作品の概要と感想と考察(ネタバレあり)
リニの母親は、もう3年以上も謎の病に悩まされ続けている。
治療費はかさむ一方で、一家は家を売却して田舎へ移住することに。
やがて母親が亡くなり、父親が出稼ぎのため遠くの町へ行ってしまうと、家に取り残されたリニと3人の弟たちの前に母親らしき霊が出現。
母親が謎の集団に関わっていたことを知ったリニと弟たちは、恐怖から逃れるため過去の事実を解明しようとするが──。
2017年製作、インドネシアの作品。
原題は『Pengabdi Setan』。
1987年製作?の『夜霧のジョギジョギモンスター』のリメイク作品。
『夜霧のジョギジョギモンスター』も原題は『Pengabdi Setan』のようです。
「Pengabdi Setan」は直訳すると「悪魔の下僕」的な意味合いのようなので、『悪魔の奴隷』はほぼ忠実な邦題と言えます。
というより、『夜霧のジョギジョギモンスター』って、当時の邦題を決める話し合いで一体何があったのでしょう。
『The Texas Chain Saw Massacre』が『悪魔のいけにえ』だったり、『The Evil Dead』が『死霊のはらわた』だったりと、1970〜1980年代には直訳にこだわらない邦題の名作が目立ちますが、それにしても「ジョギジョギモンスター」て。
ただ、当時『悪魔の奴隷』にしていたら、『悪魔のいけにえ』と関連がありそうな感じにはなってしまっていたかもですね。
しかし、邦題がおとなしくなった分、ポスターは雑に。
「お母さん蘇らないで!」というのも、まぁ確かにそうとも言えるけど、いやでもやっぱり違います。
「チリン…チリン…ベルが鳴ったら恐怖のはじまり──」も、結果としてはベルから始まりましたが、別にベルが合図だったわけでもありません。
とまぁ、邦題や日本版ポスターがめちゃくちゃなのはいつものことです。
それはさておき、オリジナルである『夜霧のジョギジョギモンスター』の方は観られていないので、リメイク版のみの感想となりますが、とても丁寧な作りのザ・ホラーで、かなり好みの作品でした。
前半は。
いやほんと、後半どうしたのでしょう。
悪魔にカルトにゾンビと一気に詰め込んでくる最後の30分の怒涛の展開は、もはやついていくのが精一杯。
突然脚本家が変わったのかと思うほどでしたが、インドネシアの感覚もわからないので、果たしてこの違和感は文化差によるものなのか、単純に作品として暴走しているのかの区別もつかず。
前半、特にお母さんが亡くなってから「チリンチリン」とベルの音が聴こえたあたりでは「さすがインドネシアホラー!これはとんでもない名作では……!?」とにこにこ顔で思ったものですが、無駄にキャラが濃すぎる男女のドヤ顔ダンスが延々流れるエンドロールではもう「これは何を見せられているんだろう」と虚無顔に。
でも前半は本当に、既存の演出が多かったですが、ジャンプスケア多めでしたが驚かし要素と、ジャパニーズ・ホラー的なじめじめした恐怖演出が合わさって、ホラーとして秀逸でした。
中でも特に、ベルの音を筆頭に「音」による恐怖演出が優れていた印象です。
父親が出稼ぎに行かざるを得ず、子どもたちだけ残されるシチュエーション作りも、不自然さがなく巧み。
1981年という時代背景も、すぐ隣に土葬の墓地がある一軒家というロケーションも、最高。
いくらお母さんの写真とはいえ、あんな写真が廊下の先にあるのは子どもには怖いでしょう。
しかし、そもそも「えっ、トイレそこなの?」というのは置いておいても、あんな大きな井戸の横がトイレとか、なかなかえげつないですね。
そしてとにかく、「1人で大丈夫だ」「すぐ戻る」というホラー映画史上最強の死亡フラグをバキバキに立てて、裏切ることなく華麗に回収してくれたヘンドラ。
オリジナルにもあったのかもしれませんが、2017年の作品でこんなベタベタな典型死亡フラグが見られたことは感動すら覚えます。
最後の脱出時になかなかエンジンがかからないところなども、製作陣のホラー愛を感じました。
キャラも魅力的で、残念ながら『エスター』のマックスには及びませんが、手話を使う末っ子のイアンが可愛かったです(悪魔の子でしたけど)。
