作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:火喰鳥を、喰う
著者:原浩
出版社:KADOKAWA
発売日:2022年11月22日(単行本:2020年12月11日)
信州で暮らす久喜雄司に起きた二つの出来事。
ひとつは久喜家代々の墓石が、何者かによって破壊されたこと。
もうひとつは、死者の日記が届いたことだった。
久喜家に届けられた日記は、太平洋戦争末期に戦死した雄司の大伯父・久喜貞市の遺品で、そこには異様なほどの生への執着が記されていた。
そして日記が届いた日を境に、久喜家の周辺では不可解な出来事が起こり始める──。
第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞《大賞》受賞作。
ちなみに同回での〈読者賞〉は阿泉来堂『ナキメサマ』で、こちらも個人的には大好きな作品です。
令和初、かつ「横溝正史ミステリ大賞」と「日本ホラー小説大賞」が統合されてから初の大賞受賞作。
否が応でも期待は高まります。
という期待に違わず、とても楽しめた作品でした。
何より、先の読めない独自の世界観がすごい。
別に特殊な世界設定ではなく、おそらく現代が舞台であるのに、どのような方向に転ぶかまったく読めない展開。
方向性がわかってくるまでやや退屈な作品も少なくありませんが、本作は序盤からしっかりと牽引力が強い印象でした。
「不安」の巧みな使い方が言動力となっていたように感じます。
また、文章が読みやすかったのも一因でしょう。
個人的に、戦時中や異国などが舞台になると一気に読むスピードが落ちるのですが(想像力が乏しく、イメージしづらくなるため)、本作は過去の記述に関しても読みやすさが変わりませんでした。
日記がメインで、実際に戦時中の場面が描かれていたわけではないのもありますが、文章が映像的でどの場面もイメージしやすく、相性が良かったです。
そして、畳みかける展開が実に面白い。
1冊の日記から始まる不可解な現象がどこに辿り着くのかと思いきや、そういう方向か〜という意外性。
序盤はミステリィ、中盤はホラー、そして終盤はSFですかね。
世界線を跨ぎ、お互いの存在を賭けた戦いでした。
とはいえ、一番はやはりSF色が強く、ホラー要素もミステリィ要素も単独では弱めだったかもしれません。
ミステリィ要素としては、途中でやっぱり北斗が怪しいよなぁと思わせておいて、結局そのままの展開で、大きな意外性があったわけではありません。
ホラー要素に関しては、自分の存在や当たり前の日常が消えていく恐怖、孤立する恐怖などがメイン。
この点、ファンタジーな要素をしっかりと現実に落とし込んでおり、主人公の雄司に感情移入するとかなり恐ろしい展開ですが、いかんせん雄司のキャラが弱めなので、感情移入しづらさがありました。
この点は、執念の弱さが雄司の敗因となっていたので必然でもあり、仕方ない面でもありますが。
ただそれでも、やはり総合的なホラーとミステリィ要素を取り込んだエンタメ作品としてとても楽しめました。
著者の他の作品も読んでいきたい、と思えるデビュー作。
異なる世界線、自分や大切な人の存在や命を賭けた戦いというのは、『シュタインズ・ゲート』や『ひぐらしのなく頃に』などを中心に、ゲームやアニメなどが好きであればそこまで目新しい設定ではありません。
しかし、それを小説で、ラノベ的ではなくここまで現実的な世界観に落とし込み、人の想いや執念の怖さを軸に描いているのは斬新でした。
ホラー的な要素で言えば、後半の、雄司の周りの人物が容赦なく過酷な死に様を見せながら退場していく展開も好みでした。
特に夕里子の死は衝撃でしたが、そもそもあのシーンで死んだのが驚きでした。
窓ガラスが割られて、せいぜいガラスの破片が降り注ぐぐらいのイメージだったのですが、まさか地面に叩きつけられた上に大きな破片が首に刺さるほどの衝撃だったとは。
あのシーンだけはいまだに、どれだけ分厚い窓ガラスだったのかが気になります。
ちなみに、単行本だと「KILL OR BE KILLED」という副題?が添えられていたようですが、文庫版ではその文言はなくなっています。
「お前の死は私の生」という本作の鍵になっている台詞以上に、直接的に展開をイメージしやすくなる感じだからですかね。
考察:出来事の整理と「火喰鳥」の意味(ネタバレあり)
後半は色々と入り乱れて少しややこしくなるので、簡単に整理しておきたいと思います。
出来事の整理
大きな軸としては、「久喜貞市が戦死した世界線」と「久喜貞市が生き延びて帰ってきた世界線」との戦いでした。
前者は雄司の存在する世界、後者は千弥子の存在する世界です。
ちなみに、雄司と千弥子ははとこの関係になりますね。
「世界線」という考え方をすれば、その数は無数に存在するはずです。
