作品の概要と感想(ネタバレあり)
郊外の一軒家で暮らすクロエは、生まれつきの慢性の病気により、車椅子生活を余儀なくされていた。
それでも、前向きで好奇心旺盛な彼女は、地元の大学への進学を望み、自立しようとしていた。
しかしある日、クロエは自分の体調や食事を管理し、進学の夢も後押ししてくれている母親ダイアンに不信感を抱き始める──。
2020年製作、アメリカの作品。
『search/サーチ』のアニーシュ・チャガンティ監督作品で、『search/サーチ』も観ようと思いつつ、気になって先に『RUN/ラン』を鑑賞。
『search/サーチ』も観ましたが、『RUN/ラン』の冒頭でクロエがワシントン大学のYouTubeを見ていた際、「寮生活の秘訣」という動画のサムネイルに使われていたのが、『search/サーチ』に出てきた写真モデルの女性でした。
あと、終盤に出てきた看護師が、『search/サーチ』でパムを演じたサラ・ソーンでしたね。
静かながら終始不穏さや緊迫感の漂う、心理描写がとても丁寧な作品でした。
M・ナイト・シャマランっぽさも感じましたが、アニーシュ・チャガンティ監督はシャマランとヒッチコックには大きく影響を受けているとのことでした。
色合いの使い方も上手く、料理が全部美味しそう。
『RUN/ラン』に決定する前は『マザー』というタイトルだったようで、それだとまさにそのままという感じになりますね。
湊かなえの小説『母性』とはまたまったく違う、恐ろしき母親の執念。
物語の骨子としては、ラプンツェル感も感じました。
魔女に奪われ、高い場所に閉じ込められた女の子。
大きな違いは、『RUN/ラン』のクロエは、自らの力で脱出した点でしょう。
徐々に明らかになる、恐ろしき母親像。
クロエが夜中にネットで薬を調べようとした際、背景の暗闇の中に座っているダイアンの姿は最高にホラーでした。
派手な展開があるわけではなく、日常の中で描かれる恐怖と絶望。
身体を自由に動かせないクロエの行動が丁寧に描かれており、ともすれば冗長に感じてしまい得るシーンも多々ありましたが、それがなかったのは、クロエを演じたキーラ・アレンの表情や演技によるものであるのは間違いありません。
そしてそれが、クロエのもどかしさに観客が共感する要因にもなっていたと感じます。
思わず、「Run!(走れ、逃げろ)」と叫びたくなるようなシーンがたくさんありました。
初主演とは思えないキーラ・アレンは、普段から車椅子を使用しているとのことなので、付け焼き刃ではない細かい動作や突然のパワフルで素早い行動は、本作の完成度を大きく高めています。
詳しくはわかりませんが、2015年頃から下半身に原因不明の麻痺があるようです。
ラストでクロエが歩いたシーンは、それを知らずに観た段階では7年という歳月の割には回復していない印象を受けましたが、知ってから観るとより深いシーンに映ります。
ハッピーエンドとは言い難いダークさの残るラストは、個人的には好きでしたが、色々な受け止め方がありそうです。
積年の恨みを晴らすかのように、ダイアンに自分がされていたことをやり返すクロエ。
支配ー被支配の構図の逆転は、痛快でもある一方、クロエも7年が過ぎてなおダイアンに囚われている側面も窺え、その根深さは切ないものがありました。
この点は、考察部分で詳述します。
考察:ダイアンとクロエそれぞれの心理(ネタバレあり)
ダイアンの心理:代理によるミュンヒハウゼン症候群なのか?
