【小説】くるむあくむ『産物デッサン』(ネタバレ感想・心理学的考察)

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くるむあくむ『産物デッサン』の表紙
(C) Kurumuakumu 2026
目次

作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)

タイトル:産物デッサン
著者:くるむあくむ
出版社:スターツ出版
発売日:2026年8月28日

美大浪人生は、技術向上のために友人に薦められた「電車デッサン」を始める。
みるみるうちに上達し、ついには画集の出版まで決まった矢先、販売ページに不気味なメッセージが届く。
「このたびは私を描いてくれて、いつも本当にありがとうございます」

“デッサン”とはありのままを描き写す行為のことです。
無いものを描き出さないでください。


ネットを中心に幅広く活躍するくるむあくむによる新作。
自分が読んだくるむあくむ作品としては『或るバイトを募集しています』(KADOKAWA)に続き2作目でした。
『或るバイトを募集しています』は短編集のような感じだったので、初めての長編作でもありました。
ちなみに、著者自身初の長編小説でもあるようです。

『或るバイトを募集しています』も好きでしたが、本作『産物デッサン』も引き続き面白く好みでした。
こちらは実は何と、スターツ出版様からご恵贈いただきました。
こんな小さいアカウントでもご恵贈いただけるとは、初めてだったので驚きましたし何ともありがたい話。

ですが、純粋に面白く楽しめたのでPRっぽくしたくなかったため、自分でも購入したぐらい好きでした。
なので溢れんばかりの感謝はしつつも忖度などせず、いつも通り素直な感想です。

作風としては、相変わらずライトめ。
するする読める文章で文字も大きく、速い人なら1日あれば余裕で読み終わるでしょう。
軽い文体のホラー作品は最近流行りでもあり、個人的には物足りなく感じる部分もありますが、ホラー読者の裾野を広げてくれているのでとても応援しています。

『或るバイトを募集しています』はモキュメンタリーホラー寄りでしたが、本作はモキュメンタリーではない、と言って良いでしょう。
雰囲気としては、怖いというよりも不気味、不穏といったような表現がしっくりきますが、それは『或るバイトを募集しています』とも共通する部分であり、くるむあくむ作品の魅力と言えそうです。

内容もシンプルで、「電車デッサンをして出版したら変なレビューが届き、その相手を探している」だけとも言えます。
それでも先が気になってどんどん読み進めてしまう文章力と構成力はかなりのもので、軽めの文体に惑わされてはいけません。

個人的には、ラストの展開など以上に、途中で挟まれた電車デッサンの対象のエピソードたちが不気味で好きでした。
知らずに死の間際を描いていたのなんて怖すぎますし、乳母車のおばあちゃんとか結局何だったのでしょうか。
そういった訳のわからない余韻も、好みは分かれそうですが好きです。

もはや慣れてしまっていますが、電車というのは、見知らぬ人同士が狭い場所で近い距離で密集する、一種異様な空間です。
隣の人がどんな人なのか、想像するしかありません。
もともと人間観察は好きなのですが、電車内でもっと乗客に注意を向けたくなる1作でもありました。

しかし、電車デッサンは今の時代に実際にやったら、それも都心などだったらすぐにトラブりそうですね。
もっと早々にSNSに晒されそうですし、文句を言われたり怒られたりすることも多そう。

そのあたりの是非はさておいて、日常に潜む違和感や不気味さの切り取り方が、『或るバイトを募集しています』に続いて秀逸でした。
乗客それぞれに人生がある。
絵が上手い人は総じて観察力が優れていると感じます(くるむあくむが絵を描くのかはわかりませんが)。

内容については、どちらかというとライトに楽しむもので、あまり深堀りするものではないかな、と思います。
それでも少し踏み込んで考えてみましょう。

まず、主人公の平井が生み出したものは何だったのか。
タイトルにもある「産物」とは、

1、その土地で産する物品

2、あることが背景となって生み出されたもの

とありました。
1は「海産物」「農産物」などでよく使いますが、本作で用いられているのはおそらく2の意味でしょう。

作中で言及されていた限りでは、「その人」が生み出されたのは平井の脳内です。
デッサンとは、現実を創作へと作り変える行為。
その逆で、創作を現実へと生み出してしまったのが、本作の「その人」でした。

