作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:アンダー・ユア・ベッド
著者:大石圭
出版社:KADOKAWA
発売日:2001年3月9日
主人公・三井は、10年前にたった一度だけ会話を交わしたことのある、憧れの的だった千尋のことを、ある日突然、鮮明に思い出す。
三井は、彼女の自宅を調べ、近所に引っ越し、双眼鏡で千尋の生活を覗き見するようになるが──。
2001年発売。
読み終わってから知りましたが、まさかの映画化もされているのですね。
以前に書いた『殺人勤務医』と同じく、角川ホラー文庫ですが、あまりホラーといった感じではありません。
2017年のインタビューによると、「『アンダー・ユア・ベッド』を書いてから、魅力的な犯罪者を書こうと思い、ホラー路線に向いた」と述べられていました。
『呪怨』ノベライズの影響でのホラーイメージも強かったですが、そもそもそのようなホラーというより「犯罪者」が主なテーマのようです。
さて、本作『アンダー・ユア・ベッド』の主人公・三井直人は、いわゆるストーカーです。
五十嵐貴久の小説『リカ』もストーカーをテーマとした2002年の作品で、そちらの記事にも書きましたが、日本でいわゆるストーカー規制法が制定されたのが2000年なので、題材としてもホットな時期だったのでしょう。
しかしまぁ、アンダー・ユア・ベッド。
タイトルの意味はあまり深く考えずに読み始めたのですが、まさかの比喩的な意味ではなく、文字通りのアンダー・ユア・ベッドで笑ってしましました。
憧れの女性が寝ているベッドの下に潜む。
それはまだしも、人が入れるほど隙間のあるソファの下に隠れて、バレないものでしょうか。
そういった点はさておき、決して単なるストーカーの話で終わらないのが面白いところ。
大学時代に1回お茶しただけの憧れの女性・佐々木千尋を唐突に思い出した主人公・三井直人。
そこからの行動力が凄まじく、探偵を使い居場所を突き止め、その近くに引っ越して熱帯魚店を開きます。
監視、盗聴、不法侵入。
ためらいなく違法行為に走る直人に序盤はドン引きですが、展開が進むにつれて、不思議とだんだん応援したくなっていきます。
直人は、違法行為を行いながらも、決して直接的な危害は加えません。
一方のハイパーDV(ドメスティックバイオレンス)夫・浜崎健太郎は、これでもかというほど典型的なDV夫で、千尋を殴る蹴る凌辱するの鬼畜街道まっしぐら。
そのような「悪役」の登場により、ある意味で「純愛」とも呼べる直人のまっすぐな気持ちに、読んでいる側の共感が呼び起こされます。
終盤の対決シーンではもう、誰もが直人を応援していたはず。
上述したインタビューでは、『アンダー・ユア・ベッド』について「ストーカーでも応援したくなるように書いた小説」と述べていました。
「過去に憧れた女性をストーカーしていたら、彼女がDV被害に遭っているのを知り、心配でたまらなくなり、最後にはDV夫を殺害した」という、まとめればこれだけのストーリーです。
肉付けとしては、それに関連する日常や回想シーンが淡々と続くだけ。
それなのに、こんなにも止まらなくなる大石圭のリーダビリティ、凄まじいものがあります。
『殺人勤務医』も『アンダー・ユア・ベッド』も、「感情が死んでいるのか?」と思うほど淡々と進んでいく主人公視点の物語。
その単調さは、職業や趣味などの違い以外、書き分けられていないのでは……?とすら思ってしまうほどです。
合間合間に、趣味(本作で言えば熱帯魚)の描写やトリビア的なものが多く挟まれる構成もまったく同じ。
さらには、、「〜した。〜した。〜した。」「〜する。〜する。〜する。」と、普通避けられがちな同じ表現が繰り返されます。
それなのに、文章が下手といったような印象はまったく受けず、その単調さ、繰り返しの語尾が不思議なリズム感を生み、どんどんと読み進んでいってしまいます。
独特の中毒性がある文章。
もちろん合わない人もいるでしょうが個人的にはすごく好きで、読んでいると止まらなくなるし、読み終わると別の作品を読みたくなるような、不思議な魅力に魅了されました。
考察:主要登場人物それぞれの心理(ネタバレあり)
ストーカー男・三井直人。
DV被害者・浜崎千尋。
DV加害者・浜崎健太郎。
後半では、『アンダー・ユア・ベッド』における主要な登場人物3人の心理を考察していきます。
三井直人の心理:ストーカーか純愛か?
