【映画】ヴァチカンのエクソシスト(ネタバレ感想)

映画『ヴァチカンのエクソシスト』のポスター
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『ヴァチカンのエクソシスト』
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1987年7月、サン・セバスチャン修道院。
アモルト神父はローマ教皇から直接依頼を受け、憑依されたある少年の《悪魔祓い》(エクソシズム)に向かう。
変わり果てた姿。
絶対に知りえないアモルト自身の過去を話す少年を見て、これは病気ではなく“悪魔”の仕業だと確信。
若き相棒のトマース神父とともに本格的な調査に乗り出したアモルトは、ある古い記録に辿り着く──。

2023年製作、アメリカ・イギリス・スペイン合作の作品。
原題は『The Pope’s Exorcist』で、「pope」は「教皇」を意味するようです。

映画館に観に行けなかったことを悔やんでいた、通称「ヴァチクソ」(どんな略だ)。
ようやく鑑賞しましたが、期待を裏切らない最高に面白いエンタテインメントでした

本作のエンドロール後にも写真が映し出されますが、実在したエクソシスト、ガブリエーレ・アモルト神父(1925〜2016年)をモデルとして、彼の著作をもとに制作された作品。
アモルト神父は、実際にカトリック教会の総本山であるヴァチカンのローマ教皇に仕えるチーフ・エクソシスト(主席祓魔師)を務め、「国際エクソシスト協会」を設立し、会長も務めたそうです。

とはいえ、実在のモデルはありつつも、内容は完全にエンタテインメント。
もはやホラーというよりは、ユーモアの散りばめられたバトルアクションと言った方が近いように思います。

そのため、考察ポイントはほとんどありません。
心理学的にも、ウィリアム・フリードキン監督『エクソシスト』は、父性を軸とした家族再生のテーマなども描かれていましたが、本作はそのあたりもだいぶあっさりしたものでした。
ちなみに、ウィリアム・フリードキン監督は、2017年にアモルト神父を取り上げた『悪魔とアモルト神父 現代のエクソシスト』というドキュメンタリーを撮っているようです。


『ヴァチカンのエクソシスト』に話を戻すと、母親ジュリアと娘のエイミー、そして悪魔に取り憑かれた息子ヘンリーは、1年前に父親を亡くしたそうですが、そのショックによってヘンリーが負った心の傷が悪魔につけ込まれる隙になったというぐらいで、ほぼ活用されず。
母親の愛というのも、そこまで鍵を握っていたわけでもなく。
終盤、車で走り去ってからはまさかの登場なしで、「元気になったみたいですよ」というあっさりした後日談だけで片付けられてしまいました。

アモルト神父とトマース神父は、それぞれ過去の傷や罪悪感を克服していきましたが、それほど深みがあるわけでもありません。
2人のバディとしての成熟も注目ポイントでしたが、『エクソシスト』のメリン神父とカラス神父のような象徴的な関係性が描かれているわけでもありませんでした。

というわけで、やはり深読みせずシンプルにエンタメとして楽しむのが正解でしょう
印象としては、『スター・ウォーズ』と『インディ・ジョーンズ』と『ハリー・ポッター』と『バイオレント・ナイト』、そしてゲーム『バイオ・ハザード4』を足して割り、エクソシスト要素を軸に再構築して仕上げたような感じ。
最後のバトルシーンなんかもうエクソシズムなのか魔法バトルなのかわからないほどで、派手なエフェクトも美しく、いつ「アダバケダブラ!」とか叫んでも違和感ない雰囲気でした。
血まみれアデラ(トマース神父のトラウマとなっていた女性)が“不思議のメダイ”を刺されて爆発したときなんかは、完全にバイオハザードのクリーチャーの死に様。

「悪魔がエクソシストを乗っ取って異端審問を行っていた」「教会に入り込もうとしていた」という設定は、もともとキリスト教周辺で存在する説なのかはわかりませんが、面白かったです。
98%は精神疾患など悪魔以外の要因、というのも現実的で興味深い。
魔女狩りの対象となった女性には、統合失調症などの精神疾患患者も多くいたと言われています。

1987年を描いた本作でこうなので、現代のエクソシストって実際にどれぐらい活躍しているのでしょうかね。
ちなみに、現代の斬新な悪魔祓いを描いた作品として『ポゼッション』という映画があります。
現役のユダヤ教徒かつレゲエシンガーが演じる神父が、高らかに歌いながら悪魔祓いをするという意表を突かれる演出、必見です。
今でもたまにあのシーンだけ見たくなります。


そして本作はとにかく、ラッセル・クロウによるアモルト神父の魅力抜きには語れません
いかつい外見だけでもう従来の神父イメージを覆しています。
巨体でちんまりスクーターに乗る姿があまりにも可愛すぎて公開当時から話題になっていましたが、赤い靴下やスクーターの設定は、ラッセル・クロウの発案のようです。
天性の才能ですね。
トラックに乗って煽り散らかしていた姿とのギャップがまた楽しい(『アオラレ』をご覧ください)。