代理によるミュンヒハウゼン症候群
先天性の障害を持った我が子を優しく愛する母親。
……と見せかけて、とんでもない毒親、どころか実は親ですらなかったトンデモ支配者・ダイアン。
彼女の目的や心理はどのようなものだったのでしょうか。
『RUN/ラン』の感想を見ると、「代理によるミュンヒハウゼン症候群(代理ミュンヒハウゼン症候群)」の文字が散見されます。
監督のインタビューでも「心理面では、ダイアンの行動や選択について、世に沢山出ている代理ミュンヒハウゼン症候群の症例を参考にしています」と述べられていることからも、この精神疾患がイメージの一つとして取り扱われていることは間違いありません。
代理によるミュンヒハウゼン症候群については、二宮敦人の小説『殺人鬼狩り』の考察でも取り上げましたが、『RUN/ラン』を観て『殺人鬼狩り』も読み、なおかつこのブログを読んでくれている人が果たしているのかどうか……と思うレベルなので、ここでも再度取り上げます。
精神医学に、「ミュンヒハウゼン症候群」という疾患があります。
これは大まかには、自分が病気や怪我であると主張したり捏造するものです。
目的は関心や同情を集めるためであり、「逮捕されたからおかしな言動をして精神病の振りをする」「保険金目的」といったような詐病とは区別されます。
ただただ「体調が悪い、何もないわけがない」と不調を訴えて病院をはしごして検査を繰り返す人もいれば、実際に尿に血液を混ぜたり、自傷行為まで行う人もいます。
本気で「何か異常があるのでは」と心配になって、異常がなくても何回も何回も検査を依頼していたりしたらまた別の疾患になりますが、ミュンヒハウゼン症候群の患者は、心配されたり優しくされたいというのが目的です。
彼ら彼女らは、自分が病気であると主張することで関心を集めます。
そこまでいかなくとも、病気のときに優しくされて温かさを感じたことがある人も多いかと思いますが、そのような病気によって得られたプラスの側面を「疾病利得」と言います。
いつも「調子が悪い」と言って心配されたがる人が周りにもいるかもしれませんが、それが暴走し、疾病利得に取り憑かれて度を超えた極端な行動に走っているのがミュンヒハウゼン症候群の患者なのです。
では、他に、病気や怪我が絡んで関心や同情を集められるのはどういう状況でしょうか。
それは、病人や怪我人を看護・介護しているときです。
自分が病気であると主張するミュンヒハウゼン症候群に対して、他者の病気や怪我を主張・捏造し、世話をすることで関心や同情を集めようとするのは「代理によるミュンヒハウゼン症候群」と呼ばれます。
ミュンヒハウゼン症候群よりも深刻なのは、自分ではなく他者を傷つける可能性があり、虐待の一類型となっていることも多いことです。
たとえば母親が子どもに対して、「家でいつも痙攣を起こすんです」など虚偽の症状を主張して病院巡りをするような形だけであればまだマシですが、まさにダイアンのように、実際に体調不良を誘発する薬(下剤など)を飲ませたり、わざと怪我をさせることもあります。
また、加害者は非常に熱心に世話をして心配しているので、一見、そのような加害をしているようには見えません。
しかし実際は、甲斐甲斐しく他者を世話をしている自分に酔い、それによって同情を集めることに悦びを感じているのです。
ダイアンも、自ら下肢を麻痺させる薬をクロエに飲ませたりして、そのクロエの世話をしていました。
クロエの主治医が過去6年の間に12回も代わっているという話もあったので、ダイアンは代理によるミュンヒハウゼン症候群である可能性も示唆されます。
独占欲・支配欲と依存
しかし、少なくとも、映画本編においては、ダイアンの代理によるミュンヒハウゼン症候群による事件としては描かれていないように感じました。
代理によるミュンヒハウゼン症候群の場合、上述した通り同情や関心を集めることが目的であることがほとんどです。
ダイアンが自らの献身的看護を積極的にアピールする様子は、少なくとも作中ではほとんど観られませんでした。
むしろダイアンの病理は、クロエへの独占欲・支配欲であり、依存です。
「あなたのため」というのは虐待加害者の常套句ですが、クロエが切り返した通り、ダイアンの行動はすべて自分のためであり、ダイアンの発言はすべてその裏返しです。
