作品の概要と感想(ネタバレあり)
ハロウィンの夜。
ベビーシッターのサラは2人の兄妹の子守りをしていたが、ハロウィンのお菓子の袋の中に見覚えのない古びたビデオテープを発見する。
ビデオテープを見たいという子どもたちの好奇心に押され渋々再生するサラだったが、その中にはあまりにも残虐な3つの物語が映し出されて──。
2013年製作、アメリカの作品。
原題は『All Hallows’ Eve』。
『テリファー』シリーズで一気に名を馳せたダミアン・レオーネ監督によるホラーアンソロジー作品。
『テリファー』の原点かつ「かなりグロい作品」としてずっと存在は知っており気になっていましたが、ついに日本でも配信され鑑賞できて嬉しい限り。
しかし『テリファー0』という邦題は、わかりやすいですし目を引くでしょうが、若干誤解を招きかねない気もします。
もともと、ダミアン・レオーネ監督は『The 9th Circle(2008)』『Terrifier(2011)』という短編映画を2本制作しており、これがそれぞれ『テリファー0』で流れるビデオ映像の最初のエピソード(悪魔モノ)と最後のエピソード(ガソリンスタンド)のようです。
つまり、以前制作した短編を組み込んでメタ的に長編に仕上げているのが本作。
最初のエピソード(悪魔モノ)のアート・ザ・クラウンの方が、終盤のアートよりもメイクが薄いような違和感がありましたが、上述した制作過程を踏まえると、もともと別時期に作られた短編の映像だからであると考えられます。
そして、これらから派生して2016年に長編『テリファー』が完成しました。
そのため、確かにアート・ザ・クラウンの原点であるのは間違いありませんが、ストーリーとして繋がっているかというと、長編シリーズは再構築されていると考えた方が正しいでしょう。
『テリファー0』というよりは、『ダミアン・レオーネ0』と言った方がニュアンス的には正しいかもしれません。
アートを演じているのも、『テリファー0』で演じているのはマイク・ジアネリですが、長編シリーズはすべてデヴィッド・ハワード・ソーントンと別人。
それにしては、メイクもあるとはいえそこまで大きな違和感がないのはすごいですが。
なので、ストーリーなども含めて完全に『テリファー』の前日譚として、あるいはアートの誕生秘話として期待して観てしまうと、肩透かしになってしまうでしょう。
原題も『All Hallows’ Eve』ですし、これは元来のハロウィンの表記のようです。
と、前置きが長くなりましたが、おそらくその前提が重要で、ストーリー的な『テリファー』の前日譚を求めてしまうと悪魔だの宇宙人だの訳がわからなくなってしまいますが、あくまでも独立した『テリファー』の前身として観れば、個人的にはとても楽しめました。
『テリファー0』は長編というよりは繋いだ連作短編集という感じですが、それぞれ毛色が違い、これはこれで面白い。
ラッパを鳴らしたり無言で大笑いしたり、そして無駄にグロ・ゴアな殺し方をしたりと、しっかりアートの原点も見られました。
最初のエピソードのアートは、上述した通りおそらくアートの初出作品ということもあり、まだちょっとさっぱりした顔つきで、何となく物足りなさを感じて笑ってしまいました。
目(の黒塗り)がちっちゃい。
ラッパを拒否られてびっくりしているリアクションなどはまさにアートですが、まだちょっと個性も弱めでしょうか。
世界観もだいぶ謎でしたが、『ネクロメンティア』に似た雰囲気を感じました。
2つ目のエピソードの宇宙人は、やはり本作一番の謎と言って過言ではないでしょう。
アートも顔出演(?)だけですし、結局コテコテのグレイ型宇宙人に襲われただけの話でしたね。
これだから海外の田舎の家は怖い(?)。
人間感丸出しの宇宙人でしたが、よくわからない手足のくねくね動作で何とか誤魔化そうとする低予算なりの工夫、個人的にとても好きでした。
3つ目のエピソードが、短編版の『Terrifier』だけあり、やはり求めていたものに一番近かったです。
ようやくアートくんが大暴れと言った感じ。
それでもまだまだ大人しめというか、惨殺のインパクトはありますが個性溢れる殺し方とまではいきません。
しかし、これらの積み重ねがあったからこそ、長編『テリファー』でのより尖ったアートが生まれたのだろうと感じました。
本作の時点でもしっかりとアートのお茶目さは見られましたが、ブラックなコミカル度も長編でより跳ね上がっています。
長編版だと、1作目は「アートは人間なのか?いや人間じゃなさそう」といった終わり方で、2作目の『テリファー 終わらない惨劇』では完全に不死身ファンタジーキャラとなっていましたが、短編版の時点で瞬間移動したり不死身だったりとだいぶファンタジー寄りだったのですね。
ギコギコの原型も見られてよかったです。
そして、これらのエピソードを繋ぐティアとティミー姉弟、およびベビーシッターのサラの視点が、『リング』を彷彿とさせるようなメタ視点で巧い作りでした。
しかしサラ、「過激だったら消すわ」と言いながらも妊婦がお腹を割かれても止めていませんでしたが、倫理観が心配。
その後も「うわぁ」みたいな顔をしながらも1人で最後まで全部観ていましたし、サラの「過激」の基準が気になります。
ちなみに、サラ役のケイティ・マグワイアは、長編『テリファー』でも冒頭で殺害されたテレビ司会者の女性・モニカを演じていました。
この点からも、ストーリーなどの点においては直接的な繋がりはないことが窺えます。
『テリファー0』に話を戻すと、最初はビデオ映像が流れるテレビ画面を映していましたが、いつの間にか全画面でビデオの映像になっているなど、切り替えや没入感も自然でした。
3エピソード目の『Terrifier』は映像もまさにビデオのようなブツブツとした粗いものになっており、それがラストの現実侵食演出にも活かされているなど巧妙。
アートがテレビから出てこようとするのはだいぶ『リング』っぽかったですが、影響を受けているのか、あるいはメタ的には珍しい発想ではないので別に関係ないのか、ちょっと気になるところ。
ビデオ映像がサラたちへの世界へと侵食し、エンドロールでは我々現実世界に侵食してくるような2段階のメタ構成も、特段珍しいわけではありませんが「謎のビデオ」を軸とした作品として綺麗にまとまっていました。
ゴア表現もまだ個性は弱いですが過激さでは負けず劣らずで、子どもたちが犠牲になる容赦のなさも好きです(言うまでもありませんが、フィクションだからです)。
ティアとティミーもちょっと生意気ではありましたが悪ガキではまったくなく、「自業自得だね」感のない人たちまで次々犠牲になっていく理不尽さも『テリファー』シリーズの魅力でしょう。
ビデオという設定や、単調でありながら不気味なBGMのレトロ感も良い。
『テリファー』の感想にも「80年代のスラッシャースプラッタっぽい」といったようなことを書きましたが、本作でもその片鱗が窺えました。
ただ、ビデオという存在がさすがに古くなりすぎているので、現代だったら謎のビデオが出てきても「再生できないね」で終わってしまいそうです。
サラがスマホで電話していたので、時代背景は当時の現代(2013年頃)だったのでしょうが、あの家にビデオデッキがあったのが敗因でした。
というより、ビデオを最後まで観てしまったのがアートが現実に侵食してきた原因だと仮定すると、何だかんだ文句を言いながら1人で最後まで観てしまったサラの責任であり、ティアとティミーはだいぶ巻き込まれでかわいそう。
そのように導かれたのかもしれませんが、でも、怖いのについつい気になって観てしまう、それがホラーの魅力なのでした。
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