【小説】小野不由美『残穢』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『残穢』の表紙
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作品の概要と感想

タイトル:残穢
著者:小野不由美
出版社:新潮社
発売日:2015年8月1日(単行本:2012年7月20日)

この家は、どこか可怪しい。転居したばかりの部屋で、何かが畳を擦る音が聞こえ、背後には気配が……。
だから、人が居着かないのか。
何の変哲もないマンションで起きる怪異現象を調べるうち、ある因縁が浮かび上がる。
かつて、ここでむかえた最期とは。
怨みを伴う死は「穢れ」となり、感染は拡大するというのだが──。

現実なのか、フィクションなのか。
筆者により明言されているらしい(直接確認はしていないですが)ところによると、「その狭間」にあるらしいこの作品は、どこまでフィクションなのか実話なのかわからず、「穢れ」が伝染する、いや、伝染しているのかはっきりわからないけれど、でも伝染していないとは言い切れない、そんな曖昧で侵襲的な恐怖が描かれています。

今をときめく(?)『呪術廻戦』の漫画の中で、「残穢」という用語が(コミックスで言及していたけれど、無断で?笑)使われています。
『残穢』のAmazonレビューなどを見ると、『呪術廻戦』経由で最近辿り着いて『残穢』を読んだ人もいるようです。
何か、そんな不思議な繋がりができることも、この作品っぽい。

さて、この小説は(登場人物の)実体験や伝聞による怪談話が主軸となっており、何となく『リング』を彷彿とさせる、恐怖の伝播を巡る物語です。
しかし、次々と恐怖が拡散していくリングとは対照的に、様々な恐怖体験を辿っていくと、すべてがひとつの震源地らしきものに辿り着く。

そのルポ的な文体で紡がれる淡々としたリアルさや、超常現象とは断定しない、けれど確かに不吉なものを感じさせる不穏な空気。
その雰囲気は抜群で、全体を通して盛り上がる場面があるわけでもなく、地味だからこそ、読み終わったあとにまで読者に影響を及ぼし、現実とフィクションの境界線が曖昧になるのだと思いました。

雰囲気で攻める。
まさにジャパニーズホラー

大きく盛り上がるシーンがあるわけでもない。
ミステリィのように、伏線が一気に回収されて謎が解けていく爽快感があるわけでもない。

でも、止まらなくなって読んでしまう。

そんな不思議な魅力を備えた作品です。

この作品に、ひとつだけ苦言があります。
いや、作品が悪いわけではなくて自分の頭が悪いだけなんですが、リアルな物語であるが故に、登場人物が次々と大量に出てきながらも、みんな名前が平凡
その割に、あとからどんどん繋がりが出てくるので、人名を覚えるのが苦手な自分は「あれ、この人ってどの家のどのエピソードの人だっけ……」とページを戻ることが何回も何回もありました。
しかも、「当たり前のように名前出してきたけど、こんなちらっと出てきただけでしたか!」と一人突っ込みもしばしば。

今のところKindle版はないようなので必然的に紙の本(という表現はあまり好きじゃないのですが)で読みましたが、パラパラと気軽にページを戻るのは圧倒的に紙の方が楽だと思っているので、その意味でも良かったです。
あとは、作品の特性上、無機質な電子書籍より紙の本の方が合っているので、もし今後電子書籍版が出てきたとしても、紙で読むのが個人的にはお勧めです。

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考察:「呪い」や「穢れ」……あるのかな?(ややネタバレあり)

お前んちのせいだったのか!いや、全部がそうなのかは結局わかんないけどさ!というこの作品。

「呪い」や「穢れ」という概念は、日本独自のものなのでしょうか。
近いものは他のアジアの国とかにもあると思いますが、このあたり、ホラー好きながら、そういう歴史や学術的なものは齧った程度できちんと調べたことがほとんどないので、これからしっかり勉強していきたいなぁ……とも改めて思いました。
でも、ファラオの呪いとかもあるか。
ただ、触れただけで祟られる、という「穢れ」の概念は日本で特に強いように思います。

さておき、恐怖やホラーの感覚も国々(文化)によって差異があるのは確かで、映画『エクソシスト』のような、キリスト教、悪魔をテーマにした恐怖の本質や感覚は、どうしても日本人の多くにはわかりづらい(はず)。

日本的な「呪い」や「穢れ」は、だいたい不幸な出来事、つまりほとんどは人の死が根源になっています。
死に際しての、無念や怨みといった主にネガティブな「想い」が呪いや穢れを生み出す。
でも、呪いは死だけに限らず、生き霊とかもあるのがまたややこしい。
いずれにせよ、「強い想い(怨みつらみ)」が根源になっていることが多いように思います。

