作品の概要と感想(ネタバレあり)
太平洋に浮かぶ孤島の人気レストランを訪れたカップル。
目当ては予約が取れない超一流シェフが振る舞う極上のフルコース・メニュー。
ただそこには想定不可能な“サプライズ”が添えられていた──。
2022年製作、アメリカの作品。
原題も『The Menu』。
絶海の孤島にあるカリスマシェフのレストランに招かれた12人の客人たち。
このシチュエーションだけでもう、ミステリィ好きとしてはわくわくしました。
序盤は展開がまったく読めませんでしたが、かなり好みの作品でした。
展開としてはけっこうめちゃくちゃなはずなのに、勢いで押し切って何となく納得させられてしまうところがすごい。
映像や料理の美しさやスタイリッシュさも、もちろん本作の勢いに欠かせない要素で、素晴らしいものでした。
思わせぶりな場面が多かったり、細かい部分はそこまで説明されず、余白も多いですが、実は奥深いと見せかけて浅い作品なんじゃないか、とも思っています。
批判的な意味合いではなく、仰々しく装飾して儀式めいたことをやっておきながら、要はシェフのエゴでしかないという薄っぺらさがシニカルで、むしろ本作の魅力であると感じました。
特権意識や分断などの社会的な要素は、『ザ・ハント』に似たところも。
スタイリッシュさや食がテーマなところは、『フレッシュ』にも少し近い印象。
しかし、行間を読み解こうとしてみる試みも面白いですが、ただ表面的に追うだけでも楽しめる作りにもなっていました。
展開の好みはもちろんあるでしょうが、何がどうなるのかわからないサスペンスでもあり、シチュエーション・スリラーのような雰囲気もありました。
こだわり抜かれたスタイリッシュな映像を観ているだけでも、エンタメとして楽しい。
特に、4品目の副料理長ジェレミーの“混乱”を経てから、ガラッと雰囲気が変わるところが好きです。
パンッと手を叩くスローヴィクの姿が、偏屈でこだわりの強いシェフ像から、不気味な教祖のようになっていく過程も巧妙。
とにかくスローヴィクシェフの威圧感が凄まじかったですが、演じていたレイフ・ファインズは、どこかで見たことがあるなぁと思っていたら、まさかの『ハリー・ポッター』シリーズのヴォルデモート役でした。
鼻があるので気づかなかった(こんな台詞、人生で使うことになるとは)。
そりゃあパワハラ上司を演じさせたら右に出る者がそうそういない威圧感を発揮するのも当然でした(怒られそう)。
他にも多数の映画に出演してる有名俳優さんです。
主人公のマーゴ(本名はエリンでしたが、わかりやすいので以下マーゴと呼んでおきます)を演じたアニャ・テイラー=ジョイも素敵でした。
あまり外見の話は良くないとは思いつつ、個人的に爬虫類顔が苦手なのですが、それでも不思議な魅力を感じました。
アニャ目当てで本作を観た人が多いというのも頷けますし、ずっと観たいと思いながらまだ観られていな『ラストナイト・イン・ソーホー』もより楽しみに。
他、客やスタッフもみんな合っており、素晴らしい配役でした。
表面的に追うだけでも好きですが、少し深い部分も考えてみたいと思います。
考察:スローヴィクの心理、マーゴが助かった理由、タイラーの正体(ネタバレあり)
ジュリアン・スローヴィクの心理
予約の取れない超人気シェフ、ジュリアン・スローヴィク。
彼はなぜ、本作のような奇行に走ったのでしょうか。
ざっと観ているだけでも何となくはわかると思いますが、少し深掘りしてみたいと思います。
まず彼は、もともとは誰かのために料理を作り喜んでもらうことが生き甲斐の、素敵な笑顔が眩しい普通のシェフでした。
新人の段階から期待されており、元来才能はあったようですが、だんだんと評価が高まっていき、料理評論家のリリアン・ブルームに評価されたことなどを皮切りに、予約の取れない超一流シェフへと成長していきました。
しかしその過程で、彼は料理の目的や本質を見失います。
孤島でただただ毎日、完璧な料理を出さなければならないプレッシャーに晒されながら、金持ち相手に調理する日々。
副料理長ジェレミーについて語られた「混乱」は、ほとんどそのままスローヴィクの混乱だったでしょう。
混乱を来した彼の至った結論は、すべてをリセットするというものでした。
料理はもはや、彼の人生の一部、いや、人生そのものと言っても過言ではなかったでしょう。
孤島のレストランという彼の世界の中で、取り巻く人々をも巻き込んだ究極のメニューを仕上げ、浄化する。
それが彼の目的であったと考えられます。
スローヴィクは自分を「怪物」「ピエロ」と言っていましたが、それはもはや虚栄心を満たすためだけに金に物を言わせて自分の料理を食べに来る客たちに応えている自分を揶揄したものだったでしょう。
高級料理をステータスの一つとしてしか捉えていないような、強欲で傲慢、堕落した客たち。
しかし、今の超一流シェフとしてのスローヴィクは、何よりも愚かな客たち、そして信者とも言えるスタッフがいてこそ成り立っていました。
そんなレストランを経営すること、おそらく十数年以上。
もはや、この完成された愚かな相互関係を解消するには、破滅しか選択肢がなくなっていたのです。
え、もっといくらでも選択肢はあるでしょう?
