作品の概要と感想(ネタバレあり)
トレーラーで砂漠を横断中のカーター一家。
ところが、近道をしようとしたのが災いし、荒地の真ん中で立ち往生してしまう。
その近くには核実験の影響で突然変異を起こした恐ろしい食人集団が潜んでおり、何も知らないカーター一家に忍び寄っていた──。
2006年製作、アメリカの作品。
原題も『The Hills Have Eyes』。
直訳は「丘に目がある」なので、無人と思われた砂丘を捕食者が見つめている的な意味合いで、「障子に目あり」に近いでしょうか(微妙に違う)。
本作は、『エルム街の悪夢』や『スクリーム』で有名なウェス・クレイヴン監督による1977年の作品『サランドラ』(オリジナルも原題は『The Hills Have Eyes』)のリメイク。
オリジナルは未鑑賞ですが、珍しくリメイク版の方が評価が高めなようですね。
そんなリメイク版の監督は、4大フレンチホラーの一角を担う『ハイテンション』で名を馳せた、個人的にも大好きなアレクサンドル・アジャ。
『ハイテンション』はもちろん、『ピラニア 3D』や『クロール ―凶暴領域―』も好きです。
容赦のなさで名高い4大フレンチホラーですが、本作もまた容赦のない演出のオンパレード。
こういう悪趣味な作品は好きだと大声で叫びづらいですが、
大好きです!!!!!(『屋敷女』に続き2回目)
いやぁもうほんと悪趣味。
多くの人に人気で平均80点の映画も良いですが、こういう100か0かみたいな作品が自分に刺さったときの出会いは最高です。
いや、もちろん、言うまでもありませんが、フィクションだから好きなんですよ。
内容に関しては、「田舎に行ったら襲われた」系のテンプレパターンと言えます。
相手が食人族というところは、やはり『悪魔のいけにえ』を彷彿とさせますが、本作における食人要素は少なめ。
オリジナルの『サランドラ』は1977年、『悪魔のいけにえ』は1974年なので、『悪魔のいけにえ』の影響を受けている可能性も推察されますが、こういった系統のスプラッタやスラッシャーは当時のブーム的なものでもあったでしょう。
しかしまぁ、「田舎に行ったら襲われた」系を観るたびに思いますが、海外の田舎というのは恐ろしいですね。
もう規模が日本とは比べものになりません。
日本の樹海なんて可愛いもので、『ヒルズ・ハブ・アイズ』のあんな砂漠で立ち往生したら、ミュータントがいなくても死にそうです。
本作のロケ地はモロッコのようですが、貴志祐介のデスゲーム小説『クリムゾンの迷宮』も、こんな感じの場所で行われたんだろうな、と想像が膨らみました(『クリムゾンの迷宮』の舞台はパーヌルル国立公園(バングルバングル)で、オーストラリアにある世界遺産)。
しかし、事故った直後はそれほど危機感に乏しい感じでキャンプをしていた一家。
余談ですが、ボビーの「フロイトの夢判断によるガラガラヘビの解釈は?」というのは、基本的に男根です。
細く長いものはだいたい男根の象徴として解釈してしまうフロイト先生。
家族の前でこんなジョークを突っ込んでくるボビーもなかなかです。
ちなみに、本作の殺人鬼側の呼び名が迷うところで、綾辻行人ファンとしては「フリークス」と呼びたいのですが、その用語自体に差別的なニュアンスもありそうなので、とりあえずここでは「ミュータント」と呼んでおきます。
ミュータントというと、どうしても宇宙人的なイメージや緑色の亀(観たことないのに)が浮かんできてしまうのですが、仕方ない。
リメイク版で特筆すべきは、ミュータントたちが核実験の被爆者であったという設定でしょう。
オープニングにおける衝撃的な写真群も、実際のベトナム戦争における枯葉剤(ダイオキシン)の被害者の写真らしいです。
よく日本で公開できたな、と思いましたが、事実当時は一旦公開中止となり、その後規模を小さくして公開されたとのことで、納得。
この点オリジナル版は、あらすじをざっと調べた限りでは、かつて核実験場だったという設定は同じようですが、特に被爆による奇形という設定ではないようでした(裏設定はわかりませんが)。
オリジナルは、フレッド(ガソリンスタンドの店員)の息子ジュピターが生まれつき化け物のような存在で、フレッドはジュピターを荒野に捨てましたが、そこで見つけた女性と子どもを作って繁栄してしまった、という設定。
これは、15世紀に実在したとされるソニー・ビーン一族(荒野で通りかかる人を襲って金品を奪い人肉を食べていた、近親相姦を繰り返し障害者も多かった)がモデルになっているようです。
