【映画】クローブヒッチ・キラー(ネタバレ感想・心理学的考察)

映画『クローブヒッチ・キラー』のポスター
(C)CLOVEHITCH FILM, LLC 2016 All Rights Reserved.
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『クローブヒッチ・キラー』のシーン
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16才の少年タイラーは、信仰を重んじる小さな町の貧しくも幸せな家庭で暮らしている。
ある日、ボーイスカウトの団長も務め、町でも信頼の厚い父親ドンの小屋に忍び込んだタイラーは、猟奇的なポルノや不穏なポラロイド写真を見つけてしまう。
調べを進めてゆくにつれ、10年前に起きた未解決事件「巻き結び(クローブヒッチ)連続殺人事件」の犯人が父親ドンなのではと、日ごと疑惑は増すばかり。
同じく事件を追う少女カッシに協力を求め、真相を究明しようとするが──。

2018年製作、アメリカの作品。
原題も『The Clovehitch Killer』。

パパがシリアルキラーだった!
という、何ともやるせない物語でした。
基本的に主人公のタイラー視点で進んでいくため、グロさは皆無で、シリアルキラーモノというよりは、ジュブナイルモノのサスペンス・スリラー。
主人公の成長物語であり、後味の悪さも含めて、『FOUND ファウンド』と若干近い印象も抱きました。

しかし、父親が犯罪者だった、しかもシリアルキラーだったというのは、かなり辛いものがありますね。
その設定とリアル路線の作風だけでわかる通り、特に大きなどんでん返しがあるわけでもなく、静かに進んでいく様子が逆にリアルな、人間ドラマ性の強い作品
葛藤する少年タイラーを演じたチャーリー・プラマーの演技も光っていました。

女装をして自分で写真を撮り、しかしイメージ通りの写真が撮れず、駄々っ子のように暴れるパパの姿はついつい笑ってしまいますが、そんな父親の真の姿を知ってしまったタイラーの心の傷の深さは計り知れません(駄々っ子シーンなどは目撃していませんが)。
自給自足で何とかしようとするドンの姿からは、ドンもドンで殺人まではせずに何とかしたかったのかな、葛藤していたのかな、とも思わせますが、あっさりと再び犯行に及び、最後にタイラーをも銃殺しようとした冷酷さによって、フォローのしようもなくなってしまいました

比較的シンプルなストーリーですが、ラスト含め、考察してみたいポイントはいくつかあるように思うので、早速考察に入ってみたいと思います。

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考察:タイラーが父親殺しを行う物語(ネタバレあり)

映画『クローブヒッチ・キラー』のシーン
(C)CLOVEHITCH FILM, LLC 2016 All Rights Reserved.

現実的なポイントの考察

心理的な側面も見ていきたいと思いますが、まずはその前提となる現実的・具体的なポイントについて、整理しておきたいと思います。

ドンのモデル:デニス・レイダー

タイラーの父親にしてシリアルキラー“クローブヒッチ・キラー”でもあった、ドンことドナルド・バーンサイド。
彼のモデルは、デニス・レイダーという実在のシリアルキラーであると考えられます。

デニス・レイダーは、自らをBTK(Bind(緊縛)、Torture(拷問)、Kill(殺す))と名乗り、1974年から1991年にかけて10人を殺害しました。
ルーテル教会のメンバーで評議会会長にも選出されていた、カブスカウトのリーダーも務めていたなど、強いリーダーシップを誇っていた点も、ドンに類似しています。

彼には目立ちたがり、自己顕示欲の高い側面も見られ、自分の犯行であることを仄めかす手紙を、警察や新聞社に送りつけていました。
しばらく犯行を止めていましたが、2004年に再びメディアに手紙を送りつけたことがきっかけで逮捕へと繋がっていきます。
10年以上(明らかになっている限りでは)犯行も行わず沈黙していた点も、ドンとの類似性が見られます。

『クローブヒッチ・キラー』のドンは、犯行現場に必ずクローブヒッチ(巻き結び)にしたロープを残していました。
この点については作中での説明がありませんでしたが、デニス・レイダーがモデルと考えれば、自己顕示欲によるものであったと考えられます
いわば、自分の犯行であることのサインです。

表現の都合だったかもしれませんが、ドンの犯行はそれほど性的サディズムに基づく快楽殺人のようは描かれていませんでした。
拘束や拷問=相手を支配することと考えれば、ドンは自己愛、自己顕示欲、支配欲の強い人間であったのでしょう
ただ、免許証で見えた限りでは被害者はすべて女性であったので、描かれてはいなくとも性的欲求に基づく部分も大きかった可能性は高いです。

なので、今回ドンが10年振りに犯行に及んだ大きな要因は、妻とのセックスがうまくいかなかったことの影響が大きいはずです。
それは彼にとって、自信や男性性を大きく揺らがす、プライドが傷つく出来事だったのです。

