作品の概要と感想(ネタバレあり)
ニューヨーク郊外の邸宅で、誰もが羨むような暮らしを手に入れたハンター。
しかし、まともに話を聞いてくれない夫のリッチーや、ハンターを蔑ろにする義父母に息苦しさを感じる中、妊娠が発覚する。
ある日、ふとガラス玉を飲み込みたいという衝動にかられたハンターは、ガラス玉を口に入れて飲み込んでしまう──。
2019年製作、アメリカ・フランス合作の作品。
観終わってから気がつきましたが、意外とR15+なんですね。
中絶とかあるからかな。
さて、本作『Swallow/スワロウ』は「異食症(Pica)」という少し珍しいテーマを取り扱っています。
その病態はもちろんフィクショナライズされている部分もありますが、異食症そのものよりハンターの心理描写が丁寧に描かれています。
「やめて!そういう描き方、やめて!」と叫びたくなってしまう精神疾患描写も多い中で、マイナなテーマを丁寧に扱ってくれたのは嬉しいところです。
それもそのはず(かどうかはわかりませんが)、監督のカーロ・ミラベラ=デイビスは、過去に自分の性に対して違和感を感じたことがあったり、祖母が強迫性障害であったりしたようです。
特にジェンダーについては、生物学的には男性ですが、20代の頃には4年間ほど「エマ・ゴールドマン」という名前で女性として生きていたようです。
その後は、再び男性の服装などもするようになり、流動的(今で言うジェンダー・フルイド)に過ごしたあと、2020年の39歳時点ではシスジェンダー(生物学的性別と性自認が一致していること)として、つまり男性として過ごしているとのこと。
そのような体験がもとになり、抑圧された女性の心理描写や、強迫的な食行動ともされる異食症が丁寧に描かれたのでしょう。
全体を通して、色使いがとても印象的。
ポスターからして象徴的ですが、青と赤が、映像の色味を含めて、とても効果的に使用されていました。
そしてとにかく、あらゆる場所で言われていながら言わずにはいられませんが、主人公・ハンター役のヘイリー・ベネットの表情の変化がとても素晴らしい。
ぞっとするほど美しいかと思えば、どこにでもいそうな垢抜けない雰囲気にもなったり。
さらには、徐々に退行していって、終盤にモーテルで土を食べながらテレビを見ている表情などは、完全に子どものような幼さでした。
他にも、食べるか食べないかの葛藤や、心ない言葉を投げかけられてどのように感じたのかなど、表情だけで伝わってくるシーンがたくさんあり、初めて見た女優でしたがこの1作だけで魅了されました。
『Swallow/スワロウ』では終始かわいそうな感じでしたが、それでも何だかずっと見ていたくなる不思議な吸引力。
ポスターも、シンプルでありながら強く印象に残り、惹きつけるものがあるのは、決して画鋲を口に当てているというインパクトではなく、ヘイリー・ベネットの魅力によるものだと思います。
目に吸い込まれるんですかね。
そもそも作品自体、異食症を取り扱っているという点を除けば、そこまで画期的な内容であったり、斬新な展開というわけでもありません。
それでも飽きることなく、95分が静かに、しかし流れるように終わるのは、映像の美しさ、丁寧な心理描写や演出、そしてヘイリー・ベネットの表現による部分が大きいでしょう。
後半では、異食症を中心に、主にハンターの心理について考察してみたいと思います。
考察:異食症とハンターの心理(ネタバレあり)
異食症の実際
そもそも異食症とは、摂食障害の一部に位置づけられる、食行動に関する異常です。
精神医学において世界的に使われている2大診断基準である「DSM-5」と「ICD-11」で細かくは異なりますが、共通しているのは、
「非栄養的で非食用物質を定期的に摂取すること」
という点です。
つまり、栄養もないし食べ物でもないものを、定期的に摂取していたら異食症が疑われます。
異食症の対象となるものは様々ですが、土、粘土、氷、毛髪、紙などがよく挙げられます。
その中でも多く見られるのが土、氷、毛髪で、それぞれ「土食症」「氷食症」「食毛症」と個別の名称も存在します。