と思うでしょうが、閉鎖的な空間で視野狭窄に陥った彼には、その選択肢しかないと思い込んでいたと考えられます。
もはや彼1人でコントロールできる状況になく、彼もシステムの、あるいはメニューの一部に過ぎなくなっていたのです。
高尚な理念を掲げながら、最後に自らの究極のメニューを完成させる。
それはまさに、破滅へと至るカルトの教祖のようです。
追い込まれて地下鉄サリン事件を起こした、オウム真理教のような。
集団自殺をした人民寺院のような。
そう、本作はまさに、スローヴィクのエゴによる拡大自殺だったと言えるでしょう。
それっぽい理由づけと演出がなされており、観ている側も何だか流されてしまいますが、映画スター俳優(名前すらなくてかわいそう)が選ばれた理由なんて、「命の洗濯である休日を汚されて今でもムカつくから」ですからね。
もちろん、傲慢さや、嘘をついてまで自分を大きく見せる性格、不倫や浪費など「特権階級」に位置する要素もあるからでしょうが、半分は当たり屋のような難癖でしかありません。
怪物あるいはピエロと化した彼にとって、忌み嫌っていた客たちも、もはや今の彼を作り上げた自身の一部でした。
信者とも言えるスタッフたちはもちろん、「融合」したような一体感はより強固なものであったはずです。
エコシステムが完成している孤島は、一つの完結した世界になっていました。
完璧なメニューを作り上げて、炎の浄化によってリセットすることでしか、彼はもう暴走したシステムを止められなくなっていたのでしょう。
秘密の部屋のドアにはキリストらしき絵が描かれていたり、招かれた客は12人で、まさに最後の晩餐が繰り広げられる様子からは、キリスト教との符号がとても感じられます。
しかし、これはキリスト教の理念に基づくものではないはずで、むしろ自嘲めいた自虐的な表現であると考えられます。
いつの間にか、彼はあの島で神のようになっていました。
しかし、当然ながら本当の神にはなり得ません。
スローヴィクは愚かな客たちの罪を罰したのではなく、自らを罰し、赦そうとしたのだろうと考えられます。
彼の制服は、神というよりも神父らしさが溢れていました。
周囲を巻き込んで完璧なメニューを作り上げようとしたのは、最後にシェフとしての自己実現を果たすためのエゴと言えます。
使命を果たすための荘厳な儀式のような趣で場を作り上げていましたが、ある意味、すべて正当化のための自己欺瞞でもあったでしょう。
キリスト教もどきは、まさに彼が作っていた料理のような、本質とは別次元の装飾に過ぎません。
キリスト教がモチーフというのは、おそらくミスリードです。
念のため言っておくと、料理の装飾を否定しているわけではありません。
本作の料理たちも、実際に三ツ星シェフであるドミニク・クレンというシェフが監修されていたそうで、まさに芸術。
ただ、「目でも美味しい」のは間違いありませんが、「何て美味しそうな料理!」とはあまり思わなかった庶民です。
そのあたりはマーゴも代弁してくれていましたが、あくまでもプラスアルファの富豪たちの遊びの領域でしょう。
話を戻すと、スローヴィクのエゴという話でしたが、信者であるシェフたちはほとんど洗脳状態にあったでしょう。
「Yes chef!」が途中から「Yes sir!」になっていたとしても、きっと違和感がないほどでした。
そもそも彼らが望んで集まっていたのもあるでしょうし、孤島という閉鎖空間もその傾向を助長します。
また、客たちも最後には自分の罪と運命を受け入れていたように見え、それは都合が良すぎる展開にも思えましたが、ある意味では細部を省略した上でのスローヴィクのカリスマ性を描いていたのだろうとも感じました。
観ている側もいつの間にかあの異様な空間に呑み込まれているような、不思議なカリスマ性があったのは間違いありません。
マーゴはなぜ助かったのか?