おそらく、貞市が生き延びて帰ってきて、保も事故死することなく、雄司と千弥子のどちらもが存在する世界線というのも存在するでしょう。
このあたりがややこしいですが、あくまでも本作は「本作の雄司が現実と捉えている世界」を舞台に描かれ、「その世界を貞市が生きている世界線が侵食し始める」という展開で描かれます。
そのため、雄司の世界において貞市の「創造主」となった面々は消える必要があったのです。
雄司と千弥子がともに存在し得ない世界線同士での戦い。
それを裏で操っていたのが、北斗総一郎でした。
彼は、「久喜貞市が戦死した世界線」と「久喜貞市が生き延びて帰ってきた世界線」のどちらにも存在していました。
そして、ずっと夕里子のことを狙っていたという、イケメンストーカーちっくな北斗。
彼は自身が持つ不思議な力と、千弥子から受けた相談、そして貞市の思念の強さを利用して、「自分と夕里子が結ばれる世界」を「現実」として確定しようとしたのでしょう。
決して千弥子のために動いたわけではなく、ただ利害が一致したので千弥子の側についたのだと考えられます。
そう考えると、北斗はある意味チートキャラで、ずるいと言えばずるいですね。
全体を見通す不思議な力を持ち、「雄司の世界」に存在する北斗(「内なる自分自身」)まで利用して、自分に都合の良い現実に収束させていったわけです。
メタ的な視点では、雄司の世界の北斗はすべてを見通していたわけではなかったようですが、最後には自分の存在意義を理解しており、それが満ち足りた表情に繋がっていたのでしょう。
執念や思念の強さの勝負でもあり、夕里子の弟・亮が指摘した通り「他のものに対しての強い欲はないよね。(中略)何かと争うには致命的な欠点なんじゃないのかな」というのが雄司の敗因だったわけですが、そもそも雄司は不利だったとも言えます。
雄司 対 千弥子で考えても、子どもを守ろうとする千弥子の想いの方が強かったんだろうなとは思いますが、そこに北斗が絡んできたことで、パワーバランスは大きく傾いてしまっていました。
また、各章の最後に挟まれていた悪夢は、千弥子のものでした。
中には千弥子が火喰鳥(=後述しますが、自分を消そうとする雄司の象徴)に殺されている夢もありましたが、もしかするとあれは、雄司が勝った世界線の断片かもしれません。
『シュタインズ・ゲート』や『ひぐらしのなく頃に』など、世界線の重なりはループものとして描かれることも多く、本作はループものではありませんが、北斗はもしかするとループに近い形で試行錯誤していた可能性もあり得るかな、と思いました。
「火喰鳥」とは何だったのか?
実在する火喰鳥(ヒクイドリ)ですが、本作ではその存在の意味ははっきりと明かされません。
そこは読む人それぞれの解釈、で良いのでしょうが、個人的には「生と死の象徴」として捉えました。
生と死は表裏一体。
特に本作においては、「あっちが生きればこっちは死ぬ」といった構図が目立ち(まさに「お前の死は私の生」)、そのため、生の象徴となるのか死の象徴となるのかは、立場や視点によって異なります。
本作において、火喰鳥が生と死の象徴となる発端になったのが、貞市の日記でした。
貞市、および一緒にジャングルで生き抜いていた藤原と伊藤は、途中で見かけた火喰鳥を何とか捕まえて食べたいと夢想していた様子が日記には書かれています。
それは本物の火喰鳥だったはずです。
しかし結局、火喰鳥を捕まえることは叶いませんでした。
一方で、彼らはついに命を落としてしまいます。
「雄司の世界」では、衰弱した貞市が敵に見つかり殺害される。
「千弥子の世界」では、自分を見捨てようとした藤原と伊藤を貞市が殺害する。
ここで、「貞市が生き延びた世界」と「藤原と伊藤が生き延びた世界」が両立し得ないというのは、どちらの世界線でも、生者が死者の人肉を食べて生き延びたからだと考えられます。
「火喰鳥も人も喰えば同じ」と貞市は言っていましたが、さすがに食べたあとには罪悪感もあったはずで、自分が食べたのは火喰鳥(少なくとも「同じようなもの」)と思おうとした、それが「火喰鳥を喰う ヤムヲエズ」という文面になったのでしょう。
死んだ仲間の肉を食べてまで生き延びる。
この時点で、火喰鳥が生に対する強い執着の象徴となりました。
その後、現代や夢で描かれた火喰鳥は、様々な登場人物の生と死の象徴としての存在です。
雄司が「生きたい」と望む気持ちは、千弥子の世界では自分を殺そうとする火喰鳥として現れる。
千弥子が「我が子を守りたい」と強く望む気持ちは、つまりは自分や貞市の生に対する強い想いとイコールであり、雄司の世界では自分を殺そうとする火喰鳥として現れる。
雄司視点での最後、椅子に座る貞市が火喰鳥の姿をしていたのも、雄司にとっては貞市の存在が、自分の生と死を賭けた対象であったからであると考えられます。
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