作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
タイトル:リング
著者:鈴木光司
出版社:KADOKAWA
発売日:1993年4月22日(単行本:1991年6月)
1本のビデオテープを観た4人の少年少女が、同日同時刻に死亡した。
この忌まわしいビデオの中には、一体どんなメッセージが──。
もはや説明するまでもない、ホラー小説の金字塔。
『貞子3D』以降の映画を観ていなかったので、そろそろ観たいな
→そもそも『リング』もほぼ忘れてるので、再鑑賞したいな
→そもそもそもそも原作『リング』シリーズもほぼ忘れてるので、再読したいな
という謎の完璧主義傾向が発動し、再び1から追い始めた『リング』サーガ(あるいは『貞子』サーガ)。
海外でリメイクされたりゲーム『Dead by Daylight』にも登場したりと世界進出も果たし、もはやジャパニーズホラーアイコンと化してキティちゃんばりに仕事を選ばない姿勢を見せている貞子さんですが、本作を読んで、改めてその原点となるホラー性を強く感じました。
あと、「そうだそうだ、苗字は山村さんだった」というのも。
しかしまぁ貞子さん、細部は忘れてしまっていましたが、とにかく不遇すぎますね。
そりゃあ世界を恨んでも仕方ないってもんです。
今、あらゆるジャンルで生き生きと活躍している貞子を見ると、「あぁ、ほんと良かった」と心から思います(誇張)。
30年前の作品とは思えないほど今でも楽しめるのは、やはり恐怖の本質を突いているからなのでしょう。
記憶より分厚く文字も細かくて一瞬怯みましたが、読み始めると止まらなくなりました。
サイエンスホラーとしても優秀で、今読んでも通用するのはすごいことです。
このブログでも「恐怖について」をいずれ考察してまとめていきたいと思っているのですが、ジャパニーズホラーの本質は「想像力」であると思っています。
明らかに恐ろしい殺人鬼やモンスターが襲ってきたり、血肉どころか内臓まで飛び散るスプラッタが本能的に死の恐怖を喚起してくるのは、ある程度は当然です。
しかし『リング』では、そのような「明確な恐怖」は存在しません。
あるのは「1週間後に死ぬかもしれない」という不確実な設定のみ。
というか、本作の大部分は本当にそれしかないんですよね。
好奇心でビデオを観てしまった浅川が、やや疑いながらも呪いを信じて恐れ、ひたすら真相と解決策を追求していく。
8〜9割ぐらいは、ただただ調査を進めていくプロセスが描かれるのみ。
その意味ではミステリィやサスペンスに近い雰囲気ですが、最後にここまで溜め込んできた恐怖のエネルギーが一気に爆発します。
しかしその最後の部分すらも、明確には描かれません。
竜司に何を見たのかも、どのような最期を遂げたのかも。
その点は、(もはや有名すぎてネタバレにはならないと思いつつ一応細かくは伏せておきますが)最後に明確な恐怖対象が現れた映画版とは大きく異なります。
人間の強みは想像力であり、そこには無限の可能性があります。
それが逆に足枷にもなり、ないものを怖がってもしまう。
小野不由美の『残穢』なども同じメカニズムで、「曖昧さこそが恐怖を喚起する」というのはこれまで何回も書いてきましたが、まさに『リング』はその点だけを攻めた作品だと言えるでしょう。
『仄暗い水の底から』や『再生 角川ホラー文庫セレクション』に収録されている「夢の島クルーズ」でも見られますが、じめじめした不穏すぎる雰囲気と、想像力を掻き立てるだけで恐怖を高めていく描写は、『リング』の時点ですでに抜きん出ていたんだな、と感じます。
『リング』における曖昧さという点では、そもそも、本当に1週間後に死ぬのかどうかすら定かではありません。
ビデオを見たせいで死ぬなんて、どう考えても一笑に伏すのが当然だと思いますが、いざ自分に降り掛かったらどうなのでしょう。
さらには浅川のように、実際に不可解な死を遂げている者がいると知っていたら。
その実際に死んだ若者たちすらも、本当にビデオのせいだったのかははっきりしません。
作中で竜司が述べていた「あの4人はなんとなく心に引っ掛からなかっただろうか」「オマジナイを実行すれば、死の運命から逃れられる、としたら、たとえ信じなくとも実行してみようかという気にならないか」という分析は、非常に現実的です。
信じてはいない、けれども何か気持ち悪い。
お守りを捨てづらい、という心理などに似ています。
そこにあるのは「もしかしたら」という想像力です。
それがあるから生存率を高める選択肢が検討できますし、それがあるから恐怖を感じもします。
そもそも恐怖を感じるのは生存率を高めるためなので、当たり前といえば当たり前ですが。
それら本質的な恐怖に加えて、『リング』が流行った背景としては、もちろん映像化(映画化)によるインパクトが非常に大きいと思いますが、時代的なタイミングも大きいでしょう。
貞子システム(?)は、本質的には「この手紙と同じ文章で10人に手紙を出さないと不幸になる」といったような「不幸の手紙」とまったく同じです(本当に死ぬ点は違いますが)。