法廷などでの様子から、デニス・レイダーはサイコパスであったとも考えられています。
ドンも、息子をあっさりと殺害しようとしたのはもちろん、タイラーに犯行現場を目撃されても大して動揺しなかったり、口達者で相手を丸め込もうとする様子など、サイコパス的なイメージで描かれていたのは間違いないでしょう。

ちなみに、「ラッキー」というのは、ドンが自らの悪の部分を人格化したようなものであると考えられます。
とはいえ、多重人格などと呼べる病理的なものではありません。
結局はタイラーをあっさりと殺そうとしたことから考えても、「自分でもコントロールできないどうしようもない部分があった」というよりは、ドンには根本的な問題がありました。

ラストの解釈

本作の終盤、特にタイラーとドンの対決後は、あまりはっきりとは描かれず、けっこう早足で駆け抜けました。

なので若干わかりづらいですが、まず今回の被害者の女性に関しては、命は助かったようです
ラストでドンの死体が発見された際、タイラー家族が訪れた警察署で聴取を受けていた様子が見えました。

事件後、カッシが「クローブヒッチとは無関係よ。ドンの顔も見られてない」と言っていたのは被害者についての話であり、被害者は誰に襲われたのかはわかっていないはずです
カッシが拘束を解いた時点ではすでにぐったりしていたので、酸欠か何かで気絶していたと考えられ、タイラーとカッシが助けに来たのも記憶になかったのでしょう。
「クローブヒッチとは無関係よ」というセリフについては、拷問なども行われていなかったので、クローブヒッチの事件の再来としては捜査されるのではなく、単独の事件として処理されるだろう、という予測であると考えられます。


そして、気絶している被害者を放置したのか、匿名で通報なりしたのかはわかりませんが、タイラーとカッシは気絶したドンを山に連れていき、キャンプ中の銃の暴発事故と見せかけて殺害しました
その工作に必要な時間を考えれば、「目覚めたら自分で通報するだろう」と放置した可能性が高く、それはそれでどうかとは思いますが、そこは本筋とは関係ないので置いておいて。

ここでは、タイラーがドンを殺害するシーンは描かれませんでした
タイラーが銃を取り出して見せ、ドンが諦めたように目を瞑っただけです。

ここは、二つの解釈があり得るでしょう
一つは、タイラーがドンを殺害した。
もう一つは、ドンが自殺したという可能性です。

もうゲームセットだと悟り、ドンが自殺した可能性も否定はできません。
最後の最後の良心で、息子に十字架を背負わせまいと自ら命を絶ったと考えると、話としては綺麗になり、作品の鬱々とした印象も少しは軽くなります。

しかしここは、個人的にはやはりタイラーが殺害した可能性の方が圧倒的に高いと考えています
その理由は、躊躇なく息子であるタイラーを殺害しようとした点。
そんな人物が、最後の最後に良心が芽生えて家族を思い遣るというのは、あまりにも都合が良すぎます。
また、さすがのタイラーも、父親とはいえ一度は躊躇なく自分を殺そうとした人物に、銃を渡そうとはしないでしょう。


警察が「タイラーを聴取したい」と言ったのは、殺人事件だと思ったのではなく、ドンが銃の暴発事故ではなく自殺した可能性があると考えたからでしょう。
さすがに殺人事件の可能性を考えているのであれば、母親に断られたからといって引き下がりはしないはずです。

しかし、お母さんの「彼は問題を抱えていた。ママは言ったわ。夫婦で一緒に乗り越えてきたと」というセリフも意味深です。
これは、深読みすれば、母親がドンの犯行を知っていた可能性も示唆します。
ここも観た人それぞれの解釈に委ねられるでしょうが、個人的には、母親も夫の犯行である可能性を疑っていたのではないかな、と考えます。
少なくとも、性的なサディズム傾向については知っていたのではないかと思います。

ただ、犯行については、明確には知らなかったのではないかと考える方が自然です。
さすがに知っていて黙っていたというのは、やや飛躍を感じます。
長女が生まれた時期に止まっていることを考えると、その時期に発覚して話し合い、子どものために黙っていた可能性もなくはありませんが……。
あれほど厳格なクリスチャンなのだからあり得ないだろうと思いつつ、そんなことがあったから厳格になった可能性も否定はできませんが、個人的にはそこまでではないだろうと感じます。

ルディ伯父さんの交通事故は、単なる偶然か、あるいはドンの仕業という可能性も考えられます
むしろ、ルディ伯父さんにバレたので、殺害しようとした。
ルディ伯父さんは命は助かったものの、後遺症で発語はおろか意思表示もほとんどできない状態になっていたようなので、問題ないと判断して放置していた。
その出来事をきっかけに、一旦犯行を止めていた。
と考えると、一番諸々の流れがしっくりくるように思いますが、そうだとするとドンパパ、ほんと鬼畜。