単純に「あり得ないものを生み出してしまった怖い話」と表面的に捉えるだけでも楽しめますし、それで十分なのだと思いますが、もう一歩踏み込んでみます。

精神科医のユングは、その人の生きられなかった側面を「影」と呼びました。
悪いものとは限らず、結婚したら結婚しなかった人生は影となりますし、野球選手になることを諦めたら諦めなかった人生は影となります。
それは常にその人につきまとい続け、影響を与え続け得るものになります。

自分は絵が下手な上に知識もないので偉そうなことは何も言えませんが、絵を描く場合、必ず描く人の主観が介入するはずです。
デッサンというのは現実をそのまま描くものですが、その場合でも同様です。
「その人が見たその対象」という構図は避けられません。

どこにどう注目するか、背景をどこまで切り取るか、といった細部には、必ずその人らしさが表れるはず。
もしかすると誰が描いても写真のように同じように見えるのがデッサンとしては優れているのかもしれませんが(そうではないと思いますが)、そのように描こうとしてもそうはならないのが現実ではないかと思います。

平井が描いていた電車デッサンも、対象となる人をただ表面的に描いていただけではなく、その人を自分の視点で切り取って自分の中に取り込んで、それをアウトプットする過程がきっとあったはず。
それはつまり、対象となる人を一旦自分の内面に取り込むことを意味します。

対象となる人にも、その人自身の影があります。
電車デッサンをたくさん描くほど、取り込む影も多くなります。

もちろん、平井自身にも影があります。
美大に落ち続けている彼には、強いコンプレックスもあったでしょう。

平井自身の影に多くの人の影が合わさって生まれたものが、「その人」だったと想像します。
平井の影が肥大化しただけの存在、あるいは何かに取り憑かれたかのように電車デッサンを描き続けた平井が生み出してしまった空想上の存在と捉えることもできるかもしれませんが、中性的で年齢不詳という外見描写からは「平均顔」が思い出されます。
それを踏まえて考えると、大勢の人が合わさったものが「その人」と考えた方が自然です。

ただ、平井に電車デッサンを教えてくれた先輩は、平井のような目には遭っていないはずです(わかりませんが)。
なぜ平井はそのような存在を生み出してしまったのでしょうか。

そこにはきっと、平井自身の影が大きく影響していたのでしょう。
画家として自分の内面をアウトプットし、芸術を創作する人生。
そのような生き方への憧れは強くあったと推察され、それが叶っていない現状は、画家として生きる自分の姿は影として、またコンプレックスとして平井につきまとっていました。
それがおそらく、あり得ないものを生み出してしまうほどの力を持ったのだと考えます。

編集者の渡邉さんが目撃したのは、隣の路線を走る電車に乗る平井でした。
それは平井の内面世界とも、世界線が異なる別の世界とも、死の世界とも解釈できます。
その世界から「その人」を生み出したのと引き換えに、平井はその世界へと囚われてしまったのかもしれません。

影は常に生者を脅かします。
影に打ち克てば大いなる成長を遂げますが、影に吞み込まれて破滅するケースも跡を絶ちません。
スタジオジブリで映画化もされた『ゲド戦記』1作目の『影との戦い』などがまさにですが、影との戦いをテーマやモチーフとした作品は無数に存在します。

影はいつでも主体を乗っ取ろうと狙ってきます。
自分が主体となり、主体が影となるように。
そのような影のエネルギーが、「その人」が生まれたがっていた理由にも繋がっているのでしょう。

存在を多くの人に認められるほど、その存在は限りなく実在に近づいていきます。
電車デッサンの書籍が売れるほど、「その人」は実在に近づいていきます。
そのプロセスに加担してしまったというのが、渡邉さんが言った「なんだ、僕のせいか……」という台詞の意味でしょう。

最後に、だいぶ印象に残り謎も残っているのが、上述もした乳母車のおばあちゃんです。
赤ちゃんはいなかったはずなのに、赤ちゃんの声がする乳母車を押していた老婆。
本筋とは関係ないただのおまけホラー要素だった可能性もありますが、もしかすると彼女の引く乳母車に乗っていた存在こそ、「その人」の原型だったのかもしれません。
そう考えるとより、老婆が不気味な存在に見えてくるのではないでしょうか。

というわけで、ボリュームは軽めながらも色々な連想が浮かび楽しめた1作。
好きなゲーム『日本事故物件監視協会 -JSP-』もくるむあくむによってノベライズされましたし、今後もくるむあくむ作品、楽しみに読み進めていきたいと思います。

くるむあくむ『産物デッサン』の表紙

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