【映画】マーシー・ブラック(ネタバレ感想・心理学的考察)

映画『マーシー・ブラック』のポスター
(C)2019 Bright Moon Entertainment,LLC All Rights Reserved.
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『マーシー・ブラック』のシーン
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同級生の少女マリーナとレベッカは友人リリーを刺し、殴打して指を切る。
それは、マリーナの母親の病気を治すために「マーシー・ブラック」を呼び出す儀式だった。
マリーナは精神病院へと送られ、15年の歳月が過ぎる。
退院したマリーナは、マーシー・ブラックの存在を証明するべく行動を開始。
妹のアリスとともに、都市伝説化したマーシー・ブラックの真相を追うが──。

2019年製作、アメリカの作品。
原題も『Mercy Black』。

闇堕ちしてしまった田代ま○し氏の話ではありません(やめなさい)。

個人的に信頼しているブラムハウス作品でしたが、本作はやや物足りなさも感じてしまいました。
一応(?)、ジェイソン・ブラムは製作には関わっていないようです。

空想の存在「マーシー・ブラック」を巡る物語。
少女たちの空想が現実となっていく過程を描いた、静か動かで言えば静の作品でした
それもあってか、雰囲気は良いのですが、盛り上がりに欠けてしまったとも言えます。

静の作品なので盛り上がらなくても良いのですが、わかるような、わからないような、わかるような、いや、やっぱりわからない……という何とも言えない鑑賞後の感覚
ちなみにどうでも良いのですが、本を読み終わったあとの感覚は「読後感」という言葉がありますが、映画の鑑賞後の感覚についてはそのような使いやすい言葉がありません。
「観後感(かんごかん)」はいかがでしょう。

いきなり逸れましたが、その観後感がいまいちすっきりしなかったのが、物足りなさを感じてしまった要因でしょう。
ただ、普通に観ていてわかりづらい話は、心理学的に観てみるとテーマが見えやすくなることもあります。
心理学的な解釈は後述しますが、本作もそのように観た方がわかりやすい作品であるかもしれません。
とはいえ、何にしてもポスターの「サイコブレイク・ホラー」はちょっと言い過ぎな気がします。

心理学的に観た方がすっきりしやすい作品の場合、現実的な観点で整合性を求めると、すっきりしないことがほとんどです。
本作もそうで、どこまでが現実で、どこまでが空想だったのかははっきりしません

ストーリーはそのような抽象感が強いのでふわっとしていますが、景色や映像の美しさはとても印象的でした
森の壮大さなどもそうですが、ラストでマーシー・ブラックが現実的な存在となり、少年ブライスと一体化するかのようなシーンの美しさは素晴らしかったです。


主人公マリーナは、すごく見たことがあるなと思いましたが、演じていたのは『ジュラシック・ワールド/炎の王国』『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』に出演していたダニエラ・ピネダでした。
ブライス役のマイルズ・エモンズはとても美しく、幻想的なラストシーンにもぴったり。

本作における司書のベローズは、ユーモアもあり優しそうで好きなキャラだったので、彼女がリリーだったのは意外でした
そもそもリリーが生きていたというのがミスリードされましたが、「え?3人とも同級生という設定だったけど、リリー、マリーナよりずいぶん歳上じゃない?」と思ってしまいました。

いやいや、リリーはあんな痛い思いをして死にかけたんだし、その後も苦労したんだろうし。
外国人だからわかりづらいだけかもだし。
自分に見る目がないだけかもだし。

と思ったのですが、

マリーナ役のダニエラ・ピネダは1987年生まれ。
レベッカ役のジェシー・ティルトンも1987年生まれ。
リリー役のリー・エディは1979年生まれ。

だったので、やっぱり実際に8歳ほど歳上でした。
失礼な間違いじゃなくて良かった

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考察:心的現実と客観的現実(ネタバレあり)

映画『マーシー・ブラック』のシーン
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客観的現実の視点

本作については、現実的な視点で見るとよくわからず、心理学的な視点で見た方がわかりやすいかも、と上述しました。
しかしまずはあえて、現実的な視点で何が起こっていたのかを簡単に整理しておきましょう。

まず、本作の出来事には大きくは二つの軸があり、一つは「実在するマーシー・ブラック」に関する出来事で、もう一つは「マーシー・ブラックを利用した人間」による仕業です。

後者については、主に3人の少女のうちかつて生贄に捧げられたリリーによるものでした。
このあたりもちょっと個人だけの力では無理があるように思いますが、「Psycho Bitch」と書かれたブラック・マーシー人形でマリーナを脅したり、犬のロルフを殺害したり、ウィルを襲ったりしたのは、すべてリリーだったのだと考えられます。

彼女の目的としては、マリーナにマーシー・ブラックを思い出してほしかったようです。
なぜ今さら?というのもありますが、彼女は現在もマーシー・ブラックの存在を信じているようでした。
15年前に失敗した儀式を完遂させることで、マーシー・ブラックを現実の存在として顕現させようとしていたのではないかと思われます。

リリーを生贄に捧げるというのがかつての「約束」だったので、彼女は死ぬつもりだったはずです
「ブライスの喉を切る」と言っていたのは、マリーナに自分を殺させるための方便だった可能性が高いでしょう。
最初にブライスからマーシー・ブラックのことを聞かれたリリーの態度は、積極的にブライスを巻き込もうとはしていなかったように見えました。
のちにブライスもマーシー・ブラックが見えるとわかったことで、利用しようとは思ったのかもしれません。

少女時代にリリーが生贄になると決めた理由は、マリーナと同じく、病気の?母親を救うためだったようであり、今さら自分を生贄に捧げることに何の意味があるのか、というのははっきりわかりません。
ただ、リリーが一番盲信的にマーシー・ブラックを信じていたと思われるので、マーシー・ブラックを実在化させる、あるいは過去に起因する自分の痛みを取り除いてもらいたかったのか、母親が蘇るとまで信じ込んでいたのかもしれません

