作品の概要と感想(ネタバレあり)
廃病院のベッドの上で目覚めた重症の男女。
共に記憶を失くしていて、自分の名前すら思い出せない。
医師風の男が2人を看病していたが、不気味なものを食べさせたり、拘束したりと、猟奇犯のような言動をする。
命の危険を感じた男女は脱走を試みるのだが──。
2018年製作、カナダの作品。
原題は『Alive』。
いきなり記憶もなく意味不明の状況から始まる、シチュエーション・スリラー系。
『ホステル』のように始まり『ソウ』っぽい雰囲気で展開されていくこともあってか、個人的にはけっこう好きで楽しめました。
いかにもB級っぽいパッケージと、レビューサイトなどで評価が低かったので、期待値低めで観たのも良かったかもしれません。
とはいえ、拷問や痛々しさがあったので好きでしたが、ストーリーはあってないようなもので、最後もどんでん返しとはいえ「やられた感」があるわけではないので、世界観が刺さらなければただ退屈なのも納得できてしまいます。
特にラストが賛否両論のようですが、個人的にはありでした。
さすがにリアルなサバイバルモノから急に飛躍しすぎ感はあったので、置いてけぼりになるのもわかりますが。
しかし、いきなり緊迫した状況から始まって、ほとんど3人だけであの場所だけで展開させたのは、なかなか見事だったのではないかと思います。
廃病院の雰囲気や死体などもチープではなかったですし。
ちょっと冗長な会話や間で時間を稼いでいる感はありましたが、不思議と飽きることもなく。
まったくと言っていいほどヒントが与えられず、医師の目的も最後まで不明だったので、予想のしようがなかった点も良くも悪くも緊迫感を保っていたのかもしれません。
医師の情緒不安定な言動も、何が正解かわからず、どうなるのかわからない緊張感に繋がっていました。
ちなみに、この医師役の人、めっちゃ見たことあるな……ラッセル・クロウにちょっと似てるからかな……いや、でももっと……と気になったので調べたところ、『ソウ3』で主人公?(メインの被害者)ジェフを演じたアンガス・マクファーデンでした。
そうだジェフだ!!
と、『ソウ』シリーズ大好きとしては熱い想いに。
ジグソウのゲームに巻き込まれたジェフが、今度はゲームを仕掛ける側(?)に……。
感慨深いものがあります。
それで言うと本作、ちょっと『ソウ』を意識している気がしなくもないのは、自分が『ソウ』好きだからでしょうか。
場所とか雰囲気、アンガス・マクファーデンの配役もそうですが、かくれんぼのときに「ゲームをしよう(Let’s play a game.)」と言っていたりとか、拷問道具の中にノコギリがあってそれを手に取ったりとか。
もし意識されているにしても、ただの二番煎じ作品ではない感じで良かったです。
ちなみに、ラスト、というか根本設定はだいぶ飛躍していたわけですが、邦題、若干ネタバレじゃないですかね?
