作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:監禁依存症
著者:櫛木理宇
出版社:幻冬社
発売日:2023年10月5日
性犯罪者たちの弁護をし、度々示談を成立させてきた悪名高き弁護士の小諸成太郎。
ある日、彼の9歳のひとり息子が誘拐される。
だが、小諸は海外出張中。
警察は過去に彼が担当し、不起訴処分となった事件の被害者家族を訪ねるが……。
この誘拐は怨恨か、それとも身代金目的か──。
大好きな依存症シリーズ、待望の第3弾。
以下、前2作『殺人依存症』『残酷依存症』のネタバレも含まれるので、ご注意ください。
『殺人依存症』および『残酷依存症』の感想・考察については以下の記事をご参照ください。
勝手に「依存症シリーズ」と上述しましたが、櫛木理宇のX(旧Twitter)では「浜真千代シリーズ」と表現されていました。
でも幻冬社は「依存症シリーズ」と宣伝していたので、どっちが良いのでしょう。
いずれにせよ、本作は第2作『残酷依存症』以上にシリーズ色が強かったので、万が一未読の方は前2作も読まれることをお勧めします(というか、読んでいないと本作はだいぶ意味がわからさなさそう)。
さて、大好きシリーズ第3弾ですが、個人的には若干、毛色が変わったような印象です。
ヒトコワ系、胸糞、イヤミス、しかし一種の爽快感、という要素は変わりませんが、社会派の要素がより強まっていたように感じました。
個人的には、エンタメ性や残酷さは前2作の方が強く感じ、好きレベルは前2作の方が上でした。
前2作でも「性犯罪」が大きな要素の一つとして据えられていましたが、本作ではさらにそれが前面に出てきた印象です。
そもそも櫛木作品は近年問題となっているテーマを取り上げることが多いですが、本作は特に、性犯罪に対する問題提起や、何が正義なのか?を問いかけてくる感が強め。
前2作以上に問いかけるようなメッセージ性を強く感じました。
合間合間に現実の事件紹介が入るところも、櫛木作品らしさです。
クライムものの作風がすっかり安定していますね。
内容は、『殺人依存症』で主な視点を担った浦杉克嗣の娘・架乃視点と、こちらもシリーズを通して登場している高比良刑事の視点が、時間軸もずらしながら入り乱れます。
櫛木理宇ファンあるいは本シリーズが好きであれば、時間軸が乱れているのはトリックがあるだろうというのと、架乃のマンションに住んでいた小学生が無事では済まないだろうというのは想像がつくでしょうが、その子が花蓮ちゃんだとまでは考えられていませんでした。
誘拐を巡るトリックはだいぶ強引さもありましたが、真の被害者は小諸成太郎であり、しかも女性の身体に性転換手術された上で強姦されるという鬼畜の極みな制裁というのは、あまりにもすごい発想。
相変わらずミステリィ要素もお見事でした。
色々と細かい部分では思うところもありますが、本作ではそのあたりや細かいリアリティの考察は控えておきます。
色々な要素がデフォルメされ、極端な表現になっていましたが、その分、テーマはわかりやすくなっており、それこそが櫛木作品であるとようやく理解。
「目には目を、歯には歯を」的な制裁は、前作『残酷依存症』と通ずるものがあり、そこには黒い爽快感が伴います。
理想論的には、復讐は何も解決しませんし、さらなる恨みや争いを生むだけです。
司法は完全ではありませんが、その中でできることや改善の方向性を模索していくことが健全な社会には必要です。
性犯罪でいえば、治療も選択肢の一つとしてあります。
それこそ、痴漢や盗撮などは依存状態となっており、もはや性的興奮を感じていないのに、極端な場合では自分でもやめたいと思っているのに、やめられずに繰り返してしまっている人たちもいます。
それは心理学的には学習という概念であったり、脳神経学的にもドーパミンなどのメカニズムで依存的になっており、アルコールや薬物などといった他の依存症とメカニズムは同じです。
その場合は、治療が有効な場合もあります。
研究上で言えば、刑罰が再犯防止においてネガティブに働くこともあります。
具体的には、刑務所に行って社会から切り離され、家族からも見捨てられたりして、自暴自棄になり、出所後に再び犯罪行為を繰り返してしまうといったような悪循環です。