自らの献身性に酔いたいというよりも、クロエのすべてを庇護下・支配下に置きたい。
「あなたは私がいないと生きていけない」は「私はあなたがいないと生きていけない」であり、それは代理によるミュンヒハウゼン症候群というより、ストーカーやDV加害者の心理メカニズムに近いものであると考えられます。
その背景の一つは、おそらくダイアンも過去に虐待を受けていたであろうという点です。
入浴中に見えた背中の傷は、それを示唆するものでした。
虐待の被害者が子どもを産むと加害者に転じてしまう、いわゆる「虐待の連鎖」は、自己肯定感の低さや、そのような支配ー被支配による関係性の構築を学習してしまったこと、適切な関係性の構築の仕方がわからないことなどに起因します。
夫やその他の家族は一切登場せず、ダイアンの孤独さも窺えます。
また、もう一つ大きな要因は、生まれた直後に実子を失ってしまったことでしょう。
数時間しか生きることのできなかった、本物のクロエ。
作中のクロエは、その代替として、誘拐されてきた子どもでした(病院も警察もポンコツ!)(ついでに自殺未遂したクロエが運び込まれた病院もポンコツ)。
亡くなった子と同じ名前をつけたことからも、クロエにその子を投影していたことがわかります。
重度の障害を持って誕生し、すぐに死んでしまった本物のクロエ。
「クロエは死んでいない、生きているんだ」という思いが、先天性の障害を抱えたクロエの世話をするというダイアンの空想上の設定を支えていた一因であるはずです。
総合すれば、実子を失った現実が受け入れられず、他の子を攫ってきて「クロエは生きていた」と現実逃避。
身体の不自由なクロエの世話をして、必要とされることだけが、ダイアンの生きがいであり、自らの存在価値になっていました。
クロエを不自由にさせたのは、「自分を必要としてくれるため」というのと同時に、「逃げ出さないように」ということでもありました。
ダイアンにとって、クロエが自分のもとを離れていってしまうことが何よりも恐ろしいことだったのです。
ただ、そこに計画性はありません。
もともと、他の子を誘拐してきた時点から、衝動的な行動です。
クロエを助けようとした配達員のトムについては、クロエには「寝てるだけ」と言っていましたが、引きずった跡に血がついていたので、衝動的に殺したのも間違いありません。
あのトラックとかどうしたんだろう。
高校生ぐらいまでならまだしも、落ちたにしても大学の合格通知が来なければクロエは不審に思うでしょうし、20代、30代とこの生活が続けていけるはずもありませんが、そのときにどうするかを想定している様子もなく、すべて行き当たりばったりなダイアン。
「あなたを殺すはずがない」と言っていましたが、いざクロエが自分の元から離れようとしたら、きっと衝動的に殺害していたでしょう。
また、支配的な関係性は、ダイアンの「ありのままの自分では受け入れられないのではないか」という自信のなさや不安の裏返しでもあり、これは虐待というより束縛して暴力を振るうDV加害者の特性に一番近いように感じられました。
「もうしないから、すべてを忘れて改めて仲良くやっていこう」と必死に繋ぎ止めようとする姿も、同じく。
とにかく、今すぐに「あなたと一緒にいます」という言葉がもらえないと安心できず、相手が逃げようとするほど、計画性に乏しいなりふり構わない行動に走るのです。
クロエの心理
ダイアンのもとから逃げ出したクロエの知性、行動力、そして勇気は、クロエが持ち合わせていたものです。
ただ、情報が遮断された環境下で、自分で試行錯誤をしながら問題を解決するという力は、結果としてダイアンによって育まれた側面もあり、その力によってダイアンの支配下から解放されたというのは、両者にとって皮肉なものでもあります。
クロエが地下室で見つけた写真によれば、クロエは少なくとも4歳頃までは歩いていたようですが、その記憶はないようです。
歩いていたという記憶が一切ないものかな?ダイアンは何で4歳までは歩かせていたんだろう?という点は気になりますが、あの写真は「もともとは歩けたんだ」ということをクロエに気づかせるための演出であり、あまり深い設定はないように思うので置いておきます。