さすがにフランケンシュタイン路線までは予想できませんでしたが、「主人公の男女が死んでいるのでは?ゾンビ的な存在なのでは?」というのは、医師が不死身だったのと、男女が脱出して走る車を止めようとするシーンあたりから何となく察しがつきました。
それは『デッド・アンド・アライブ』という邦題からできた予想だったので、この邦題じゃなかったら気づかなかったかもしれません。
考察:医師の目的は何だったのか?(ネタバレあり)
そんなに考察するほど情報がなく、そもそもが細かく設定がなされているわけではないと思いますが、本作に対する自分なりの解釈を少し。
まず男女(以下、一応それぞれ仮名のジョーとエリザベスと呼びます)については、医師が死体を継ぎ合わせて復活した存在、いわゆるフランケンシュタイン博士による怪物と捉えておくだけで良いでしょう。
怪我の回復早くない?と思いましたが、「人間じゃなかった」というのが逆にそれを説明でき得る理由になっていたのが面白い。
元死刑囚や殉職した警官、病死した女性など、死体のバリエーションも多岐にわたっているようですが、どうやって手に入れていたのかはあまり深掘りしてはいけません。
まぁ病院だったのでどうにかなったのだろう、でお茶を濁しておきましょう。
さて、問題の医師ですが、さすがに「タフですね」では済まない不死身っぷりだったことから、彼もまた怪物的な存在だったのだろうと思われます。
では、彼を生み出したのは誰か。
おそらく、彼の父親でしょう。
彼の父親は「チンパンジーの脳移植に初めて成功した脳外科医だった」と説明されていたので、彼の息子(=本作の医師)が死ぬか何かしてしまったため、フランケンシュタインの怪物的に、あるいは死体に脳を移植するなりして復活させたのかな、と考えています。
フランケンシュタインの怪物的な場合、「父親」というのは比喩的なものであり、実際にもともと血が繋がっていたわけではなく、「自分を生み出した存在=父」として表現している可能性もあります。
ただ、あまり無から生まれた存在という感じではなかったですし、パッと見つぎはぎも見当たらないように見えたので、死んだ息子を脳移植で復活させた説を推しておきます。
医師も怪物だったとして、そんな彼が求めていたものは何でしょうか。
子どもの頃から「孤独」だったという彼が求めていたのは、家族や仲間であったと考えられます。
だからジョーやエリザベスを作り上げ、医師の「家」である廃病院にいてほしかったのです。
では、なぜ最初から事情を説明しなかったのか。
ただ不器用なおじさんだったわけではなくて、「自主的に家族になってほしかった」のだと思います。
事情を説明したり、あるいは脅迫したりすることで受け入れさせるのではなく、自分からここにいたいと思ってほしかったのでしょう。
ジョーとエリザベスを試すような諸々の言動は、それを見極めようとしていたのだと思われます。
途中で「お楽しみ会」と言っていたのはかくれんぼのことだったのかと思いますが、あのときも医師は不自然に浴室を離れました。
自由を与えられたときに彼らがどのような行動に出るのか、試していたのでしょう。
また、医師がエリザベスを特別視していたのは、家族や仲間の中でも特に母性的な存在を求めていたからだと考えられます。
医師はことあるごとに、自然や大地の偉大さを訴えており、大地からの恵みである花を無下に扱われたときにはブチ切れていました。
自然や大地は母性性を象徴するものです。
ある意味、あの廃病院という世界における医師自身は、ジョーやエリザベスを作り出した創造主、つまりは神に近い存在で、それは父性を担います。
家族として欠けているのが母性的な存在であり、彼はそれをエリザベスに期待していました。
代々受け継がれているという耳飾りは、おそらく彼の家系で女性に受け継がれているものだろうと考えられます。
母性といっても、エリザベスに「母親らしさ」を求めていたわけではありません。
具体的な母親、妻、娘といったような役割ではなくて、すべてを包み込む優しさといったような抽象的な母性性を求めていたはずです。
それが補完されてこそ、おそらく彼の求めている「家族」が成り立つのでしょう。
最後に、ラストシーンの解釈を少し。
ジョーとエリザベスはあのまま解体されて「いなかったもの」にされてしまいそうな雰囲気でした。
そうだとすると、わざわざ「あなたたちは死体のつぎはぎよ」と説明したのは、なかなかに酷ですね。
処理するだけなら、何も説明せずに麻酔をかけて処理してしまった方がよほど優しい気がします。
刑事たちも動転していたのかもしれませんが……最後までただひたすらかわいそうなジョーとエリザベスでした。
エンドロール後の、医師が目を覚ますシーンは、単にお約束的な演出と考えられます。
彼のポリシー的に、生きている女性を殺してまでは家族を作らないように思うので、あの女性が襲われるわけではないと考えています。
色々と裏切られて怒り心頭の彼がどういう行動に出るかはわかりませんが、いずれにせよ、ただお約束な終わり方をしただけで深い意味はない、あるいは彼が普通の人間でないことを補強する演出と考えて良いでしょう。
しかしあの姿で「頭をぶつけたようだ」と言われたら、襲われなくてもトラウマになりそうです。
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