本作における唯一の生存者、マーゴ。
マーゴは庶民だから見逃されたのか?
テイクアウトという奇策を講じたから逃げられたのか?
おそらく、そんな単純な話ではありません。
そもそも、彼女は招かれざる客でした。
料理大好きスローヴィク大好きなオタクであるタイラーが、本来のパートナーの都合が悪くなったので騙して連れてきただけの、ビジネスライクな参加です。
そのため、スローヴィクは狼狽えます。
そんな一般庶民がこの島に来ることなんて、おそらくもう十数年以上なかったでしょう。
極論、庶民の存在なんて彼の人生の中から消えてしまっていたとしても、不思議ではありません。
そこに現れた彼女の存在は、心理学的に見ればトリックスターです。
トリックスターとは、秩序や規律、常識にとらわれず動き、物語を展開させる存在。
彼女の存在自体が彼の世界にとっては異端であり、もたらされるのは破壊か創造か、彼は非常に困惑したはずです。
それはもう、女子トイレにまで入り込んでしまうほどの狼狽っぷりです。
しかし、彼の世界にはもはや「与える側」か「奪う側」かという2択しかあり得ません。
どちらに当てはまるのかと悶々と悩んでいたのがスローヴィクでしたが、彼女が出した答えは第3の選択肢でした。
庶民だったから。
スローヴィクに、誰かのために楽しく料理を作る初心を思い出させたから。
キング牧師の言葉の通り「自由を要求した」から。
テイクアウトという奇策を講じたから。
どれも当てはまりはするでしょうが、本質ではありません。
彼女が提示した第3の選択肢は、スローヴィクの世界には存在しなかった、まさにトリックスターの働きによる転換です。
完璧な形で世界を閉じようとしている彼にとって、もはや彼女の存在はどこにも位置付けられなくなってしまいました。
そのため、ただ自分の世界から出ていくのを見送るしかなかったのです。
少し好意的に見れば、料理を純粋に楽しんでいた頃の自分をマーゴに託したという想いもあったかもしれません。
スローヴィクが終わらせようとしていたのは、神を演じていた怪物でありピエロであるシェフとしての自分です。
その世界から、純粋だった頃の自分を逃してあげたい気持ちがあったとも推察できます。
アニマやグレートマザーの働き
マーゴが奇策を思いつくきっかけとなったのは、シェフの家の中にある秘密の部屋に侵入したことでした。
そこで見つけた、彼の過去。
この部屋のドアにキリストらしき姿が描かれていたのは、上述した意味合いとは別で、スローヴィクにとっては神聖な空間でもあったのでしょう。
無線ももしかしたらあの部屋にしか存在しなかったかもしれず、唯一、外部や過去と繋がる空間でもありました(同じドアはレストランにもありましたが)。
彼女があの家に忍び込めたのは、スローヴィクからエルサの代わりに樽を取ってくるというお使いを頼まれたからです。
彼がわざわざお使いを頼んだのは、上述した通りマーゴが「与える側」か「奪う側」かを見極めるためでした。
忠実な僕であるエルサと争わせ、見極めようとしたのです。
冒頭、タイラーがエルサに対してシェフの家について尋ねた際、「私たちでも見られない」と言っていました。
マーゴを尾行していたとはいえ、忠実なエルサがシェフの家に入ったのも、秘密の部屋の鍵を持っていたのも、不自然です。
エルサが鍵を持ってマーゴを追いかけたのも、スローヴィクの指示であったのでしょう。
ここで、スローヴィクはなぜ秘密の部屋の鍵をエルサに持たせたのか。
マーゴがエルサに勝った際、秘密の部屋に入らせるためとしか考えられません。
シンプルに、無線機を使うかどうかで「与える側」か「奪う側」か見極めようとしたとも考えられますが、もっと深い意味があったと考えます。
スローヴィクは、彼の過去が詰まったあの部屋を見せたかった。
実際にマーゴが行ったような、彼の世界観を壊すトリックスターの働きを求めていた。
意識的にハンバーガーに気づいてほしいような気持ちがあったと考えても通じますが、個人的には、ほぼ無意識的な働きだったのではないかと思います。
マーゴは性風俗的な仕事をしていることが示唆されていましたが、傲慢、強欲、堕落を憎むスローヴィクは、マーゴの仕事は特に否定していないようでした。
