作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:臓物大展覧会
著者:小林泰三
出版社:KADOKAWA
発売日:2009年3月25日
男が旅の途中、街で見つけた「臓物大展覧会」という奇妙な看板。
中に入ってみると様々な臓物が展示してある。
居合わせた謎の人物から「臓物の呟きを聞きたいか」と問われ、男は異様な体験をすることに──。
ホラー小説界では相当有名な作家の1人、小林泰三。
がんがん読んでいきたいと思いながら、本作でようやく入門しました。
2020年に58歳という若さで亡くなられているのはあまりにも残念ですが、これからまだまだ未読の作品がある、というのはとても楽しみ。
本作は、タイトルのインパクトが抜群な短編集。
内容も、臓物そのものとの関連性自体は薄いものもありますが、すべてグロさを有しているのが最高に好きなポイント。
そもそも、臓物の話ではなくて、臓物が記憶している話、ですしね。
ただの短編集でも良かったのに、1人の男性が臓物大展覧会へと迷い込むプロローグとエピローグがあるのが素敵です。
しかし、臓物、というのも不思議な存在です。
それ自体にどこがグロテスクさがあり、突然目の前にドンと出されたら驚くのは間違いないでしょう(とんでもないシチュエーションですね)。
人間(動物)の体内にあり、それ自体が多様な機能を持って生命を支えているという神秘性もありますが、つるんとしたりぬめぬめしている感じが一番グロテスクさを支えているのではないかな、と思います。
乾燥(?)させればまた全然印象が違うのでしょうが、やはり臓物と言われて連想するのは、血などの液体でぬらぬら光り、脈打っているようなイメージです。
「臓物」という響きも、「内臓」「臓器」などよりグロさを感じます。
「臓物」で調べると、「内臓。特に、鳥・牛・豚・魚などのきも・はらわた」と出てくるので、より動物みが強いというか、食べるイメージも湧いてくるからでしょうか。
それにしても、あらゆる食べ物に言えますが、最初にホルモンなどを食べようと思った人、どんな気持ちや思いで食べようと思ったのでしょう。
余談ですが、カニバリズムというと大抵人間の肉を食べるイメージです。
人間の臓器をホルモン焼きにして食べるみたいなパターンは、少なくともカニバリズムを扱ったエンタメ作品では肉よりもマイナな気がします。
肉の方がより「人間を食べている感覚」を抱きやすいからでしょうか。
このあたりもちょっと興味深いですが、あまりに話が逸れすぎているのでまた別の機会があれば。
ホラーは、特に本作のような短編集を読むと、やはりSFとの相性が良いんだなぁと感じます。
というより、SFがすでにホラーな雰囲気を包含していると言えるのかもしれません。
日常や常識からのずれが恐怖の要因だとすると、たとえ科学的な設定がしっかりとなされていたとしても、現代の基準からは大きくずれて見えるSFに恐怖感が漂うのも納得できます。
心臓などの臓器は、自律神経によってコントロールされています。
本作のように「臓物たちが自分たちの記憶に基づいて行う」というのは、科学的とは言えません。
みたいなマジレス考察をし始めたらどうしますか?
そんな冗談はさておき、臓物が記憶や物語を刻み込んでいるなんて、もうそんな発想から最高に面白いですね。
人間1人1人が臓物なのです。
本作ほど突飛ではなくても、いや、他の人、あるいは地球外の存在などから見れば突飛でグロテスクな物語を紡いでいるのが、それぞれの人生なのでしょう。
以下、簡単にそれぞれの感想を。
透明女
グロやスプラッタ好きなので、個人的にはこの作品が一番好きでした。
完全に頭一つ飛び抜けて好きです。
一番「臓物らしさ(?)」も感じられた1作で、『臓物大展覧会』というタイトルだけから連想したイメージに近かったのはこの作品かもしれません。
しかし、この作品だけで作者の凄まじさがこれでもかというほど伝わってきます。
過去の同級生に関する曖昧な記憶という、よくありつつも不穏な設定。
一人称、そして主に会話ばかりで進んでいき、混ぜ込まれたブラックジョーク。
オカルトと、猟奇殺人的な人間の精神の異常性や狂気のバランス。
「透明人間」に関する独特な発想。
自分を解体するというトンデモ展開を、抜群の説得力を持って押し切る文章力。
最後にひっくり返るミステリィ要素からの、しっかりホラーな終わり方。
という完成度の中で、ふざけているとしか思えない、歴史上の人物を文字った適当な登場人物の名前。
この1作だけでファンになりました。
ホロ
SF色の強い1作。
独自のしっかりした設定と、その設定を活かした中でしっかり展開させて短編として完結させる構成力は、本当にすごいですね。
小林泰三は大阪大学大学院の基礎工学研究科を修了されているようですが、それもあってか、SF設定には理系らしい説得力が感じられます。
そのあたりが個人的に大好きな森博嗣と通ずるようなところもあり、好きな要因の一つなのかも。
バーチャルな存在や世界、機械に心があるのか?というのは、現代では多く見られるテーマではありますが、2009年の作品で、これだけまったく古さを感じさせないというのもすごい。
少女、あるいは自動人形
タイトルから素敵。
本作とは関係ないですが、個人的に好きなヤン・シュヴァンクマイケルという、えっと……映画監督であり、アニメーション作家であり、映像作家であり、他にドローイングやオブジェなども……つまりは芸術家、がいます。