自業自得としか言いようがなくても、それで被害者が生まれてしまうのは問題です。
再犯防止の点だけから言えば、刑罰より治療を優先することで再犯率が低下することもあり、実際、海外では薬物などと同じように刑罰ではなくて治療を優先的に義務づける判断を司法が下すこともあります。
刑罰にしても、刑務所に服役になったとしてもいつかは出所してくるわけなので、その先を見据えて考えることが必要です。
「犯人が刑務所に行っていれば花蓮ちゃんの事件は起こらなかった」わけですが、結局実刑であったとしても、出所後に別の事件が起こっていた可能性は高いでしょう。
かといって「ずっと刑務所に入れておけ」というのは、近視眼的で無責任な意見に過ぎません。
とはいえ治療も万能ではなく、本人にやる気がないとなかなか効果は出づらかったり、サイコパス的なパーソナリティには主な治療法である認知行動療法がむしろマイナスに働くこともあります。
何より、被害者にとって重大なのは、自分が負った傷や苦しみです。
「何で自分がこんな被害に遭わないといけなかったのか」「許せない、相手も死ぬまで苦しんでほしい」と思うのが自然です。
同じような被害者が生まれてほしくないという願いはもちろんあるでしょうが、その点も「再犯が心配なら、刑罰でも治療でもなく犯人が死ねばいい」という気持ちが圧倒的でしょう。
本作でも大きく取り上げられていた二次被害、いわゆるセカンドレイプが起こりやすい性犯罪の被害者であればなおさらです。
社会的な感情も同様です。
感情面で言えば「ずっと刑務所に入れておけ」「同じ目に遭わせろ」と感じて当然です。
感情だけで動けば無秩序になってしまうため法律が生まれましたが、そこでは感情が軽視されているように見えてしまうのも事実。
というより感情を排して判断するのが法律なので、不満が生まれるのもまた必然。
このあたりや私的制裁については『残酷依存症』や同じく櫛木理宇の『世界が赫に染まる日に』でも書いているので省略しますが、社会全体を考えれば、私的制裁は望ましくありません。
しかし、そういった処罰感情が存在するのも事実。
また、重要なのは、『残酷依存症』でも書きましたが、処罰的なニュアンス以上に、そういった制裁をエンタテインメントとして楽しむ感情があるのもまた事実。
犯罪者への怒りだけではなく、芸能人などに誹謗中傷を向ける心理と通ずる部分もなくはないはずです。
そういった感情にコミットし、カタルシスを与えるのが、櫛木作品の得意技であるように感じます。
そして同時に、カタルシスだけではない胸糞感を残すのも。
小諸弁護士はさすがにかなり極端すぎますが、胸糞弁護士としてはこれ以上ないほど終わってましたね。
実際には、あれだけあからさまに被害者に挑発的な言動をしたらマイナスに働くでしょうし、「うっかり」被害者の個人情報を漏らしてしまったら、それこそ無能扱いかつ大問題になるのは間違いありません。
架乃と絢が傍聴しに行った公判の事件名は「住居侵入、強姦致傷」でしたが、強姦致傷(正確には強制性交等致傷)は裁判員裁判になるため、弁護士や加害者があのような言動をしたら裁判員の心象は最悪なものになるでしょう。
結局細かい話をしてしまいましたが、諸々のリアリティは今回は置いておき、後半では作中での出来事だけ整理して少しだけ考察してみたいと思います。
ちなみに一点だけリアリティ関連に触れておくと、「本作はタイミングが悪くてちょっとかわいそう」感も。
一つは、性犯罪に関する法改正です。
2023年7月より諸々改正された法が施行されましたが、盗撮に関してはいわゆる撮影罪(性的姿態等撮影罪)が新設されました。
本作では架乃が「盗撮を迷惑防止条例でした取り締まれない」という現状を憂いていましたが、ちょうど小さな一歩が踏み出されたことになります。
もう一つは、TwitterがXに改名した点。
『殺人依存症』ではスターバックスが登場していたり、櫛木作品では実在するサービスや店などの名称が登場するのも魅力ですが、まさにちょうど改名されてしまいました。
奇しくもこちらも、2023年7月から。
本作の出版は2023年10月ですが、作品を書き上げてから出版の準備をしている間に、これらの点が変わってしまったのでしょう。