特に、怖いものを見ると目を手で覆うところが可愛い。
強がっている次男のボンディも可愛かったですし、ミスリードを誘う中盤の不穏な無表情もとても上手かったです。
大人びている長女のリニ、長男のトニーの頼れる具合は素敵でした。
おばあちゃんは結果家族を守ろうとしていただけなので優しかったわけですが、あのやり方は誤解されても仕方ありません。
もちろん、死んでしまっていたので、きちんと説明などできなかったのもまた仕方ないですけどね。
一方の後半30分は、展開もそうですが、登場人物たちの行動原理も急に不自然なものばかりに感じてしまいました。
説教師ウスタッドが、息子ヘンドラを失った悲しみに暮れているのはわかりますが、リニが窓越しに襲われているとき様子を見つつもそっとドアを閉じたシーンは、リアルさも感じましたが、やっぱり「助けないんかーい!」と突っ込んでしまいます。
ウスタッドといえば、ヘンドラを土葬する際、泣いている演技が妙に下手に見えたのですが、これは文化差かもしれません。
あとは、とにかくリニ一家の行動や態度が急に共感しづらいものになってしまったのは気になりました。
悪魔の子だとわかったイアンに対する諦めの早さもそうですが、それ以上に、助けを求めてウスタッドの家に押しかけたのに、父親が帰ってきたらウスタッドに挨拶もせずに自宅に戻ったり、昨夜あんなに怖い目に遭って明らかに解決はしていないのに、翌朝何事もなかったかのようにうきうきで荷造りをしていたり。
あの状況で電気が消えて、「停電だと思う」というのも呑気なものです。
終盤、全体的に急に雑になったように感じられてしまったのが残念でした。
とうわけで、終盤が個人的にはいまいちで、全体的に色々と詰め込みすぎな感もありましたが、カルト教団が背景にあったり、「最後の子が7歳の誕生日を迎えるとき、迎えが来る」といったような設定はとても良かったです。
お迎え係がゾンビでなくても良かった気はしますが、土葬文化が活かされていた感もありました。
墓地の隣がリニたちの家だったので、今回はゾンビたちも楽だったでしょうね。
「えっ、今回の現場、そこの家じゃん!ラッキー♪」といったような会話があったものと推察します。
かなり謎は残され、後半は迷走してしまった感がありますが、全体的に雰囲気は好きな作品でした。
特に、前半だけならかなり高評価。
続編の『呪餐 悪魔の奴隷』も、いずれ観てみたいと思います。
ちょっとだけ考察:出来事の整理(ネタバレあり)
上述した通り、細かい謎はあまり解明されず、細かく見てしまうと整合性もいまいちな本作ですが、色々な要素が詰まっていたので、何が起こっていたのか簡単に整理しておきたいと思います。
リニたちの祖母ラーマは、結婚し、息子を1人授かりました。
これがリニたちの父親バーリであり、彼は歌手だったマワリニと結婚します。
当時は歌手に偏見があったことと、バーリとマワリニの間には長いこと子どもができず、ラーマはバーリとマリワニの結婚に批判的であったようでした。
子どもができなかったマワリニは、とあるカルト教団に入信してしまいました。
各地にあるというこのカルト教団は、悪魔に受胎を祈るという教団で、さらには、教団の者が信者と交わり、妊娠させていたようです。
そのおかげ(?)でマワリニは妊娠し、リニを出産します。
しかし、最後の子どもが7歳になるとき、その子は悪魔の子として教団に回収されてしまうため、マワリニは子どもが7歳になるまでに再度妊娠するということを繰り返し、4人の子どもを産みました。
これが、リニたちきょうだいが似ていない理由でもありました。
ということは、4人とも父親は教団の異なる男性ということになるでしょう。
バーリは当然、事実を知っていたことになります。
また、ここはちょっとわかりませんが、「最後の子どもが悪魔の子」という扱いになるので、おそらく生まれた時から悪魔の子、というわけではないのでしょう。
イアンが生まれなければ、ボンディが悪魔の子になっていたはずです。
下に弟妹がおらず、7歳近づくにつれて悪魔の子になっていき、7歳の誕生日を迎えると同時に正式に悪魔の子になる、ということでしょうか。