「奉仕する者」としての共感すら感じていたように見えます。
スローヴィクに欠けていたものは、母性や女性性でした。
このブログでは頻繁に触れていますが、包み込むのが母性で、切断するのが父性。
レストランにおける規律、軍隊や宗教のようなスタッフとの関係性、神父のような制服、「与える側」か「奪う側」かという2択の思考、これらはすべて父性的な要素です。
スローヴィクは母親を大事にしているようには見えましたが、最後には自分のエゴに巻き込みますし、母親もまるでアルコール依存のようで、母性的な優しさは本作の限りではまったく垣間見えません。
彼の抑圧された女性性は、彼の心の中にアニマという「男性の心の無意識に潜む女性のイメージ」を形成します。
スローヴィクは、この無意識的なアニマに振り回されていた様子も見受けられます。
料理だけに人生を懸け、完璧主義でストイックに見えるスローヴィクでしたが、副料理長であるキャサリン・ケラーに言い寄っていた過去も明らかになりました。
女性関係で破滅する男性は少なくありませんが、それはアニマに呑み込まれたとも言えます(詳しくは『ノック・ノック』の考察もご参照ください)。
ちなみに、キャサリン・ケラーはリリアンに褒められて「その一言をもっと早く聞けていれば」と泣いていましたが、もしかすると過去、リリアンに酷評されてキャリアを潰された1人かもしれません。
そもそも最終的に全員が死ぬという計画を描いたのは、キャサリン・ケラーでした。
本計画のコア中のコアなので、その意味でも、スローヴィクはまるでピエロのようです。
また、母親を守れなかった後悔が語られたタコスにまつわる思い出話。
スローヴィクは、自然についての想いも熱く語っていました。
母なる自然や大地、海といった存在は、母性の元型であるグレートマザーを象徴します。
そのような海に、彼を操っていたオーナーを沈めたのです。
わざわざ天使の格好をさせて、海に堕とした演出はとても示唆に富んでいました。
最後には、すべてを浄化するという建前のもと火が放たれますが、それは天上に輝く火ではなく、すべてを灰燼に帰す、次元の低い、グレートマザーと結びついた重く暗い火と言えます。
スローヴィクが完璧な規律を課すほど、抑圧された母性へのとらわれや女性に振り回されることが増えていったと考えられます。
それは無意識レベルであり、マーゴを自身の心の奥底とも言える秘密の部屋に送り込んだのも、無意識の働きであった可能性が高いのです。
本作は全体的に、男性の方が情けなく、女性の方が肝が据わっている点も印象的でした。
それは、客も含めたあの島全体が、スローヴィクの世界だったからかもしれません。
「男性だけ45秒あげるから逃げて良い」というゲームは、「命懸けの鬼ごっこ」であり、「並外れた身体能力を持っていれば生き残れるというテスト」であるというのを見かけ、なるほどと思いました。
彼らが逃げる気力を失った象徴として描かれているというのもあるでしょう。
しかし、女性を見捨ててまで逃げ惑うしかできない彼らの姿は、哀れでもありました。
一か八かで団結して抵抗しなかったのも、スローヴィクの男性性が投影されているからとも解釈できそうです。
男性陣が逃げている間に、女性陣はテーブルを囲み食事をします。
死ぬことに抵抗は示しつつも、どこか肝が据わった様子も窺えるシーン。
火をつける直前、最後に「ありがとう」と言ったのもアン(老婦人)でした。
タイラーは何者だったのか?囁かれた言葉
ザ・空気の読めない料理オタク、タイラーくん。
彼の存在が、本作に漂う緊迫感を良くも悪くも薄めていました。
最初はイライラさせられつつも、徐々に癖になってくるマイペースさ、好きでした。
タイラーは、今回のディナーで起こる結末、つまりは死について知っていたようでした。
事前に8ヶ月ほどやり取りをしていたということで、何も知らなかった他の客たちとはだいぶ異なる立場です。
タイラーの心理はシンプルで、本当に料理が大好きで、スローヴィクのファンだったのでしょう。
「彼の料理を食べられるなら、死んでもいい」といったようなよく使われる誇張表現を地でいったわけで、妄信的信者とも言えますが、オタクの鑑とも言えそうです。
空気読まずに蘊蓄を一方的に語るところも。