もちろん、このような問題というか難しさは社会派作品すべてに当てはまります。
リアルタイムな話題を拾っているからこそ、時間が経つと古さを感じてしまう部分も出てきてしまうわけで、時間の経過に伴い遅かれ早かれ必然的に生じる変化ですが、本作はちょうど出版直前に大きな変化が二つあったのが、ちょっとかわいそうでもありました。
もちろん、作品の本質や魅力には何も影響がありませんが。
あと、本作のタイトルは『監禁依存症』で、その意味も考えようかと思いましたが、著者が最初につけていたタイトルは「拉致依存症」だったようです(ボツになってしまったよう)。
なので、1作目はタイトルと内容に関連が深かったですが、その後は単純にシリーズで一貫させるために「内容に関する単語+依存症」ぐらいの感じでタイトルがつけられているのかなと思うので、内容とタイトルの関連について深く考察するのは控えておきます。
考察:本作の事件および今後の浜真千代の目的(ネタバレあり)
本作の事件における浜真千代の関与と目的
もはや読者には最初から黒幕とわかっていた浜真千代ですが、本作の事件は微妙に複雑で、どこまで浜真千代が関わっていたのか、そしてその目的は何だったのか、考えてみたいと思います。
ちなみに、『殺人依存症』では「『浜真千代』の名も今日限りだ」と述べていましたが、実際、彼女は本作では「浜真千代」とは名乗っていません。
が、「浜真千代シリーズ」でもありますし、「浜真千代」のままで呼んでいきます。
まず、当然ですが小諸成太郎を拉致し、女性の身体に性転換手術をさせ、強姦させたのは浜真千代が黒幕で間違いありません。
かなり組織的な犯行となりますが、そこはすでに『残酷依存症』で仄めかされていた通り、彼女の思い通りに動いてくれる支持者(あるいはマインド・コントロールされている者たち)が大勢いるのでしょう。
そして彼を自宅に帰しつつ、狂言誘拐を行うように小諸家に指示をしたのも、浜真千代主導によるものでしょう。
小諸成太郎は、性転換手術→強姦の時点ですでに心が折られていたことは間違いありません。
妻の史緒や母親の登紀子を脅迫したときに言っていたようにネットに動画をばらまけば、社会的にもさらなる追い討ちをかけられたでしょう。
なぜそうせずに、わざわざ狂言誘拐などというややこしい手段を取らせたのか。
その主たる目的は、本来は小諸昇平に対する復讐であったという点と、小諸成太郎の弁護士生命および小諸一家を完全に叩き潰すためという2点であったと考えられます。
動画をばらまいても社会的に抹殺できるでしょうが、「あれは作り物だ、合成だ」と成太郎が主張すれば、真実はわからないままとなります。
もちろん、疑い続ける人も多いでしょうが、いずれ忘れ去られ、成太郎の心さえ立ち直れば、再び弁護士として活動し始める可能性が残ります。
そのため、家族ぐるみで狂言誘拐を行わせ、その真実を確実なものとして警察たちに晒させたのです。
狂言誘拐の流れがあれば、成太郎への身体検査令状により、警察官たちの間ではこれ以上ないほど現実であると証明されると読んでの計画です。
それによって、登紀子が「どんな顔をして法廷に立てと言うのか」と述べていた通り、弁護士として活動するにはとんでもない苦痛が伴うようになったのです。
もちろん、彼は被害者であり、再び法廷に立つことに何も問題はありませんが、司法関係者に自分の屈辱を真実として知られてしまっているという心理的影響は甚大でしょう。
また、狂言誘拐となれば犯罪であり、成太郎が制裁を加えられた時点では被害者家族でしかなかった史緒と登紀子も、実際に犯罪者となりました。
動機が動機なので、社会に弁明することも叶いません。
家族には罪がないという見方もできますが、浜真千代目線では、悪質な弁護活動で裕福な暮らしをしている史緒も同罪で、成太郎の男尊女卑な価値観に大きな影響を与えていたのが小諸家という認識もあったでしょう。
途中で犯人からの指示が途絶えたのも、成太郎および小諸家を社会的に叩き潰すことが目的であったからです。
そもそも最後までやる必要はなく、狂言誘拐により警察が動き出した時点でほとんど目的は達成されていました。
連絡が途絶えれば、あとは勝手に自滅していくだろうとも予想していたのでしょう。
そもそも大きなトリックとしては、本来の主旨は「小諸成太郎の父親・昇平への復讐であった」という点が重要でした。