しかし、悪魔の力を借りて4人も子どもを儲けた代償か、マワリニは謎の病により寝たきりになりました。
マワリニは悪魔に取り憑かれたようですが、「人間に取り憑いた悪魔は、その人間の姿になる」とのことだったので、マワリニの姿をした幽霊っぽい存在は、マワリニに取り憑いた悪魔だったのだと考えられます。
ただ、教団が崇拝していた悪魔はきっともっと上位の存在で、マワリニに取り憑いたのはまた別の悪魔であると考えた方が自然です。
とすると、「悪魔の下僕(奴隷)」というのは、マワリニに取り憑いた悪魔を指しているのかもしれません。
トップの悪魔のために働き、悪魔の子を増やしたり、魂を収穫することが目的でしょうか。
あるいは、「下僕、奴隷」というニュアンスからは、ゾンビたちを指している可能性も考えられます。
教団が目印として赤い実を蒔き、その目印を頼りにゾンビたちは悪魔の子を回収しに来ていたようでした。
赤い実を持っていたことからも、最後に出てきたリニたちの引っ越し先のアパートに住む男女も、教団の人間でしょう。
「悪魔の子」となったイアンはすでに回収されましたが、「引っ越されたら困る」「また収穫の時期ね」というセリフからは、他にも何かリニたち一家の活用方法があるようでした。
このあたりは、続編で描かれるのかもしれません。
マワリニの謎の病を怪しんだラーマは、幼馴染のブディマンに相談。
真相を知り、何とかしようとしていたところで、返り討ちに遭ってしまったのでしょう。
死してなお家族を助けようと、貞子ばりにイアンを井戸に連れ込もうとしましたが、失敗してしまいます。
しかし最後にはゾンビが襲ってくるドアを押さえ、家族の救出に成功しました。
ラーマはそんな大活躍だった一方、あれだけ「祈りなさい、そうすれば必ず救われる」と説いていた説教師のウスタッドは、残念ながら完全に役立たずでした。
ただ、どうやらオリジナルの『夜霧のジョキジョキモンスター』では、ウスタッドが活躍するようです。
「信仰による救い」の扱いは真逆になっており、むしろ家族愛に重きが置かれていたのがリメイク版でしょうか(イアンを諦めるのは早かったですが)。
本作では一貫して、悪魔の信仰は脅威になっていたのに対して、イスラム教の信仰はほとんど意味のないものとして描かれていました。
ウスタッドの息子ヘンドラが死亡した際の事故では、直前に飛び出してきた男性が誰なのか、改めて確認してみたのですがよくわかりませんでした。
わざわざ悪魔がやるにしては回りくどいので、すぐに姿が消えていたのが解せませんが、教団の人間と考えるのが妥当でしょうか。
いずれにしても、ヘルメット、大事。
ヘンドラが帰ったあとにブディマンを訪れてきた視覚障害のマッサージ師?マッサージ客?も、「夜は都合が悪い」というセリフからは、教団の人間であると推察されます。
リニとヘンドラが初めてブディマンのもとを訪れたときも途中で彼が来て、2回目にヘンドラだけが訪れたときも直後に彼がやってきたことになるので、外で会話を盗み聞きしたり偵察していたのかもしれません。
最終的にブディマンがリニたちを助けに来たことを考えると、ブディマンは彼を返り討ちにしたようです。
いずれにせよ、家族は結局イアンを救えずあっさり諦めますし、信仰も役に立ちません。
子どもたちだけ残されますが、彼らの成長を描いた物語というわけでもありません。
つまり、家族も信仰も悪魔に打ち勝ったとは言えず、リニ一家は逃げ出して何とか助かったに過ぎません。
特に美しいテーマが内包されているわけでもなく、ただ理不尽なホラー要素だけを描いていたのは、個人的には好みでした。
続編『呪餐 悪魔の奴隷』は、本作の4年後を舞台に再びリニ一家に降りかかる恐怖が描かれるようなので、教団についてなどは、そこでより明らかになるかもしれません。
また続編を観たら、改めて考えてみたいと思います。
追記
『呪餐 悪魔の奴隷』(2024/06/08)
続編『呪餐 悪魔の奴隷』の感想をアップしました。
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