しかしそもそも、タイラーがなぜ選ばれたのかが謎です。
いわゆる特権階級なわけでもありません。
一つ無難に考えられるのは、タイラーが本当に料理を愛していたから、です。
客たちも含めて島のすべてがスローヴィクの人生や世界だったと考えると、タイラーが担っていたのは、過去に料理を愛していた自分の姿です。
タイラーには、「与える側」と「奪う側」の橋渡し的な役割を期待していたのかもしれません。
ひたすら料理を愛する気持ちと、スマホで撮影しまくるなど現代を象徴する無遠慮さ。
タイラーは両方の要素を持っていたと言えます。
タイラーが鬼ごっこの際に逃げなかったのは、死ぬつもりでいたからでしょう。
「君もだ」と憧れのスローヴィクに指示されたので、形だけ逃げたに過ぎません。
女性たちが“男の過ち”を食べている間も、食べたさそうに外から中を覗き込んでいたので、逃げる気などなかった様子が窺えます。
そんな彼の姿に、スローヴィクも迷いがあったのではないかと思います。
どちら側の人間として扱うべきか。
さらには、予定していたパートナーとは違う女性(マーゴ)を勝手に連れてきてしまい、スローヴィクを混乱に陥れました。
スローヴィクは「未解決の事柄を解決しないとメニューを終了できない」と言い、それはタイラーのことを指していました。
「なぜここにいる?」という問い。
その後、料理人の扱いをして神聖なる厨房に通すというのは、その後鼻をへし折り自殺に追い込むにしても、明らかに特別扱いです。
ここからは飛躍して完全に個人的な解釈となりますが、実はタイラーは、スローヴィクの息子だったのではないか?という仮説を考えました。
そうだとすると、多くの謎が氷解します。
リスクを負ってまで、事前に8ヶ月かけて「この世界を見せ、秘密にするように誓わせた」こと。
タイラーはスローヴィクを父親だと知らなかったでしょうが、料理を愛しスローヴィクに傾倒する青年に育っていたこと。
そんな彼に料理人の立場と制服を与え、わざわざ自分で名前を書き、厨房に通して料理をさせたこと。
スローヴィクの母親が唯一発した台詞が、タイラーが制服を着たときの「ミスター・ハンサム」だったこと。
強烈なプレッシャーを与えながら料理をさせたのは、日々自分が行っていた生活の追体験。
上手くいくわけもなく、叱って「マズい」と言いながらもメニューの一環として出しており、尻拭いをしています。
それらからは、あまりにも不器用な父親の愛情が感じられてなりません。
「君のせいで我々の芸術の神秘が丸見えだ」という台詞は、蘊蓄ばかり語るタイラーを責めているようにも見えますが、「完全なる芸術」を求めていた客に対するアンチテーゼとしても捉えられます。
自分は神でも完璧な存在でもないのだと。
そもそもそれ以前の副料理長たちによるメニューについても、自身の日常の否定や女性関係の過ちなど、スローヴィクの神秘性を否定する演出になっていました。
そうなると、耳打ちしたときに伝えた内容は、自分が父親であるという真実でしょう。
1人で自殺させた点だけは悩ましいですが、そもそもタイラーはすでに命を失う覚悟で自分の料理を食べにきてくれたのです。
事前に死の計画を含めたすべてを伝えるというリスクを冒したのは、それでも自分を来てくれるかどうかをタイラーの判断に委ねていたのかもしれません。
メニューの総仕上げは、スローヴィクの人生の清算と浄化です。
それに巻き込むのではなく、厨房という神聖な場所で死を与えたのは個人として尊重していたからであると、やや苦しいですが解釈できなくもありません。
そもそもが狂気的な計画なのです。
飛躍しているのは自覚していますが、そうでもないとわざわざタイラーがすべての真相を明かされた上で招かれた理由がわかりません。
秘密の部屋にあった、ハンバーグを焼いている若かりしスローヴィクの写真は、タイラーに似ていないとも言えません。
もしかしてこの写真はタイラーを演じていたニコラス・ホルトなのでは?と思いニコラス・ホルトの写真を色々調べてみたのですが、残念ながらさすがに違いそうでした。
ただ、個人的には納得でき、面白い仮説ではないかと思っています。
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