プロローグで小諸弁護士と向かいっていたのは絢や水輝の母親・いさ子であり、時系列的には本作の10年近く前に小学生時代の絢が被害に遭った事件のことでした。
そしてこの「小諸弁護士」は、成太郎ではなくその父親の昇平だったのです。
しかし、本作のメインの時点では、昇平はすでに亡くなっていました。
そのため、もはや息子の成太郎を苦しめることが昇平にいさ子と同じ苦しみを与えることには繋がりませんでしたが、そこは成太郎もまた昇平と同じ道を歩んでいるということで対象となったのでしょう。
「いさ子のための復讐」という理由も大きかったはずです。
本作では他にも事件が錯綜していましたが、花蓮ちゃんの事件(亀戸小二女児殺害事件)と絢の妹・水輝の被害については、作中で述べられていた通り、浜真千代の関与はなかったと考えられます。
ただ、最後に花蓮ちゃん殺害の真犯人である柴門拓也が獄中自殺したのは、浜真千代によるものと仄めかされていました。
もちろん、たまたま自殺しただけというのもあり得ますが、さすがにタイミングが良すぎます。
警察官に協力者がいるとしても、自殺に見せかけて殺すのは相当に無理があるでしょう。
だとすると浜真千代が柴門に自ら自殺するように差し向けたことになりますが、それはそれで超人的です。
催眠などでも、自分を傷つけるような行動を取らせるのは無理なので、首を吊って自殺させるなどとても無理。
何かしら弱みを握っていて脅したなどが考えられるかもしれませんが、このあたり、浜真千代はもうある種、普通の人間を超越した存在として描かれている印象を受けました。
人を惑わし、支配し、思い通りにコントロールする浜真千代の恐ろしさが本シリーズの魅力です。
しかし、「何かわかんないけど普通の人間にはできないことをやってのけた」という点が強くなりすぎると、個人的には少々安っぽいカリスマ性になってしまうように感じました。
とはいえここは、「天才」を描写することの難しさでもありますね。
今後の浜真千代の目的
依存症シリーズは、現時点ではどうやら5部作の予定であるようです。
それもあってか、ちょうど真ん中の本作は、再び架乃を登場させた上で謎を残す終わり方をしたこともあって、繋ぎのポジションである印象も受けました。
なので、後続シリーズで明らかになっていくでしょうが、現時点での浜真千代の目的について考えてみたいと思います。
本作における最大の謎は、架乃を引き込み、連れ去った(?)目的です。
『殺人依存症』において、架乃の父親・浦杉克嗣を追い込み心をへし折ろうとしたのは、「今後自分の前に立ちはだかる天敵になり得る」と直感したからであると説明されていました。
その点は、『殺人依存症』における架乃や加藤亜結を巻き込んだ事件によって達成できたと考えて良いでしょう。
つまり、もはや浦杉は浜真千代にとって脅威ではなくなり、取るに足らない存在です。
高比良に助言などはしていますが、警察に戻ってくるという可能性もほぼなさそう。
そもそも、『残酷依存症』においては、浜真千代の心理も大きく変化したことが述べられていました。
前2作の考察で詳述しているので省略しますが、彼女は性的虐待の被害者であり、「弱かった自分」を克服するために支配する側に回っていました。
しかし、『残酷依存症』においては、「過去の自分を救うことも、やっと考えられるようになった」と述べ、それが性犯罪加害者への復讐・制裁の根底に流れていた動機であると考えられます。
『監禁依存症』における犯行も、その延長にあると言えるでしょう。
加害者本人から、それを悪質なやり方で弁護する者へも矛先が向いたのです。
本作で特徴的だったのは、小諸家の息子・在登が無事だったことでしょう。
そもそも実際には誘拐されていませんでしたが、傷つけたり殺そうとすればいくらでもできたはずです。
プロローグだけ読み、本編の序盤を読むと「在登が犠牲になるのでは」と予感させますが、しかし同時に、前作を読んだ読者には「しかし今の浜真千代が罪のない子どもを犠牲にするのか?」という疑問も湧きます。
これらは「実は息子=成太郎のことを指していた」というトリックで解消されますが、すでに昇平は他界していました。