日本では、氷食症以外はとても稀。
櫛木理宇の小説『死刑にいたる病』に少し異食症らしき描写が出てきます。
異食が見られる背景にも様々な可能性があり、幼児や、認知症や知的障害、発達障害、統合失調症といったような精神疾患の影響によるものが多く報告されています。
また、妊娠中の女性にも比較的見られ、これは鉄や亜鉛などの栄養不足が影響しているとされており、主に異食の対象となるのは氷や土、石など。
ハンターのような画鋲や針といった危険物を食べてしまうというのは、認知症や知的障害の他に、パーソナリティ障害がある場合などに自傷行為の一貫として用いられることもあります。
認知症や知的障害など、「食べ物かどうかの認知に問題が生じている」場合を除けば、強迫性もその特徴となります。
つまり、「食べたくない」「食べない方が良い」と思っていながら、食べずにはいられないのです。
実際の臨床においては、異食症自体、出会うことは稀です。
さらには、異食だけが単体で存在しており、さらにハンターのように毎回異なるものを口にするというのは、ほぼ見られない症状です。
だから非現実的だという話ではなく、『Swallow/スワロウ』においては、ハンターの心理的な葛藤や苦しみの象徴として「異食」という行動が描かれているのだと考えられます。
ハンターの異食と心理
さて、ではハンターの異食症や心理はどのようなものだったのかを考察していきたいと思います。
①ストレスの発散と感情の抑圧
まずシンプルに考えられるのは、ストレスを感じた際に、異食が発散方法として学習されたということです。
遡れば、一番最初に異食が見られたのは、妊娠発覚後、夫のリッチーとその両親とのレストランにおける食事シーンでした。
話したくない話を「面白いから」と言ってリッチーに無理やり話させられて、それを義父にぶった切られる。
もう、あのシーンだけで「あ、この家族、終わってんな」と思わせてくれますが、そのときにハンターは氷を食べました(余談ですが、このような家族の弊害は我孫子武丸『殺戮にいたる病』、湊かなえ『母性』などの小説に見ることができます)。
ここも「なぜか無性に食べたい、でもそんなのマナー的に良くない、でも食べたい」といった葛藤を、表情だけで雄弁に物語っています。
ハンターは、このとき妊娠が発覚しています。
上述した通り妊娠中に氷食症が現れることもありますが、氷を食べていたのはこのシーンだけであったことからも、その関連性は低いと考えられます。
すごい勢いで音を立てて氷を噛んでいた様子からは、噛むことによるストレスの発散や、抑え込んだ感情のはけ口であったと考えるのが自然です。
その後も、主にストレスがかかるシーンのあとに異食することが目立ちます。
2回目の異食シーンは、リッチーママが勝手に家に侵入して入ってきたあと。
遠回しに髪型をディスられ、リッチーママ自身の体験を押しつけるように本を押しつけられたあと、ビー玉を飲み込みました。
「息子の好みの髪型にしろ」とは、尋常でない過保護ですね。
3回目は、リッチーママに突然体育館裏に呼び出されて家にお呼ばれして、試すような挑発するような言葉をかけられたあと。
続くシーンは自宅で荒々しく掃除機をかけているハンターの姿。
これは、序盤では資産家一族の一員として着飾って澄ましていたハンターも、本来は庶民的でがさつであるというギャップを見せるシーンとも取れます。
ですがそれよりも、何かを消そうとするかのように、同じ場所に一心不乱に掃除機をかける姿からは、氷を食べていたときと同じような印象を受けます。
その後、拾った画鋲を大いにためらったのちに飲み込みました。
これらは、見方を変えれば、ストレスを感じる場面でハンターが自分の気持ちを抑え込んでいたとも言えます。
この自分を押し殺す=抑圧というのは、摂食障害の人に非常に多く見られる傾向です。
概して真面目で、周囲の期待に応えたくて「いい子」「いい人」であろうとしている人がほとんどです。
「swallow」という単語には、「飲み込む」という意味の他に、「(感情を)抑える、我慢する」といった意味もあります。