心的現実

いずれにしても、ポルターガイスト的な現象も多くはリリーが行っていたと考えると、やや無茶があります。
これらの点は、あまり現実的に捉えるべきではないでしょう。

では、心理学的に見てみるとどうなるか。
本作で鍵を握るのは、「たとえ空想や幻覚であっても、ある人が現実であると信じているものは、その人にとっては現実に存在するのと変わらない」ということです。

客観的には間違っていても、その人の心の中では真実であることを「心的現実」と言います。
幻覚や幻聴などは客観的に見れば脳が見せたり聞かせたりしている幻ですが、その人にとっては紛れもなく「現実に存在するもの」です。

カウンセリングでは、その人の心的現実を尊重します。
もちろん、すべてをこちらも信じたり認めるわけではありませんが、客観的現実を突きつけて説得することがカウンセリングの目的ではありません。
「その人にとって現実はどう認識されているのか」ということを理解するのは、とても大切なことなのです。


心的現実として存在しているものは、その人にとっては現実に存在するものと変わらない、というのは上述しました。
では、多くの人に共通して心的現実として存在するものは、どうなるでしょうか。
それこそ、より現実との区別は難しくなります

たとえば、作中にも出てきたサンタクロース。
真相を知る前の子どもにとっては、サンタクロースは紛れもなく世界に実在しています。
サンタクロースを信じている子どもたちのコミュニティにおいては、その存在感はより確固たるものになるでしょう。

司書ベリーズとしてのリリーに対して、ブライスは「作り話と本当の話はどこに違いがあるのか」と問いかけました。
この問いがまさに、本作の本質を突いていたと言えるでしょう。


マーシー・ブラックは、信じる者にとっては現実に存在していました
その存在を生み出した3人の少女たちは、心的現実に従って儀式めいたものを行いますが、失敗。
しかし、その事件の報道に伴って、マーシー・ブラックの存在は社会に拡散していきました。

本作はマーシー・ブラックという都市伝説が出来上がっていく過程と見ることもできますが、都市伝説化したというより、レベッカたちが生み出した話に対して「自分も見た」「信じる」などといった人が多く現れて広まっていった段階、と捉えるべきでしょう。
生みの親が明らかである点からは、宗教的なイメージの方が近いと思います。
宗教もまさに、多くの人の心に共通する心的現実です(と言うと怒られるかもしれませんが)。

「痛みを差し出せば痛みを消してくれる」のがマーシー・ブラックでしたが、契約の存在はまさに宗教的でもあります
冒頭で語られたマーシー・ブラックの契約は、英語では「She’ll take away your hurt if you promise her your pain」でした。
hurtもpainも身体的な痛みにも精神的な痛みにも使えるようですが、painの方がより強烈な苦痛のようです。
「身体的な痛み(究極は死)を差し出せば、精神的な苦痛を取り除いてくれる」と考えるとしっくりきます。

リリーにとっては、自分が死ぬことよりも、母親が死にゆくことに対する自分の心の方が辛かったのです。
マリーナが求めたのも、母親の病気の回復でした。
レベッカについてははっきりしませんが、「怖い父親」の手袋を捧げていたことからは、父親が優しくなることを望んでいたのでしょうか。
3人とも、求めていたのは「現実的な変化」に伴って「自分の心の苦痛がなくなること」でした。


作中ではマーシー・ブラックは実在して現実に影響を及ぼしていましたが、その人が信じるレベルによって見えたり周囲に影響を与えていたと考えるとわかりやすい場面も多々ありました。

マリーナは、治療で回復したとはいえ、心のどこかで信じ続ける気持ちがあったでしょう。
リリーの行動は上述した通り無茶が目立ちましたが、最もマーシー・ブラックを信じていた彼女に対して、マーシー・ブラックのオカルト的な助けがあったのかもしれません。
レベッカについてははっきり描かれませんでしたが、自殺未遂の影響だけであの状態になったとは考えづらく、生みの親であるレベッカはそれなりにマーシー・ブラックを信じる気持ちが強かったはずなので、影響を大きく受けていたと考えられます。

イマジナリーフレンドなどを挙げるまでもなく、ファンタジーと親和性が高いのが子どもです。
ブライスの前にマーシー・ブラックの影が現れるようになったのは、図書館でネット検索してからでした。
マーシー・ブラックの存在を知ったあの時点から、ブライスの信じる気持ちが強まっていったのでしょう。

ちなみに、彼が求めたものは父親であると考えられます
彼の心的現実としては、父親はNASAで働いていて忙しいので不在。
しかし心の底では寂しさを感じ、どこかでは実際はもう自分の前に戻ってこないという客観的現実も気がついていたのかもしれません。
ことあるごとに宇宙飛行士の人形を手にしていたのが印象的です。

本作では、登場したどの家族においても父親の不在が目立ちました。
言うまでもなく、ウィルは父性とは程遠い存在です。

宗教においても、念仏を唱えるだけで誰でも救われる仏教は母性的、教えを信じて守るものだけが救われるキリスト教は父性的と言われます。
契約や約束の履行を求めるマーシー・ブラックは、父性的な存在と言えるでしょう
最後にブライスと一体化するようなシーンは、ブライスを守るようにも見えました。
それこそが、ブライスの求めるものだったのかもしれません。

心的現実のみがエスカレートすれば、妄想に駆られた悲劇が現実社会にもたらされる可能性があります。
客観的現実だけにとらわれすぎても、生きた人間の心の動きを無視した味気ない世界しか残りません。
心的現実も客観的現実も、どちらが正しいというものではなく、大切なのはバランスです。

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