上司「何かわからないことや困ったことがあれば遠慮なくすぐに相談しなさい」
部下「ここがわからないのですが……」
上司「それぐらい自分で調べろよ」
といったようなコミュニケーションは、パワハラや、うつなどの精神疾患医も繋がり得るものです。
無意識にダブルバインド的なメッセージを発していることも少なくないので、自分の言動も見返してみましょう。
話が逸れましたが、「笑顔で残虐行為を行う」というのもダブルバインド的なメッセージであり、それが終始、観客の不安を煽り続ける効果を生み出していたメカニズムとなります。
目が黒目だけのようになるのは『コンジアム』を連想させますが、これも人間のようで絶妙にバランスが崩れているという不安定さに起因する不安を喚起させられるものでした。
攻撃性と脳
理性が残っているというのも、こういったゾンビ系の映画では斬新。
そもそもゾンビは一度死んでいる存在なので、感染者たちも「生きている人間」であるところがより残虐性を際立たせます。
ただ、一部のモブ感染者たちが、「うー」とか「あー」とか、動きが機敏なところ以外、普通のゾンビっぽくなってしまっていたところは少し残念でした。
せっかくなので、いわゆる粗暴な人のような、笑顔でブチ切れながら襲いかかってくるみたいな人がいても面白そう。
あるいは、笑顔で、でも涙を流して「殺したくない」「ごめんなさい」と言いながら残虐に殺害してくるのも面白そうです。
若干、人間性を疑われそうなので話を切り替えましょう。
博士の話だと「攻撃性と性欲や食欲が結びついてしまった」「大脳が制御不能になる」的な説明でしたが、その他の脳機能が無事だとすると、ここまで残虐になるのは説明がつきません。
そのあたりの機序は置いておくとして、現実的な概念で連想されるのは、高次脳機能障害や前頭側頭型認知症といった疾患です。
前頭側頭型認知症は、いわゆるアルツハイマーと違い、初期には記憶の障害はほとんど現れません。
攻撃的になる、欲求が我慢できなくなる、周囲の目を気にしなくなる、同じ言動を繰り返すといったような多様な症状で、「年齢のせいだろうか」と見過ごされがちです。
高次脳機能障害は、脳梗塞や交通事故などにより脳が損傷を受け、その損傷部位によって言語や運動機能に障害が生じるものです。
高次脳機能障害によって欲求コントロールが低下し、あるだけ食べ物を食べ続ける、あるだけお金を使ってしまうといったようなことは、実際にあります。
どちらにしても、前頭葉が萎縮なり損傷を受けると、まるで人が変わったようになってしまうことがあります。
前頭葉が、主に人間の理性を司っている部位なのです。
有名な事例としてフィニアス・ゲージという人物がおり、彼は仕事中の事故により頭に鉄の棒が刺さりましたが、奇跡の生還。
しかし、左前頭葉を大幅に損傷したことにより、周囲の人をして「もはやゲージではない」と言わしめるほどに人格が変わり、攻撃的になりました。
『哭悲/THE SADNESS』のアルヴィンウイルスは、前頭葉に影響を与えたという説明はなかったので、やはり感染者には理性的な部分は残っていたはずで、だからこそ罪悪感があり、涙も流していました。
なので、上述したように「殺したくないのに殺してしまう」というのを前面に出しても面白いように思ったのですが、それだとちょっと重苦しい感じになってしまいますかね。
ちなみにタイトルの『THE SADNESS』については、感染者も快楽と同時に心の底では絶望や悲しみ(sadness)を感じているという意味に、サディズム(sadism)の「sad」もかかっているのではないかと思っています(作中でも博士がわざわざ「サディズム」と言っていたので)。
人間本来の恐ろしさ
『哭悲/THE SADNESS』で描かれていたのは、人間本来の恐ろしさです。
アルヴィンウイルスが残虐なのではなく、ウイルスによって脳のバランスが崩れたことで残虐になりました。
つまりあの攻撃性や残酷さは、人間が本来持っていたものとして描かれています。
言い換えれば、彼らは「暴走した欲望にただ抗えなくなってしまっていただけ」でもありました。
一方で、感染していない、あるいは発症する前の人間についても、恐ろしい側面が描かれています。
まずは何より、タイラントかネメシスか(※『バイオハザード』の追いかけてくるクリーチャー)並みに追跡してくるビジネスマン。
彼があんなに大活躍するとは思いませんでしたが、電車内でしつこく話しかけてナンパしてきたかと思いきや、断られると逆ギレしてぶつぶつ呟いている時点で、ウイルスとは関係なくすでに怖いです(あれも発症しかけていて、理性がきかなくなっていたのかもですが)。
他にも、
電車内での惨劇の途中、無表情でスマホで動画を撮る人。
他者を押し除け、我先にと逃げようとする人。
感染者かどうかわからないから、人が見えても無視して指示通りシャッターを閉めようとする人。
乳児を実験台に使い殺害し、それに愉悦を感じていた医師。
感染者だと思ったのか口封じか、容赦なくカイティンを銃殺した(と思われる)兵士。
これらすべてを「あり得ない」と切り捨てるのは綺麗事ですが、恐ろしく残虐なのは、果たして感染の有無なのか。
コントロールがきかない感染者と、コントロールがきくはずの非感染者。
真に恐ろしいのはどちらなのでしょう。
性悪説を描いているというほどではありませんが、人間の醜い部分を眼前に突きつけてくる、なかなかにえぐい(=とても好きな)作品でした。
エンドロールも何だか情緒不安定で、徹底しています。
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