けれど、そう考えると、世の中、もう呪いや穢れで溢れ返りすぎていませんかね?
かつてどれだけの人が、無念や怨みを抱えて死んでいったのか。
その数は、もはや計り知れないでしょう。
殺人のような人災だけでなく、地震や火事といった自然災害による無念な死でも、恨みつらみや怪談話は生まれることがあるようです。

となると、この狭い日本、幽霊だって呪いだって、もはや存在していない場所はないんじゃないか、と思います。
むしろ飽和状態。
ぎゅうぎゅう詰め。

幽霊や呪いにも能のようなものがあって、幽霊として存在できる人、呪いを残せる才能というのがあるのかもしれません。
時間の経過によって、消滅していくものや、いわゆる「祓われたもの」「成仏したもの」もあるのかもしれない。
菅原道真みたいに、いつの間にか「神」として崇められる存在になったものもあるのも興味深いです。

それでもやっぱり、幽霊や呪いが存在するとしたら、現代の世界には溢れ返りすぎているんじゃないか?と思ってしまいます。
あと、明らかに恨まれまくってるでしょう……という人も、なかなか不審死を遂げませんし(不謹慎)。

ちなみに別に、幽霊とか超常現象的なものなんて絶対ない!否定派!と主張しているわけではありません。

さらに、『残穢』にもあるように、恨まれた人が呪われて死ぬだけではなくて、関係ない人がそこに住んだだけでも、何かしら接触があっただけでも、伝染する、穢れが持ち込まれる、さらには持ち帰られるという概念があるとしたら、どこまでその効果が発揮されるのでしょう。
今作のような「穢れ」は、海を渡って文化の異なる海外まで持ち込めるのでしょうか。

ちなみに、「穢れ」というのは神道的な概念であり、日本独自のものであるようです。
物理的ではない、精神的な汚れである穢れ。
それを取り除くというか清めるための手段が、禊や祓えなどです。

穢れの代表的なものは「死の穢れ」であり、人が死ぬとそこに穢れが発生します
穢れの特徴の一つは「移る」ということで、穢れを持った人が移動すると、穢れはまるで伝染病のように、その人に触れた人間にも移る。
これを「触穢しょくえ」といい、どれだけ偉い人であろうと立派な人であろうと死に際しては穢れが生じ、お葬式に出席すると必然的に穢れを持ち帰ってしまうため、清めるための方法が生み出されていきました。

「触穢」は平安時代には存在している概念のようですし、残穢はそれをさらに広げた概念と言えるでしょう。
その意味ではやはり、『残穢』は日本古来の感覚的なものを刺激してくる作品なのです。

そういえば、『呪怨 パンデミック』(めっちゃ懐かしい)では、伽椰子さんが海外出張までしていたような。
今思えばあの作品、その意味で画期的だったのかもしれません。

けれど、特に不安が生じた際、点と点を繋げ、理由を見つけ出したくなるのが人間というもの。
ざっくり言えば、対象が明確であるものに抱くのが「恐怖」、対象が明確でないものに抱くのが「不安」です。

それがたとえ幽霊や呪いのせいであっても、「何かわかんないけど不幸なことが続く」というより、「呪いのせいで不幸なことが続く」というはっきりした理由がある方が、なぜか安心しやすい。
そんな心理も、幽霊や呪いといった概念が脈々と続いている理由のひとつなのでしょう。
ただ不幸があるというだけでなく、そこに理由や原因を見出す。
それにより、お祓いをしたり儀式を執り行ったり、といったような対処が可能になります
宗教も、曖昧さを明確化するという機能を果たしています。

科学的な存在ではないので、盲信するのは危険を伴う。
けれど、確かに不思議で不気味な出来事が起こることもある。
結局、現代ではまだあるともないとも証明できない存在です。

だからこそ、何がどこまで繋がっているのかわからない。
そんなはっきりしない、「恐怖」というよりも「不安」を煽り、読んだ人の日常にまで侵襲してくるのが、この作品だと思いました。

おまけの小ネタとしては、やっぱり、平山夢明の登場はホラー好きとしては嬉しいところ。
さらに、主人公=著者(小野不由美)と読める風に書いてあるので、「夫」が出てきたときには「綾辻行人?綾辻行人?」と、わくわくしてしまいました。

追記

追記1(2022/02/24)

映画版『残穢【ざんえ】―住んではいけない部屋―』を鑑賞し、以下に感想や小説と異なる表現の考察を書きました。

追記2(2022/03/14)

以下の『ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷』において、「海外に持ち込めるのか?」のひとつの回答を見つけました。

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