それでも制裁を加えたのは、上述した通り、成太郎も同じ道を歩んでいたことも大きいと考えられますが、さらに在登まで傷つければ、小諸家に最大級のダメージを与えられたことは間違いありません。
しかし、本作の浜真千代はそうはしませんでした。
彼女の言葉はどこまで信じていいかわかりませんが、『残酷依存症』において「女と子どもは今後ターゲットにしない、と決めた」と述べており、本作ではそれはしっかりと守られているように見受けられました。
以前の浜真千代であれば確実に在登も犠牲者にしていたはずで、本作において罪のない在登が傷つけられなかったことの意味はかなり大きいと感じます。
そうだとすると、『残酷依存症』のラストで貝島泰子に独白していた内容は、本音に近いと推察されます。
となれば、これらを前提にすれば、架乃に加害を加える可能性も必要性も低いように感じられます。
そもそも、架乃以前に、なぜ絢や水輝を鮎子が連れていくのか。
成太郎への制裁は、絢や水輝の母親・いさ子の恨みを晴らすためでもありました。
そのため、直接的であれ間接的であれ、いさ子と浜真千代の間には関わりがあります。
『残酷依存症』で述べられていた浜真千代の現在の目的は「過去の自分を救うこと」でした。
それは加害者への復讐という形で表現されていましたが、もう一つの表現方法は、被害者に復讐以外にも手を差し伸べることです。
そのため、絢や水輝を鮎子の保護下に置くのは、架乃を誘い出す餌というニュアンスだけではなく、性犯罪被害者である絢や水輝を守るためとも考えられます。
バイト先の店長に引っ張られて引っ越し別の大学に編入までするというのはやや違和感もありますが、いずれいさ子も合流するとのことだったので、家族全体で了承済みなのでしょう。
あのマンションにはもう住んでいたくないというのも大きかったはずです。
鮎子が語っていた「知り合いのお孫さん」というのは、『残酷依存症』で性同一性障害であったために仲間から被害に遭い自殺した道哉(未希)です。
その祖母が貝島泰子であり、『残酷依存症』における事件は、泰子の復讐のために真千代が行ったものでした。
つまり、鮎子は泰子とも面識があったわけで、当然ながら浜真千代の裏の顔とも繋がりは深いと考えられます。
いさ子も、色々と知った上で、浜真千代および鮎子に預けるなら大丈夫と考えていたのでしょう。
そう考えると、架乃を仲間に引き込むのも、「架乃を守るため」という可能性が浮上します。
浜真千代が救いたい「過去の自分」というのは、家族から性的虐待を受けていたという境遇を踏まえると、「性犯罪被害者」だけでなく「家族による被害者」も含まれます。
亡き息子にとらわれ、生きている娘に愛情を向けない母親。
娘よりも別の子を選ぼうとし、それを隠したまま表面上の関係性修復を試みる父親。
そんな両親のもとで、架乃は果たして幸せになれるのでしょうか。
架乃に真実(浦杉は架乃ではなく加藤亜結を選ぼうとした)を告げたのは、非常に残酷でもありますが、優しさとも言えるでしょう。
上述した通り、これ以上浦杉を追い込む必要性もありません。
そもそも、浜真千代は浦杉にものすごく恨みがあるわけでもなく、脅威になると感じたから排除しようとしただけで、そこまで執着し続けるのも不自然です。
おそらく、『殺人依存症』で浦杉の選択の意味を理解していた浜真千代は、『残酷依存症』での心境の変化を見て、浦杉云々ではなく架乃への想いが強まったのではないかと考えられます。
それは過去の自分を助けるため、不遇な家庭環境にある架乃を助け出すことが目的です。
とはいえ、浜真千代が愛情に目覚めたというのは飛躍を感じるのもまた事実。
あくまで「過去の自分を救済する」というところから派生しており、そこには「自分のため」というニュアンスがまだ残っています。
架乃の取り込み方からも、ラストで柴門拓也の命運を架乃に選択させたところからも、自分が優位に立とうとする支配的な姿勢は抜けていません。
果たしてそこからさらに抜け出して慈愛的な存在になっていくのか、あるいは暴走してさらなる恐ろしい存在となっていくのか。
櫛木理宇および依存症シリーズファンとしては後者を期待してしまいますが、続編を心待ちにしたいと思います。
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