また、ユーモアに溢れ、ドアを蹴破ったりスクーターを使って封印を解くような荒々しいフィジカルの強さも、ついつい笑ってしまうポイント。
そりゃあ、ラッセル・クロウを煽ったら、数倍返しで煽り返されてしまいますからね、悪魔も敵が悪かったです(『アオラレ』をご覧ください)。
発音の良し悪しはわかりませんが、イタリア語を喋っていたのもすごい。

悪魔アスモデウスに取り憑かれた少年ヘンリーを演じたピーター・デソウザ=フェイオニーの演技も見事でした。
もともと何となく不穏な顔つきをしているのですごく合っていた、というと失礼でしょうか。
でも違う作品で見たら全然違うんだろうな。

悪魔が引き起こす現象は、過去の悪魔映画などによるイメージを踏襲しているような印象
顔つきが恐ろしくなったり、悪魔の声になったり、心の隙につけ込んで惑わせたり、吹き飛ばしたり、といったあたりは悪魔に対して多くの人が持っている共通したイメージでしょう。
これはヘンリーではなくエイミーでしたが、身体の関節をボキボキ鳴らして、不自然な体勢で動き回るのも定番なのでしょうか。
『エクソスシスト』のスパイダーウォークのインパクトにはやはり敵いませんが、エイミーが天井を這うのも好きな演出。
ただ、すぐ降りてきたので、何のために天井に這い上がったのかは謎でした。

あとは、こういった作品では珍しく、主要キャラが誰も死ななかったところもライトに楽しめる要因でした
これも『エクソシスト』リスペクトか、エイミーの首が180度捻れたときには「うわぁエイミーが死ぬのか、意外とエグいことしてくるな」と思いましたが、まさかの無傷。
母親ジュリアがベッドに飲み込まれそうになったのは、『エルム街の悪夢』オマージュでしょうか。

自分に悪魔を乗り移させたアモルト神父が首にロープをかけて飛び降りたときには、完全に首の骨が折れる勢いでしたが、あれもまさかの無傷。
まぁラッセル・クロウなら仕方ありませんし、というのは冗談にしても、アモルト神父に死なれたら困るアスモデウスが守ったという解釈はできそうです。
ただ、キリスト教では自殺は禁忌のはずで、『エクソシスト』は最後の最後の手段として選ばれていましたが、アモルト神父はけっこうあっさり選択しようとしてしまったような。

悪魔アスモデウスは、知識も豊富で、遠方にいる教皇をわなわなさせて血を吐かせるほど階級は上位の悪魔っぽかったですが、結局誰も殺すことなく祓われてしまいました。
最後もだいぶあっさりとやられていしまい、かなりの大口を叩いていた割には、なかなかに恥ずかしい結果です
引き分けというよりもキリスト教側の敗北と言える『エクソシスト』に比べると、キリスト教側の大勝利と言えるでしょう。

この大勝利には、最初は頼りなかったトマース神父の成長が大きな役割を果たしていました
噛みちぎられた耳もラストシーンではあっさり回復していたので、タフさも抜群。
残り199体も、2人ならきっと大丈夫でしょう。
『ヴァチカンのエクソシスト200』が観られるのは、いつになるでしょうか。
1年に2本公開してもらっても、死ぬまでに間に合いそうにありません。


というわけで、ホラーとしてではありませんが、悪魔モノがそこまで好きなわけではなくてもかなり楽しめた作品でした。
そもそも悪魔の怖さというのがいまいちわからないので、そのあたりはキリスト教圏の方が観るとまた印象が違うんですかね。
先ほど「悪魔による現象は、過去の悪魔映画の定番を踏襲している」と、悪魔の存在がフィクションであるという前提で書いてしまっていますが、本当に悪魔が引き起こす現象はあのようなもの、かもしれません。
とはいえ、少なくとも本作は、誰が観てもエンタメ重視の作品であるのは間違いないでしょう。

余談ですが、「名前=自分の存在そのもの」として、名前がアイデンティティの象徴として描かれる作品は少なくありません。
湯婆婆に名前を取られると自分が誰だかわからなくなって帰れなくなるという『千と千尋の神隠し』などはまさにわかりやすい。
『ヴァチカンのエクソシスト』で面白かったのは、悪魔の名前を知ることが悪魔祓いに役立つという点でした。
人間的な理屈が悪魔にも通用するのが面白いですし、強大な悪魔ほど有名なので不利そうですね。

本作は、極限まで抽象化すれば、かなりスタンダードな「勧善懲悪のヒーローもの」でした。
『鬼滅の刃』のように、そのストレートさが現代では逆に新鮮でヒットしたのだろう、と分析できます。
もちろん、ホラー要素がライトなのも影響しているでしょうし、ヒーローが魅力的であることは必要条件です。
アモルト神父は、軽口も叩くちょいワルオヤジでしたが、文字通り命を懸けて使命を果たそうとする熱い心と信仰の持ち主であり、ザ・主人公であったと言えるでしょう。

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