ストレスを感じる状況でも、自分の感情は抑え込み、飲み込んでいた。
異物が象徴するものは、表に出せないハンターの感情でもあったのです。
②チャレンジ
ハンターの最初の異食は氷と書きましたが、氷は食べられるものではあります。
氷を食べていたのはあのシーンだけであったことからも、あれを異食に含めるかどうかは微妙なところです(あれが起点になったのは確実ですが)。
氷を除くと、最初に口にした食べ物以外のものはビー玉です。
上述した通り、リッチーママに押しつけられた本を読んだあとに食べたわけですが、押しつけられた本は「A TALENT of JOY(喜びの才能)」というタイトルからして超意識高い系の自己啓発書。
ビー玉を食べる直前に読んでいたのが、「毎日 驚くようなことや新しいことに挑戦しよう」という、いかにもな文章。
その「挑戦」が、ビー玉ごっくんであったと考えられます。
もしかすると、リッチーママに対する意地のようなものもあったかもしれません。
この証拠となるのが、この日の夜、ベッドの上でリッチーに対して「驚くようなことをしたの」という告白です。
まるで母親に秘密を打ち明けるときの子どものような表情。
ビー玉のことを話したかったのだと思いますが、結局は切り出せずに終わってしまいました。
そう考えると、同じものではなく毎回異なるものを異食し続けたのも、異食したものをコレクションしていたのも、納得がいきます。
同じことの繰り返しではなく新たなチャレンジであり、その勇気を出した自分の象徴があの異物たちなのです。
③「食べる」ということ
ここまでは比較的、直接的に描写されていた考察なので、ここからは少し心理学的に深めて考えていきたいと思います。
そもそも「食べる」とはどういうことで、どのような意味を持つのでしょうか。
最もベーシックな機能は、エネルギーや栄養素の摂取です。
つまり、生きるため、成長するための補給としての機能。
幸いにも「生きるために食べる」ということが安定すると、「好きなものを食べる」という選択肢が生まれます。
味、食感、香り、珍しさ……嗜好としての食事です。
さらには、他者との交流のツールともなり得ます。
そもそも母乳の摂取が、母親との交流の意味合いも含みます。
誰かとご飯を食べるというのは仲を深めますし、「その土地のものを食べる」ことがその土地の民族の一員として認められるイニシエーションであることも少なくありません。
摂取した食べ物は自分の血となり肉となり、そして嗜好や交流ツールとしての食事体験は、自分の価値観やライフスタイルを形成するもの、時には自分自身を表現する一つにまでなります。
「食事が自分を作る」とも言いますが、肉体的にも精神的にも社会的にも自分を形作るのが「食べる」という行為です。
そういった観点から考えてみると、ハンターの異食にはどのような意味があったのでしょうか。
ビー玉や画鋲は、生物の体内に取り込まれるものとして見ると、明らかに「異物」です。
自分の身体に、異物を取り込むということ。
そこには、今の自分に何か新しいものを取り込みたいという心理を読み取ることができます。
少なくとも前半までは、ハンターがリッチーのことをちゃんと好きであったのは確実です。
不幸な家庭環境で育ちながら、やっと手に入れた幸せ。
決してお金目当てではなかったはずです。
しかし、価値観やライフスタイルがまったく異なる一族の一員となることに、難しさを感じていました。
それでも、できる限り努力していたハンター。
今の自分、これまでの自分にはなかったものを取り込んで身につけていかないと、リッチーに、そして義父母に認められないという焦りが不安があったものと推察されます。
努力しているけれど、ネクタイのアイロン一つでリッチーの機嫌を損ね、自分の至らなさを痛感するハンター。
特にリッチーママからは、ハンターのことを認められるような言葉は一切かけられません。
リッチーパパに至っては、個人的な交流はほとんどなく、孫の心配のみ。