だいぶ前に、その夫妻(奥さんも芸術家)の展覧会「ヤン&エヴァ・シュヴァンクマイエル展」に行ったのですが、そのときの展覧会の副題的なものが「アリス、あるいは快楽原則」というもので、これがすごく好きで印象に残っていたのですが、本作でそれを思い出しました。
これもまたくるみ割り人形から派生する、生命とは何か?心とは何か?を問いかけてくるような1作。
もはや感想どころか連想ばかりになりますが、オートマータという響きと本作のテーマからは、「NieR:Automata/ニーア オートマタ」というゲームも思い出し、久々にやりたくなりました。
ホロにオートマータと、人間というの存在の根幹を揺るがしてくるような作品が続きます。
最後にはしっかりとくるみ割り人形に着地するという、おとぎ話のように美しい物語。
攫われて
ミステリィ要素が強めの1作。
きちんと見事に騙されました。
特に、犯人を騙すトリックの発想と決断、凄まじいです。
とはいえ、遺体はもはや物体。
と頭でわかっていながらも、乱暴には扱えないものですし、本作の恵美たちが罪悪感を覚えるであろうことも想像できます。
その心理もまた、興味深い。
突如巻き込まれる理不尽な恐怖。
頭の切れる子どもと頭の切れる犯人の対決。
まさかの犯人による「謎はすべて解けた!」。
ユーモアのタイミングとブラックさが最高ですね。
そしてロジカルな展開から突然引き離される幸子の登場。
これもまた、絶望感が漂いながらも綺麗な終わり方でした。
釣り人
だんだん作風がわかってきて、これもまた日常や常識、そして記憶を揺るがしてくる、つまりは人間、自分という存在を不安定にさせるような作品。
「手で枝をかき分けながら進むと、二人は釣り道具を片付け、帰路についた」という文章はわざと違和感を抱かせるようにしているのは間違いありませんが、その予想を遥かに超える回収の仕方も見事。
人間が頂点ではないというキャッチ・アンド・リリースのメタ構造。
『進撃の巨人』などもホラーではないのにホラーのような恐怖感が漂いますが、人間など取るに足らない圧倒的に上位の存在というだけで、十分ホラーたりえます。
SRP
特撮に妖怪、そもそも世界を認識する原理が異なる世界線?と、様々な要素をこれでもかと混ぜ込んだごった煮。
それでいて特撮ギャグを中心にまとめているのは、ものすごい力業。
個人的には特撮やSF色強めの作品はそれほど好みではないのですが、好きな人も多そうな1作。
何かのパロディやオマージュ的な要素もあるのかもしれませんが、わからず。
森博嗣のZシリーズも特撮コメディみたいな感じなので、理系科学者の作家はこういうのが好きのでしょうか、というのはサンプルが少なすぎますかね。
十番星
こちらも宇宙人モノ。
宇宙人もお好きなのか、この短編集にまとめているのか。
自分たちの常識が通用しない存在、というのが好きなようなのもわかってきました。
常識が通用しないというのは恐怖心を煽られるので、ホラーの定番でもありますが、その規模がすごい。
これもまた、人間の知性を超えた存在が描かれていました。
基本的にロジカルな文章や設定で恐怖感を煽ってくる作品が多い印象ですが、「きいきいきいきい」という擬音(?)は生理的な嫌悪感を喚起させてくるものがあり、この短編集の中では珍しさも感じました。
造られしもの
あり得そうな未来を描いた、ディストピア感も漂い好きな作品。
人間とロボット(アンドロイドやAI)が近づいたとき、何が違いを生むのか。
自己実現をテーマにしているとも言えます。
生きる上で必要でないもの、無駄や芸術に意味を見出すことができるのが人間だ。
という希望を打ち砕くような、悪趣味とも言えるラスト。
しかし、主人公の彼にとっては幸せな人生だったでしょう。
人間は欠陥ロボットであるというのがロボットたちの認識でしたが、人間がいないと存在価値を見出せないロボットもまた、虚しさを感じざるを得ない存在であると言えるでしょう。
目的のない共依存のような世界。
しかし、目的を求めたがるのが、人間らしさなのかもしれません。
悪魔の不在証明
これも好きな作品でした。
神とは何か。
個人的に、神や宗教、オカルトなどは、否定はしていませんが信じてもいません。
いるというのも、いないというのも、現時点では証明できない概念でしょう。
なので議論はまさに本作のように永遠に平行線であり水掛け論にしかならず、お互い尊重し合えれば良いのですが、それができず争いが絶えないのが人間です。
あぁ、何と愚か。
とはいえ、個人的には「盲信」レベルで無条件に本心から信じている人というのは、正直愚かだなと思う側面もありながらも、皮肉ではなく本当に羨ましいとも感じます。
信じられたら楽だし気持ちが平穏になるのは間違いないでしょう。
そう、まさに「造られしもの」の主人公のように。
信じていたことが真実なのであれば、最高です。
もし間違っていて、たとえば本当は死後は無だったとしても、信じたまま穏やかに死を迎えられたならそれも幸せでしょう。
なので、信じることに損はないのかもしれません。
しかし、新興宗教の洗脳から目が覚めるなど、生きている間に裏切られたと感じるのは大きな悲劇なので、諸刃の剣でもあります。
「信じることができる」というのは、個人的には才能の一つであると感じています。
何だか感想というか個人的な思想が強めになってしまいましたが、こうやって色々考えたり様々な意見を聞くのが好きなのでした。
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