主人公の三井直人の特徴は、本人によればとにかく「影が薄い」「存在感がない」ことのようです。
幼少期から、できる兄が溺愛され、直人は両親からも忘れられ。
学校でも、同級生からも先生からも忘れられ。
そこまで忘れられる?ってぐらい忘れられ。
そのような中で初めて、憧れを抱いていた佐々木千尋とカフェで向き合ってコーヒーを飲み、「三井クン」と名前を読んでもらえたことが、彼にとっての人生における一番の幸せ体験として刻まれました。
しかしその淡い恋は実らず、千尋との関係性発展をあっさりと諦めた直人は、9年ほど経ってから、唐突に千尋のことを思い出します。
この、特に大きなきっかけがあったわけではなく、あまり脈絡なく思い出したところが妙にリアル。
匂いが引き金になったようですが、嗅覚は五感で唯一、喜怒哀楽といった情動を司る大脳辺縁系に繋がっているので、匂いをきっかけに、急にそのときの感情と一緒に思い出が蘇った体験がある人も少なくないはずです。
それから、千尋の家のすぐ近くに引っ越し、熱帯魚店を開いて、大学生時代の千尋を再現したマネキンと暮らしながら、千尋の家を監視して時には侵入。
それらを当たり前のように行動に移す直人の様子が、序盤からかなりドン引きさせてくれます。
しかし彼は、ストーカーと呼べるのでしょうか。
いわゆるストーカー規制法では、「つきまとい等」を繰り返すことが「ストーカー行為」と呼ばれています。
「つきまとい等」の定義は、以下の通りです。
特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又は配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の行為を行うことです。
- つきまとい、待ち伏せ、押しかけ、うろつき
- 監視していると告げる
- 面会、交際等の要求
- 著しく粗野又は乱暴な言動
- 無言電話、連続した電話・メール・SNSのメッセージ等
- 汚物などの送付
- 名誉を傷つける行為
- 性的しゅう恥心の侵害
直人が千尋に好意を抱いていたことは明らかです(恋愛感情ともまた違いますが)。
しかし、「つきまとい等」の行動についてはどうでしょうか。
1は確実に満たしますが、他はいずれも該当しません。
そもそもストーカーは、相手との関係性(修復を含め)を迫るか、あるいは嫌がらせなどが目的となり、悪意の有無に関わらず相手に危害を加えます。
しかし、そもそも直人は自身の存在がバレないようにしており、ストーキングの痕跡も極力残していません。
『リカ』の記事で書いた、ストーカーの類型のいずれにも該当しません。
住居侵入や盗聴、監視などを行っているので、これらが発覚すればストーカーとして扱われ得るでしょう。
ただ、それ以前に千尋が違和感に気がついて警察に相談しても、証拠もなく、「いや、でも実害はないんですよね」としばらくは様子見になっていた可能性が高いです。
もちろん、「バレなければいい」といった話ではありません。
直人は、ストーキングや違法行為に走ってはいましたが、それはある意味純愛に基づいたものでした。
とはいえ、純愛という綺麗な言葉で表現するにも違和感があります。
しかし、直人はある意味、ものすごく子どもであると言えます。
警察官から名前を呼ばれただけで無邪気に喜ぶ姿は、あまりに切ない。
存在感がない存在として自分を定義しながら、一方では強い孤独感を抱えていた。
それを救ってくれたのが、「名前を呼んでくれた」千尋でした。
名前というのは、個人のアイデンティティそのものです。
千尋は千尋でも、映画『千と千尋の神隠し』において、それが顕著に表現されています。
湯婆婆は名前を奪うことで相手を支配し、ハクは名前を取り戻すことで解放されました。
それはさておき、直人は、千尋を夫から奪いたいわけでもない。
ただ、あの時間をまた過ごしたい。
それは強烈な愛情不足に起因するものであり、自分の存在を認め受け入れてくれる存在を求めていました。
同じような劣等感や孤独感を抱えていたのが、コンビニで殺人事件を起こした水島勤です。
幼少期の環境から似ている一方で、彼には「救われた」と感じる体験がおそらく一つもありませんでした。
三井直人を「表」とすれば、「裏」として描かれたのが水島勤でした。
ちょっと余談ですが、水島がコンビニオーナー妻を殺害した際の「張り詰めたものがプツンと切れたのではなく、伸びきった古いゴムが朽ちるようにポロリと切れた」という表現、すごく絶妙に感じました。
少し深読みすると、これまでどれだけ千尋が殴られ蹴られようと、歯を食いしばるだけでソファの下から出ることができなかった直人が最後に健太郎に立ち向かえたのは、母親との会話が影響していると考えられます。
親子の会話としては何とも言えない空気感でしたが、直人は「兄の予備」としてでも母親から必要とされていたことを知り、喜んでいました。
これまた切ないですが、この出来事が、直人が現実という地に足をつけ、踏み出すことができるようになった一つのきっかけだったのではないかと考えられます。
もちろん最終的なきっかけは、千尋の命の危険性を感じたことと、ライターに向かって助けてを求めていた千尋の声を聞いたことです。