だからこそ、何とか自分を変えたいという必死な思いが投影されたのが、異食という行動。
異食のあとの恍惚とした満足げな表情からは、何かしら自分が生まれ変わったように感じている様子が窺えます。
リッチーママからもらった本のページをちぎって食べていたところからは、文字通り「その内容を取り込みたい」といった心理も推察できます。
上述した通り、本の内容に沿って「挑戦」したのはリッチーママへの意地もあったかもしれませんが、一方では、「こんな風に楽しく生きたい」と今の自分にないものを見出していた側面も考えられます。
一方では、リッチーママの言葉通り髪を伸ばすこともなくショートのまま貫くといったような、今の自分を守ろうとするささやかな抵抗も見られ、複雑な葛藤が想像されます。
そのように見ると、異食という行動がだいぶ切ないものに見えてきました。
④妊娠への抵抗
異食のきっかけは氷のシーンと述べましたが、リッチー一族はもともとあんな感じであったと考えられるので、なぜあのタイミングで始まったのかの説明にはなっていません。
もちろん、たまたまあのタイミングだっただけという可能性もありますが、大きな要因として考えられるのは妊娠です。
そもそも妊娠が発覚したシーンで、少しも嬉しくなさそうなハンターの表情が印象的です。
むしろ「困った、どうしよう」みたいな感じで、まるで意図せず妊娠してしまったかのようなリアクション。
リッチーのことは好きだけれど、リッチー家の一員になれていない葛藤。
これからうまくやっているのだろうか、という大きな不安。
これであとには引けなくなった、という焦り。
それに拍車をかけるような、一緒に喜ぶよりもまずママに電話するマザコンリッチーや、跡継ぎを産む道具としてしか見ていないような義父母の言動。
出産への不安や、リッチーのために存在し、子どもを産む道具としてしか見られていないような自分。
その否定や抵抗としての異食と見ることもでき、潜在的であったとは思われますが、「流産しても良い」といったような意識もあったのではないかと考えています。
孤独と自己否定と愛情欲求
異食の背景としてハンターの根底に強く窺える心理は、孤独です。
母親がレイプされたことにより生まれたハンターには、「自分は本当に望まれて生まれてきたのか」「母親から愛されていないのではないか」というような思いがあったであろうことは容易に想像されます。
また、終盤の母親への電話でのやり取りからは、決して愛情深い母親ではなく、関係性も良好ではなかった様子も窺えます。
結婚後も、誰かと会ったり連絡するシーンが一切なく、黙々とスマホゲームをする姿(このシーン好き)からは、親しい友人などもいなさそうで、強い孤独を感じます。
ようやく手に入れた結婚生活もあまり上手くいっていないため、自己否定感も強くなっていました。
しかし同時に、愛してほしい、認めてほしいという気持ちも強く、自分を押し殺してでも何とか認められようと頑張るハンターの姿は、痛々しさすらあります。
そんな抑圧された気持ちを初めて素直に出せたのが、精神科医とのカウンセリングの場面でした。
最初は抵抗を示しながらも、徐々に子どものようになっていくハンター。
だらだらした姿勢で話したり、自分からハグをした場面などからは、精神科医に母性的な安心感を抱いていた様子が見て取れます。
しかし、『Swallow/スワロウ』で一番の問題児が、この精神科医(ちなみに2番目は「ハグしてよ、寂しいんだ」の彼)。
彼女は、べらべらとリッチーにハンターのカウンセリング内容を報告するという暴挙に出ます。
守秘義務どこ行った。
精神科医にせよ心理士・カウンセラーにせよ、当然ながら守秘義務があり、たとえ家族であっても、本人に無断で診察やカウンセリングの内容を話してはいけません(最悪、資格剥奪されたり訴えられたり)。
自傷・他害のおそれがあるときなど一部例外もありますが、よほどのケースに限られ、ハンターのケースはそれには該当しません。
それどころか「全部報告することになっていたはずだ」とリッチーが怒鳴っていましたが、そんなのはもちろん論外。