リメイク版では、ガソリンスタンドのおじさんが言う「ジュピター」の意味がよくわかりませんでしたが、オリジナルの情報も踏まえると、ミュータントのボスであるジュピターはおじさんの子どもだった、だからおじさんは協力していた、そして結局は罪悪感もあって?自殺してしまった、といった感じだったのかと思います。
リメイク版でのジュピターは、犬や人の肉を食べ、最後にダグに撃たれてルビーと崖から転落死した、長髪の男性です。
こうして比べてみると、ストーリーラインはほとんど違いがないようですが、リメイク版はより悲劇性が高まっています。
その要因はもちろん、ミュータントたちも核実験の被害者であり、差別され、社会から追放された存在であったという点です。
それが他の人間を襲って良い理由にはならないにしても、彼らも鬱屈とした思いを抱え、必死に生きていたのでしょう。
特に、あんな社会で育ちながら純粋な心を持ち、普通の人間に憧れていたルビーの存在は、切なさも漂います。
リメイク版ではミュータントの背景はそれほど深掘りされず、目的や言動にあまり統一感がないようにも感じられましたが、それが常識的な尺度では測られない不気味さにも繋がっていました。
アメリカ政府に見捨てられた彼らですが、それでもアメリカ国歌を歌っていたのは、決して皮肉ではなく、自分たちにも人権があることを訴えているかのようでした。
本作における悲劇の責任が誰にあったかといえば、まぁアメリカ政府でしょうね。
とまぁ設定からして悪趣味なわけですが、それはただの背景設定であり、社会派的な要素はほぼ皆無で、本作はただひたすら、悪趣味ヒャッハースプラッタを楽しむべき作品でもあります。
犬や小鳥が殺されるのも、ミュータントに強姦されるのも、容赦なく虫けらのようにカーター一家が殺されていくのも、アレクサンドル・アジャ監督らしいねちっこさ溢れる胸糞不快感でした。
無駄に動物を殺すのは、安っぽい胸糞要素として否定派ですが、本作ではミュータント一家の野蛮さ、鬼畜さを象徴していたように思います。
さらに、ビューティーの死により、ビーストが復讐に燃えていた(?)ところは、ビューティーの死が活かされてもいました。
しかし、ビューティーもビーストも脱走させすぎで、砂漠で何度も見失ってしまったのはかなり管理に問題があったような。
脱走したビューティーを追ったリンが盗品のバッグを見つけてしまったことが悲劇のきっかけでもあったので、そのあたりの甘さが敗因でもありました。
焼かれるボブなど、ゴア表現もしっかりしていますが、どちらかと精神的な負担の方が大きかったように感じます。
死体の扱い方に遠慮がなかったところも、個人的には高評価でした。
あまり砂漠の暑さの苦しみは描かれていませんでしたが、腐敗もとんでもなく早かったでしょう。
そんな容赦のない精神的スプラッタ地獄を経て、後半はまさかの覚醒したダグによる復讐劇場。
誰が序盤の時点で、彼のあれほどの活躍を予想できたでしょうか。
不死身かよ!
不死身かよ!
と何度叫びたくなったかわからないほど、頭を強打しようと指を切り落とされようと血まみれになりながら立ち上がる彼の姿は、まさに不屈のヒーロー。
銃も扱う残虐非道な連中のアジトにバット1本で乗り込む勇敢さはもはや無謀と呼べるレベルですし、攻撃の避け方もマトリックスのネオ並みでした。
母は強し、ならぬ父は強しで、きっと妻リンの魂もダグに宿ったのでしょう。
カーター一家は最初どれが誰でどういう関係なのか把握するのに時間がかかりましたが、サザエさん一家と完全に同じ構成であることに気がついてからは、一気に把握しやすくなりました。
しかし、銀婚式であんな砂漠を走るというのも、ミュータントに襲われなかったとしても他の家族たちがなかなかにかわいそう。
上述した通り、普通にパンクしただけでも下手したら死にそうですしね。
カーター一家もミュータント一家もかわいそうではありますが、ボブの責任は重い。
カツオとワカメことボビーとブレンダも頑張りました。
特にマッチを使ったトラップ、とても賢い。
最後に赤ちゃんを抱え犬を引っ張って生還を遂げたダグとの抱擁は謎の感動すら漂っていましたが、そんな様子をまだ誰かが双眼鏡で見ている、という不穏エンド。
しかし、不穏エンドではなく、あれでミュータント一族を全滅できていたハッピーエンドだったとしても、砂漠から抜け出すまでに野垂れ死んでしまいそうです。
というわけで、あまり大っぴらには言いづらいですが好きな作品で、続編もあるので観てみたいですが、監督は代わっており、評価もいまいちのようなので後回しになりそう。
コメント