心理学的な考察:父親殺しの物語

本作を心理学的な視点から見ると、タイラーが父親殺しを行い、成長する物語とも捉えられます。

上述した仮説を前提に進めれば、タイラーは実際に父親を殺したことになりますが、心理学的な意味での「父親殺し」というのは、実際に父親を殺害することに限りません。
実の父親にすら限らず、「父性的な存在を乗り越えること」であり、それが思春期の成長として描かれます。
また、「親も完璧ではない」ことを知り折り合いをつけていくのも思春期ですが、そのレベルが桁違いなので、タイラーかわいそう。

『クローブヒッチ・キラー』で印象的なのは、序盤におけるドンに対するタイラーの尊敬です。
ドンは、地域からの信頼も厚く、家庭でも良き父で大黒柱であり、いずれも表面上ではあったわけですが、まさに父性的な存在でした。
リーダーシップというのは、父性的な機能です。

そんなドンに対して、タイラーは思春期であるにもかかわらず、反抗的な態度は見せず、積極的に父親を手伝い、恥ずかしがりながらもスキンシップにも応えます。
序盤の様子からは、タイラーがドンに強い父性を感じ尊敬しているのが強く見て取れました

ただ、タイラーの家庭は、父性が強すぎた感もあります
キリスト教というのは、一神教で、「父なる神」などとも言う通り、父性的な側面が強い宗教です。
規律や秩序もまた、父性的な機能。
その意味では、タイラーの家では母親もまた父性が強く、思春期タイラーの複雑な気持ちを無視した規律の押しつけは、過剰な父性の強さを窺わせます。
無条件に包み込み受け入れる、母性的な側面は弱い家庭に見えました。

そのような過剰な父性の家庭で育つと、子どもは萎縮し、自己主張が苦手になります
タイラーも、わざわざ車道にいた亀を安全な場所に移してあげる優しさを持ち合わせていましたが、優柔不断でもありました。
前半では、自分から選択する場面はほとんど見られません


とはいえ、それなりに平和であった彼の日常は、父親への疑念によって崩れ始めます。
キリスト教を信仰する父親の裏切りは、キリスト教への疑念にまで発展しかねません。
絶対であった父性への疑念は、自分の存在の根幹を揺らがすものとなりました

その中でも彼は、優柔不断さを発揮します。
真実を知りたい気持ちから、ついには証拠を発見しながらも、「通報するか、燃やすか」という選択をドンに迫りました。
自分では選びません

しかし、カッシの協力を得ながら真相に辿り着き、ついに父親と対峙します。
そして父親に殺されかけてようやく、自ら選択をします。
それは、父親を犯罪者として認め、切り捨てる決断であり、父性的な決断です

これはたとえば、『スター・ウォーズ』シリーズにおける、ダークサイドに落ちたダース・ベイダーに対峙するルーク・スカーウォーカーと同じ構図であり、普遍的なテーマ、よくある展開と言えます。
しかし、もともとは善人であり、最後には良心を取り戻したダース・ベイダーとは異なり、ドンは徹頭徹尾ダークサイドの人間だったところが、本作における救いのなさに繋がっているでしょう。


タイラーの決断は、家族、つまり母親と妹を守ることにも繋がっていました
通報するという選択肢ももちろん浮かんだでしょうが、母親と妹が加害者家族となることの影響を考え、自らの手で終わらせる決断をしたのです。

これは、タイラーがこの家族の父親、父性的な存在となることも意味します
誤った父親であるドンに代わり、自らが家族を守る。
被害者遺族に対してどうなんだという視点ももちろんありますが、タイラーは家族を守ることを最優先にしたのです。
終盤、泣く母親を優しく抱き締めるタイラーの姿は、序盤からはまったく想像できない、成長を感じさせるものでした。

その点を踏まえるとやはり、ドンは自殺したのではなく、タイラーが殺害したと考えないとすっきりしません
しかし一方、タイラーもまた殺人に手を染めるという十字架を背負ってしまいました。

最後のスピーチにおける「父は、多面性のある人でした」というセリフを待つまでもなく、人間には多様な面があるのは自明です。
「父さん、聞こえるかい?愛してる」という言葉もまた、タイラーの本心でしょう
別にタイラーもダークサイドに落ちたことを示したりしているわけでもなく、素直な気持ちです。
ドンは救いようのないシリアルキラーであり、そんなドンにタイラーは決着をつけましたが、それでこれまでのドンのすべてを否定したわけではありません。
タイラーにとっては唯一の父親であったことは間違いなく、たとえ表面的だったものであったとしても学んだことがあり、与えられ受け継いだ良いものは自分の中に取り込んで生きていこうという意思が感じられました。

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