浜崎(佐々木)千尋の心理:DV被害者となる要因は見当たらない
かつてはキラキラ輝いていた佐々木千尋は、結婚して浜崎千尋になってから、すっかり別人のようになっていました。
読みながら、誰もが思ったはずです。
さっさと逃げろと。
しかし、それができないのがDVの被害者です。
ひどい状態になっていても逃げ出せない場合、マインド・コントロールされたような状態にあったり、「逃げてもどうせ無駄だ、逃げられない」といったような学習性無力感に陥っていることがほとんどです。
ただ、千尋の場合はDV被害者の特徴にはあまり当てはまらず、抜け出せなかった心理はいまいちわからないというのが正直なところです。
深刻なDV被害者の特徴として多いのは、依存的であったり、自己否定が強い傾向です。
そのような被害者は、状況を「合理化」します。
「本当は優しいから」「私がいないとこの人は駄目になってしまう」といった考えで、自身の置かれている状況を「仕方がないもの」として捉えようとするのです。
これは共依存的な人に多く見られますが、千尋視点でも特にそういった気持ちは一切語られていませんでした。
他にも、脅迫されている恐怖で身動きが取れなかったりすることも多々ありますが、千尋はそういった感じでもありません。
もともとの自己肯定感も低くはない、というよりむしろ高そう。
お嬢様ではあるけれど、男性経験もそれなりにあり、まったく世間知らずというわけでもない。
どちらかというと、暴力を振るわれたら即「この人はないな」となりそうなタイプなので、あそこまで支配下に置かれていた状況は、現実的な観点からは少し違和感が生じてしまいます。
「出戻りと思われるのが嫌だ」というプライドはあったようですが、それだけだと弱い。
作中で描かれていなかった要因があると考えるしかなく、あくまでも『アンダー・ユア・ベッド』の主人公は三井直人なので、直人ありきでの千尋の設定だったのだと考えられます。
携帯電話に相手の電話番号が表示されることを知らなかったところなんかは、時代を感じます。
浜崎健太郎の心理:テンプレスーパーDVマン
超テンプレDVモンスター・浜崎健太郎。
その価値観に至る背景までは描かれていませんでしたが、彼の思考回路はまさに、昭和でもびっくりの男尊女卑な亭主関白です。
DVに加害者に関してもいくつか類型化されていますが、代表的な一つは以下のようなものです。
- 男性優位型:「男性は女性よりも優れていて、女性を暴力的に支配するのは当然であり、女性はそれを容認するべきだ」という男性優位な思想に基づく。性的な暴力も多い。男性社会で育ってきたことが多い
- 補償的暴力型:日常的に不満を溜めやすい加害者が、ストレスや不満の発散のために配偶者に暴力を振るう。普段は大人しかったり、対人関係は得意なことも多い
- 心理的支配型:監視や支配など、過度に介入する束縛タイプ。経済的な暴力(お金を渡さない等)を伴うこともある。プライドが高い一方、実際には自分に自信がなく、裏切られることを過度に恐れている
- 不安定型:対人関係が苦手で、過度に依存的であったり排斥的であったりといった極端さがある。自殺を仄めかして呼び出して暴力を振るったり、支配的行動も多く見られる。境界性パーソナリティ障害などが診断されることも多い
この類型から考えれば、まず健太郎は明らかに「男性優位型」です。
完璧な家事や性的服従を強いる。
そもそもが「妻は夫に従って当たり前」という価値観なのです。
浜崎家の実家が、そういう家庭環境だったのでしょう。
また、「男性優位型」だけでなく、経済的暴力などを中心に「心理支配型」の傾向も見られ、根底にはコンプレックスが潜んでいる様子も窺えます。
それらは、「どうせ俺のことを甲斐性なしの貧乏人だと思ってるんだろう?」「ちょっと大学出てるからって、偉そうな顔するなっ!」といった台詞などから読み取ることができます。
さらには、束縛の強さも特徴的です。
基本的に束縛は自信のなさによることも多いですが、「自分の内面を相手に投影している」というパターンもあります。
これはつまり、自分が浮気性であるから「相手も浮気しているだろう」と考えるようなパターンです。
束縛しがち、嫉妬しがちな人が、実は自分が浮気をしている、他の異性をそういう目で見ていることが多い、というのは珍しくありません。
健太郎もまさに、同じ会社の緑川瑠璃子と不倫をしていました。
メイクやお洒落をしただけで「色気づきやがって」と思うのは、自分の中にそういった価値観しかないからです。
健太郎は、普段は良い上司なところからは、「補償的暴力型」の側面も見えます。
健太郎の基本は「男性優位型」「心理支配型」の混合ですが、イライラした日にはその苛立ちを千尋にぶつけ、暴力がエスカレートていた側面もありました。
以上のように、浜崎健太郎はまさにDV加害者の要因を詰め合わせたようなキャラ。
殺されて当然、ではないですが、誰もが「悪役」として読むにふさわしい存在でした。
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