さて、クロエに関しては、本編中の心理はわかりやすいかと思うので、ラストシーンの心理について考察してみます。
ラストシーン、本編の7年後にクロエとダイアンが面会していた場所は、「BELFAIR CORRECTIONS CENTER FOR WOMEN」と書かれていたので、女性用の矯正センターであると考えられます(BELFAIRは地名)。
病院で警備員に撃たれて階段から落ちたクロエは生きており、犯した罪が明るみになり、矯正センターに送られたのでしょう。
余談になりますが、中盤でクロエが、終盤ではダイアンが階段から落ちたのも、構図の逆転を視覚的に現していると考えられます。
さらにその矯正センターの中での面会場所は「INFIRMARY」、つまり医務室でした。
面会での、7年の年月が過ぎた2人の容姿も、素晴らしい描かれ方でした。
特に、やつれ切って病んだ目をしているダイアンには、優雅にワイングラスを傾けていた面影はまったく見られません。
クロエも、自らの脚で立ち上がって金属探知機を通過し、文字通りの自立を見せてくれたのはもちろん、生き生きと輝く表情は、土気色をした顔で寝たきりになっているダイアンとの対比で際立ちます。
さて、クロエがダイアンに話して聞かせた内容からは、アニーという娘?がいること、アラという夫?がいることなど、いずれにせよ現在は新たな家族が出来、幸せに暮らしている様子が窺えます。
しかし、それが善意や好意による面会ではないことは、その後、口の中から薬を取り出したことで明らかになります。
口の中に入れていたのは、身体検査を潜り抜けるためです。
この薬は、緑と薄い緑のカプセルに見えたので、クロエがダイアンに飲まされていた犬用の薬(緑と白)と同じものであるのかはわかりません。
もしかしたら光の加減で違って見えただけかもしれませんが、何にしてもダイアンの身体の自由を奪うための薬であるのは間違いないでしょう。
面会中、ダイアンが一言も喋らなかったことも、なぜ医務室にいるのかということも、定かではありません。
クロエが飲ませた薬の影響かもしれませんし、それ以前から、クロエを失いすべてを失ったダイアンは心を病んでいた可能性もあります。
ただ、クロエが仕返しのためにダイアンに薬を飲ませていたのは確実です。
金属探知機のスタッフとのやり取りからは、初めての面会ではなく、少なくとも先月も面会に訪れていること、そして顔馴染みになるほどにはたびたび訪れていることがわかります。
薬も毎回飲ませているのでしょう。
これは、クロエにとって仕返しのための面会です。
幸せそうに、今の家族のことを話し聞かせる。
それ以上にダイアンを苦しませるものはなく、クロエもそれを理解しています。
「クリスマスには祖母が集まる」「(娘は)私の母にも懐いている」と、わざわざ「自分の母」という表現を持ち出すのは、ダイアンに対しての当てつけであり嫌味に他なりません。
クロエは幸せそうに今の生活を報告していますが、その態度すらダイアンへの当てつけでしかなく、その根底に流れているのは、憎悪であり恨みです。
感想部分で書いた通り、この立場が逆転した構図は、ダイアンに苛立ってきた観客側には痛快さすら感じさせます。
ただ一方で、いつ頃から面会が可能になったのかはわかりませんが、7年という年月が流れ、幸せな家族と生活を得てなお、それをわざわざダイアンに会いに行って聞かせて、さらには自分がされていたことをやり返し、目の前でダイアンが苦しむ姿を見ないと気が済まないのだと考えると、クロエの心の傷の深さが窺い知れます。
7年という月日は長いものですが、クロエがダイアンによって奪われていた時間は、その倍以上です。
そしてなお今も、結果としてダイアンのために時間を割いています。
それは今もまだダイアンに囚われているということです。
虐待を受けた子どもの傷が癒えるのは容易なプロセスではなく、長い時間がかかります。
しかし、今のクロエのように仕返しをして、たとえそのまま苦しみながらダイアンが死んでいく姿を見届けることができたとしても、果たしてその先に救済が待っているのかどうか。
そう考えると、ダークさを超えて、非常に暗く切ないラストであると思いました。
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