不幸の手紙が現れ始めたのが1970年代で、流行したのが1990年代。
その後もチェーンメールなどが流行します。
また、1970年代と1990年代は空前のオカルトブームでもありました(むしろその一部が不幸の手紙、ですかね)。
超能力も、ノストラダムスの大予言も、すべては「もしかして本当なのでは」と思わせる人間の想像力に起因しています。
オウム真理教などのカルトが流行ったのも、この時期です。
なので、科学的に大きく発展し、そして「伝染もの」も定番となり、ホラーのバリエーションも増えた現在、本作を読んで古さや物足りなさを感じてしまうのも、ある意味で当然です。
ですが、あえて誤解を恐れずに書けば、「本作を楽しめないのは想像力が不足している」と言っても過言ではないように思います。
「ビデオ」というアイテムを筆頭に、古さを感じてしまうのは当然ですが、今なお金字塔として君臨しているのは、その時代の流れに素早く反応し、「読者の想像力頼みの恐怖」を徹底して描いている作品だからでしょう。
その本質は、これからどれだけ科学が発展しようと、人間に想像力がある限り、消えることはないはずです。
ただ、今でも少なくとも10代には通じないでしょうし、「ダビング」がいつまで通用するのかは気になるところ。
古典賛美だけになってしまうのも良くないかと思いますが、もちろん、マイナスに感じられた要素は本作にもありました。
曖昧さこそ本作の魅力ですが、色々と明らかになっていくのが楽しいのもまた確かなので、竜司が実際に女性を襲っていたのかなど、あらゆる要素が徹底して曖昧なまま留められているのが、もどかしく感じられてしまうのもわかります。
「本作を楽しめないのは想像力が足りない」とか偉そうなことを言いましたが、徹底した曖昧さに物足りなさを感じてしまう感覚は、自分にもありました。
そこはないものねだりだとしても、個人的には、浅川のキャラクタが感情移入しづらいものでした。
実際に死の恐怖が迫ったら我を忘れてしまうのだろうとは思いますが、ひたすら感情的に周囲に当たり、内心毒づきまくる浅川は、死が迫って本質が現れているからこそ、何とも言えない不快感や哀れさを抱きます。
ただこれは、「自分はそうではありたくないな」という思いによるものかもしれません。
自分がちゃんと隠していなかったのが悪いのに、ビデオを見てしまった妻に「結婚して初めて殴りたいと思った」とブチ切れるのは、実際に殴ってはいませんが、さすがにどうかと。
あと、この細かい点をわざわざ取り上げるのは浅川には申し訳ない気もしますが、高野舞を見る目がちょっと気持ち悪く感じてしまいました。
女性として魅力があったのでしょうが、性的なニュアンスを含んだ視線でじろじろ見ていたり(じろじろではなかったかも)、心の中での呼び方がいきなり「舞」だったり。
妻子への対応もそうですが、時代を差し引いても、女性を下に見ている感が少々否めません。
あとこれはマイナス点ではないですが、時代の流れはさすがに感じてしまいました。
「終盤までひたすら調査しているだけ」と書きましたが、調べるのがこんなに大変だったのか……と思わず畏敬の念。
今ならネットで一瞬でわかることも、新聞記事を確認したりあらゆる場所を探し回ったり。
特に、時間を決めて電話の前で待たないといけない、というのがとんでもなく不便ですね。
もちろん、「今スマホがなくなったら不便すぎるけれど、スマホがなかった当時は不便に感じていなかった」の理論ではありますが。
そう考えると、現代は色々とスピーディになっているので次々展開を考えないといけなかったり、明確さが好まれたり、小説にせよ映画にせよエンタメ作りも大変なんだろうなぁ……とも思ってしまいました。
このあたりは壮大な話になりすぎるので、ここでは置いておきます。
あと本作で気になってしまったのは、視点が入り乱れる点でした。
基本は浅川視点でしたが、竜司を中心に第三者の心情が描かれる場面も多々。
一人称視点の作品ではないので問題はないのですが、同じ段落内で入り乱れたりするので、一瞬戸惑いも。
小説にルールはないとは言いつつも、基本は少なくとも章ごとぐらいでは視点は固定されるのが定番の印象ですが、あえて外してきている作風なのか、2作目なのでまだ慣れていなかったのか。
『らせん』以降も再読していくつもりなので、そこはまたそのときに確認してみましょう。
『リング』の内容や考察にはあまり触れませんでしたが、過去に『ループ』まで読んでおり、『ループ』まで読むとあらゆる要素がひっくり返るのを知っているので、今回はあえて深入りせず。
そもそも、曖昧さが徹底しているとは言いつつも、主だった現象は作中できちんと説明がなされていました。
『らせん』はもう完全に内容を忘れているので、新鮮な気持ちで楽しみたいと思います。
しかし、先ほど『らせん』を引っ張り出してきたのですが、『リング』よりさらに分厚くてどうしようの気持ち。
果たして映画の『貞子DX』に辿り着けるのはいつになるでしょう。
どうか気長に見守ってくださいませ。
追記
『らせん』(2023/08/08)
続編『らせん』の感想をアップしました。
コメント