この件については、ハイパーお坊ちゃま・リッチーと、エゴイスト・パパ、侵襲的ママが金に物を言わせて、「教えなきゃ通わせないぞ!」と脅していたのは明らかです。
あの精神科医も根っからの悪というわけではなく、本当にハンターのことを心配して寄り添っていた部分もあり、それゆえハンターも心を許していたのだと思います。
もちろんそれで何か許されるわけではなく、むしろ、だからこそ余計にハンターを傷つける最悪の結果となりました。
この件に限らず全体的にリッチー一家に問題があるのは明らかですが、信じていた精神科医に裏切られたと発覚したときが、ハンターは最も悲しみ、最も動揺していました。
子宮を連想させる暗く狭い場所に閉じこもることは、子宮への回帰願望、退行的な行動とも解釈されますが、ベッド下に入り込んだハンター。
そのあとは、ハンターに同情し、慰めながらいびきをかいて爆睡しちゃった憎めない監視役看護師・ルエイの隙を突いて、ドライバーのような棒状のもの(あれ何なんですかね、キッチンにあったしドライバーじゃないと思いますが)を飲み込みました。
これは明らかに、異食を超えた自傷・自殺企図的な行動です。
ここまでの行動に至ったのは、明らかに精神科医の裏切りが原因。
そう考えると、精神科医こそが一番悪だったとも言えますし、死と再生のプロセスとして広い視野で見れば、この出来事こそがリッチー家から離れ、ハンターが自分の人生を歩み始めるきっかけになったとも言えます。
その後、すべてを失い、母親からも見捨てられた(と感じた)ハンターは、かつて母親をレイプした犯人である父親のもとへ。
「私は自分の好きにする」「決めるのは私」という強い意思を示すハンター。
しかし、素直に非を認め、自分の行いを恥じて深く反省している父の姿を見て、「私はあなたと同じ?」「あなたの口から聞きたい」と相手に判断を委ねます。
そこで初めて自分を認められる言葉をかけられ、ハンターは涙しました。
ここでようやく自分の存在を肯定し、自らの意思で自分の人生を歩み始める決意をしたハンター。
その決意の象徴が、経口中絶薬の使用でした。
もしあそこで父親が、過去をなかったものとして現在の幸せを享受していたり、ハンターに否定的な言葉を投げかけてきた場合は、きっとハンターは自殺していたのではないかな、と思わずにはいられません(もしかしたら父親も殺して)。
エンドロールの意味
トイレでの中絶後、何かを確認するように鏡の中の自分と向かい合うハンター。
そこからエンドロールに入りますが、クレジット中、延々と定点カメラで女性用トイレの様子が映し出されます。
ここの解釈は多様でしょうが、個人的には「死と再生のプロセス」の象徴として捉えています。
トイレというのは、異物を「取り込む」のに対して、「排出する」場所です。
上述した通り自分を作り上げるものを摂取するのが「食べる」ことであるのに対して、不要なものを排出するのが「排泄」です。
体内に取り入れたものを消化したあと、必要なものを取り込み、不要なものを排出する。
他には、個人宅ではなくこのような大きな施設の共用トイレというのは、色々な側面があります。
共用スペースでは他者を意識して振る舞う一方で、個室の中はある程度プライベートで気が抜ける場所。
鏡の前では自分自身を見つめ、メイクを直して対外的な仮面(ペルソナ)を整える場でもあります。
そういった、実は個人の様々な面が凝縮されているのがトイレという場所であり、そのような場に入れ替わり立ち替わり多様な人が訪れるのは、まるで人生や社会の縮図のようですらあります。
まさか少し前にハンターがトイレで中絶したとは、エンドロールでトイレを訪れる人たちは誰一人思っていないはずです。
逆に、ただトイレを出入りしているだけに見えて、彼女たちにもそれぞれの人生があり、悩みや喜びや秘密があるのです。
あのエンドロールでは、そういったものが描かれているのではないかと感じました。
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